転属届と着任に関して、あまり時間は取られない。
これは自分がモリビトであったから、という理由だけではなく、ゾル国の軍制度に由来している。
エース部隊であったスカーレット隊を離れるのに、誰も激励の言葉を投げなかったのは当たり前の措置だと桐哉は感じる事にした。
下手に誤魔化されるよりかはずっといい。愛機の《バーゴイルスカーレット》は今、輸送機と共に自分の手元にあった。
スカーレットの耐熱コーティングは剥がされるかもしれない、と整備班の班長は漏らしていた。
耐熱コーティングの維持には金がかかるのだ。その金を今までは英雄という事で出資してくれていたスポンサーがほとんど縁を切った関係上、転属先でスカーレットの赤はもう、見られないかもしれない、との事であった。
自分の誉れのようであった赤い塗装が次の戦場では見られない。それは思った以上に心にダメージを及ぼすものであったが、桐哉は毅然としていた。
自分がぐらついてどうする。せめて、余裕を演じて見せろ。
隊長と整備班の見送りだけの簡素な代物を受け取り、桐哉は輸送機に搭乗していた。
ほぼ人機のためだけの輸送機に乗ったのは、一般航空機におけるトラブルを避けるためでもあったが、何よりもどこの企業もどこの会社も自分の名前を知るだけで及び腰になるのは目に見えていたからだ。
余計な文句をつけられるくらいならば人機と一緒の輸送機で構わない。
そう判断し、桐哉は乗務員用の簡素なシートに体重を預けていた。
落ち着こうとしても背骨が痛んでしまう。人間の事をまるで考えていないシート。人機を搭載する事だけを考え、人間のスペースを度外視した機能。
どれも今の自分を責めているようで桐哉は眠りにつく事さえも出来なかった。
――お前のせいじゃない。
隊長の声が思い起こされる。
見送る際に隊長は他の隊員の目があるのにも関わらず、堅い握手を交わしてくれた。スカーレット隊として戦ってくれた事、悔いはないと断言してくれた。
今はそれだけでいい。
桐哉は転属先がどれほどの場所であろうと、望むものは少なく行こうと考えていた。
今までのように英雄とおだてられる事もない。ただの一般軍人として扱われる事になるだろう。
そうなっても、自分だけは見失わないようにしなければ。
舷窓から覗いた空は紺碧に彩られ、濃霧が広がっていた。端末に視線を落とすとブルブラッド大気汚染は八割以上とある。
どのような僻地に飛ばされるというのか。
不安に呑まれそうな胸中の中、桐哉は己に言い聞かせた。
どれほどの不条理があっても、決して折れてはならないのだと。首から下げたペンダントを握り締め、桐哉はきつく目を瞑った。
「燐華……俺は」
その時、物々しい警告音が輸送機に響き渡った。
行き来する職員が桐哉の存在など尻目に声を張り上げる。
「接近する機影あり!」
「数は?」
「一機……照合不可……未確認人機か……」
アンノウンの人機。その言葉に桐哉は咄嗟の習い性でシートから立ち上がっていた。職員の肩に手を置き尋ねる。
「詳細を。もし輸送機の航路に邪魔なら俺が出る」
「准尉が……?」
胡乱そうなのはこの裏切り者が? という疑問を含んでいた。それが伝わっていても桐哉は譲らない。
「護衛もついていない輸送機が落とされるのだけは困るだろう」
それは、と目配せし合う職員に、桐哉はダメ押しの一言を放った。
「責任は俺持ちでいい」
その一言でようやく了承が取れたのだろう。職員達は桐哉の《バーゴイルスカーレット》への直通ルートを指示する。
「言っておきますけれど……輸送人機が破損しても、我々に責任は……」
「ああ、分かっている。俺のせいでいい」
そこまで言わないと彼らは動きもしてくれない。桐哉は輸送機の下部ハンガーに固定された《バーゴイルスカーレット》へと背面から乗り込もうとした。
コックピットハッチへのロックナンバーを押している際、職員達の潜めた声が耳に届く。
