ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯259 妄執のUD

 

 日が昇るな、とリックベイは口にしていた。

 

 どれほどの残酷さが鮮血となって今日も流されようとも、日はまた昇る。そのあまりの無情さに世界はかくも冷徹かと思わざるを得なかった。

 

「一度どこかのコミューンに寄るのが正しいのかもしれない」

 

《コボルト》を操縦するUDはしかし、その提案を棄却する。

 

「アンヘルの兵隊が下手にコミューンなんて寄れるわけがない。補給を受けるにせよ、当てはある。あと三時間もすれば合流出来るはずだ」

 

 だが、とリックベイは重く状況を考えていた。

 

「君はわたしを助けた。その時点で裏切り者の謗りを受けても仕方ない身分だ」

 

「何を今さら。俺は、この世界の何もかもから見離されている。もう、裏切りの恐怖なんてものとは無縁だ」

 

 そうだろうなとリックベイは感じてしまう。彼は自分の名前も、身分も、名声も何もかもから離別をせざる得なかった。彼を受け止めるだけの世界はもう存在しないのだ。

 

 この世で生きていく限り、彼はUDという名前でしか己を示せない。

 

「……残酷な事を、してしまったか」

 

「そうでもない。俺は一度死んだほうがよかった。お陰で動きやすい。アンヘル内部では、特に実力が何よりも買われる。零式を継承した事、一度として後悔はしていない」

 

 その継承者はタカフミ、という形になってしまっている。彼が表舞台に立てる事は、二度とないであろう。

 

 どれほどに現実が彼を追い詰めても、UDの論調は変わらなかった。

 

「俺が要求する事はたった一つ。たった一つの、シンプルなものだ。零式の最終奥義の直伝。それによってのみ、俺はこの因縁から勝利出来る。因果を自分の力で突破出来る。モリビトという、呪わしき名前から」

 

「……そこまで自分を追い込む事はない。君はもう立派な戦士だ」

 

 立派な戦士に仕立てたつもりであった。彼は迷いを全て捨ててでも、戦場の一瞬に生きる死狂いとなったはずなのだ。

 

 だが、今の彼には恩讐が見え隠れする。モリビトという存在への妄執。どこまでも追い詰める、という狂った矜持。

 

 間違っていると断じるのは簡単だ。しかしここまで苦しんだ彼を否定していいものか、とリックベイは思い悩む。

 

 元はと言えば自分の救った命。それがどのように花開こうが、それはもう彼の人生だ。だから口出しなど本当は容易に出来るはずもない。自分の人生観の押し付けほど、彼の戦いを侮辱するものはないだろう。

 

「……アイザワ少尉は」

 

 だからなのか、彼の口からタカフミの名が出た事にリックベイは面食らっていた。既に俗世から身を置いた人間が俗世そのものの人間の事を気にするなど。

 

 あるいは、彼には眩しかったのかも知れない。ありのままの自分で、零式を継承したタカフミの在り方そのものが。彼にはない価値観が。

 

「ああ、彼は……いや、元気だとは言えない。わたしが巻き込んでしまった。瑞葉君を救う、という大義名分で彼の出世の道を阻んだようなものだ」

 

「そうか。だが、リックベイ・サカグチ。あなたが気に病む事はないだろう。彼はもう立派な戦士なのだから」

 

 UDは別口でタカフミに会った事があるのだろうか。しかし、会えばたちどころに分かるはずだ。お互いに、他人というわけでもないのだから。

 

「……キリ……UD、君は戦いの中で何を得たい? アンヘルの第二小隊としての戦果、聞き及んでいないわけでもない。死なずの第二小隊、たった一人の……シビト」

 

 これが侮蔑の言葉だという事は重々承知している。それでも、彼を形容する言葉のうちの一つには違いないのだ。

 

「どう呼ばれようが俺には関係のない事。戦いで相手を屠る。それだけを気に留めていればいい」

 

《コボルト》が着地地点を発見する。計測した大気汚染濃度は五割程度であった。

 

「マスクを。それと浄化装置の装着を」

 

「あ、ああ……、ここで降りるのか?」

 

「《コボルト》とてトウジャには違いない。帰投ルートから相手に逆算されるのは面白味に欠ける。一度別ルートを辿って艦隊司令部に伝令、後に合流する」

 

