ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯264 穢れた翼

 まどろみの中を漂っている感覚であった。

 

 覚醒と昏睡の只中、タチバナはようやく意識の手綱を取り戻していた。

 

 だが、どこか身体の調子がおかしい。平時の肉の重さをまるで感じない目覚めに、タチバナは眼前に佇む渡良瀬を視野に入れていた。

 

『渡良瀬……』

 

 その声音にぎょっとする。まるで電子音声のそれであった。

 

 渡良瀬はフッと笑みを浮かべた。

 

「お目覚めですか? ドクトルタチバナ。いえ、もうその肉体では、違いますか?」

 

 タチバナは自分の身体を確かめる。未発達な小さな手足、丸みを帯びた身体。全て、人間のそれからはかけ離れている。

 

『ワシは……』

 

「ご覧ください。あなたの今の姿です」

 

 鏡に映し出されたのはアルマジロの形状を模した小型モジュールであった。その姿が自分の手足の動きと同期する。

 

『まさか……そんな』

 

「人格の移し替えは技術として定着して久しい。どうやら成功したようですね。あの老いた肉体のままではやりにくくって仕方がない。死に体であったあなたを復元したのですよ? 感謝してもらわなくては」

 

 殺しかけたのはそちらだろう、と抗弁を放ちかけてタチバナは迸った叫びに声を詰まらせた。

 

「いやァァー! 殺して! 痛い! 痛いィィッ!」

 

 アルマロスの声である。瞠目したタチバナは渡良瀬の冷たい声音にぞっとした。

 

「アルマロス。身体の半分が消し炭なんだ。復元可能なだけでもよしとしてくれ」

 

「殺して! こんなに痛いの……殺してよォッ!」

 

「そうはいかない。序列は低いが、君はお気に入りだ。殺すのは惜しい」

 

 声を吹き込んだ渡良瀬の相貌は既に悪意に染まっていた。かつての右腕であった青年の面影を探すのは難しい。

 

『……貴様、渡良瀬。堕ちたな。下衆の極みへと』

 

「なんとでも。さて、タチバナ博士。あなたに選択肢は多くはない。もうあなたの肉体は廃棄しました。あんな欠陥だらけの肉体よりも、機械の身体のほうが随分と動きやすいはずですが?」

 

『勝手な真似を。渡良瀬、貴様は悪魔だ』

 

「どうとでも言ってください。敗者らしい負け文句です」

 

 渡良瀬は肩をすくめ、こちらの脳髄へと直接情報を送信した。現状のイクシオンフレームの配備状況と、動かせる駒の身体ステータスであった。

 

『これ、は……』

 

「あなたにはこれより、アムニスに都合のいい端末としての人生が待っています。相応しい末路でしょう? 博士」

 

『言う事を利くと思ったか……!』

 

「確信していますよ。あなたはそんな姿になっても賢明なはず。なに、ちょっとばかし寿命が延びた。そう前向きに考えればいいじゃないですか」

 

 渡良瀬にはもう、人間らしい感情など存在していないのだと、タチバナは確信する。この男にあるのはただただ尽きぬ野心と、欲望のみ。

 

『渡良瀬……地獄に堕ちるぞ』

 

「堕ちる? 可笑しな事を言いますね。わたしは大天使ミカエルの座につく事を許された最上の天使! それをどうやって座から引き摺り下ろすというのです? もう無理なんですよ。転がり始めた石です」

 

『……確かにそうかもしれん。だが、時代を動かすのは貴様のような野心の塊では決してないはずだ! 時代を動かすのは! 良心であると!』

 

「古い、古い、古くさ過ぎる! そんなもので時代が回りますか? そんなもので兵器が造れますか? ヒトが満足するとお思いですか? 全ては人間のため、世の中をよくするためなのですよ」

 

『たとえ時代遅れでも、悪魔に魂を売り渡すよりかはマシなはずだ』

 

 こちらの抗弁に渡良瀬は呆れ返るばかりであった。

 

「博士。ロマンチストとヒューマニストはいつの時代でも取りこぼされる運命なのです。リアリストこそが、世界に実効力を持って流転させられる」

 

『その流転した先が闇では! 渡良瀬、何も救えんぞ!』

 

「肺活量が上がったお陰ですか? 前の身体よりも舌が回る。よかったですね、博士」

 

 皮肉を返されてタチバナは言葉を詰まらせる。

 

『……何をさせようと言うのだ』

 

「今まで通りですよ。今まで通り、否! 今まで以上に、人機開発市場に力を入れてもらえれば!」

 

