反証、不可、というエラーが何度も明滅し、レギオンの義体ではやはりもう、バベルへの閲覧権限はないのだと知れた。
それでも現場の兵士からもたらされた映像情報に彼らは苦渋を噛み締める。
『まさか……ゴルゴダの生成場所を破壊させられるとは……』
『それだけならばまだいい。ゴルゴダは汚染域で製造出来る。問題なのは、これだろう』
全員の脳に同期されたのは爆風と衝撃波を根こそぎ吸い込んだ一機の人機であった。
『《グラトニートウジャフリークス》……、まさか、生きていたとは……』
『しかし、このトウジャがゴルゴダの性能を吸収したとして、何になる? 相手はただの人機。墜とせばいいのでは?』
『問題はそう簡単ではないのだ。ゴルゴダと内部に擁していると考えれば、破壊された時に爆発規模はとてつもないはず……。何としても惑星内での破壊は免れたい』
『しかし、もう一機……《フェネクス》か。どうしてこの機体まで?』
全員に浮かんだ疑問に声が差し挟まれた。
「お答えしましょう」
義体の前に現れたのは水無瀬である。まさか、と全員が勘繰った。
『貴様の差し金か、水無瀬』
「まさか。わたしとしても想定外ですよ。ただ……あの人機に関する情報は持ち合わせております」
『ガエル・シーザーが殲滅したはずだな? どうして生きている?』
「彼とて万能ではありません。ハイアルファー人機相手に善戦したと思うべきでは?」
『《モリビトサマエル》は伊達ではない。あれを使っておいて作戦失敗などあり得てはならないのだ』
「手厳しい」
水無瀬が肩を竦める。レギオンの頭脳は水無瀬への追求を求めた。
『水無瀬、貴様、随分と冷静だな。何か、取引でもしたか?』
「取引、ですか。それは今から、あなた方がするのですよ」
『何を言って――』
『レギオン、惑星の支配特権層へと通達する。我々は、ブルブラッドキャリア』
思わぬ相手に全員が絶句した。まさか、ブルブラッドキャリア本隊と、水無瀬が渡りをつけたとでも言うのか。
『ブルブラッドキャリア……』
『この通信は調停者水無瀬による中継ネットワークで成り立っている。バベルに関知される心配はない』
一手先を行く相手の言動にレギオンの総体は返答した。
『どうして、我々に接触する? 破壊工作が目的のはずだ』
『誤解して欲しくないのは、ゴルゴダ破壊はこちらの本意ではない、という事にある。ゴルゴダのような抑止力は常に必要だ。それは分かっている。地上に降りた追放者達が勝手に仕出かした事だ』
『だが、それもブルブラッドキャリアだろう』
『広義にはそうなるだろうな。だが、我々はこう考えている。支配特権層との融和。それこそが、今求められているのではないかと』
何と、過激派であるブルブラッドキャリア上層部がここに来て擦り寄ってきたというのか。しかしただではないはず、とレギオンの総体は声を強張らせた。
『……何の目的だ』
『我々としても目先の虫は払いたい。それが一番なのだよ。ブルブラッドキャリアから離反した者達はあまりに力をつけ過ぎだ。さらに言えば、エホバなる者の台頭。面白いわけがない』
『エホバは、こちらでも行方を掴みかねているが……そちらならば分かるというのか? エホバの目的と真意が』
『ある程度ならば』
どこまでも信用ならない事だ。レギオンは冷静に返答の言葉を繰り出す。
『エホバによるバベルネットワークの掌握はひいてはそちらの惑星への報復作戦に支障が出る。敵の敵は味方、という理論か』
『そう思っていただいても構わない。いずれにせよ、そちらとて、月面のバベルは欲しいはず。ここは細く長く行くというのが正しい判断のはずだが』
突如として現れた「月」のバベル。地上と同じだけの情報掌握能力があるのならば、それだけで形成を逆転出来る。
しかし、そのバベルは今、ブルブラッドキャリアの手に落ちている。この状況、どう足掻いても交渉という段階から入らなければならないだろう。
『……エホバはどうして、バベルを掌握出来た? ただの人間ではないのか』
『そこに、ただの人間ではない者がいるだろう。エホバは恐らく、広義には、調停者と同じ能力の持ち主のはず』
「……そのようで」
飄々とする水無瀬に、レギオンは尋ね返す。
『相手が調停者ならば、それほどの性能が仮にあるとして、ではどうして世界への宣戦などやってのけた。動き辛いだけのはずだろう』
『エホバには、それをしてでも勝てる算段があるか……あるいは、既に用意周到に、兵力は揃っているかのどちらか』
いずれにせよ、レギオンは現状のままではアンヘルの制御さえも儘ならない。戦うのに矛も矢もないのでは話にならないのだ。
『人機市場は貴君らが支配して久しい。《スロウストウジャ弐式》の部隊はいつでも出せるはずだろう』
