瞼を上げると、黎明の光が視野に切り込んできた。
あまりにも強い光の連鎖に、もう死んだのか、と胸中で感じ取る。最後の最後に、弟子の因縁を拭い去れて本望であった、と思いながら、死出の旅に出るのが一番か――。
そこまで考えていた矢先、すすり泣く声を聞いていた。
閉じかけていた意識を表層へと浮かべる。伸ばした手が開け放たれたコックピットへと流れ込む汚染大気を掻いていた。
「……生きて、いるのか……」
地獄まで汚染されているという冗談はあるまい。これは現実だ。そう判じたリックベイは身体を飛び起こしかけて、肩口へと突き刺さった拷問器具の激痛に顔をしかめた。
「このシステムモジュールは……」
見覚えがある形状であった。旧世代の拷問椅子のように、操主を羽交い絞めにする精密機器。
その名は――。
「……すまない、リックベイ・サカグチ……少佐ぁ……。あなたには、生きて欲しかった。俺の代わりなんて、死んで……欲しくなかったんだ」
呻いた声の主へとリックベイは視線を向ける。鬼面の男が涙で顔を濡らしていた。
「……桐哉。わたしは、……そうだ。わたしは、お前を庇って、モリビトの一撃を受けた」
廃棄されたナナツーに乗っての特攻。どう考えても生きているはずがないのに。
今の自分には脈拍、呼吸共に存在しない事を、リックベイは関知する。それは習い性の戦闘神経が身体の内側を読み取った結果であった。
既に、――死んでいるのだ。
その事実に慄くよりも先に、鬼面の不死者は慟哭する。
「すまなかった……。こうするしか……なかったんだ。世界のために……あなたは生き残っているべきだと……」
「……罪を重ねたのか。桐哉」
別段、それを責め立てるわけでもない。ただ、一度でも罪の道に塗れたのならば、それも当然の結果ではあった。
身を起こしかけて、不意に通信ウィンドウが開いたのを目にする。
映し出されたのは眼鏡をかけた男の独白であった。発せられる言葉の節々に、胡乱なものを感じる。
「……エホバ? 神を気取るか」
通信を回復させようとしてその手をUDが遮った。最早、彼の眼差しはシビトのそれに戻っていた。
「……通信状態はつい一時間前から変わらない。ハイアルファーの弊害かとも思ったが、どうやら違うらしい。ローカル通信域でのみ、通信が可能なほど狭まっている」
「……大規模なハッキングでも」
思い浮かんだ言葉にUDは頭を振った。
「分からない。分からないが、何かが……起ころうとしてるのだけは確かだ」
彼は朝陽を見やる。新たなる旅路への朝焼けは、妙に鮮烈に網膜に焼き付いた。
ここまで来られて幸福であった、という独白に、ベルは小首を傾げた。
「……どうして? だってあの人……あなたを否定して」
「それでも、さ。僕は元々、六年も前に存在を否定されているんだ。その戦いを、少しでも贖えた事が……」
今は幸福だ、とクリーチャーは周囲を見やっていた。《フェネクス》の部隊は《モリビトサマエル》中破、という事実によって自然と隊長へと権限が戻った形らしい。
口々に隊員の声が漏れ聞こえた。
『すいません……隊長。我々は大義を……』
『いや、いい。貴君らは不死鳥戦列として、最善を願った。立場が違えば自分も彼を撃っていただろう』
指揮官機《フェネクス》が部下の機体を労い、《グラトニートウジャフリークス》へと向き直った。
「……結果的に刃を向けさせてしまった」
『いや、我々も随分と……遠回りをした。不死鳥隊列は大義を果たすためにあるのだと、そればかりで。……目の前の美しい花を摘む事が正しい事ではないのだと、改めて教えてくれたのは貴君だ』
差し出されたマニピュレーターにクリーチャーは自身の機体の腕を目にして自嘲する。
「握手も出来ない……薄汚れた怪物の腕だ」
『それでも』
《フェネクス》が至近まで接近し、破壊しか知らない顎の腕を包み込んだ。どうしてだかこの時、人機越しでもあたたかい、という感慨を抱けた。
「……もう、何もかもを失ったものだと思い込んでいた」
『そんな事はない。そうだ。旧ゾル国陣営に……いや、これは身勝手なお願いか。貴君は旧ゾル国に侮辱された。それだというのに……』
「いや、僕も……出来れば、と思っていたところだ。守りたいものは、やっぱり変わらないみたいだ」
ベルを守り抜くためには力が必要だ。絶対的な力が。それと共に志も。
その志を抱くのに、かつての古巣に戻れるのならばどれほどにいいか。
《フェネクス》の操主が微笑んだのが伝わってきた。
『不可思議な話だが……墜とせと言われた相手に肩入れするなど。それでも、手を取り合ってくれないか。この間違った世界を正すために』
「……クリーチャーさん。泣いているの?」
どうしてだろうか。裏切られ、何もかも見捨てられたはずだ。それでも、涙する事が出来たのは。
騎士道は廃れない事を証明してくれたからか。あるいは、自分がこんな怪物になってしまっても、まだ信じるべき縁があったからか。
少なくとも、今、この頬を濡らすのは大義の涙であった。
「こちらからも、よろしく頼みたい」
『……名を、教えてもらえると嬉しい』
殺し合いの果てに待っているのは憎しみだけではない。慈しみも、戦いの向こう側に生まれる事だってある。
目の前で実証され、クリーチャーは捨て去ったはずの名を紡いでいた。
「カイル……」
もう名乗る事はないと思い込んでいた名前。完全に、自分からは奪い去られたと思っていた名前である。
それを今一度名乗れるとは。これほど嬉しい事はない。
その刹那、宙を振り仰いでいたベルが指差した。
「……クリーチャーさん。あれ、何かしら……? 真っ昼間なのに、青い一番星が……」
――青い一番星? クリーチャーは面を上げる。
直後、無音地帯を青い流星が引き裂いた。
瞬間、轟音と膨れ上がった熱波が、コミューントリアナを激震する。半球状の地獄の業火が、コミューンに棲む全ての生命体の息吹を消し去るのは、ほんの一秒にも満たなかった。
第十三章了