ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯278 覚悟の戦場へ

 答えはどこにある?

 

 そう、彷徨い続けていた。探し続け、求め続けていた。モリビトと共に。

 

 だが、答えなどなかったのかもしれない。記憶の表層に現れたのは、紺碧に沈んだ罪の大地であった。

 

 ブルブラッド汚染大気が逆巻き、死の静寂を確約する外の世界。

 

 しかし、自分はそんな世界で朝焼けを目にしている。汚染された濃霧の向こう側から、今日も太陽は昇ってくる。

 

 ぼやけた明日。滲んだ昨日。全てが過ぎ去っていくばかりの罪。贖えないという名の重石。

 

 人は、罪を直視するようには出来ていない。

 

 今もまた、救えなかったコミューンが炎に抱かれていた。朝焼けの赤と境界をぼやけさせる青、それに灼熱の赤が混ざり合う。

 

 人間の業が生み出した景色に、自分はただ、持て余した身体で砂っぽい空気を吸い込むのみであった。

 

 コンテナには愛機である《シルヴァリンク》が搭載されているが、いつまでも持つ戦いでは事は重々承知である。

 

 それでも、願った。抗った。

 

 全ての罪に銃口を向け、刃を軋らせた。それは決して無駄だと思いたくないからだ。これまでの生も、これからの生も。消え去った命の残滓も、その灯火も。

 

 何もかもを無駄だと、言い切れればどれほどに楽か。どれほど救われるか。

 

 しかし、自分は選んだのだ。モリビトと共に世界を見守り、その是非を問うと。ならば、ここで見守る景色でさえも、自分の罪過の一つ。守れなかった、後悔の産物だ。

 

 ――心はここにあるのよ。

 

 何度でも、何回でも、このような死に包まれていく景色を見る度に思う。胸の中にあると言われた心の在り処。それが悲鳴を上げている。声にならない慟哭の中にある。

 

 だが、それが正しいのか。それが、本物の「人間」の在り方なのか。誰も教えてくれない。教えてくれる人は彼岸へと旅立ってしまった。

 

「彩芽、教えてくれ。心は……どこにある?」

 

 出来損ないの人間が口にする。心なんて、どこにもない。この手は、この指先は、破壊するばかりだ。

 

 何もかもを台無しにして、虚無を広げるばかりの手。壊す事しか出来ない、壊す事、殺す事は上手くなっていくのに作り出す事は何も出来やしない。

 

 ――偽物。出来損ない。

 

 それが自分だと、鉄菜は思っていた。

 

 人間の真似事をするだけの身体器官。だがその実、人間とはまるで別種の位置にいる、人間未満の存在。

 

 ならば、炎に包まれるのが人間らしいのか。ただ、状況に踊らされ、殺し合い、死を待つだけなのが人間だとでも言うのか。

 

 ――否、と声にした肉体は《シルヴァリンク》に乗っていた。

 

 並み居る人機を一機、また一機と斬り倒していく。その太刀筋に迷いはないはずであった。今さら、人殺しに迷いなんてない。

 

 そう、断じていたはずなのに……。

 

 刃が、武装が、ナナツーやバーゴイルに押さえ込まれる。悪鬼の如くこちらを見据えた敵人機から一斉に刃が注がれた。

 

 コックピットの中の小さな存在でしかない自分の肉体を引き裂き、激痛に意識が閉じそうにある。

 

 それでも煉獄の炎に焼かれるこの肉体に、赦しは訪れない。

 

 きっと自分は炎に焼かれながら、最後の審判の日まで戦い続けるしかないのだ。

 

 だから、他人の痛みが分からない。他者の事を理解出来ない。出来損ない、仕掛けの狂った人形……。

 

「そう思いたいだけでしょう?」

 

 影のシルエットの向こう側で、彩芽が見下ろしてくる。あの日と同じ、心はこの胸にあるのだと教えてくれた双眸で。

 

「本当なのか……。本当に心は、この胸の中に……あってくれるのか?」

 

 刃が深く肉体に食い込む。それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。戦いしか知らぬ身。戦い以外は要らないのだと、叩き込まれてきた。

 

 世界の有り様を見れば嫌でも、二者択一の道が横たわっているのだと知る。

 

 生か死か。勝者か敗者か。壊す側か守る側か。

 

