ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯277 大空の翼

 

《ゴフェル》の航路と同一の海域への針路を取っていたラヴァーズ旗艦からもたらされたのは、これ以上の継続的な協定は不可能、という一事であった。

 

 ニナイはその言葉を受け、《ビッグナナツー》のブリッジへと赴いていた。甲板警護に出ているほとんどの兵士達は自分達にはもう関心はないようである。

 

 この場で唯一、内側に意識が向いているのは、ブリッジに佇む《ダグラーガ》の操主――サンゾウだけであろう。

 

 彼は白波が砕ける船首を見据えていた。

 

 その眼差しは彼方へと投げられている。ここではない未来を睨んでいるかのようであった。

 

「……何を見ていらっしゃるのですか」

 

「……時を」

 

「時?」

 

「エホバなる男の宣告を目にして感じた。拙僧は時を待っていた。人類に絶望する人間が現れるであろう、その時を。ある意味では、これこそ僥倖であったのかもしれない。拙僧以外にも、ヒトに見切りをつけた存在がいたなど」

 

 サンゾウは悠久の時を生きてきたはずだ。その中で何度も絶望の淵に立ったに違いない。その声音には自然と重みがあった。

 

「……しかし神を騙るなど」

 

「いや、存外ヒトの歴史とはそのようなもの。神を騙る人間の出現を何度も待ってなお、繰り返してきた。それがヒトの業でもある」

 

 どれほどに後悔しても贖えない、罪そのものであると言うのか。

 

 ニナイは《ダグラーガ》に収まったサンゾウの声しか聞けない。彼がどのような表情をしているのか、分からないのだ。

 

「……私達も過ちの具現者だった」

 

「茉莉花より聞いた。月面での出来事を」

 

 それならば余計な言葉は必要ないのだろう。自分達だって驕りの塊だ。今の今まで、造物主の尊厳を持っていたつもりであった。

 

 それを叩き壊されても、実感はないのだ。だが鉄菜はこれをずっと抱いてきた。

 

 造られた、というコンプレックス。何者であるのか、どう生きるのかの命題を彼女はずっと探してきたのだ。

 

 モリビトと共に。

 

 その苦しみの肩代わりを今さら出来るなどと言うつもりはない。一端でも分かった風な言葉を吐くつもりも。

 

 ただ、純粋に同じ目線にはもう立てないのだという、苦味だけがあった。

 

「私達だって、所詮は……」

 

「だがヒトは、純粋な意味で言えば誰しも作り物と同じ。そこに介在する意思も、借り物に過ぎない。だからこそ、大切なのだろう。どう生きるのか、前を見つめるのにはどうすればいいのか、という覚悟を」

 

 鉄菜は六年も前にそれを理解したのだ。ならば今度は自分達の番であった。

 

「……私達は、鉄菜に報いたい」

 

「死に急いでいるようにも見えるが……忠告は後にしよう。ラヴァーズの方針として、もうブルブラッドキャリア……いや、この場合は《ゴフェル》か。旗艦との連携は取れないと判断する」

 

「それは、私達が信用ならないという話では」

 

「断じてない。むしろ、信頼はしている。だからこそ茉莉花を預けた。あの娘は……ヒトとの繋がり合いがあまりにも希薄な場所から生み出された。ゆえに諸兄らに頼むところもあっただろう。あの子を人間にしてくれた。それは感謝してもし切れない」

 

「私達は……何もしていません。茉莉花に……引っ張られっ放しで」

 

「それでも。生きる意味を見つけ出すのには最適な環境だけではいけないのだ。どこかで軋轢を作らなければ、人は人になれない」

 

 どこか達観したような声音にニナイは頭を振っていた。

 

「それでも……ヒトだと胸を張っては言えません」

 

「それくらいでいいのだろう。ヒトだと誇れる存在など、それだけで驕りだ。拙僧はまだ迷いの胸中にある。だがこれだけは言える。悟りに至っていないこの身でも、言えるのはヒトは、自ら踏み出せる。切り拓けるという事だ。未来を」

 

「未来……」

 

 茫漠とした未来などまるで描けない。それでも、その先があるというのか。これから先に、待っているというのか。

 

