裏切った事実を、自分で分かっていないわけではない。それでも、前に進みたいのが本音であった。
そう口火を切ったところ、《フェネクス》に搭乗するレジーナは、立派だ、と返す。
「立派? ボクが……?」
『ああ。自分の領分をよく分かった上での行動だ。それは賞賛されるべきだろう』
「……でも、対外的にはただの裏切り者だ」
『それも、分かっているのならば諭すまでもない。エホバは本気だ。本気で世界を変えにかかっている』
それは今まで自分達の行動が所詮は飯事であった事を暗に言われているようで気分はよくなかった。
「……ブルブラッドキャリアなんて要らなかったんじゃ」
『必要だっただろう。そうでなければ何も変わらなかった。今でも三国は互いに削り合いと牽制を繰り広げていただろうし、もっと悪い未来が待っていたかもしれない』
もっと悪い未来。それを回避するために、ブルブラッドキャリアはあったのか。だが、そんなもの、全ては仮定の話だ。
仮にブルブラッドキャリアがいなくとも百五十年前の禁断の人機には誰かが辿り着いたかもしれない。
どれも仮の話、仮定でしか物は言えない。自分がブルブラッドキャリアを切ったのも、もしかしたらもっと悪い未来を引き寄せたかもしれないのだ。
『後悔はするなよ。この局面、もう転がり出している。もう、この世界は無理なのだと、自分は悟った。旧ゾル国でとても美しい関係の者達に出会ったんだ。それを……世界は必要ないのだと一蹴した。何もかもを破壊しようとしたんだ。自分はそれを許せない。ゾル国再興だとか、そんな些事はもういい。この星も、世界も、どこまでも醜悪だ。ならば、潰す側に回りたい。もう、それしかない』
レジーナも随分と思い切っている。前を行く《グラトニートウジャフリークス》は沈黙したままであった。
「あの青いトウジャ……本当に敵の爆弾を吸収して?」
『ああ。彼は騎士だ。まさしく、な。だがだからこそ脆い。自分は彼の生き方に同調した。エホバの意思だけじゃない。彼だって世界と戦っている』
「騎士、か……。ボクは、何に成れるんだろう。あの場所では、多分一生かかっても何にも成れないような気がしていた」
『少なくとも英雄には成れる。我々が世界を変えるんだ』
ブルブラッドキャリアではなく、エホバの支配する側で。戦う意義は変わらぬまま。
《グラトニートウジャフリークス》が降下に入る。その行く末にあったのは末端コミューンであった。林檎は懸念を口にする。
「モリビトとトウジャなんて……まずいんじゃ」
『その心配はない。今、エホバが全てを掌握している。大国コミューンは情報不足に喘ぐ中、小国コミューンに優先して武力と情報が行き届く。それだけで世界は様変わりした。アンヘルの上を行くのは難しくない。……まさかこんなにも、簡単だったなんて』
レジーナからしてみても、大国コミューンを上回ったのは驚嘆に値するのだろう。《グラトニートウジャフリークス》と《フェネクス》、それに《イドラオルガノン》がガイドビーコンに従って整備場に入る。最初こそ、彼らは驚いていたようであったが、やがて膝を折り曲げて祈りを捧げた。
『全ては! エホバのお導きのままに!』
「……世界を変える一が出てきただけで、信仰まで様変わりするのか」
『そのようだな。林檎、ここは安全地帯だ。それに、見せたいものもある』
「見せたいもの?」
コックピットハッチを開け、林檎はレジーナと再び対峙した。あの島での出来事は決して忘れていない。彼女は手を差し伸べる。自分はその手を取っていた。半端者だと自らを自嘲していたレジーナは今、見据ええるべき道を見つけている。
――自分は。
自分はどうなのだ、と林檎は目を伏せた。ブルブラッドキャリアを裏切り、唯一の肉親である蜜柑までも裏切った。
もう、戻れない。もう、何も知らないなんて言えない。誰かのせいにも出来ないのだ。
「……考えているな」
「分かった? ……ボクもこれで正しかったのか」
「分からない事だらけなんだ。だが一つだけハッキリしているのは、この世界は自分達にとって残酷だ。これ以上ないほどに、冷酷なんだ。だから、どれほどまでにも突き放せる。いくつか、得た情報を話しながら向かおう」
弱小コミューンの格納庫であるのに、揃っているのは最新鋭の武器ばかりである。どうやって、と勘繰った林檎にレジーナが応じていた。
「簡単な話だ。流通を全て、バベルで牛耳ればいい。どこに何が届くかなんてデータでしか知りようのない人類にとっては、どこに届いたか、よりも、どこに届けられたか、が優先される」
皮肉にも情報を発達させたばかりに、アンヘルでさえも自分達に届くはずの兵器が弱小コミューンに持ち込まれた事になった。
せっせと新型武装を型落ち機に施そうとする者達を視界に入れつつ、林檎は尋ねていた。
「ここのコミューンの主義は?」
「旧ゾル国でも、ましてやC連合国家でもない。どちらにも与しないと決めたコミューンだ。だからこそ、こちらの人機を受け入れてくれた」