『貴様の傀儡に成れというのか』

 

「傀儡? 可笑しな事を! その躯体、傀儡以下ですよ。博士」

 

 言い返せず、タチバナは送信されたデータを参照する。イクシオンフレームで現状出せるのは限られている。どうやらブルブラッドキャリアが思ったよりも健闘したらしい。

 

 彼らの機体データにもアクセス可能なこの躯体に、タチバナは素直に言葉をなくしていた。

 

 モリビトのデータが参照出来る日が来るなど夢にも思うまい。

 

「ご満足いただけましたか?」

 

 こちらの意図を悟った渡良瀬にタチバナは拒絶の声を上げる。

 

『思い通りになると思うな』

 

「それはどうでしょうか。博士、思ったよりもこの世の中、思い通りになる事のほうが多い。それはあなたとてよく知っているはず。モリビトの脅威は! 星の人々に次なる罪を直視させるために必要な悪であった! それもご理解の上でしょう?」

 

『理解は出来る。ただ、看過は出来ん』

 

「言葉の上だけですよ。すぐに慣れる」

 

 渡良瀬は言いやって部屋を後にしようとする。

 

「博士、存分にその力。我々アムニスのために使ってくださいよ」

 

 扉が閉まり、残されたタチバナはこの室内からアクセス可能な領域へと電脳を伸ばす。拡張した意識はすぐさま波に乗った。

 

『……驚いたな。これが惑星を覆う情報網……バベルの一端か』

 

 どうして渡良瀬はここまでの権限を自分に許したのだろう。どれほど足掻いても無駄だと分かっているからだろうか。だが、バベルにアクセス出来るとなれば、針の穴ほどの活路を見出すのも可能かもしれない。

 

 いずれにせよ、今出来る全てを。

 

 そう考えた意識が飛躍し、タチバナは現在、ブルブラッドキャリアが分離しているという事実を発見した。

 

『《ゴフェル》なる艦と、衛星兵器を使って見せたブルブラッドキャリアは別のもの……。これが星の覆っていた嘘と虚飾か。こんなものを前に、無知蒙昧なままでいたなど……』

 

 許されないだろう。だが、これから先は違う。タチバナは必死に情報の手綱を握り締めた。

 

 これから先、何が起ころうとも。

 

 戦い抜く覚悟を持って。

 

 その意識の一端がある情報を捉える。

 

『……旧ゾル国のコミューンへと向かう作戦……。これは、《グラトニートウジャ》……ワシの発明したトウジャがまだ……生き残っていたのか』

 

 その事実に震撼したのも束の間、直後に展開された作戦名に絶句する。

 

『不死鳥作戦……。まさか、ゾル国同士で潰し合いだと。世界はこうも無情か……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 納得はする必要はない、という上官の声音に、レジーナは是非を問いかける。

 

「では、兵士には何も考えずに撃て、と? 引き金を絞る事のみを考えろというのですか」

 

 前を行く上官はこちらへと向き直る。ホログラムの滝の前であった。

 

「シーア中尉。君は真面目に、ゾル国の明日を考えているのだろう。それは分かる。真摯に国家の事を考えると言うのは。だがね、全てが全て、よく回るわけでもないのだ」

 

「切り捨てですか。少数を弾圧すればC連邦のポイント稼ぎになるとでも」

 

「違う、そうではない。これは必要な措置だ。作戦には目を通しただろう?」

 

 レジーナは作戦目標を反芻する。

 

「……《グラトニートウジャ》。かつての英雄の機体。まさかあのコミューンに封印されていたなんて寝耳に水、との事でしたが」

 

 無論、全く知らないわけでもあるまい。お歴々は分かっていて無知を貫いてきたのだ。

 

「撃墜せねばなるまい。ゾル国の掃除はゾル国が済ませる。そうでなければ要らぬ世話を連邦にさせる事になる」

 

「そのために、《フェネクス》に出ろと? ……失礼ながら、それは我が方への侮辱です」

 

「熱くなるな、と言っている。冷静に事態を俯瞰したまえ。《グラトニートウジャ》。確かに少しばかり難しい相手かもしれない。だが、それがどうした? 《フェネクス》ならば可能だろう」

 

 ずるい論法だ。《フェネクス》の性能を発揮したければやりたくもない戦場に出ろ、と。前回のラヴァーズ殲滅戦と何も変わるまい。

 

 畢竟、連邦の尻拭いをさせられているのみ。

 

「どれほど言い繕ったところで……同じ事ではありませんか」

 

「同じではない。我々には大義がある。それだけは誰にも否定出来ないはずなのだ」

 

