刃の冴えはそのままに。静かな呼気と共に一閃を払う。
一人、また一人と斬り倒していく中で、生まれたものは何もなかった。
何もない、虚無。何もない、虚空。
血潮だけが嘘のように鮮烈に迸り、薄暗闇の空間を満たす。放った刃の切っ先が敵の首筋を掻っ切った。
黒い血潮。それが遅れて生じたのを目にした自分を俯瞰する。
黒い仮面を被った自分は赤くぎらついた眼差しで敵を睨む。次なる敵を求めて暗黒空間を疾走する。
闇を掻き、敵を裂き、魔を討つ。
それのみに特化した神経。それのみに特化した剣。
それが自分であった。撃滅のための剣。破滅をもたらすためだけに遣わされた少女の躯体。
不意に銃声が劈き、自分を撃ち抜いた。
滴った血の色にああ、と呻く。
「青い血だ」
青い血、人機と同じ殺戮兵器の証。それを認めた直後、暗闇よりもたらされた斬撃が何度も自分を貫いた。
痛みを感じるよりも虚しさが勝る。血の色は青。痛みは薄ぼんやりとしたフィルターの向こう。
所詮、自分など造られただけの存在。いつ、青い血に目覚め、人間らしさなど欠如した戦いに身をやつすのか分からない。
そもそも、この身体は持つのだろうか。
リードマンは三年だと断言した。残り三年。その程度しか設定されなかった人造血続の悲哀。
だが、後ろを振り返る事は許されない。一度として、弱音を吐く事も。
「――心はどこにあるんだ?」
問いかけた自分へと応じる声があった。
「鉄菜、心はここにあるのよ」
胸元を、こつんと彩芽の拳が叩く。
嘘だ。そんな場所に心なんてありはしない。
拒絶した意思が刀となって彩芽を切り払った。彩芽の影が寸断される。
その時になってようやく、鉄菜は喉を震わせて叫んでいた。
夢の中の叫びが現実の喉を震わせる。
絶叫と共にまどろみの膜は剥がれ、大写しになった視野には青く靄が揺らめいていた。星々の瞬きがその向こう側で乱反射している。
「……ッったく、女ってのは湿っぽくていけねぇな」
その声の主を鉄菜は認めた瞬間、ハッと身を引いていた。
戦場を行くハイエナの瞳。煌々とした戦闘の輝きを宿した男が火を焚いている。ブルブラッド汚染大気下であるにも関わらず、男はマスクさえも着用していなかった。
それどころか、ブルブラッドの煙草を吹かし、青い息を吐いている。
焚かれた火はブルブラッドの反応を受けて白く照り輝いていた。
焚き火を挟んで男と対峙している形の鉄菜は、自分がヘルメットを外されている事に気づいた途端、額に巻かれた包帯より疼痛を覚えた。
「ああ、素人療法には違いねぇんだが、ヘルメットが割れていてな。そのまま放っておいてもいいんだが、ブルブラッド大気下じゃ、傷はすぐに膿んじまう。そうしときゃ、死にはしねぇだろ」
男は非常食の養殖肉を頬張る。その姿と佇まい、そして声に鉄菜は一人の男の影を見ていた。
「貴様は……《モリビトサマエル》の」
「ああ、そうだ。こうしてガン突き合わせるのは初めてか? モリビトのガキ。まさか六年経っても似たような身体だとはな。恐れ入るぜ。星の向こうの連中はよほど禁忌が好きと見える」
《モリビトサマエル》の操主。それは同時に今まで憎み続けた相手そのものである、という事実であった。《バーゴイルシザー》でコミューンを襲い、幾度となく自分達の道を阻んできた敵そのもの。
それが眼前で肩の力を抜いている事に、鉄菜は瞠目していた。
「お前は……何で私を……」
「助けた、ってか? 自惚れんな。別に助けたかったわけじゃねぇさ。ただ、他の連中にてめぇの首を取らせるのは癪だったってだけの話よ。動かねぇ敵を潰して、何が面白ぇっていう、戦争屋のメンタリティだ」
やはり相手は戦争屋。それも今まで世界から搾取してきた、本当の狩人。
鉄菜はホルスターよりアルファーを引き出し、額で弾けるイメージを伴わせた。
しかし――。