『簡単に言ってくれる。アンヘル上層部を偽装しての命令書を出すのにはバベルが必須であった。それを奪われた今では、命令一つでも……』
時間がかかってしまう。その問題点をブルブラッドキャリアはなんて事はないように言ってのけた。
『ならば、こちらのバベルの一部を貸し与えよう。そうすれば、アンヘルは稼動するはずだ』
まさか、と全員が絶句した。バベルを貸し与えるという意味を理解していない者はいないはず。
『……信用ならないな』
「ですが、手を組むのはそう難しい帰結でもないはずです。バベルは奪われた。奪い返すだけの方策もない」
『お前は黙っていろ、水無瀬。繰り言ばかり言って……』
水無瀬が目礼して後ずさる。レギオンの総体はここに来て判断を渋っていた。バベルはこの手に掌握したい。だが、ブルブラッドキャリアの――敵の手を借りるなど真っ平御免。
理想点はブルブラッドキャリア駆逐の策が出つつ、この状況でバベルを完全に我が物にする事であったが、それは限りなく難しいであろう。
水無瀬が何よりもこちらだけの腹心かと思えばまだブルブラッドキャリアと繋がっていたなど、不審もいいところだ。
誰を信ずる事も出来ない。周りは敵だらけだと思ってもいい。
『判断は、速いほうがいいかと思うが。我々の気が変わらないうちに、決定を下すといい』
加えて、相手も焦っている。何がそうさせているのか、という事をレギオンのネットワークは考え抜き、やがて一つの帰結に至った。
そうだ。《モリビトルナティック》。質量兵器をまたしても使ったという情報が漏れていたが、黙殺したのは眼前のブルブラッドキャリア離反者を叩くのが先決だと考えたから。
相手からしてみれば、戦力を搾った末の苦渋の決断のはずだ。案外、こちらのほうが優位に立っているのかもしれない。
レギオンはそれに関する情報を調べようとして、やはりというべきか閲覧権限に引っかかった。バベルは絶対に必要だ。それで何を調べるのかは、これから次第であるが。
『……いいだろう。要求を呑む』
『賢明な判断だ。ではバベルシステムの一部を譲渡する。ただし、条件がある』
来たか。いや、ここで突きつけないほうがどうかしている。
『何か。出来る事ならば協力体制を敷きたい』
『操主の戦闘データが欲しい』
想定していない言葉であった。共闘、あるいは謀略、何でもありだと考えていただけに、操主の戦闘データというのはまるで度外視していた。
『操主の?』
『そうだ。アンヘル、C連合、連邦、確認し得る全ての操主の戦闘データだ』
『……何に使う?』
『それはこちらの一存であろう。関係がない』
これから先の局面で必要と判じたから、この選択肢が取られたはず。しかし、今は勘繰る術を持たない。
大人しく従うしかないだろう。
『……分かった。送信しておこう』
『ではバベルの恩恵を。月面都市、ゴモラとのリンクを張る。ただし、気をつけてもらいたいのは、ブルブラッドキャリア離反兵達があの場にいるという事だ。いずれは月面を巡っての直接戦闘になる』
『抜け道を使ってのシステムの一部閲覧か。だが、そちらの上層部も同じ条件のはずだ』
『我々は違うのだよ』
その驕りが命取りになる。レギオンは水無瀬を媒介にしていた通信を切った。水無瀬がわざとらしく微笑む。
「如何でしたか? 追放者達とのお話は」
『全て聞いていたのだろう、水無瀬。無意味だよ、最早ね』
「おや? ですがバベルネットワークを使用出来るのです」
『いずれはどちらか、だと彼らも含んでいた。これから先、バベルを手に入れられるのは、月面における最終決戦を制した者のみ。その条件も、大分絞れてきたようだがな』
『局地におけるリバウンドフィールドの極大化。……これはエホバが?』
『星を覆うリバウンドフィールドの出力を三倍に上げている。愚かしい事を。これでは星が圧死するぞ』
『プラネットシェルの真意を理解している者だ。ギリギリのところでの締め付けだろう。現状では、ブルブラッドキャリアの質量兵器も意味を成さない。無論、我々が宇宙に進出する事も』
リバウンドフィールドの強化はこう着状態を生み出した。アンヘルには通達されていないが、宇宙駐在軍と地上軍は完全に分かれた事になる。
状況を一変出来るとすれば、とレギオンは全員、《グラトニートウジャフリークス》を浮かべていた。
『ゴルゴダと同等のエネルギー兵器を何発も撃てるあの人機。……是非とも我が方に欲しい』
『しかし、エホバは簡単には渡すまい』
『止むを得なくなれば、強攻策に打って出るまでだ。ゴルゴダは確かにもう使用不可能であろう。だが、我らには……』
ネットワーク権限が復活する。一部とは言えバベルが使えれば情報戦においてエホバと渡り合えるはず。今はアンヘルの兵士を一人でも多く、エホバに届かせる事が重要な鍵だ。
『……見ていろ。エホバ、神を気取る男よ。貴様のやり方では世界は救えない』