ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯269 在り処を問う

 Rスーツも纏っていないなんて、とまずは叱責が飛んだ。

 

 桃は激しい口調で責め立てる。

 

「で? 他に理由は?」

 

「何でもない。ちょっとRスーツが窮屈だったから脱ぎ捨てていた。その一事だ」

 

 どうしてだか、《モリビトサマエル》に関しての事、ガエルと名乗った因縁の男に関して喋る事は気が引けていた。

 

 口にすればきっと桃は飛び出してしまう。その懸念があったのもあるが、自分のつけた決着だ、という思いもあったのかもしれない。

 

 腰に手を当てた桃はまだまだ言い足りない様子であったが、とりあえずは、と自分に被せられたブランケットを引っ張った。

 

「……いい? クロ。あんたは女の子なの。執行者である前に、戦士である前にたった一人の。女の子なの。だから自分を犠牲にしないで。……確かに、瑞葉さんは危うかった。あのまま《クリオネルディバイダー》に乗せて消耗させていれば命にかかわったかもしれない。でもね! クロ! あんただって大切。大切な……仲間なんだから」

 

 仲間。女の子。どれも肌の表層を滑り落ちていくだけの言葉の羅列。

 

 自分は戦士だ。モリビトの執行者であり、戦うべくして造られた人造血続。戦う以外の意義なんてない。

 

 この血の一滴まで、今はブルブラッドキャリアのためにある。報復作戦の実行のためにある――、かつての自分ならばそう答えただろうか。

 

 だが、今は。今は、何も言い返せなかった。

 

 自分の命以上に大切なもの、という観念を昔ならば理解出来なかっただろう。しかし、どうしてだろうか。今ならばどことなく、分かったような気がした。

 

 桃は自分以上に自分を心配してくれている。血続でもないのに、自分のように青い大気の中でも生きていける身体ではないはずなのに、それでも力強い言葉を投げてくれるのは、この鉄菜・ノヴァリスという個体が大事だと思ってくれているからだ。

 

 大切なのだと、規定してくれているからだろう。

 

 その論法に今までならば真っ向から対立出来た。戦って勝利する以上の感慨など邪魔だと、断じる事も出来ただろう。

 

 だが、そうではない。そうではないのだと、自分が思い知っている。

 

 瑞葉を逃がした時、あの時、通常ならば《クリオネルディバイダー》を外すなど言語道断のはずだ。《モリビトシン》の状態で勝てる領域は過ぎ去った事くらい分かり切っている。

 

 それでも瑞葉の身の安全を優先したのは、何も合理的判断の上だけではない。そのはずであった。

 

「……桃。ミズハは……」

 

「眠っている。リードマンの話じゃ、ちょっとした疲労状態が蓄積していたみたい。完全回復しても、《クリオネルディバイダー》と《モリビトシンス》のパフォーマンスについていかせるのは推奨しない、ってさ」

 

「そうか……。よかった」

 

 どうしてそのような言葉がついて出たのだろう。不明の感情を桃は見抜いていたようであった。

 

「……やっぱりね。クロ、瑞葉さんの事を、自分以上に大切に思っている」

 

「《クリオネルディバイダー》が使えないのは《モリビトシンス》の性能を極端に落とす事になる。それが分かっているからだ」

 

 口にした途端、桃が額へと人差し指で突いてきた。じんわりとした痛みが熱を帯びる。

 

「……痛いぞ」

 

「デコピンよ。話を聞こうとしないんだから。罰則のデコピン。それに、自分の気持ちにも素直じゃないからね。二回分」

 

「待て。それはやめろ。……肉体面へのダメージはなんて事はないが、何か胸の内側でつかえる」

 

「それが、心なんでしょ? クロ、もういい加減に遠回りはやめたら? 瑞葉さんからも聞いたわ。自分には心がないんだって、クロが言っていたって。……あの時も、そうだったよね。六年前の殲滅戦の前も。心なんて分からない、アヤ姉が伝えてくれたものは無駄だったんじゃないかって。……今にしてみれば、モモもクロもとても怖がっていた。死ぬかもしれない、組織のために忠義を尽くさなければならない場所まで追い込まれて、それでも居場所が分からないって喘いでいたのよ。……でも、今なら、あの時の自分を救い出せる。クロ、あんたも」

 