 六年前よりも残酷ではない未来だとも言い切れない。

 

 地獄が待っているとしても。

 

「……私達に踏み出せと?」

 

「そうするのが正しい。……正しく見える」

 

 それこそ残酷の一言だろう。ここよりいい未来が待っているとも限らないのに、闇に手を伸ばせというのか。

 

「……同じ道を行けないというのは、それも込みですか」

 

「地獄に堕ちるのはどちらかだけでいい。我々は修羅の道を行く。そうするのだと決めた者達ばかりだ。元々、信仰に生きるとはそういう事なのだろう。だが、貴君らは信仰ではない、現実を切り拓け」

 

 それが、最後の助言だとでも言うような口ぶりであった。ニナイは一礼して踵を返す。

 

 決意を揺さぶる事は出来ない。もう決まってしまった事も。

 

「……それでも、あなた達は茉莉花を私達に預けてくれるんですね」

 

「希望を載せた舟であろう? その名に恥じないようにしてもらいたい。……これもエゴか」

 

 答えを出さず、ニナイは歩み去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《ナインライヴスピューパ》は現状、予備パーツを使っての整備……急いで! 《イドラオルガノン》もすぐに出せるように! あとは《モリビトシンス》だけれど……そっちも出来るだけ構成パーツを準備して。ゴロウだけでもエクステンドディバイダーを使用出来るようにしないと……後もないんだから」

 

 口にした茉莉花は手元の端末に最新情報を同期しつつ、脳内ネットワークで惑星の動向を探ろうとしていた。

 

 バベルネットワークが切れた今、逆に好機である。レギオンの巣窟とアムニスの情報を掠め取ってやると息巻いた自分は直後、現実の視界で誰かが立っている事に気づけなかった。

 

 ぶつかってから、苛立ちをぶつける。

 

「どこ見ている……!」

 

「すまない……。わたしも用があったから……」

 

 どこか所在なさげな言葉振りをする瑞葉に、茉莉花は全ネットワークを一度遮断した。

 

「……何の用?」

 

「もう一度……《クリオネルディバイダー》に乗せて欲しい」

 

「駄目だ。許可出来ない」

 

 ばっさりと切り捨て、その場を後にしようとする。その時、肩口を掴まれた。

 

「クロナの助けになりたいんだ!」

 

 叫んだ瑞葉は直後、息を荒立たせていた。まだ本調子ではないのはリードマンの手記をローカル通信で同期すれば分かる。

 

「……悪い事は言わない。《クリオネルディバイダー》の生み出す加速度と、《モリビトシンス》の特殊性を加味して言っている。もうあれには乗るな。乗れるのは鉄菜だけだ」

 

「だが……っ! 誰かが乗らないとエクステンドディバイダーは……!」

 

「策は打てているが……うまく機能するかまでは不明だ。だから大丈夫などという生易しい言葉は吐けない」

 

「なおさらだろう! わたしに乗せ……!」

 

 そこで腹部に激痛が走ったのだろう。瑞葉が横腹を押さえて蹲る。

 

「無理をする必要はない。お前は鉄菜の身勝手で同乗しているだけだ。いつでも降りられる」

 

「そんな……! 今さらクロナを放ってはおけない! あいつは……わたしそのものなんだ……」

 

 悔恨の滲み出た声に茉莉花は嘆息をつく。

 

「どいつもこいつも……鉄菜、鉄菜、か。お前ら、心配し過ぎだろう。どうしてそう、他人を自分以上に大切に思える?」

 

「それは……わたしにもよく分からない。ただ、知っている人間ならばこういうだろう。……それは心があるから、だと」

 

 その言葉に茉莉花は眉をぴくりと上げる。

 

「心、か。鉄菜・ノヴァリスが未だに手に入れられないと嘆いているそれを、こっちはもうとっくに……いや、あいつのお陰で……」

 

「……茉莉花?」

 

「ああ、クソッ! 冷徹であるつもりだったのに! こっちへ来い。見せたいものがある」

 

 どうしてこうも儘ならないのだろう。あるいはそれこそが人間という、合理性を欠いた代物の結末だというのか。

 