 大義を都合よく解釈されているだけ。それは分かり切っている。だが、ここで拒めば《フェネクス》の不死鳥隊列は一生日の目を見ずに終わるかもしれない。

 

 隊を預かっている手前、そう容易く拒絶する事も出来ない。レジーナには非情な判断が求められていた。

 

「……《フェネクス》を出せば、満足行くんですか」

 

「《フェネクス》一機でも、充分な戦力として数えられる。連邦は分断されたモリビトを今が好機とばかりに襲撃している。その一方で、我々が世界の混乱を少しでも鎮めればこちらの要求も通りやすくなるだろう」

 

 政の領域には口を出せない。ブルブラッドキャリアへの措置は連邦のほうが遥かに勝っている。

 

 だが、だからと言って残飯処理などプライドが許さなかった。

 

「……せめて、連邦に言付けを。絶対に不死鳥隊列は必要なのだと分からせなければ」

 

「分からせてやるのには《グラトニートウジャ》を撃墜するしかあるまい。手段は限られつつある」

 

 非情ながらそれは事実。連邦と交渉するにしても、カードは少ない。一つでも交渉権を得るのには、《グラトニートウジャ》の撃墜は必須。

 

「……艦は向かっているのですか」

 

「既にコミューンへの針路は取っている。あとは君の一存だ。《フェネクス》の出撃準備をしたまえ」

 

 一存だ、など馬鹿げている。結局は踊らされているだけではないか。こんなもの、国家同士の策略とは言わない。

 

 ただ賢しいだけの、馬鹿げた動きだ。

 

 相手の顔色を窺いつつの戦いなど、それは最早、まともな戦いとは呼べないだろう。

 

 こんな事にでも身をやつさなければ、自分達は一歩も前に進めない。その事実に歯噛みする。

 

 ――嫌ならば退け。ただし二度目はない。

 

 突きつけられた現実の重たさに、レジーナは呼吸困難に陥っていた。隊をこれから先も飛躍させるのにはこれくらいの戦略は呑み込まなくてはならない。それが大人というものだ。

 

「……データの共有化を」

 

「隊の者達と共有するといい。ただし、この数値は全て六年前のもの。変異している可能性は高い」

 

 預かったデータチップの軽さにレジーナは吐き捨てたくなった。こんなもの一つで自分達は命運を引きずられてしまう。こんな軽いもの一個で。自分達の戦いは集約される。

 

 一個人の命令と、一個のチップが自分達不死鳥隊列の「これから」。そして、「これまで」の評価。

 

 嫌気が差すといえばその通りだが、跳ね除けていいはずもなし。

 

「……了解しました。不死鳥隊列、作戦行動に入ります」

 

「よろしい。《フェネクス》の性能はまだまだ伸びしろがある。ここで潰えていいはずもない」

 

 まるで自分に言い聞かせるような言い草。騙し騙しでしか、この存在を維持出来ない。

 

 その点で言えば、ブルブラッドキャリアの、なんと自由な身分な事か。彼らは惑星に矛を向けたが、その身柄は誰にも縛られる事はない。

 

 いつか、出会ったあの少女の事を思い出す。

 

 彼女――林檎は礼を尽くした。こちらの礼節に応じられるほどの理性があった人間には違いないのだ。

 

 星ではブルブラッドキャリアはアンヘル以上に虐殺の徒だというイメージが強い。それは六年前の戦いの痕跡が如実に示している。祖国とてその痛手を被った側には違いないのだ。

 

 だが、だからと言って無条件に憎めと言うのか。憎悪し、嫌悪し、ただただ殺し合うだけで、そこには理解の一欠けらもないというのか。

 

 そのようなもの……とレジーナは拳を握り締める。

 

「そんなだから……我々は星を追われたんだ」

 

 誰にとは言わない。誰のせいでもないのかもしれない。それでも、ゾル国は亡国の徒として扱われ、C連邦の独裁の天下が訪れた。誰の求めた結果でもないのかもしれない。

 

 かといって世界は何も求めなかったか。

 

 無欲のまま世界を動かしているわけでは決してないはずだ。

 

 誰しも強欲のうちにある。ゆえにこそ報復の刃は研がれた。その剣先が星へと向いたのだ。誰もが無意識のうちに罪を抱えている。だから、この星は虹色に熟れた。罪の色に染まった空は本来の青さを消し去っている。

 

「……青い空を、一度でもいいから飛んでみたい。こんな……毒の靄と虹の裾野に抱かれた空は、間違っているはずなんだ」

 

