ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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第十四章 星の運命
♯274 戦慄の破壊神


 

 眩く弾けたのは流星。

 

 網膜の裏に焼きついたのは、直後の爆風であった。ゾル国の駐在地の観測所が、惑星表面をなぞるかのようにカメラで撮影した一連の変化は、それそのものが辿った恐るべきデータと共に闇に葬られる。通常ならば、それは「変化なし」として、廃棄処分になるはずであった。

 

 この時、一人の観測員がガラにもなく目を光らせていなければ。

 

 元々、ゾル国の作り上げた軌道エレベーターなど意味を成さない、観測機は使い古されて久しい。加えて旧陣営の発言力が薄くなったのも拍車をかけた。

 

 観測レンズは、何を映していても、何を撮影していても、それは「なかった事」に規定される。C連邦――アンヘルの蛮行を知っていながらにして、黙認すれば懐に金が入ってくる仕組みを作り上げたのは他でもない、お歴々だ。

 

 だから観測員はこの時の異常熱波と、視界いっぱいに広がった青い半球の業火に、息を呑んでいた。

 

 アンヘルがやってきた事を数え始めればそれは一ヵ月経ってもなお、足りないほど。破壊活動はそれほどまでに苛烈であった。

 

 だが、所詮は人機を使っての代物。言ってしまえば「知れている」事柄である。

 

 コミューンが一つ、地図から消えても、それは残虐非道なアンヘルの状況証拠ではあったが、別段、宇宙にいる身分からしてみれば何も恐怖を覚えるものではない。

 

 自分以外の誰かが死んだ。それだけの話。

 

 だが、これは。観測レンズが今も映し続けているこの事象だけは。彼の五感が震える。

 

 そして訴えかける。これだけは看過してはいけない。これだけは認めては断じてならないのだと。

 

 青い煉獄の炎の放射はたったの十秒間にも満たない。しかし、彼は目撃してしまった。レンズにも記録されている。

 

 これは一大スキャンダルだ。アンヘルか、あるいは別勢力のものかは分からない。しかし、コミューンを一個、完全に地上にあった証明すら根こそぎ消し去る兵器など、それは百五十年前の禁忌よりもなお恐ろしい。

 

 人が手を出してはいけない領分のはずだ。

 

 彼はどこに通信を預けるべきか悩んだ。咄嗟に回線を開こうとしたまではいいものの、それを誰に証拠として提出すべきなのか、直前で思考が邪魔をしたのだ。

 

 上に? 否、それでは揉み消される可能性が高い。かといって、アンヘルに言えば、それこそ薮蛇だろう。彼らの破壊工作、という可能性が濃厚な以上、下手な事を言って命を摘まれるのは御免であった。

 

 ならば誰が……、彼は頭を抱える。

 

 コミューンが謎の兵器によって破壊された。宇宙で使われたのならばいざ知らず、それを汚染の傷痕が疼く地上で使用されたのだ。

 

 どういう意味なのか、この星に生まれた者ならば誰でも分かる。

 

 星を傷つけるのは遺伝子の奥深くに刻み込まれたタブーだ。

 

 だが、どうすれば……、誰に頼めばいいのだろうか。誰に言っても信じてもらえないような気がしていた。たとえレンズの状況証拠があっても、現状では誰がこの惨劇を飲み込めるだろう。

 

 きっと、誰にも不可能に違いない。下手を打てば命が危ういのは分かり切っている。

 

 思案を浮かべた彼の耳朶を打ったのは通信回線の接続音であった。

 

 まさか、電波ジャックか、と身構えた彼は秘匿回線から漏れ聞こえた声に目を見開く。

 

『……ゾル国の監視塔の、観測班ですね?』

 

 完全にこちらの位置を掌握している。それはしかし、あり得ないのは分かっていた。

 

「……何者なんだ。だって今、地上では……」

 

『お静かに願います。地上では確かに、混乱のるつぼ。まさしく、その禁を破られた楽園の様相を呈している』

 

 地上通信は全て断絶された、と伝え聞いている。アンヘルでさえも身動き出来ない状態だとも。あの悪逆非道の組織でさえも、今は自由に羽ばたけない。その事実こそが、この回線の胡乱さを醸し出している。

 

「……だっていうのに……誰が」

 

『秘匿回線を使っている意味、理解出来ますね?』

 

 まさか、今しがた観測した爆風を相手は理解しているとでもいうのか。だが、地上からでは絶対に見えない領域であるはずだ。

 