「私も、だと? ……だが心なんて分からない事だらけだ」

 

 その返答に桃は微笑みを浮かべる。

 

「かもね。でも、それが心なんだって、思えない? 分からないものなのよ。自分でも。制御も出来ないし、調整も効かない。落ち着けって言い聞かせてもどうしようもなくって、動けって命じたって肝心な時に役立たず。……でもそういうのを常に背負っているのが、人間なんじゃないかな。モモはそう思う」

 

「人間……。そのような不合理性が、人間の心だって言うのか? だが、私は……」

 

 決めあぐねている声音に桃は頬を指で突いた。

 

「分かっているくせに。もう何となく、掴みかけてはいるんでしょう? 心は昔、アヤ姉が言ったように、ここにあるのよ。でも、自分の身勝手で出し入れ出来るような簡単なものじゃない。メンテナンスも出来ない不条理でどうしようもない、――でも替えの利かないパーツ。それが、心って呼べるものなんじゃないかな」

 

 替えの利かないもの。鉄菜はその言葉に胸を打たれた気分だった。

 

 凪いでいた身体の芯が静かに波打っていくのを感じる。

 

 一滴の水のように、桃の言葉はすんなりと、鉄菜の胸の内に入り、波紋を広がらせた。

 

 ――これが、心だというのか? この名状しがたいものが、心だと呼べるのだろうか。

 

「……まだ、分からない。何もかも」

 

「でも、さ。クロは瑞葉さんの事を心配出来たわけじゃない。何もないって言っていた頃のクロじゃ、出来なかった事だよ」

 

「だが、私は……」

 

「――まどろっこしい事を話しているところ悪いが」

 

 格納庫の上階層でニナイとそれに付き従う茉莉花が視界に入った。茉莉花の傍には、ルイが浮き上がっている。

 

《ゴフェル》のシステムの中枢がこのような場所に赴いている事、それそのものが異常事態を分かりやすく伝えていた。

 

「……茉莉花」

 

「鉄菜、まずは一つ、言わせてもらおうかしら。ミッションご苦労様。それと、《クリオネルディバイダー》を手離した事には、馬鹿野郎とでも罵ってあげても?」

 

「……甘んじて受ける」

 

「冗談よ」

 

 ひらひらと手を振った茉莉花はニナイへと言葉を振った。

 

「艦長から優先度の高い情報をどうぞ」

 

 ニナイはこちらを見据えたまま、どこか言葉を選びかねているようであった。

 

 桃がそれを感じてか歩み出る。

 

「何かあったの?」

 

「……直近では十分前の情報よ。鉄菜も桃も、上がってきて欲しい。ブリーフィングルームに、タキザワ技術主任も呼んである」

 

「大事には違いないわ。吾だってもうちょっとラヴァーズの艦でやる事はあったんだけれど、さすがに呼び戻されちゃった。これは一大事、ってね」

 

 しかし緊急事態にしてはどこか茉莉花はのらりくらりとしている。まるでこの状況は予測出来たとでも言うように。

 

「……話を聞かせろ」

 

「鉄菜。まずは服を着て。風邪を引くわ」

 

「人造血続は風邪なんて引かない」

 

「艦長様の命令よ。受けなさい、鉄菜」

 

 茉莉花の言葉に命令、と聞いた身体が硬直する。

 

「……命令ならば」

 

 今すぐここでRスーツを着ようとして、桃に止められる。

 

「クロっ! 男の人の目もあるんだからっ! 着替えは向こうでしなさい!」

 

「時間の無駄だ」

 

「そうでもないわ。こっちも情報の整理に時間がかかっている。着替えくらいは待つわよ」

 

 茉莉花の論調に鉄菜はどこか胡乱な気配を感じ取っていた。何かが起こったのはまず間違いないのだが、その対応に追われている、という感覚ではない。

 

 むしろ、逆だ。

 

 不利でしかないはずのブルブラッドキャリアの現状に光明が差したとでも言わんばかりの態度に、鉄菜は考え込む。

 

「……何かが起こった。いや、現代進行形で起こっている。それも特大級の。……だというのに、スクランブルがかけられるでもない。……吉報か?」

 

「いいからっ。クロはさっさと着替える! 先にモモはブリーフィングルームに向かっているから。きっちり着替えてから来るのよ!」

 