「レジーナ。ボクはさすがにもう……《イドラオルガノン》に乗る気はない」
「ブルブラッドキャリアへの義理立てか?」
「……分からないんだ。そういうの。でも、あれに乗って戦うのは……気が引けるって言うか」
「大丈夫だ。新たに乗ってもらう人機がある」
「新しい人機? こんな旧式コミューンに?」
「エホバが用意した、兵力の一つだ。厳重なセキュリティが施されており、限られた人間しか知らない」
格納庫を超えた先にあった扉を開く。
内部はスラム街のような街並みであった。子供達が走り回っている。
「豊かではないが、確かな覚悟がある。そういうコミューンだ」
道を抜けていくレジーナを数人が呼び止めた。
「軍人さん! 頑張ってくださいね!」
手を振り返したレジーナは静かに呟く。
「彼らは外がどうなっているのかは知らない。ただ、一定の年齢になると人機に乗せられ、何も知らぬままにアンヘルと殺し合うのを是としてきた。それが当たり前なのだと、最初から教え込まれている」
「……洗脳か」
「そこまで崇高なものでもない。彼らにとっての当たり前が、戦場であっただけの話なんだ」
自分にとっての当たり前がモリビトの執行者であったのと同じか。林檎は子供達を直視出来なかった。
彼らも辿る茨道。この世界はどこまでも厳しい。
家屋へと入り、レジーナは奥まった空間にあった戸棚に触れる。すると、戸棚が可変し、エレベーターの扉を開かせた。
「下にある」
「随分と物々しい……」
「それくらいに重要視している、というわけだ」
降下していくエレベーターの中でレジーナはこぼしていた。
「どうして……裏切る気になったんだ?」
酷な質問だと分かっているのだろう。自分も言わなければならないと感じていた。
「……あいつが羨ましかった。妬ましかったんだ。みんなに好かれて、みんなに頼りにされて……。そんなにボクらが優れていないはずもないのに、《イドラオルガノン》の戦果になんて誰も期待しない。それが堪らなく……許せなかった。だから、ボクは逃げ出した。そう……逃げ出したんだ。裏切ったなんてそんないいもんじゃない。ただ、逃げただけだ」
「それが分かっているだけでもいい。林檎、自分とお前は同じものを睨めている気がする。この世界の不条理、戦う事への疑念」
「だから、そんな大層なものじゃないって」
「いや、ブルブラッドキャリアが居場所だったのだろう。それは大した決断だ」
レジーナがそう言ってくれるのならば、自分はそれなりの決断を下したのだろう。退路を消した。何もかもを捨て去ってまで、こちらを選んだ。
思えば、選んだという経験は初めてかもしれない。操主になるのに、選択肢なんてなかった。優れた血続は操主になる――それが当たり前であったからだ。
だから、桃の訓練にも、ブルブラッドキャリアの理念にも、今の今まで疑問はなかった。
しかし全てが塗り変わったとすれば、それは鉄菜の存在であろう。
不完全な血続。旧式のはずなのに、自分達よりも戦果を挙げ、誰よりも現状のブルブラッドキャリアを引っ張っていた。
それがどうしてだか、いつの日から許せなくなった。我慢ならなくなった。
どれほど戦ったところで、どれほど苦しんだところで、評価されるのは鉄菜だけならば、自分は要らない。
もう、ブルブラッドキャリアに固執する必要もない。
そう考えて、この道を選び取ったのだ。
「着いたぞ。ここだ」
開けた視野には茫漠とした闇が広がっている。何もない、と周囲を見渡しかけて、レジーナがレバーを下ろした。
直後、重々しい投光機の音と共に照明が照り返す。
光を受けたのはオレンジ色の人機であった。特徴的な四つ眼のアイセンサーがこちらを睨み据える。尖った肩パーツと腰のパーツ。鋭角的なフォルムとその眼窩がある人機を想起させた。
「……トウジャ?」
「このコミューンに封印されていた太古のトウジャの一つ。ハイアルファー人機、《エンヴィートウジャ》。禁じられた力だ」
「ハイアルファー人機……、これが?」
《エンヴィートウジャ》と呼称された人機は真っ直ぐに林檎を見下ろしている。鋭い眼光に射竦められた気分であった。
「これに……ボクが乗れって?」
「《イドラオルガノン》では戦い難いのだろう? これに乗ったほうがいい」
「でも、ハイアルファー人機は……」
「エホバが毒を浄化した。どういう仕組みで、なのか知らないが、ハイアルファーがもたらすデメリットを排した形らしい」
にわかには信じられない。ハイアルファーは功罪含めた性能を発揮するはず。それを一方的に搾取するなど。
しかし、眼前の人機だけは本物だ。
本物の、新型人機……。
「《エンヴィートウジャ》……。どういう意味なの?」
「ヒトの持つ罪。嫉妬を司る、トウジャだ」
嫉妬、か。自分にはお似合いのトウジャだ。林檎は《エンヴィートウジャ》の頭部へと手を伸ばし、そっと触れる。
人機の脈動が、静かに感じられた。
「《エンヴィートウジャ》。ボクに、見せてくれ。本物の世界を」