 どれだけ守り手になりたくとも、「モリビト」であろうとしても、この残酷なる世界によって示された答えは……どこまでも無情。

 

「私は壊す事しか出来ない破壊者の側……」

 

 では彩芽は? 死んでいった者達はそうではなかったのだろうか。天国とやらに行けたのだろうか。

 

 自分は、と鑑みた瞬間、夢の底が抜け、身体は闇へと没した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊急警報が劈き、鉄菜は身を起こす。習い性の身体が既に戦闘姿勢へと入っていた。

 

「起こした?」

 

 立ち上がったのと桃がエアロックを解除して、部屋に入って来たのは同時だった。

 

「何か……」

 

「眠っていたほうがいいわ。……クロは疲れているでしょ?」

 

「いや……戦わなければならないのなら、眠っている場合でもない。エホバに動きでも?」

 

「そっちじゃないみたい。モモはクロを起こしてきて、って言われて、で今」

 

「……しかし、物々しい感覚だ。芳しくない状況に転がったか?」

 

「そのまさかみたいね」

 

 桃の背後から茉莉花がひょっこり顔を出す。浮かんでいる皮肉めいた笑みに、何かが蠢いているのを予見した。

 

「茉莉花。エホバか?」

 

「いいえ。ブリーフィングルームへ。作戦の説明を始めるわ」

 

 鉄菜は腕に刺さっていた点滴のチューブを引き千切って立ち上がる。Rスーツを着込み、桃を見据えた。

 

「でもクロ……。これ以上、傷ついて欲しくないのは、本当」

 

「だが茉莉花がいるという事は《モリビトシンス》の能力を必要だと加味されている、というのは窺える。戦局を聞く」

 

 歩み出た鉄菜に、茉莉花はこぼす。

 

「無理しないでいいのよ? 《モリビトシン》だけじゃどうにもならないわ」

 

「どうにかなるようにするのが、お前の役目だろう」

 

「分かっているじゃない」

 

 安い挑発を交わし合い、鉄菜は部屋からブリーフィングルームまでを抜けていく。途中で合流した林檎が顔を見るなり苦み走った表情を浮かべた。

 

 蜜柑が一礼する。この軋轢も含めて、今の自分には清算しなければならない出来事が数多い。

 

「揃ったわね?」

 

 ニナイの声に林檎が肩を竦める。

 

「いなくてもいい人間までいるみたいだけれど」

 

 その眼差しは瑞葉に注がれていた。彼女は、と鉄菜は声にしようとする。

 

「ミズハのこれ以上の作戦参加は不可能のはずだ」

 

「いいえ、鉄菜。これも込みで、考えていかなくてはいけないのよ」

 

 茉莉花の論調にニナイは反論を挟まない。何かがあるのは充分に理解出来た。

 

「……作戦だと?」

 

「北方に針路を取ったラヴァーズの艦と我が方に対して、ブルーガーデン駐在地よりアンヘルと連邦の部隊が多数、向かってきているという情報を得たわ」

 

 投射画面に映し出された敵機の数は相当数に上る。空を埋め尽くさんばかりのバーゴイルとそれに混じった《スロウストウジャ弐式》は掃討戦の構えを取っていた。

 

「まさか……この状態で殲滅戦だと?」

 

「神を気取った人間が現れた程度で、世界は変わらないのかもね。あるいは、北方地……ブルーガーデン跡地にはどうしても隠し立てしたい何か、があるか」

 

「何か……でもあの場所は、重力変動地のはず」

 

 口を差し挟んだ桃に、茉莉花は言い含んだ。

 

「あくまでも仮説だけれど……一国が滅び、その跡地を強国が何かに利用しないとも限らないわけじゃない? 例えば……超強力な、ブルブラッドの爆弾を整備するのに」

 

 まさか、と全員が息を呑んだ。だが考えつかない帰結でもない。

 

「あのブルブラッドの爆弾の、実験地だとでも?」

 

「確証はないけれど可能性はある」

 

「……分かった。《モリビトシンス》で敵陣に切り込む。敵の防衛網を突破し、爆弾を全て破壊する」

 

「……言うは容易いかもれないけれどさ」

 

 林檎のぼやきに茉莉花も首肯する。

 

「そうね。言うだけならばタダ。それに、作戦をまだ話していないわよ、鉄菜。今回の任務は三手に分かれてもらう」

 