 トウジャの動きはアンヘルが熟知している。だからこそ、すぐさま察知されるのは避けたいという事なのだろう。UDは彼なりに考えている。しかし、どれほど言い繕っても、自分の存在だけは消せないだろう。

 

「……処刑されている身だ」

 

「どうかな。どのレベルまであなたの処刑が実行されていたのかは不明だ。もしかするとお歴々の一部がその発言権を危惧して処刑を早めたのかもしれない」

 

「……どこの情報だ」

 

「ただの推測だとも」

 

 しかし彼は六年もの間、アンヘルとC連邦で戦い抜いてきた。ただの第六感ではないはずだ。

 

 降下した《コボルト》が砂浜の上で制動をかける。辿り着いた離れ小島一つで《コボルト》が血塊炉を停止させた。

 

「敵影は見られないが、油断は禁物だ。一度《コボルト》の整備に入る。その間はやる事がない。降りてもらっても」

 

「ああ、構わないが」

 

 ここで自分を放っておくわけでもあるまい。リックベイは素直に汚染された波が反復する砂浜に降り立っていた。生命の息吹一つ感じられない海。しかしながら、この海より全てが発生したとする仮説が存在する。

 

 今は、ただ汚染の青を反射するだけの水面だ。

 

「……これが百五十年の功罪か」

 

 ヒトは罪を直視するようには出来ていない。とはいってもほとんどの領域が汚染に晒された現状、闇雲に戦っている場合でもないのは分かり切っているのに。

 

 それでもヒトは合い争う。どこまでも愚かしく、どこまでも打算に満ちた戦いを。

 

 それが嫌だから、彼はシビトを選んだのだろう。決して死ぬ事のないのだと誤認した命。【ライフ・エラーズ】の十字架を背負いながら。

 

「……だがそれは悲しい。UD……君を救う道があるのならばわたしは……」

 

 だが何をすればいいのだ。彼はもう、全てを諦め切っている。返り咲くような事も夢見ていない上に、この先何があっても、彼の人生は幸福には彩られないだろう。

 

 戦いでしか自己を示せないなどという矛盾と激しさ。それを教えたのは他でもない自分だ。

 

 自分が弱くなければ戦い抜けと教え込んだ。自分の罪そのものなのだ。

 

 UDは自分が作り上げた、争いと言う名の罪。

 

 零式抜刀術の継承が終わった時、彼はまた間断のない争いの只中にいる事だろう。どこまで行っても離脱出来ない無間地獄。そのような奈落に落としたのは自分ではないか。それを今さら後悔しても遅い。

 

「……わたしは……君を救えなかった。近しい者の救いだけで、自分が許されたのだと思ってしまっていた。だが、それこそ驕りだったのだ。わたしは君を、不幸にしてしまった。その罪を贖えるだけのものが、わたしの中には……」

 

 砂浜を歩いていくと不意に開けた場所を発見する。青い花園に抱かれた空間で、一機のナナツーが打ち上げられていた。

 

「……生存者か?」

 

 駆け寄ってキャノピー型のコックピットを覗き込む。敵兵である可能性も捨てきれないため、リックベイはUDより渡された武器に手をかけていた。

 

 拳銃を突きつけるも、中にいたのは物言わぬ骸であった。

 

 ブルブラッドの汚染で死亡した操主であろう、ほとんど砂と入り混じった姿にリックベイは暫しの間、絶句していた。

 

 ――これがヒトの末路か。これが人間の、最後の姿だとでも言うのか。

 

 救いなどなく、ただ戦地に駆り出され、意味も分からないままに死んでいく。

 

 成れの果てだ、とリックベイはこぼしていた。

 

 これはこの星に棲む全ての人間の最果て。このような姿にまで堕ちてようやく、自分達の過ちを知る。

 

 その時、不意に《コボルト》が飛翔した。慌てて通信に吹き込む。

 

「何があった?」

 

『……リックベイ・サカグチ少佐。流れ弾の来ない場所に隠れていて欲しい』

 

 険しいUDの声音に平時ではない事を悟る。

 

「何かが来ているのか? 旧ゾル国か? それともアンヘルの別働隊でも?」

 

『この反応と識別コード……間違いない。このような場所で合間見えるとは。やはり、俺と貴様は! 戦う運命にあった!』

 

《コボルト》が弾かれたように飛んでいく空の向こう側に現れた影に、リックベイは絶句する。

 

「モリビト……だと」

 