 宇宙の常闇、静謐の只中だからこそ、偶然に捉えた地上の異変。それを相手は地上からの通信で察している。

 

 何者なのか判じようにも、彼にはそれだけのスキルがなかった。

 

「……旧ゾル国の観測所だ。意味なんて……」

 

『ですが、あなたの持っている情報は、世界を変えるでしょう。それこそ、覆る。何もかもが、支配の根底から』

 

 青く眩い輝きが網膜の裏で蘇る。あれは禁断の光だ。ヒトが目にしてはいけない灯火。

 

 原罪の火そのもの。

 

「……俺は支配者になんてなりたいわけじゃない」

 

『無論、その地位は保証しますよ。観測員、悪くはない地位でしょう。ですが、あなたは後世にこう伝えられる。世界を変えてみせた偉人の一人として』

 

 この動画が、本当に世界を変えられるのか。自分は旧ゾル国の新兵から、偉人にまで登り詰められるのだろうか。眼前に吊るされた事象に、彼は唾を飲み下す。

 

 あまりに魅力的に映る餌はこの時、彼の危機感を誘発した。

 

「……あんたは何者だ?」

 

『分かりますよ。好都合が過ぎれば人間は警戒する。そういう風に出来ている生き物だと。しかし、これは好都合でも何でもないのです。あなたは目撃者だ。時代の変革の只中にある、このうねりの。ただ一人の目撃者であり、俯瞰者でもあるのです。宇宙の闇からのみ、見通せたこの星の歪み。それを正せるのはあなただけだ』

 

 不思議と昂揚感が勝っていた。不安と疑念が広がるかに思われた胸には、名前すら明かさぬ相手におだてられた、一種の信頼が。

 

「……俺が見たものに意味があるとでも?」

 

『意味があるどころか。その映像記録を出すべきところに出せば、きっちりと。この世界は応えてくれるでしょう。あなたは報われるべきなのです。時代の目撃者は、いつだって偶然の積み重ねのうちに完成する。星が汚染された時、それを観た人間がいたはず。コミューン同士で戦争が勃発した時、それをどこか、与り知らぬ場所から観測した人間がいたはずなのです。そう、何十億もいる人類のうち、彼らは最も幸福な位置にいた。観測する、という別段階の場所に。当時の人々はどうしようもなかったかもしれない。後世に伝えるしか。だが、あなたは違うはずです。この現象を今、……そう、今、この瞬間に! 世界に発信する義務がある!』

 

 まるで扇動されているかのようだ。彼はいつの間にか、相手の声に聞き入っていた。

 

 心地よく、自分を称える言葉。偉人と同列なのだと錯覚させられる。

 

「だが……こんなものを発信しても、上には」

 

『握り潰されますか? 確かに、冷静に考えればそうでしょう。ですが、あなたにはこの道がある』

 

 アドレスが表示される。秘匿回線の向こう側にいる相手への直通だろう。

 

 真実へと至る道。そして何よりも、人間を救済するであろう道。

 

「……一つ、聞きたい。俺が見たのはそんなにも……」

 

 大それたものであったのか。惑う問いに相手は即座に応じる。

 

『人類を次の段階へと進めるのに、いつだって偉人達は悩み抜いてきた。あなたにもそれがあったはずです。葛藤の末に、この映像を放てば、世界は変わる。変わってくれる』

 

 鼓動が高鳴る。自分がエンターキーを押すだけで、何もかもが覆る。世界の常識が。世界を覆う悪意そのものの姿勢が。

 

 全能感に支配された彼は強い酩酊状態のように視界がぶれるのを感じていた。

 

「この指先一つで……」

 

『世界は変わる。変えるのです』

 

 衝き動かされるように、彼はエンターキーを押していた。直通回線へと映像記録が送信される。

 

 これで変わる。世界は変革する。

 

 その予感に彼は打ち震えた。自分一人の観測で、何もかもが覆っていくだろう。

 

 アンヘルによる恐怖政治も、C連邦一強の政策も移ろい行く。自分がエンターキーを押しただけなのに。

 

 愉悦の感覚に浸り、彼は天井を仰いでいた。

 

 直後、不意打ち気味に扉がノックされる。次の観測員が来たのだろうか。慌てて回線をシャットダウンし、彼は交代しようとする。

 

 だが、その胸には大義を成し遂げた実感が伴っていた。

 

 自分は歴史を変えた、偉人として後世まで語られる。

 

 目撃者は偶然によるものでしかないが、行動したのならばそれは偉人となる資格を満たした事になるだろう。

 