「……《モリビトシン》が……来ない?」
「そりゃ、来ねぇだろうな。血塊炉がヤられちまってる。あんな状態じゃまともな人機は動かねぇよ」
そんな状態で自分はこの男と会っている。話し振りから察するに《モリビトサマエル》はいつでも出せるようにしているはず。自分だけが不利な現状に鉄菜は後ずさりした。
「……何が目的だ」
「目的ィ? とんだオノボリさんだな。目的がなきゃ、動いちゃいけねぇってのか?」
「貴様は戦争屋だ。殺ししか快楽の行き場がない、本物の人間の屑のはず」
「とんだ言い草だが、間違っちゃいねぇ」
「そんなお前が! 何故私を……」
睨み据えると相手はこちらを真正面から見据えた。その瞳に恐れの一欠片さえもない。
「殺さない理由、か。結構あるんだが、まぁ教えてやんよ。第一に、てめぇは別段、殺されるほど強くもねぇはず。モリビトのガキが生きていた事にゃ、驚きだがだからと言って殺すかと言えば、それも面倒くせぇ」
「殺すほどの価値もない、か」
「物分りはよくなったじゃねぇか。そうだよ。殺したって、じゃあオレに富は来るか? 名声は来るか? 報酬は? ……結局、カネと、得するかって話よ。そういう点で言えば、正確な形でモリビトを狩る分にはいいんだが、こういう場外試合でモリビトを倒したってオレには旨味がねぇ。オレは正義の味方だからな」
眼前の男から出たとは思えない言葉に、鉄菜は反芻する。
「正義の……味方だと」
「だってそうだろうが。てめぇらは惑星から追われる身分。比してオレは? レギオンの中枢に近づき、表じゃアンヘルの教育隊の隊長と、それにシーザー家のお墨付き。これを正義といわずして何というって言うんだ?」
笑みの形に口角を吊り上げた男に鉄菜は嫌悪の眼差しを飛ばす。
「……悪党が」
「そりゃどうも。褒めてんのかねぇ。いいか? オレは、オレに得のある戦いしかしねぇつもりだ。もうレギオンの使いパシリにもうんざりなんだよ。……まぁ連中の恩恵は受けてるぜ? どこに敵がいても分かるし、どこに敵が隠れたって無駄さ。オレと《モリビトサマエル》の前じゃ、意味がねぇ」
「……どうしてコミューンを焼いた」
その問いに男は膝を叩いた。
「今聞く事がそれか! こいつァ、とんだ傑物だな! あれもレギオンの依頼する掃除ってヤツさ。対立コミューンをいい塩梅に潰せばアンヘルの仕事も減る。どうにも最近、レギオン連中も気づき始めている様子だ。自分達の作り上げたこの世界を、うまい事そのおいしい汁だけ啜っている連中がいるって事にな」
脳裏で閃くものを感じ、鉄菜は呟いていた。
「……それがアムニスか」
「あんがとよ。オレの中には確証はなかったんだが、名前を教えてもらった上にその存在まで知っているとなれば、上を行けるな」
しまった、と口を噤んだ時にはもう遅い。レギオンに突き出されるか、と身構えた鉄菜は相手が何も行動しない事に面食らっていた。
「……レギオンに突き出さないのか」
「喜ぶかねぇ。レギオンに今さら、モリビトのガキ一匹突き出した程度で。てめぇはよく分かってねぇかもしれないが、案外、戦場はつまんなくなっちまったんだよ。トウジャって言う元から強ぇ人機が跳梁跋扈して、な。血と硝煙には酔えなくなっちまって久しい。女も……上質な女が揃っているのは申し分ねぇんだが、管理下にあると萎えちまう。そういうもんなんだよ、戦場ってのは」
鉄菜は読めない相手の思考回路に辟易していた。
「私を殺さないのは、ただ単に利益にならないからか」
「それ以外に何かあるって言うんなら、お伺いを立てたいところだねぇ。てめぇを殺して、オレが得するんなら、今頃犯して殺してんよ。だが、ちょっとばかし、情勢がハッキリしなくなっちまってる。アンヘルに属してりゃ、安泰でもねぇ。かといってシーザー家の周りもきな臭ぇんだよ。オレはそもそも六年前に、殺し損ねたちょっとした虫を蹴散らしに行く途中でてめぇを見つけただけだからな」