 見間違えようのない。新型のモリビトが飛翔高度を保っていた。《コボルト》が鯉口を切って相手へと肉迫する。

 

 敵も気づいたのだろう。盾より引き抜いた剣で応戦した。リバウンドのスパークが激しく散る。

 

『ここで会ったが百年目だな! モリビト!』

 

 猛り狂ったその声音にリックベイは言葉を失う。隠れていろと言われた。恐らくは戦うのに邪魔だからだろう。

 

 だが、このような戦い、黙って見ていろというのか。指をくわえてこの戦いを看過しろと。

 

 そのような事、出来るはずもなかった。

 

「UD! やめろ! ここで戦うべきではない!」

 

『少佐、あなたは黙って見ていればいい。俺が! 報復の刃を向けるだけなのだから!』

 

《コボルト》の剣筋がモリビトを断ち割ろうとする。その一閃を相手は掻い潜り、突きを見舞ってきた。《コボルト》は後退しながらリバウンドのガトリングで牽制する。

 

 敵機は上方へと逃げ、銃撃で応戦してきた。波間が弾け、海上を疾走する《コボルト》が上空へと一気に跳ね上がった。

 

「……ファントムか」

 

 それほどの操縦技術、並大抵では身につくまい。血反吐を吐いても鍛え抜いたはずだ。それほどまでの研鑽を、ただモリビトを倒す事にのみ向けた男。

 

 無論、その在り方を否定は出来ない。しかし悲しいとリックベイは拳を握り締めた。

 

 タカフミは大切なものを手に入れた。決して欠けてはならないピースを見つけ出した。この終末の世界で、輝かしいものを見出した。自分の目と、自分の手で。

 

 だが片や彼のように大切なものを全て失い、復讐にのみかける悪鬼を自分は生み出してしまった。最早、この世への未練はないだろう。戦う事にだけ特化した戦闘機械。人機と何も大差はない。

 

「……やめろ、UD。やめてくれ! こんな戦いを君は……」

 

 吼え立てたUDが戦闘本能を剥き出しにしてモリビトへと刀で叩きのめそうとする。その一撃をモリビトが受け止め、返す刀を浴びせた。半身になった《コボルト》が拳でモリビトの胸元を叩く。姿勢を崩したモリビトへと振りかぶった剣が一刀両断の輝きを宿した。

 

『斬り捨てる!』

 

 打ち下ろした刃はしかし、何も捉えない。敵機は瞬時に後退していた。相手もファントムを会得しているのだ。

 

『いいさ、それくらいのほうが……! 斬り甲斐があるというもの!』

 

 最早、UDは戦いにしか己を見出せない完全なる狂戦士。その声を一つ聞くたびに胸が痛む。

 

「頼む……UD……。もう、やめてくれ……」

 

 リックベイは骨が浮くほど拳を握り締める。ここまでの悔恨、人生で味わった事はなかった。

 

 自分の罪だ。だからこそ、これを拭い去るべく動くのが人間である。

 

 ふと、ナナツーを視野に入れた。

 

 骨董品だが、ともすれば、とキャノピーを強制解除する。開けたコックピットに居座る亡者に合掌し、彼を解放してやった。

 

 砂のようになっていた操主はリックベイが座った途端に霧散する。この汚染地獄でずっと骸を晒すよりかは、自分に預けてくれたのだと今は前向きに考えた。

 

 操縦桿を握り、リックベイは人機の血塊炉にスターターをかける。

 

「動いて……くれよ」

 

 血塊炉が正常作動し、ナナツーのスペックデータが浮かび上がる。

 

「ナナツー参式か。飛翔機能はついているな。まだ二サイクル前の機体だ」

 

 血塊炉が稼動し、眠りについていたナナツー参式が産声を上げる。全身に染み渡っていく血脈を確認し、リックベイは装備されている武装を目にしていた。

 

「ブレードと残弾僅かのアサルトライフル……、それでも、ないよりかはマシか」

 

 戦闘空域を睨む。UDとモリビトが激しく鍔迫り合いを繰り広げていた。

 

「……UD、君はここまで地獄を見てきたはず。これ以上、地獄に生きる事はないんだ」

 

 だから、というわけでもない。そこまで傲慢に考えたわけではないのだ。しかし、救いがあるのならば、彼を救済するのは自分しかいない。罪の十字架を与えたのは自分だからだ。

 

「贖えるのならば……その罪を、わたしが……」

 

 


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