「三……?」

 

 二手ならばまだ理解出来た頭に疑問符が浮かぶ。茉莉花はゴロウへと顎をしゃくった。

 

 珍しくこの場にはいないタキザワに代わり、ゴロウが後を引き継ぐ。

 

『爆弾があるという実証も薄い現状、敵陣の突破だけでは作戦完了とは言えない部分もある。さらに言わせてもらえば、頭を悩ませるのは目下、エホバとアンヘルだけでもなくってね。これを見て欲しい』

 

 投射画面が切り替わり、衛星映像が映し出したのは常闇を引き裂いて惑星へと迫り来る十字架の影であった。

 

「まさか! これって……!」

 

 桃の声音にゴロウが頷く。

 

『《モリビトルナティック》。まさかこの段階で仕掛けてくるとは思いもしない。どうやら本隊はどこかとコネクションでも持っているようだな。地上の有り様を理解していなければこうも示し合わせた事は出来ないだろう』

 

「敵は眼前のみに非ず、か」

 

 結んだ鉄菜にニナイが声にしていた。

 

「鉄菜。《モリビトシンス》には衛星兵器の破壊を頼みたいのよ。無論、接近する敵機は脅威ではある。でも、私達の火事と惑星そのものの危機、天秤にかけるのもおこがましいわ」

 

「救え、というのか。だが動乱の只中にある状況では、また利用されるだけではないのか?」

 

 こちらの考えに茉莉花は首を横に振っていた。

 

「利用するほどの情報源がないでしょう。地上はバベルを失った。どれだけこのエホバという男が神を気取っていても、迫り来る危機の前では無力でしょうね。誰かが止めなくてはいけない。アンヘルの宇宙部隊では無理だと判断し、鉄菜、《モリビトシンス》で完全に破壊して欲しいのよ」

 

「でもそれは……! クロだけに宇宙の駐在部隊と交戦させるって言うの……!」

 

 桃の抗弁に茉莉花は冷徹に返した。

 

「こう言えばいいかしら? 適材適所、と。《ナインライヴスピューパ》では《モリビトルナティック》ほどの巨大構造物は破壊出来ない。《イドラオルガノンカーディガン》でも同じよ。今、こっちの戦力で出せるのが、《モリビトシンス》だけって事」

 

「でもそれじゃ……、もしアムニスが来たら……」

 

「来ない事を祈るばかりね。それに……他人の心配ばかりもしていられないわよ? 三人には敵陣営を押さえてもらいたい。中にはアンヘルの上級部隊もいる可能性がある。地上だって馬鹿には出来ない」

 

 どこに回されようが戦場なのには変わりないのだ。互いの無事を祈るのが賢明であろう。

 

「桃、私は大丈夫だ。しかし……疑問が残る。三手、と言ったな? もう一部隊はどこに?」

 

 茉莉花は投射画面を払って地図を呼び出した。ブルーガーデン跡地が赤くマーキングされている。

 

「《ナインライヴスピューパ》と《イドラオルガノンカーディガン》は敵陣営を止めて欲しい。そしてもう一手は爆弾の在り処を探してもらうわ。ブルーガーデン跡地へと上陸。その後、破壊工作を一任する」

 

「誰が請け負う? それが問題だろうに」

 

「爆弾の破壊にはラヴァーズの残存人機とこちらからも新型を一機、寄越すわ。出来るわね? 瑞葉」

 

 思わぬところで瑞葉の名前が出て、鉄菜は一瞬、目を白黒させた。

 

 瑞葉は重々しく頷く。

 

「わたしが《カエルムロンド》で爆弾の破壊に当たる」

 

「何を……、《カエルムロンド》? 一体何を言っている……? 茉莉花、これはどういう……」

 

「言葉通りの意味よ。前回までのデータに基づき、《クリオネルディバイダー》へと搭乗するのは避けてもらう事に決定した。瑞葉には新型の《カエルムロンド》に乗ってもらう。言っておくと、こちらのほうが安全性では上だから、何の心配も――」

 

「そうじゃない! ミズハにどうして、また戦わせようとする! そういう約束ではなかったはずだ!」

 

 まさか自分が声を張り上げるとは誰も思っていなかったのだろう。暫時、静寂の降り立ったブリーフィングルームで鉄菜はハッと気づいた。

 