 充足感のまま、扉を開けた彼は相手が拳銃を握っているのを目にしていた。

 

 乾いた銃声が響き、心臓を無慈悲な鉛弾が射抜いた。

 

「偉人は殺されて完成する」

 

 そのような言葉を聞きつつ、彼は落ちていく意識に任せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりにもぼやけた視界の中で歩いているので、彼は、ああ自分はもう死んだのだな、と悟っていた。

 

 だが、いつ死んでも別段後悔はなかった。何もかも終わったのだ。ならば、後悔しても仕方あるまい。

 

 かつての栄光は消え去った。広告塔として祀り上げられ、一時期には白騎士の勲章でさえも胸に宿したほどだ。

 

 それも、思えば短い夢。禁じられた力は自分という存在を作り替えた。

 

 別種の存在に成り果てからの記憶は曖昧である。暗く湿った場所に幽閉され、幾星霜。

 

 何かが変化した予兆もなく、何かが変化しそうな展望もない。

 

 永遠の孤独が自分を包み込んだかに思われていた。だが、光明が差したのは不意の出会いであった。

 

 ――ベル。まだ幼い、物語を愛する少女。

 

 彼女が全てを変えてくれた。破滅しかないと思われた自分へと、別の道を模索させてくれた。

 

 今も、地獄への一路を辿っていても、あの日々だけが輝いている。社交界で王子を気取った時よりも、羨望と期待の眼差しに包まれた時よりもなお、色濃いのは充足感であろう。

 

 自分は、ただの一人の「人間」として再びこの世界に舞い戻ってこられた。

 

 それだけでもう何も要らない。もう、自分には過ぎた願いだ。

 

 だからなのか、眼前へと靄の中から現れた光の少女に、彼は目を見開いていた。

 

「……ベル。君のお陰だ。お陰でようやく旅立てる。この……忌まわしい身体を捨てて。思えば自害すればよかっただけの話なんだ。でも、それが出来なかったのは、きっとどこかで期待していたのだろう。……結果論だが、それでよかった。君に出会えた。だから生きていた、意味があったんだ」

 

 語りかけてもベルは微笑むばかりで何も応えない。いつものお喋りで夢見がちな少女の相貌ではなかった。聖母の慈愛を帯びた面持ちにうろたえてしまう。

 

「ベル……、君が変えてくれた。分かったんだ。未来は変えられる。過去だって、どうにでもなる、って。……美しくなければやり直せないなんてとんだ思い違いだった。僕には君が――」

 

 そこまで口にしたところでベルが言葉を紡ぐ。しかしそれは、音を伴っていなかった。

 

 その唇が紡いだ言葉を求めて、彼は手を伸ばした。抱き締めたかった。悪意のない指先で。害意のない唇で。誰も傷つけないで済む――愛そのもので。

 

 彼の手がベルの手を取る。

 

 その刹那、何もかもが裏返っていた。

 

 光は霧散し、赤く染まったコックピットが視界に大写しになる。

 

 彼――クリーチャーはその手を青い大樹へと伸ばしていた。大樹の枝がぽきりと折れる。

 

 機体ステータスが異常値を示し、耳を劈くブザーの音に、クリーチャーはまだ自分が《グラトニートウジャフリークス》の中にいる事を自覚する。

 

 だが、と頭を振った。

 

「……僕は、あの時……そうだ。青い流星が、ってベルが言って……。ベルは?」

 

 どこに行ったのだろう。ベルの行方だけが忽然とコックピットから消え失せていた。視線を巡らせた彼は自分が掴んでいる大樹の枝にハッとする。

 

 先ほどから視界の端でちらつくのはハイアルファー【バアル・ゼブル】の実行の文字。明滅する忌むべき赤がその命令の執行を意味していた。

 

 クリーチャーは息を呑む。ハイアルファー【バアル・ゼブル】は強大な力と引き換えに、操主を「人間ではない別の存在」へと変換するハイアルファー……。

 

 ――まさか、と大樹へと注いでいた眼差しが戦慄く。

 

「ベル……なのか?」

 

 青い大樹からは声も聞こえない。それどころか、生命でさえもないようであった。

 

 ――何も、感じない。

 

 突きつけられた現実に《グラトニートウジャフリークス》の視野が突然に開ける。

 

 周囲に点在していたはずの家屋や城下町は最初から存在しなかったかのように塵芥に還っていた。青い粒子が浮き上がり、灰色に染まった景色はどこまでも荒涼としている。

 

