ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯3 黒鉄の少女

 

 体内の血流が一気に脳に集中する。

 

 刹那のブラックアウトの後、自分の機体が大気圏を突破した事をモニター類で確認する。

 

 重力を味わった機体の節々が軋みを上げ、新たなる戦いの産声を聞いた。

 

 まだ、よちよち歩きの赤ん坊に等しいこの機体のコックピットを優しくさする。

 

「大丈夫。私がついているから」

 

 そう口にすると、機体をがたつかせる負荷が軽くなった気がした。この機体も慣れない戦闘に怯えているのだ。

 

 ブルブラッド反応炉の血流循環を確かめ、全身に血が巡った事を再認識する。

 

 眼下に広がるのはエメラルドを散りばめたような海であった。近場に小島がある。着陸地点に設定し、鳥型の人機は制動用の噴射剤を下部から焚いた。

 

 減殺された速度でようやく着陸軌道に移れる。安堵しかけた神経を騒がせたのは先ほどからついてくる人機であった。

 

 衛星軌道上に位置していた、という事はバーゴイル系列の機体であろう。

 

「ゾル国の機体……コード照合」

 

 コンソールに表示されたのは《バーゴイルスカーレット》の機体名と予測スペックであった。

 

 この人機は相手の機体が何サイクル前に建造されたかのデータも検出する。今、追いすがってくる相手は三サイクル前。つまり、九年前の機体であった。

 

「でも、カスタムモデルに近い。何よりも重力圏でこれほどまでにしつこいとなると」

 

 バード形態のこちらへと当たりもしないプレスガンを何度か撃ってくる。予測では、惑星圏内の機体はそれほどまでに対人機性能の高い機体は存在しない、という結果であったが、どうやら外れらしい。

 

「……当てにならない予測」

 

 言い捨てて、周囲が濃霧に塗れてくるのを関知した。もうここは惑星圏内――濃紺の大気が充満する汚染濃度の高い場所なのだ。

 

「ブルブラッド大気汚染測定」

 

 告げるとシステムが自律的に大気状態の予測を打ち立てた。ブルブラッド大気汚染は七十五パーセント。

 

 常人ならば、マスクと大気浄化スーツなしで歩けない汚染濃度であった。

 

「これが、この惑星の現状……。大罪の結果」

 

 教え込まれてきた事とは言え実際に経験するのとはわけが違う。フットペダルを踏み込み、着陸に安定性を持たせようとして、こちらに迫る《バーゴイルスカーレット》がまたしてもプレスガンを一射する。

 

 決して操主としての能力が低いわけではない。こちらの隙を突いて攻撃する、という当たり前の戦術を、こうも冷静に取れる。

 

 恐らく操主技術は高いほうであろう。

 

「《モリビトシルヴァリンク》……、着地と同時に変形。バード形態からスタンディング形態へと移行」

 

 下腹部に収納されていた脚部が展開し、着地時に推進剤を焚いて衝撃を減殺させる。

 

 エメラルドの海を引き裂き、海面から水蒸気を噴出させながら、鳥型人機は変形を果たした。

 

 機首が持ち上がり左腕に盾が移動する。腰が一回転し、球状に取られたコックピットブロックが内部で回転に準じた。

 

 半回転した胸元のコックピットがバード形態からの変形シークエンスを呼び出し、後部に位置する翼を拡張させた。

 

 制動をかけつつ、最後に頭部が現出する。

 

 青と白を基調とした機体に、銀翼が映える。

 

『スタンディングモード、コンプリート』の機械音声を聞いて、鳥型の人機は人型へと可変を果たしていた。

 

 緑色の眼窩が輝き、中空からこちらを狙い澄ます《バーゴイルスカーレット》を仰ぎ見る。

 

《バーゴイルスカーレット》は大気圏突破時にその名称の名残である真紅の塗装を剥がしていた。耐熱コーティングの役割を果たしているのだろう。

 

 ほとんど黒と白の装甲に落ち着いた《バーゴイルスカーレット》がプレスガンを一射しつつ、海上に着水する。

 

 操縦桿を引き、《バーゴイルスカーレット》を睨み据えた。

 

「《シルヴァリンク》、重力下における変形を完遂。第一フェイズを終了する……と言いたいところだが、エネミーを確認。敵性人機、《バーゴイルスカーレット》。脅威判定はC」

 

《バーゴイルスカーレット》が広域通信チャンネルを使用する。通信網を震わせたのはまだ歳若い青年の声であった。

 

『答えろ……! お前は何だ? 人機なのか……どこの所属だ! 名乗れ!』

 

「……脅威判定を更新。脅威判定、Dマイナス」

 

 この程度の操主ならば自分と《シルヴァリンク》を破壊するのには至らない。そう判断しての事であったが、相手には当然の如く伝わらなかった。

 