煙草を吹かす男に鉄菜は問い質していた。
「そこまで俯瞰出来ていて、何故……何故六年前! コミューンを無差別テロで襲った!」
男はこちらを眺め、不意に哄笑を上げた。
「……何が可笑しい」
「いや! てめぇ、そういうのはアツくならねぇタイプだと思ってたからな! 声を荒らげたのが……可笑しくって可笑しくって……。あんなもん、次いでの用事だろうが。今さら蒸し返してるんじゃねぇよ、つまんねぇ」
「次いで……だと。あれで死んだ人間もたくさんいたはずだ!」
「それ、そっくりそのままお返しするぜ? オラクルだけじゃねぇ、色んなところで殺して回ったのはお互い様だろうが」
言葉を詰まらせた鉄菜に男は岩場に煙草をこすり付けて揉み消す。
「……私達には使命があった」
「おーっ、その使命ってヤツで、じゃあ死んだ連中はノーカウントって言いてぇのか? 随分と都合のいい理論だ。殺しても罪にはならねぇって言う観点で言えば、てめぇらのほうがよっぽど厚顔無恥だぜ?」
「貴様とは……違う!」
「どう違う? 殺して犯して略奪する。それは世の常だろうが。オレは欲望に忠実に、嘘は出来るだけつかねぇつもりだ。綺麗事で飾るつもりも、な。だがてめぇは違う。使命だ大義だで人を殺し、都合の悪い死に様には異を唱える。それ、よっぽど歪んでるぜ? 人間の性に正直じゃねぇ生き方だ。そういうのってよォ、叩き込まれたって感じだ。誰かに補正された生き方なんざ、そんなもん、人形と変わらないだろうが。オレは違うぜ? 人形であるつもりはねぇ」
「シーザー家の威光を借りているくせに……」
「そうさ。借りてるんだよ、あくまでも。それはオレの意思だ。戦場を一つでも多く生き延びるための処世術よ。オレは借り物の使命なら喜んで受けるが、てめぇのその信念ってのは偽物だ。反吐が出るぜ」
自分の戦いを侮辱するのか。この男が。何もかも自分のために、己のためだけに生きてきた利己主義そのもののこの男が。この鉄菜・ノヴァリスの生き方を否定するというのか。
胸の中に渦巻く黒々とした感情に、語気を強めていた。
「……取り消せ。私の……これまでの戦いが無駄だったなんて」
「あン? てめぇ、まさか褒められたくって戦ってるんじゃねぇだろうな? お笑い種だぜ! 戦場ってのはよォ、己の根源欲求を満たすための材料だろうが! だって言うのに大義や使命、果てにゃ賞賛だと? どうやらあれほどまでにモリビトで殺しておいて、それを綺麗事で纏めたいらしいな」
「私は……! 世界を変えるために」
「その変えた先の未来が絶対的にいい方向になるなんて誰も保証出来ないだろうが。まさかてめぇ、神の目線にでもなったつもりか? ブルブラッドキャリアの行いが全て、報われるとでも? 世の中嘗めてる……いや、嘗めてるってのさえおこがましい。てめぇ、本当はエゴイストの主義者だって理解も出来ないんだろ? 自分の中の罪を直視すら出来ねぇ、半端者だ」
半端者。今までその点を糾弾された事はなかった。自分はこの星の命運を変えるために、自分の意思で動けているのだと思っていた。
だというのに、戦争屋の言葉を借りるのならば、それらは全て糊塗されたエゴの塊。自分の使命に忠実ではない、ただの奴隷のような戦い。
「私は……」
拳を骨が浮くほどに握り締める。ここまで存在証明を揺さぶられたのは初めてだった。
相手はフッと笑みを浮かべる。
「そこまで深刻な事でもねぇだろ? 殺し、殺され、自分の意見を押し通す。そのために、生きてきたはずだ。だってのに、墜とすべき相手を前にして、こうも揺さぶりが通用するとはねぇ。そこまでの甘ちゃんだとは想定外」
相手が立ち上がる。鉄菜はびくりと肩を震わせた。