「……なぁ、これ、出しても大丈夫なのかよ」
「知るかよ。准尉殿のせいにしてくれるって言うんだ。言質は取ったし、全部なすりつけりゃいいだろ」
聞こえていても桐哉は知らぬ振りを通した。ここで言い争いをしても仕方あるまい。
コックピットの中には整備班の人々が心を込めて整備してくれたのが伝わるように、細やかな技巧が施されていた。
せめて転属先でもこれまで通り、否、これまで以上の活躍が出来るよう、と配慮されたコックピットの内装を見やり、目頭が熱くなったのを感じたのも一瞬。
桐哉は戦闘用に己を研ぎ澄ました。
「不明人機の詳細。古代人機じゃないのか?」
『それが……明らかにサイズが古代人機よりも小さく……これは、《ナナツー》サイズなんです』
つまりどこかの国の人機というわけだ。鉢合わせしてもお互いに見て見ぬ振りを貫けばいいだけの話だが、相手が本当に見られては困る人機だった場合は話が違う。
独裁国家ブルーガーデンが秘密裏にロンド系列で巡回していないとも限らない。
なにせ、大気濃度は八割を超える汚染だ。この状況ではレーザー関知はほぼ役立たないと思っていい。今まで成層圏の向こう側くらいでしか戦ってこなかった桐哉は重力下戦闘の鉄則を脳内に呼び起こしていた。
「……こちらが思っているほど人機は動いてくれないはずだ。プラス二十くらいの踏み込みでようやく、と言ったところか。でも、俺もスカーレットも、そこまでやわじゃない」
不明人機がどの国の保有するものであれ、それなりの戦いは出来るはずだ。あるいは《バーゴイル》がつく事によって穏便に事が済ませられる可能性もある。
降下準備完了を輸送機に返し、輸送機側からの切り離しを待った。
『ハッチから射出します。5、4、3、2……』
1の復誦を待たずして桐哉はフットペダルを踏み込む。荷重のかかった《バーゴイルスカーレット》の機動力が相手の人機の真正面に入った。
濃霧を引き裂き、現れた人機の姿に桐哉は息を呑む。
「青と銀の……不明人機」
飛翔性能を誇る鋼鉄の翼は異なるが間違いない。すれ違った瞬間、相手もこちらに気づいたようだ。策敵センサーが愛機に刻まれた因縁の相手を睨み据える。
標的名は依然としてアンノウンのままだが、自分はこの敵を知っている。愛機と共に受けた屈辱の記憶がある。
「モリビト、だと……」
相手もこちらの目があるとは思っていなかったのか。ブルブラッド大気濃度の高い空域において青いモリビトの背面には前回は見られなかった巨大な翼がある。
新たな武装か、あるいは牽制のためのものか。
どちらにせよ、桐哉はここに来て静観するつもりはなかった。相手がモリビトならば撃退は已む無し。
転属先にいい土産話が出来るとまで思ったほどだ。
これで自分の事を、英雄から没落した人間などとは言わせない。
モリビトの首があれば本国での評価も変わるだろう。操縦桿に力を込め、桐哉は《バーゴイルスカーレット》を奔らせた。
「モリビト、ここで討つ!」
こちらの武装は銃剣の付いたプレッシャーガンのみ。桐哉は即座にプレッシャーガンの銃身を立てて銃剣モードに移行させモリビトへと斬りかかった。
相手は《バーゴイル》との戦闘を望んでいないのか、距離を取りたがっているようだ。
装備した両翼が変形し、砲門を形成した。
「……重武装か」
吐き捨てた桐哉の機体が跳ね上がり、相手の射線を跳び越える。砲撃戦ならば古代人機で飽きるほどやってきた。攻略法は見えている。
ピンク色の光条が先ほどまで自分の機体がいた空間を貫いた。
好機、と判断する。その高威力にブルブラッドの紺碧の大気が削げ落ちたほどだ。
相当なエネルギーに違いない。放出した後には隙が生じるはずだ。
銃剣をモリビトへと振り上げる。このまま打ち取った、と感じ取った身体へと第六感に等しい習い性がプレッシャーとなって肌を粟立たせた。
即座に《バーゴイルスカーレット》に制動をかけさせる。
