「林檎! 何をしているの! 火器系統に勝手にアクセスして……それで瑞葉さんを狙うなんて!」
蜜柑の糾弾が飛ぶ中、林檎は一つの事だけを考えていた。再び光通信を打つ。
「レジーナ……生きていたのか。お願いだ、教えてくれ。ボクはどうすればいい?」
「林檎? 何をして……」
《フェネクス》から送信された光通信に林檎は目を伏せる。
「……やっぱり。納得なんて出来ないよ。このままじゃ」
「林檎……。何があったのかは分からない。でも、今の林檎は変だよ」
「変? そう見えるんだ。じゃあ、ボクは、変なんだろうね。もう、おかしくなっちゃったんだ。だから、これはエラーだよ、蜜柑」
発動されたのは《イドラオルガノン》の分離プログラムであった。強制分離に蜜柑が声を上げる。
「何をやっているの! 今、《イドラオルガノン》単騎になれば……」
「蜜柑。ボクはもう、自分に惑うような場所に、いつまでもいるなんて出来ないんだ。この心の赴く先は自分で決める。……だから、決めた」
「林檎っ!」
《イドラオルガノン》の分離シークエンスが実行され、外側の装備である《イドラオルガノンジェミニ》へと蜜柑が送られる。
《イドラオルガノン》本体が飛翔し、なんと《フェネクス》と合流した。
《フェネクス》側も攻撃を仕掛けない。どうなっているのだ、と蜜柑が絶句する間に《イドラオルガノン》本体の銃口がこちらに向いた。
「……嘘だよね……林檎」
リバウンドエネルギーが充填され、即座に放たれた銃撃から、こちらを庇ったのは《ナインライヴス》だ。
羽根の一枚で受け止めた《ナインライヴス》が是非を問う。
『どういう……つもりなのかしら? 林檎』
『桃姉。もう、偽り続けるのは無理なんだ。ボクは鉄菜・ノヴァリスを許せない。それに、ブルブラッドキャリアの在り方も。本当のボクの居場所に行きたいだけなんだ』
『それが、裏切りの道だって言うの?』
裏切り。浮かんだ言葉はどこか遊離していて、蜜柑はそのまま受け取る事は出来なかった。
「裏切り……、桃お姉ちゃん……林檎はちょっとおかしくなっただけなんです。裏切りなんて、そんなはずは……」
『ちょっとおかしくなっただけで、妹に銃は向けないわ』
その説得力に蜜柑は言葉をなくす。林檎は再び銃弾を浴びせかけた。《ナインライヴス》が保護し、返す砲撃を放つ。
《イドラオルガノン》が舞い、《フェネクス》が前に出た。
見れば《ナインライヴス》はほとんど大破している。こんな状態で戦うのは無理に等しい。それでも、桃は果敢に攻め立てた。
砲塔で敵機を殴りつけようとして、剣術に翻弄される。
弾かれた剣の圧力に《ナインライヴス》が傾いだ。
その隙を見逃さず、浴びせ蹴りが見舞われる。後退した《ナインライヴス》に《フェネクス》の操主が口にする。
『最早、あまりにダメージを受けている。その傷でこれ以上如何にするつもりだ』
『どう、かしらね。まだいけるかもよ?』
『……愚かだ』
《フェネクス》が剣を下段に保持し、《ナインライヴス》へと真っ直ぐに向かってくる。《ナインライヴス》のRランチャーが光軸を描き、海面の水蒸気を蒸発させた。
その出力に気圧されず、《フェネクス》が肉薄する。《ナインライヴス》がバインダーよりRピストルを取り出し、《フェネクス》の頭部へと据えた。
しかしその照準は僅かに逸れる。《フェネクス》が肘打ちで《ナインライヴス》の腕を叩き上げたのだ。
人機の構造を理解していなければ出来ない芸当。《ナインライヴス》が応戦する前に胸部を蹴り上げられ、桃の機体が一気に下がった。
「桃お姉ちゃん!」
『……強いわね。だからこそ、解せないけれど。どうしてこんな真似を?』
『自分達は神の奇跡に救われた。いや……あれは悪魔の気紛れと言うべきか……。いずれにせよ、帰る場所を失い、見据えるべき目的を失い、祖国への憧れも失った我々は、もう、神にすがるしかないのだ。その神がエホバと名乗るのならば、我らはその男に従おう』
『馬鹿馬鹿しい。あんな見せ掛けの神様になんて、縋ったって……!』
『見せ掛けかどうかはこちらで決める。貴様らは所詮、星の外側から来た侵略者。略奪者達だ。ならば、この星に息づく者の代表として、天罰を』