 いつも夢見る。《フェネクス》の舞う空。穢れのない、純潔のその青さを。

 

 澱んだ毒は消え去り人の罪は星の向こう側へと赴く極楽を。

 

 ……だが、夢見たところで届くものか。手を伸ばさなければ、とレジーナは双眸に決意する。

 

 しゃにむでも手を伸ばす事を諦めさえしなければ、いつかこの手に、幻の空は――。

 

「……駄目だな。隊長が夢想してどうする?」

 

 夢見るのは空を舞う者の特権かもしれない。しかし、自分達は空を裂くもの。宵闇を引き裂き、本国へと朝陽を迎えさせるための金色のカラス。

 

 罪で洗い流された地表に、平穏をもたらすために飛ぶ。それ以外の翼は要らない。

 

 本当の意味での自由の翼は、夜明けの向こう側にあるはずだから。

 

「隊長。……作戦は」

 

 デッキで愛機の整備を手伝っていた者達が次々と寄り集まってくる。皆、選りすぐりの不死鳥達。

 

 しかし、今は飛べるだけの翼をもがれた、悲しい鳥達。

 

 ならば、飛ばせられるだけの空を、自分が先導しよう。明けの明星になって、自分が彼らを導かなくって如何にする。

 

「作戦はこれだ。全機、聞かされていた通りを実行する」

 

 うち一人が悪態をついた。

 

「クソッ……! こんな、連邦の毒を呑まされるなんて……」

 

「残飯仕事だから、などと腐るな。我々は本国のカラス部隊。その誇りはまだ失われていない」

 

「でもですよ! こんなのってないです! 自分達は……誉れある不死鳥隊列……、あのお方の理想を体現する、本物の操主ではないのですか!」

 

 その言葉にレジーナは睨みつけていた。

 

「痴れ者が! そう易々とあの人の理想に適うと思うな!」

 

 うっ、と声を詰まらせた隊員にレジーナは言い放つ。拳で左胸を叩き、己を鼓舞した。

 

「この脈動は! 大義を尽くすためにある! 義を持って立っているのならば、何度だって蘇る。それが不死鳥の、あるべき姿だ! 炎の中から、何度だって……」

 

「……たとえその身が灰に塗れても、何度でも炎から蘇る……それが不死鳥」

 

 そらんじた兵士にレジーナは言いやる。

 

「貴様ら……それを忘れたわけじゃあるまい」

 

「もちろんです! いつだって、我々は使命を帯びた人機に乗っているんだって言う……。でも、こんなのってないじゃないですか! 過去の遺物の……清算なんて」

 

 確かにこれから先の未来を作る人間からしてみれば不服だろう。だが、どのような境遇であれ、戦い抜くのが軍の兵士。末端兵の意地だ。

 

「……ゾル国の名を冠する事を許されている。その重責、ゆめゆめ忘れるな。自分達の動き一つでゾル国再興への道が絶たれるかもしれないんだ」

 

「それは……、でも政と戦いは別です」

 

「別なものか。どちらも戦いだ」

 

 等価だとまでは断言出来なかった。それだけが悔やまれる。

 

「隊長。作戦をください。この艦は、向かっているんでしょう? 例のコミューンに」

 

「それは……」

 

 口ごもる。彼らは理想の体現者。だというのに現実を背負わせていいものか。その僅かな逡巡の間にも、彼らは悟ったようであった。

 

「なに、不死鳥隊列は不死身です。ちょっとくらいへこたれたって、なんて事はないですよ」

 

 笑みの中に弱さを隠した声音であった。だがそれを諌める事も出来ない。畢竟、自分のやれる事だって限られている。上官ばかりに責任の押し付けなど不可能なのだ。

 

 自分も彼らからしてみればその上官の一部なのだから。

 

「すまない……。だが、やれるな?」

 

 同期した端末の情報に全員が挙手敬礼する。

 

 踵を整えたその敬礼にレジーナは返礼した。

 

「感謝する。だが、あえて言おう。……死ぬな」

 

《グラトニートウジャ》は進化を遂げ、未知数だ。撃墜の可能性もないわけではない。だが、彼らの眼差しに恐れはなかった。

 

「隊長、それこそ、なんて事はないですよ。我々は、いつだって前に出る心積もりは出来ています」

 

 その通りだ。自分だっていざとなれば艦の盾にでも喜んでなろう。

 

「戦おう。世界に仇なす、毒を排除するために」

 

 そして理想を手に入れるため――。

 

 不死鳥隊列は飛ぶ事を決意した。

 

 


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