青いモリビトの剣筋が《バーゴイル》の鼻先を突き抜けた。
装備した両翼から分離し、モリビトが右手に保持したリバウンド兵装で斬りかかってきたのだ。
少しでも踏み込んでいればその距離であった。
桐哉は強力なリバウンド遠距離武装を保持する機体と、このモリビトは全くの別の操作下にある事を感じ取る。
「こいつ……別の機体だって言うのか。それぞれ別個の? だとすれば……」
その先を言いかけて、桐哉は飲み込んだ。
――だとすれば相当な脅威。
それだけは認めるわけにはいかなかったのだ。
飲み込んだ言葉の代わりに桐哉は腹腔に力を込める。銃剣とモリビトのR兵装の剣が交錯した。
「何でだ……何でお前達は、俺から大切なものを奪おうとする……?」
モリビトの眼窩は答えない。その奥に潜む操主を睨み、桐哉は吼えた。
「答えろォッ!」
薙ぎ払った銃剣の一閃をモリビトは飛翔して回避し、大剣を打ち下ろそうとした。側面の推進剤を焚いて回り込むように避け、桐哉は背面を狙おうとする。
大剣の太刀筋が完全に桐哉から抜けた。
今こそ、と《バーゴイルスカーレット》の銃剣がその懐に飛び込もうとしたがそれを防いだのは間に割り入った巨大な翼であった。
先ほどの高威力R兵装を発生させた別の機体が龍のような首を伸ばし翼を翻したのである。
翼にはR兵装の加護があったのか銃剣を跳ね返す。
「サポートメカだと……! こんなしゃらくさい……」
すぐさま機動を立て直そうとした桐哉へと飛び込んだのは大剣の切っ先である。《バーゴイル》の頭部を打ち砕こうとした剣先を桐哉は即座の判断であえて《バーゴイルスカーレット》の推進剤を切った。
全ての推進能力をオフにした《バーゴイル》はただの鋼鉄の塊だ。
飛翔能力さえ奪われれば僅かながらその高度は落ちる。この場合、敵の大剣が頭上を行き過ぎた。
桐哉は奥歯を噛み締める。
瞬間的に推進剤をオンにした場合、人機のブルブラッド反応炉が付いて来ず、空回りする可能性すら考慮に入れた。
しかし、愛機はこの時、桐哉の無茶に応じてくれた。
推進剤と循環炉の急激なオンオフに対応した《バーゴイル》の眼窩に光が灯る。
《バーゴイル》も同じ気持ちに違いない。
モリビトを討つ。そのためならば今この瞬間、機体が空中分解したところで構わない。
機体の各所がレッドゾーンに陥り、警告を訴えたがそれよりも《バーゴイルスカーレット》の突き上げた銃剣の勢いが強い。
確実にモリビトへと一矢報いたかに思われた《バーゴイル》の一撃は反転した怪鳥の一撃の前に霧散する。
ピンク色の光軸が《バーゴイル》の手首から先を奪い取り、桐哉は全身に強い衝撃を覚えた。
リニアシートが激しく振動する。コックピットが咄嗟に稼動させた減殺シャッターによって失明をギリギリで免れる形となった。
それほどの眩い輝きがモリビトと《バーゴイル》の間で明滅し、桐哉はそのまま気圧されたかのように《バーゴイルスカーレット》ごと後退した。
「何で……ここで退くわけにはいかないのに」
前進させようとして《バーゴイルスカーレット》に搭載された全安全装置が操主の生命保護のために後退用の推進剤を焚かせていた。
モリビトは深追いするつもりはないらしい。紺碧の大気を流れていく《バーゴイルスカーレット》へと追撃はもたらされなかった。
だが、桐哉は深い屈辱に身を浸していた。
一度ならず二度までも逃した。
悔恨に桐哉は操縦桿に拳を叩きつける。
「畜生! 何で俺は……勝てないんだ! 相手はモリビト一機だぞ!」
桐哉の恥辱を知ってか知らずか、本国の輸送機はなかなか追っては来なかった。当然と言えば当然。相手は世界が追う不明人機、モリビトである。ミイラ取りがミイラに、では困るのだろう。
あるいはこうだろうか。
桐哉のような人間だけが犠牲になればいい、とでも。
モリビトは自分の汚点そのものだ。深いブルブラッド大気の向こう側に消えた怨敵に、桐哉は咆哮した。