 桃の言葉を背中に受けつつ、鉄菜は先に言葉を交わしたガエルの事を思い返す。

 

 野獣のような眼光を持つ戦争屋。今の今まで全ての敵であると思っていた存在。だが、命を取られる事もなく、駆け引きも行われなかった。

 

 自分はそれに値しないと判断されたのか。あるいは、あの時ガエルには自分以上に優先度の高い任務があてがわれていたのか。

 

「……いずれにしたところで、今は動き出さなければ。そうでなければ話にならない」

 

 一つでも前に進む事が戦いならば、自分はその道を行くだけだ。

 

 どうせ最初から退路なんてないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ルイを引き連れるなんて珍しいじゃない」

 

『そうでもないわ。《ゴフェル》は降りてから随分と消耗した。端末情報として新しい茉莉花と情報を同期するのは当然の事』

 

 それにしては、と桃は茉莉花との距離をつぶさに観察する。ルイと茉莉花は肩を並べているが、同じ事を考えているとは到底思えない。

 

「……何があったの? 教えてちょうだい。クロが飛び出すような事だったら、モモが伝えるかどうかの判断をする」

 

「……鉄菜の事が余程心配なのね、桃・リップバーン。あれだけイクシオンフレーム相手に苦戦しておいて他人の心配が出来るのね」

 

 茉莉花の言葉振りは依然としてこちらの神経を逆撫でするのには充分であったが、それでも聞かないわけにもいくまい。

 

「……クロの《モリビトシン》は重度の貧血に加えて血塊炉炉心に近い部分に大きな打撃を負っている。すぐには出せないわ。それくらいは分かっているわよね?」

 

「もちろん。鉄菜に負担を強いるわけにはいかない。私達はそうでなくとも地上で鉄菜と離れてしまった。これ以上単独行動を許すわけにはいかないのよ」

 

 ニナイの論調にはどこか一筋縄ではいかない響きがある。

 

「……クロを出すわけにはいかない。それは共通認識でいいのよね?」

 

 足を止めた桃に、ニナイは振り返っていた。

 

「必然的に《モリビトシンス》の力は必要になるかもしれない」

 

「冗談! クロは疲れている! それに、《モリビトシンス》だって! あんな重篤な機体を出させるわけにはいかないはず……」

 

「桃・リップバーン。落ち着きなさい。なにも最前線に出させるとは言っていない。ただ……静観を貫くにせよ、ちょっとばかしこちらの手を講じる必要に迫られている、というだけ」

 

 茉莉花の言い分はどこか信用出来ない。確かに月面までの水先案内人は務めてくれた。《モリビトルナティック》の落着阻止も然り、だ。だが、これ以上鉄菜を危険に晒してなるものか。

 

「……戦力が必要なら、《ナインライヴス》で出る」

 

「《ナインライヴスピューパ》だって万全じゃないでしょうに。今は、落ち着きなさい。落ち着いて話を聞いて欲しい。そのために呼び出しているんだから」

 

「……ルイを引き連れている時点で、嫌な予感しかしない」

 

 ルイは《ゴフェル》のメインコンソール。それが持ち場を離れるくらい、異常事態なのは自分でも分かっている。

 

 ニナイは目線を伏せて口にしていた。

 

「……今は、黙って従って。ブリーフィングルームで詳細は話すから」

 

「不都合な事なの?」

 

 問いかけた桃にニナイは答えを保留にする。

 

「だから、着いて来なさいって。そんなに信用ならない?」

 

 茉莉花の問いかけには頷かざるを得ない。

 

「……クロは物じゃないのよ」

 

「あなただって物じゃないわ。桃。だからお願い、今だけは追求しないで」

 

 ニナイがここまで言うのだ。よっぽどの事だろう。今は自分の意見は封殺して、指示を待つしかなかった。

 

 それがブルブラッドキャリアの、執行者として正しいのならば。

 

「……でも、イクシオンフレームとアムニスとの戦いでみんな連日の徹夜よ? こんな状態で、まだ、酷な事を聞かせるって言うの?」

 

 この質問も卑怯なのは分かっている。それでも、であった。せめて、ここまでは譲歩したいという願いの表れにニナイは言葉尻に悔恨を滲ませる。

 

「……本当は、私としても立て続けに戦いを強いたくはない。でも、どうしようもないのよ。世界というのは」

 

 


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