「私は……」

 

「鉄菜。そちらの意見は尊重する。でもね、無理なものは無理なのよ。戦力を出し渋るのも、ましてや《クリオネルディバイダー》にこれ以上乗ってもらうのもね。だから、これは最大限の譲歩。瑞葉は戦いたいと、役に立ちたいと願っている。なら、戦力になってもらうのはやぶさかではない」

 

「だが……、よりにもよってブルーガーデンだぞ……」

 

「クロナ。わたしはそこまで深刻に捉えていない。むしろ、爆弾の解除に役立てるのならよかったとも……」

 

「私は! お前に傷ついて欲しくないだけで……!」

 

 そこまで口にして鉄菜は声を詰まらせる。これは以前、瑞葉自身に言われた事の裏返しだ。

 

 ――もう一人の自分。傷ついて欲しくない相手……。

 

 まさか、それを自分が口にする番になるなんて思いもしなかった。黙りこくった鉄菜に瑞葉は言いやる。

 

「わたしが志願したんだ。それに、エクステンドチャージを使う《モリビトシンス》には、ただの足枷になるだけだから……」

 

 口から何か言葉がついて出ようとする。

 

 だが、だとかそれでも、だとか言う言葉は、どれも今まで自分が他者から言われてきたものばかりであった。

 

 それほどまでに、自分は他人を心配させてきたのか。誰かが死地へと赴くかもしれないという事は、ここまで胸の重石になるのか。

 

「クロ……瑞葉さんはモモ達が最大限、援護するわ。ラヴァーズだっているのだから……」

 

 桃が不安に駆られるほどに今の自分は脆さを露呈しているのか。これでは宇宙での単独任務にも支障が出る。

 

 ぐっと奥歯を噛み締め、鉄菜は声を搾り出す。

 

「それが……ミズハの納得した答えならば……」

 

 何も言うまい。何かを、言ってはいけない。それは今までの自分の足跡の否定にもなる。自分は許せるのに他者の道を阻むなど、決してあってはならないはずだ。

 

「鉄菜が不安に駆られるのも、まぁ分からない話でもないわ。でも、ブルーガーデンは瑞葉からしてみれば庭のようなもののはず。手っ取り早いのよ。こちらとしてもね」

 

「だからと言って……、敵人機の群れへと突っ込ませるのか?」

 

「策はあると言ったでしょう? そんなに信じられないの?」

 

 茉莉花との無言の睨み合いの末に、鉄菜は身を翻した。

 

「どこへ行くのかしら?」

 

「……これまでと違う《モリビトシンス》のオペレーションになる。それならば早く慣れておかなければならないはずだ。実際問題、敵が来るまでは時間もないだろう」

 

「そうね。敵は思ったよりも早くに到達する。問題があるとすれば、戦力差だろうけれど、それくらいは造作もないでしょう? 矢面に立つのは自分だけなんだから」

 

「茉莉花……そんな言い方……」

 

 諌めかけたニナイの声を、鉄菜は押し留める。

 

「いや、いい。それくらいで私は助かる」

 

「理解がよくって好都合だわ。《モリビトシンス》はゴロウとのオペレーションになる。せいぜい、仲良くね」

 

「……言われるまでも」

 

 立ち去りかけて、壁に背を預けていた林檎が声を差し挟む。

 

「なぁーんだ。怖いんだ?」

 

 挑発だ。乗るな、と精神面で分かっていたはずであったが、この時、鉄菜は相手の胸倉を掴んでいた。

 

 林檎もまさか反撃が来るとは思っていなかったのだろう。鉄菜の滲ませた敵意にたじろいでいるようであった。

 

「……私に、口出しするな」

 

 凄味を利かせた声音のまま突き放す。背中に林檎の声が飛んだ。

 

「今まで他人に頼らなかったくせに! いざとなったら怖いんだね! なんて身勝手!」

 

 分かっている。これは身勝手そのものだ。自分は今まで他者などどうでもよかった。戦場で実際の戦果を挙げるのは、自分一人に他ならないのだと。

 

 それを前回の戦闘で突き崩された。

 

 なんて事はない。自分だって誰かに甘えていたのだ。それが《ゴフェル》であったか、瑞葉であったかの違い。

 