『黙っていないで、何とか言えよ! 通信チャンネルは5224だ!』

 

 ここで乗ってやる事もあるまい、と感じていたが、相手は腐ってもこの惑星を守る人機と、その操主。

 

 初陣だ、ちょっとくらい口を利く程度ならばいいだろう。

 

 通信チャンネルを合わせ、こちらの通信を震わせる。

 

「合わせてやった。そちらの要求は何だ?」

 

 その声音に相手が息を呑んだのが伝わった。

 

『女……?』

 

 舌打ちする。そうだ、操主の性別は明かさないのが作戦概要であった。

 

 ここまで追って来た相手に温情を与えてやるのもいいか、と考えてしまった自身の甘さを痛感する。

 

「音声を合成モードに。……今さら遅いだろうけれど」

 

 声から正体が割れたのではあまりに迂闊である。相手はプレスガンを構え、その銃口を突きつけた。

 

『何で……何で、衛星軌道から。いや、そもそも! お前は、何なんだ! データベースを参照しても、こんな機体』

 

「知る必要はない。ここでお前は死ぬ」

 

《シルヴァリンク》が左手に装備した盾の裏側から大剣の柄を握り締める。

 

 引き抜いた大剣の柄に相手は嘲笑を浴びせた。

 

『柄だけ……? 嘗めているのかっ!』

 

「自信があるのなら来い。ここまで追ってきたんだ。最初の一撃はそっちに譲ってやる」

 

 その言葉が相手のプライドを傷つけたのだろう。《バーゴイルスカーレット》はプレスガンを構え直し、こちらの頭部へと狙いをつけた。

 

『譲ってやる、だと……。《バーゴイル》!』

 

 推進剤が焚かれ、《バーゴイルスカーレット》が真っ直ぐに向かってくる。

 

 息を詰め、操縦桿を押し込んだ。

 

 瞬間、大剣の柄に命が宿る。青い血脈のエネルギーが充填され、オレンジ色の刀身が出現した。

 

 こちらに接近していた相手はまさか刀身が現れるなど思いもしていなかったのだろう。

 

 振り上げた一閃が確実に《バーゴイル》の頭部を焼き切ったに思われた。だが、その軌跡をプレスガンの銃剣が僅かに逸らす。

 

 肩口を焼き切ったこちらのリバウンドソードが完全に振りかぶった姿勢となった。

 

《バーゴイル》がたたらを踏んだものの致命傷は免れている。二の太刀で勝負を決めようと、《シルヴァリンク》が打ち下ろしたが、その時には相手は離脱機動に入っていた。

 

《バーゴイルスカーレット》は左腕を根元から破損し、右腕のプレスガンも半ばまで溶断されている。

 

 それでも操主も、人機も健在だ。

 

 これでは撃ち損じただけである。舌打ち混じりにリバウンドソードを片腕に《シルヴァリンク》を駆け抜けさせたが、逃げる動きに入った《バーゴイル》は想定よりもずっと素早い。

 

 戦域を離脱し、左腕と右手を犠牲にしながらも、あの操主は生き残った。

 

 覚えずコンソールに拳を打ちつける。

 

「……殺し損ねた」

 

 一度の禍根が大きな計画の破綻になる事はあり得る。追撃をするべきか、と悩んだが、これ以上《シルヴァリンク》の情報を相手にくれてやるのは上策ではない。

 

 紺碧に煙る大気の中、《シルヴァリンク》は静かに戦線から離れていた。

 

 レーザーの捕捉領域から完全に《バーゴイル》が離れたのを確認し、こちらの損耗を照合する。

 

「《シルヴァリンク》、地軸、座標から逆算し、現在地を表示。それと先ほどの戦闘におけるこちらの損耗率も。考えたくはないが、貴重な一手を相手に与えてしまった可能性がある」

 

 自分の落ち度だ。《シルヴァリンク》のコックピットに固定されていた球状のコンソールが身じろぎし、その身体を可変させる。

 

 丸まっていたのは銀色の体表を持つサポートメカであった。数値を表示させ、こちらに皮肉を送ってくる。

 

『随分とやってしまったみたいマジね。これじゃせっかくの初陣が台無しマジ』

 

「……うるさい。アルマジロ型AI、ジロウ。結果だけを教えろ」

 

 はいはい、とジロウと呼ばれたAIが計算式を弾き出す。

 

『Rソードを相手に見せたのは大きな落ち度マジよ。まぁ、さっきの戦闘で《バーゴイル》を完全にやるつもりだったのは伝わったマジけれど、結果的にあの《バーゴイル》の持ち帰ったデータは惑星側にとってアドバンテージになるかどうかは分からないマジ』