超越者の眼差しを持つ相手は言い放つ。
「脱ぎな。そうすりゃ、少しばかりは意地を認めてやってもいい」
「脱げ……だと」
「どうせガキの裸なんかにゃ興味ねぇけれどよ。世界のために命張れるって言うんならここで脱ぐくらい、造作もねぇだろ?」
鉄菜はRスーツの解除口に指を押し当てていた。相手の言う事を聞く道理なんてない。だというのに、ここで逃げるのは全てから逃げ出すようで、許せなかったのだ。Rスーツの気密が解かれる。空気圧で肌に密着していたRスーツを鉄菜は上半身から脱ぎ去っていた。
自分の肌――白磁の肌に、膨らみかけた双丘。決して老化しない生まれたままの姿を、鉄菜は晒していた。
相手はほうと感嘆の息を漏らす。
「まさか、拒絶しねぇなんてな」
「……モリビトが動かせない今、私はここから無様に逃げ帰る事も出来ない」
「意固地だねぇ。だが、……気に入ったァ!」
相手がタオルケットを投げる。鉄菜はそのタオルを身に纏っていた。
「敵兵の前で裸になるってのはなかなか出来るもんでもねぇ。覚悟だけは伝わったぜ、モリビトのガキ。来い! 《モリビトサマエル》!」
相手の声音に起動した《モリビトサマエル》がリバウンドの斥力を発生させながら風圧を逆巻かせる。
その背面から伸びたケーブルはそのまま、向こう側にある《モリビトシン》に接続されていた。
「……どうして」
「助けるような真似を、ってか? ……ここで死なれても寝覚めが悪いから、って言っておくぜ。動かない的を潰したってつまんねぇんだよ。最後まで足掻いてくれや。モリビトのガキ」
アルファーを額に翳す。《モリビトシン》の機能が復活していた。
相手は《モリビトサマエル》に向かって踵を返す。
「次は戦場の殺し合いの場で会おうぜ。話し合いなんて一番に合わないんだって分かったからな」
「……どうして何もしない」
「オレはロリコンじゃねぇからな。……ってのも表向きか。正直に話してやるとよ。ここでてめぇを殺せば、レギオン連中は大喜びなんだよ。その目論見に……ちぃっとばかし反抗したかった。多分それだけなんだろうぜ」
鉄菜は《モリビトサマエル》に乗り込んだ相手を見据えていた。いつかは倒さなければならない敵。越えなければならない障壁。
『名乗ってやるぜ! モリビトのガキ! オレの名前はガエル。本当の名前は、ガエル・ローレンツだ!』
これは応じるべきだ、と鉄菜は名乗りを上げていた。
「……鉄菜・ノヴァリス。モリビトの執行者だ」
その言葉振りに相手は鼻を鳴らす。
『クロナ、か。次に会えば犯して殺す。じゃあな』
《モリビトサマエル》が鉤十字の翼を広げて飛び去っていく。その後ろ姿を暫く眺めていた鉄菜は不意に入った通信にRスーツの回線を開いた。
『クロ! 今、《クリオネルディバイダー》から《モリビトシン》の反応を逆探知して……』
「桃、か。こちらに?」
『《ナインライヴスピューパ》が、今!』
飛翔していた《ナインライヴス》が降下してくる。逆巻く風に煽られ、鉄菜はタオルを握り締めた。
こちらを認めた桃が絶句する。
『クロ……何が……』
「何でもない。ただ……自分達の戦いの証明でさえ、今は難しい。それを実感しただけの事だ」
慌てて降り立った桃がこちらの顔色を窺う。鉄菜は迷わず、Rスーツを着込んでいた。
桃はそれ以上追及すべきではないと感じたのだろう。言葉少なに告げられた。
「……帰ろう」
「ああ。すまなかったな、桃」
「謝らないで。クロのほうが辛かったのは……分かっているもの」
手を引く桃の体温に鉄菜はただ感じ入っていた。
――仲間がいる。志を共にする仲間が。
ならば歪んでいても前に進もう。その結果がどれほどに悪意に塗れていても、道を違える事だけはないように。後悔だけは、しないように。
再び胸に刻んだ鉄菜は東の空より浮かぶ朝陽を身に受けていた。