 格好なんてつけられない。独りでも戦い抜くとのたまっておいてこのざまでは、林檎の言葉もさもありなんであった。

 

「私は……弱くなってしまったのか?」

 

 掌に問いかける。どこまでも他者を排し、何事においても自身の決定を優先づけてきた六年間。この孤独の六年は、何の意味もなかったのだろうか。

 

 ただ弱さと、誰かと一緒にいたいという欲求を満たすだけの、そんな甘ったれた思考回路に成り下がってしまったのか。

 

「クロ……!」

 

 背中にかかった声に鉄菜は振り返る。桃が息せき切って追いついてきていた。鉄菜はどうしてだか、桃のほうを見ていられなかった。わざと視線を逸らす。

 

「何の用だ」

 

「クロ、無理してる。放っておけないよ」

 

「放っておけないというのならばあの操主姉妹を見てやれ。あの二人には桃、お前が必要のはずだ」

 

 論理的に客観的に口にしたつもりの言葉はしかし、自分がただ独りである事の浮き彫りになる。苦渋に歯噛みしたその時、桃が歩み寄りそっと後ろから抱き留めた。

 

 それを引き剥がす事も出来たのだろう。拒絶は簡単であったはずなのに、この時自分は、桃の体温に甘えてしまった。

 

「クロ……心配したんだよ。瑞葉さんと二人でも、戦っていたのはクロだもん。ずっと……この地上で」

 

「私の責務だ。お前が気にする事はない」

 

「気にするよ! 気にする……だって、クロとはもう……家族だもん!」

 

「家族……」

 

 六年前にも交わした約束だ。あの時は殲滅戦の直前で、自分達も不安だらけであった。そもそもブルブラッドキャリアの是非を問う戦いの前夜。過ちとも言えなくもない、脆く儚い約束……。

 

 だが今は違う。六年の月日はその言葉を重くした。自分がずっとかけ離してきたもの。見ないようにしてきた欠落であった。

 

「家族……桃、まだ私の事を……家族だと言ってくれるのか?」

 

「一度だって! 忘れた事はなかったよ! クロはいっつも無茶するんだもん。誰かが支えてあげないと、遠くに行っちゃう……。そんな気はずっとしてた。だから、モモ達は……」

 

「――だが、私は血続だ。それも造られた、な。そんな忌々しいもの、家族だなんて呼ばないほうがいい」

 

 桃はうろたえた様子であった。桃の手をそっと遠ざける。

 

「私は鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシンス》の、操主だ」

 

 そう断じた。そう理解してきた。自分はこれでいい。自分には人並みなんて要らない。孤独と、隔絶に苦しみながら、この世界で足掻くのが関の山だ。

 

 だから、人並みの扱いなんて必要ない。自分は、ただの戦闘機械。

 

 平時ならば、これで桃は懲りるはずだ。これ以上の言葉は無駄だと。賢い彼女ならすぐに判別する。

 

 だからなのか。それとも、自分が緩んでいたのか。

 

 横合いからの張り手が乾いた音を響かせた。

 

 鉄菜は呆然とする。何をされたのか、一瞬わけが分からなかったほどだ。一拍置いて、熱を帯びた頬を感じ、叩かれたのだと理解するまでのロス。

 

 桃が真正面から自分を抱き締めていた。今までにない力で。今までにないぬくもりで。

 

 完全に茫然自失の鉄菜は桃の声を聞くだけであった。

 

「馬鹿っ! モリビトの操主だからとか、執行者だからとか、そんなのもう! 関係がない! だって、そんな理由だけでクロは戦ってきたわけじゃないでしょ? もう、そんな顔の見えない誰かのために戦わないで! 世界のためだとか、報復作戦だとか関係ない! だって……クロはここにいる! ここにちゃんといるから!」

 

「関係が……ない?」

 

 全く理解の範疇の外であった。自分は何かのために戦うしかない。斃せと言われればなんでも倒してみせる。殺せと言われればどのような因果であれ、引き金を引ける。

 

 そのはずであったのに――。そのような戦闘機械であると分かっているはずなのに。

 

 どうしてなのだろう。六年振りに、感情の堰が涙となって伝い落ちる。桃が慌てて頬に手をやった。

 

「ゴメンね! ……痛かった?」

 