 

 このAIは人をおちょくるのだけは得意だ。手を払ってコンソールからジロウを叩き落してやった。

 

「文句しか言えないのなら黙っていろ。私は……ちょっと外の空気を吸ってみる」

 

『計算上は問題ないマジけれど、汚染濃度は尋常じゃないマジよ!』

 

 倒れたジロウが球形になって身体を持ち直す。コックピットブロックを開け放ち、ヘルメットに連動している浄化装置をオフにする。

 

 静かに、惑星の大気が専用操主服――Rスーツに満たされていくのが分かった。伝わってくるのはこの星の鼓動だ。

 

「酷い汚染濃度。でもこれが、母なる星……」

 

 気密を解除し、ヘルメットを脱ぎ取る。黒い長髪が海から運ばれてきた潮風になびいた。

 

 大きく開かれた瞳は紫色に染まっている。

 

 肺の中に猛毒のブルブラッド大気を取り込んだ。覚えず咳き込んでしまう。だが、想定されていた汚染ほどではない。

 

 二度目の深呼吸は言葉通りに自分を落ち着けさせる事が出来た。

 

 彼女は左手首に装着された連動型システム端末に、今日の記録を残す。

 

「操主、鉄菜・ノヴァリスの経過報告。《モリビトシルヴァリンク》による第一フェイズを遂行中。本日の天気は晴れ。後、ブルブラッド大気汚染濃度は七十五パーセント。この身体への悪影響は今のところなし」

 

 濃霧が包み込む中、少女――鉄菜は《シルヴァリンク》の頭部を覗き込んだ。緑色の眼窩に反射しているのは紺碧の霧から差し込む日光。

 

 汚染された大気の中でも陽射しは感じられるのだな、と鉄菜は胡坐を掻いた。

 

『周囲に敵影はなし。現在地は国境付近の無人島だマジ。ここなら、隠密に動ける可能性があるマジな』

 

 いい具合のところに降りてきたらしい。鉄菜は《シルヴァリンク》の戦闘データを反映させる。

 

「会敵する事はないと考えても?」

 

『油断は禁物マジ。ただ、ここにいれば、あのスカーレットの操主以外は気づきもしないと思うマジよ』

 

 成層圏で戦う事になるとは思っていたが、あそこまでしつこい操主もいるのか、と先ほどの戦闘データを見やる。

 

《バーゴイルスカーレット》の動きにキレはあった。恐らくはこの惑星では名のある操主なのだろう。

 

 だが、それも惑星圏内の話。対古代人機程度ならばこちらの脅威度が上がる事もない。

 

「《バーゴイル》が三機……あれは古代人機狩りの編隊か」

 

『ゾル国の標準機体マジ。《バーゴイル》を基にしたカスタム機でありながら、耐熱性に優れ、大気圏を突破する性能を誇る機体……ただ、武器が貧弱マジね。プレスガン程度では《シルヴァリンク》の装甲を破る事は出来ないマジ』

 

 ある意味では幸運だったと思うべきか。惑星への直通コースに敵がいたのは不運だったが、こちらの手の内は晒さずに済んでいる。

 

 それでもRソードでさえも本来は相手に見せるべきではなかった。当然、操主の情報も。

 

「ブルブラッド反応炉をアイドリングモードに。私は第一フェイズが遂行されるまで、ここで待機する」

 

『長旅になるかもしれないマジ。携行食ともしもの時の浄化モードは七十二時間に設定されているマジよ』

 

「要らないはず。私には」

 

『ブルブラッド大気汚染は思ったよりも深刻なのは事実マジ。その身体であっても、汚染によって寿命を縮められる可能性はあるマジ』

 

「だからと言って、動き回っても仕方がない。《バーゴイル》の操主が間抜けである事を願うしかないが、一機撃墜しただけでここまで追って来た奴だ。こっちの情報をしらみつぶしにさぐり始めるだろう」

 

『それも、第一フェイズの目的の範囲マジ。来るべき戦いのために、モリビトの戦力を温存しておくのは当然マジ』

 

 鉄菜は空を仰いだ。濃紺の霧を越えた先は虹が混じっている。本来の虹ではない。惑星そのものを覆いつくす人の業が集約された人造の虹だ。

 

「Rフィールド……本当にそうだったなんて」

 

『ショックマジか?』

 

「まさか。何度も習ったし、教え込まれてきた。ただ、実際に見るのは違う、という話」

 

 コックピットに入ってフットペダルを押し込む。ジロウがたたらを踏んだ。

 

『急発進してどうしたマジ?』

 

「見ておきたい場所がある」

 

『座標は……』

 

「遠くない。多分」

 

 錆びた空の下で、《シルヴァリンク》が波間を駆け抜けた。

 

 


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