 何が起こったのか。自分は何をしてしまったのか。理解するまでの時間、彼は傍に佇む機体から迸った叫びを聞いていた。

 

『そんな……! 嘘だろう、そんな! 何もかもが……壊れてしまったというのか! 消えてしまったというのか……! そんなの……あまりにも惨い、惨過ぎる! こんなもの……自分の望んだ未来ではない……!』

 

《フェネクス》を押し包んでいたのは虹色の皮膜であった。取り込んだRトリガーフィールドの能力がとっさに守ったのだろう。《フェネクス》はしかし、爆発の余波で機体のほとんどを失っていた。

 

 大破した《フェネクス》が地へと這い蹲り、地面を掘り返す。

 

 まるで、消え去ってしまったものを取り戻そうとするかのように。

 

『嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だ! こんな事は……嘘だ! 何もないなんて! 自分達の証明が……生きていた事の……何もかもが、なかった事になるなんて……!』

 

 なかった事になる。クリーチャーは大樹を仰いでいた。

 

 ベルの存在も、なかった事になってしまったのだろうか。あるいはハイアルファーによって別種の存在へと変換させられたのだろうか。

 

 いずれにせよ、自分が手を伸ばした先にあったのは、茫漠とした暗礁の未来であった。

 

 ここから先には何もない。何もかも、灼熱と焦土の向こう側に消し飛ばされた。

 

 クリーチャーは面を伏せ、咽び泣く。頬を流れる涙に、彼は嗚咽を漏らした。

 

「ベル……もう、会えないのか……。だって、ようやく……! もう、ガエル・シーザーとの因縁も絶った。連邦も追ってこられない、ようやくここまで……! 来たって言うのに……! こんなところが僕の、終点だって言うのか……」

 

 因果は全てそそいだ。それでも贖えないのは、この罪に塗れた身体そのものだろうか。

 

 何者でもない、ケダモノの身体。どれほど望んでも得られない魂の安息。それが、ここまで……泥と血と汚染された大気の果てに、消し去られていた。

 

 何もない、空白だ。

 

 何も望めない……闇だけがある。

 

 これが自分の心だというのか。これが自分の、手を必死に伸ばした先にある答えだとでも言うのか。

 

 獣はどこまで行っても獣。少女の安らぎと願いを叶える事は出来ない。

 

 この手では、この爪では、この身体では、この声では、この魂では――どれほど祈ったところで、痛みを背負ったところで、何も叶わない。

 

 願いは裏切られた。

 

 望みは絶たれた。

 

 幾ばくかの希望は、無残にも踏みしだかれた。

 

 クリーチャーは慟哭する。声を上げて泣き叫ぶ。

 

「これが……こんなものが世界の答えだとでも言うのか……! ならば、僕は……こんな世界を……否定する!」

 

 瞬間、オォン、という咆哮が聞こえたような気がした。天高く……この地へと爆撃したであろう全翼型の機体を、どうしてだかこの時、《グラトニートウジャフリークス》を介した彼は目にした。

 

 まるで手の届く位置にいるかのように。

 

 その手を伸ばす。握り潰すイメージを伴って遥か空の彼方にいる全翼機を、茶褐色に染まった指先が爪を立てた。

 

 直後、《グラトニートウジャフリークス》が顎の腕を突き出す。引き出された砲身が青く染まったかと思うと、小さな砲弾が加速度を上げて中天へと吸い込まれた。

 

 何が起こったのか、自分でも分からなかった。

 

 だが、巻き起こったのは最後に見た景色と同じ現象である。

 

 天地が逆巻き、青い稲光が走ったかと思うと、雲間が裂けた。虹色の罪の皮膜でさえも射抜いた輝きが全翼機を貫く。

 

 青い砲撃が爆撃機の翼を焼き切っていた。直後に爆発四散した敵機に《フェネクス》の操主が絶句する。

 

『……何を。貴殿は今……何をしたんだ?』

 

 全てが不明であった。不明ながらに、全天候周モニターへと登録された新たなる武装の名前をクリーチャーは反芻する。

 

 それは禁忌の力が引き寄せた悪魔の奇跡か。あるいは天使の嘲りか。

 

「……登録武装名……ゴルゴダ」

 

 その名を紡いだ途端、白亜の《グラトニートウジャフリークス》の装甲が青く染まる。

 

 禁断の青を引き移した機体が吼え立て、世界へと怨嗟を放った。

 

「……呪ってやる! 世界よ、全てを奪い去った残酷なる世界そのものよ! 僕はここに……この星に生きる全てへの……反抗を宣言する」

 

 


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