「痛い……。桃、分からないんだ。私は結局、まだ。何者にも成り切れていない。成り下がれてもいない……! 戦うだけなら、何も考えずに殺すだけなら……もう、難しくもなんともないはずなんだ……。それなのに……どうしてなんだ、これは。震えてしまう。瑞葉が……《クリオネルディバイダー》に乗らないほうが安全だって、一番に分かっているのは私のはずなのに……!」

 

 それなのに、この決定に一番に不服を感じている。何が自分にこう思わせるのだろう。何が、自分をここまで変えてしまったのだろう。

 

 困惑する鉄菜に、桃は頬を伝う涙を指先で拭った。

 

「クロ……あんたは機械じゃない。冷徹な殺人マシーンでも。だって、こんなにも感じる心があるじゃない! きっと、アヤ姉が言っていたのってそういう事なんじゃないかな。クロに、なって欲しかったんだよ」

 

「なる……私は何になればいい?」

 

 埋めようのない欠落。理解しようとしても出来ない齟齬。桃はもう一度だけ、ぎゅっと抱き締めてくれた。

 

「……生き残ろう! そうしたらきっと見えるよ。きっと……クロにも見えると思う」

 

 生き残る。今まで当たり前過ぎて気にも留めた事のなかった。だが、生き延びた先にしか見えない。生き残った果てにしか、きっと、行き着く先は分からないのだ。

 

 ならば、今は一つでも多く生き残る。そして、明日へと繋げるしかない。

 

 覚悟を。この胸に宿った名状しがたい感情もきっと。

 

「桃……私は、まだ……」

 

 桃が指先をそっと唇に添えて微笑む。

 

「今はいい。今は約束出来なくっても。でもいずれは……、六年前の、あの日みたいに指切り出来たらいいねっ! クロっ」

 

 桃は踵を返した。その背中を眺めながら、鉄菜は拳を固める。

 

 ――顔の見えない誰かのためでもなく、大義でもない。ただ、近くにいる人を守りたい。

 

 不思議な感情であった。本来ならば、そのようなもの、浮かべるまでもないはずなのに。この時の自分には何よりの支えとなった。踏み込みかねていた背中を押した何かに、鉄菜は駆け出す。

 

 戦う。そして、生き残る。

 

 シンプルな答えだ。何を今さら、と笑われるかもしれない。それでも、前に進むのに、必要であった。殺伐とした争いの中で、芽生えたものを邪魔だと、無為なものだと切り捨てたくないのだ。

 

 何よりもこれは捨ててはいけないのだと感じていた。自分一人の決意ではない。桃との、でもあり、この《ゴフェル》全員の意思だろう。

 

「鉄菜・ノヴァリス。遅れて申し訳ない」

 

 格納庫に駆けてきた鉄菜をタキザワが出迎える。

 

「なに、決断には少しばかり早いくらいだ。……たった一機での《モリビトルナティック》破壊作戦、正直なところ、無茶を言っているのは重々承知なんだが……」

 

「それでも、やれるのが私と《モリビトシンス》だけならばやるしかない。ブルブラッドキャリア本隊の目論見を止める」

 

 覚悟を決めた声音にタキザワは窺ってくる。

 

「……何かあったかい?」

 

 目ざといか。あるいは、それほどまでに自分が分かりやすくなったか。いずれにせよ、戦いへと赴くのに必要な志は抱けている。

 

 生き残るのだ。生き残った先に、答えはある。

 

「何でもない。ただ、ちょっとばかし、目的が出来た」

 

「目的、ね。いい傾向だ。……とは言っても、僕らは無謀な事を考えているだけかもしれない。こんな、世界を相手取ってなお、神を気取る存在とも戦おうとしている」

 

 エホバの動きは気がかりであったが、それ以上に今は戦いの先を描くしかない。

 

《モリビトルナティック》落着阻止。そのスタンスだけは変わらない。

 

 全てを諦観のうちに消し去ろうとする者も、罰として何もかもをなかった事にしようとする者も、今は全てが敵。

 

「構いはしない。私は、戦い抜く」

 

「《モリビトシンス》はゴロウとのオペレーションに振ってある。説明は?」

 

「聞いておく。私だけで勝てるとは思っていない」

 

 そこまで驕ったつもりもない。

 

 鉄菜はコックピットに収まりアームレイカーを握り締めた。

 

 


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