『だからっ! そういう考えが馬鹿馬鹿しいって言ってるのよ!』
Rランチャーが放出され、《フェネクス》へと狙いがつけられるが、《フェネクス》は即座に上方へと逃れていた。その機動性に、追従する事は出来ないだろう。
『ここは退こう。我々の目的はブルーガーデン国土に眠っていた重量子爆弾の破壊とその力の吸収。教えてやる。《グラトニートウジャフリークス》にはエネルギー兵器を吸収するハイアルファーが組み込まれている。今のこの人機は、最早、ゴルゴダ数基分のエネルギーを溜め込んでいるのと同義。こいつを撃墜すれば……どうなるのかくらいは分かるな?』
『脅しってわけ。案外、そっちも余裕ないのね』
『どうとでも。世界の敵、ブルブラッドキャリア、天誅は後にしておいてやる』
《フェネクス》と《グラトニートウジャ》が機体を翻す。その背に《イドラオルガノン》が続こうとした。
「待って! 林檎! 行かないでよ!」
悲痛なる叫びに林檎はどこか醒めたように応じる。
『蜜柑。ボクが間違っていると思うのならば、撃てばいい。それが一番に分かりやすいはずだ』
撃つ、と蜜柑はその手にある引き金を見やる。これで撃てば、林檎を元に戻せるのだろうか。元の関係に、戻れるのだろうか。
――無理だ。きっと戻れない。
撃ってしまえば、それは決定的な断絶となる。それでも、ここで林檎に行って欲しくないのが自分の欲求だった。
「林檎……お願い、行かないで。傍にいてよぉ……」
『蜜柑。そんなだから、ボクはもう、キミと一緒に人機に乗るつもりはない。戦いたくなければいくらでも道はある。今度会う時は戦場以外が、出来ればいいね』
《イドラオルガノン》が身を翻していく。その背中に、《ナインライヴス》も照準出来ないようであった。
突然の裏切り。否、ともすればもっと前から。林檎の心には迷いが生じていたのかもしれない。
それを見抜けなかったのは、一番近くにいたくせに、何も理解していなかった自分の怠慢だ。
「嫌……林檎、嫌……」
『蜜柑。現時点では撤退が望ましいわ。アンヘルも爆発で勢いを挫かれたみたいだし、今なら補給に持ち越せる』
「……桃お姉ちゃん。冷酷なんだね。林檎が! 行っちゃったんだよっ!」
『……冷酷でも、前に進まないとどうしようもないのよ。それがブルブラッドキャリアなんだから』
蜜柑は呻きながら《ゴフェル》への帰投信号を受け取った。帰る場所がまだある。それだけでもまだ救われているのだろうか。
林檎は、《ゴフェル》に居場所を見出せなかった。
――それだけで? それだけで何もかもを諦めてしまうなんて。
しかし、理由なんて人それぞれなのだ。
きっと、それだけでも、彼女からしてみれば耐え難かったのだろう。
アンヘルの部隊も艦隊司令部へと帰っていく。互いに痛み分けの形でこの戦いは幕を閉じた。
撃墜された人機はどれほどにも上るだろう。
蜜柑は《ナインライヴス》と《カエルムロンド》、それに救われた形のトウジャの改良機と共に《ゴフェル》格納庫へと帰還する。
整備班が声を張り上げた。
『帰還だ! 総員、整備準備! すぐに出せるように仕上げておけ!』
蜜柑はしかし、すぐに《イドラオルガノン》から降りる事は出来なかった。
「林檎……どうして。どうしてミィに、何も言ってくれなかったの? この世界でたった二人の……、姉妹じゃないの?」
替え難いものではなかったのだろうか。自分なんて所詮、ただの砲手で、ただのお荷物。
その認識が林檎の全てであったのならば、自分はもう、生きていく価値なんて……。
その時、コックピットを強制射出で外側から開かれた。涙が頬を伝っているのを桃に目撃される。
「ごめんなさい、桃お姉ちゃん……。どうしたって……無理で」
「いいのよ、蜜柑。よく……帰ってきてくれたわ」
その言葉だけで、蜜柑は救われていた。桃の胸に寄り添い、嗚咽を漏らす。
耐えられなかった。自分達に試練ばかり課すこの星と、敵意に。何がそうさせたのだろう。何が、自分達をここまで追い込んだのだろう。分からない。分かりようもない。
そのような想像を抱いて、また目を腫らす。涙が止め処ない。
蜜柑はこの日、血を分けた半身と別れる、残酷な運命に弄ばれていた。