 帰結する先は全員、同じだとでも言いたいのだろうか。

 

 瑞葉がよろよろと背に続く。

 

「本当は、見せるつもりはなかったんだがな。《クリオネルディバイダー》が使用出来ない、という状況を加味して造った……言うなれば急造品だ。あまり戦力としては期待していない」

 

 案内したのは隔離された格納庫である。暗黒に染まった格納庫の照明を、重々しい音を立てて点灯させる。

 

 僅かな眩惑の後に無数のケーブルに繋がれた人機が露になった。

 

 瑞葉はその機体を目にして硬直している。

 

「この……人機は」

 

「もしもの時のために、月面の資材を集めて造らせておいた急造戦力。ロンド系列の機体だ。ただし、中身はほとんど第一世代のモリビトと変わらないがな」

 

 ゴーグル型の頭部形状に瑞葉は目を奪われているようであった。それも当然だろう。彼女がかつて操っていた乗機のデータを基にして建造したはずだからだ。

 

「装甲が……青い」

 

「ブルブラッド深度を最大まで高め、《モリビトシンス》のデータも反映した……その影響だな。血塊炉の干渉が高いと青くなってしまう。最初は白いロンドとして造ったつもりだったんだが」

 

「……名前は」

 

 中てられたような瑞葉の質問に茉莉花は応じる。

 

「――《カエルムロンド》。大空、という意味を当てた」

 

「《カエルムロンド》……。あの日見た、空と同じ色なんだな……」

 

「その空の色は知らないが、こいつならば少しは扱いやすいだろう。《クリオネルディバイダー》に無理やり乗って、鉄菜の操縦技術に合わせる必要もない。お前の適性値に振れば、これはもうお前の人機だ」

 

 だが、と瑞葉は覚えず声にしていた。

 

「わたしは……戦場で働きを得られるだろうか」

 

「それはお前次第だ。この《カエルムロンド》はそれなりに応えてくれるだろうが、実際に操主が乗ってみないと分からないのが現状だからな」

 

 元々、これを瑞葉に見せる事自体が下策なのかもしれない。瑞葉にもう一度、戦って欲しくない人間が大半だろう。それでも、彼女の意志まで止められるわけではない。

 

「……茉莉花。どうしてわたしにこれを見せる? 見せないで秘めておく事も出来たはずだ」

 

「そうなんだけれど、この艦は馬鹿ばっかりだ。自分の事は二の次の馬鹿、他人と比べて行動するしか出来ない馬鹿、それに……こうして出来る事はないかと、急かしてくる馬鹿だな」

 

「……すまない。だが、苦しいんだ。クロナの事を思うと、ここが。どうしてなのだろう。今までこんなに、息苦しかった事なんてなかったのに」

 

 瑞葉は胸元を押さえる。その理由まで言ってやる義理はなかった。

 

「次の戦闘までに使えるように仕上げておくといい。まぁ、出撃許可が下りるかどうかは知らないが」

 

 その場を後にしようとして背中に呼び止められた。

 

「茉莉花……その……恩に着る」

 

「よせばいい。慣れてない事をするものでもないし」

 

「それでも、だ。わたしは……人になりたい。心を感じる事の出来る……人間というものに」

 

「人間、か。案外、なってみるとつまらないものかもよ? 鉄菜もやけに執着してるけれど、人間を超える権利を持っているのに、行使しないなんて」

 

「多分……そうじゃないんだと思う。人間になれないのは……出来損ないでもなりたいと願うのは、憧れなんだ。わたしは、人並みになりたい」

 

「ようやく人造天使の本音が聞けたわけか。《カエルムロンド》の話はこっちから通しておく。せいぜい、人間ごっこを楽しみなさい」

 

 憎まれ口を叩いても瑞葉は言い返す事もない。

 

 この舟に乗っている連中は揃いも揃って大馬鹿者ばかりだ。

 

「……もう持っているのに、探し求めているなんて……それは」

 

 そこから先を、茉莉花は濁した。それがどれほどまでに幸福なのか、理解していないはずもないだろう。

 

 ――それは何よりも、人間の証明ではないか。

 

 


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