『……しつこいな』
何度かこちらとの交戦を打ち切って《ゴフェル》へと向かおうとする《イクシオンベータ》を林檎は決して自分の距離からは離さなかった。
Rトマホーク一本でも、と敵へと間断のない攻撃を見舞う。
「しつこさは……折り紙つきでね!」
敵の鉤爪とこちらの斧が干渉し合う。スパーク光が弾ける視野で敵の通信が入っていた。
『貴様らは……どこまで度し難い抵抗を続ける? この世界は既にレギオンと……我々アムニスのものだ。……もう変わりようがない。世界はこう動くべくして……動いている』
その言葉に反論が出来なかった。自分も半分は分かっているのだ。
ここまで抵抗したところで無意味。世界を変えるなんて大それた事、出来るわけがないと。
最初ならばまだ息巻けた。だが、もう自信は失われていた。自分一人で変えられるのか? 何も変えられず時代の波に取りこぼされるのがおちではないのか。
沈黙した林檎に蜜柑が声を返す。
「しっかりして! 林檎! ミィ達ブルブラッドキャリアの理念は、その程度では折れないって言って!」
いつもは弱気な蜜柑が声を張り上げている。その理由が分からずに林檎はアームレイカーを握る手の力を緩めていた。
「……何でそんな必死に……」
「林檎?」
『……もらった』
敵の鉤爪が《イドラオルガノン》の胸元へと入る。引き裂かれた形の機体から青い血が迸った。注意色に塗り固められるステータスを目にしながら、林檎は虚脱していた。
何のために戦うのか。誰のために戦えばいいのか。
リードマンは鉄菜の強さは心がない事だと言っていた。それを探し求める事だと。
だが自分には心の在り処程度分かる。そんなものに迷っていれば真っ先に戦場で足元をすくわれる。
だというのに、どうして鉄菜は強くって自分は弱い?
どうして、こんな事に甘んじなければならないのだ。
仰け反った《イドラオルガノン》へと敵人機が鉤爪の粒子束を収束させる。一本のレイピアの剣と化したその一閃が横腹に入り、血塊炉へと重大なエラーを発生させた。
「コスモブルブラッドエンジンが……! 林檎! 《イドラオルガノン》の……ウィザードなんでしょ! 早く!」
「……ボクは」
何も考えられない。何かに向かうための指標が持てない。どこへ向かうべきなのか。何を掲げるべきなのか分からない。
『モリビト……因果はここでお終いにする』
粒子の散弾が至近で弾けかける。もう駄目だ、と林檎は目を瞑った。
その時である。
《イクシオンベータ》を実体弾が打ち据えた。不意に開いた通信に林檎は目を見開く。
『モリビトの操主! 無事か?』
「ラヴァーズの……援護?」
戦慄く視界の中、林檎はナナツーやバーゴイルがこちらへと援護射撃を見舞っているのを視界に入れた。《イクシオンベータ》が袖口からのリバウンドを拡散させ、盾として用いる。
『ラヴァーズの抵抗か……。だが、無駄だ……』
《イクシオンベータ》が飛翔し、ラヴァーズの艦へと乗り移る。うろたえたナナツーを一閃が引き裂いた。猪突したバーゴイルを両断する。
その一撃に迷いはない。
いくつもの命が、目の前で詰まれていく。自分は何も出来ない。何か出来る気がしない。
「……林檎。どうして? 今までは戦ってこられた! どうしてなの!」
「……分からないんだよ、ボクだって。やれるはずなんだ、出来るはずなんだ、だって言うのに……! 身体がまるで鉛みたいに重くってさ……」
鉤爪がまたラヴァーズの人機を破壊する。それを見ていられないと思ったのは蜜柑のほうなのだろう。
彼女は声を詰まらせていた。
「……じゃあ、いい。ミィが行く」
「……蜜柑?」
「《イドラオルガノン》のウィザード権限を移行。ガンナー、蜜柑・ミキタカによるオペレーションを実行」
蜜柑がコンソールに打ち込んでいく命令に林檎は面を上げていた。
「何を……何をやっているんだ、蜜柑!」
「林檎が出来ないなら、ミィがやらなくっちゃ……だって、ミィ達は……《モリビトイドラオルガノンカーディガン》の……執行者でしょう?」
「それは……」
口ごもった林檎に蜜柑は最後の命令を施行する。
「出来ないならミィがやる。それしか……ないんなら」
引き金だけ握っていたはずの蜜柑へと、コックピット内部の機構が変形し、簡素ながら操縦桿が当てられる。足元の照準補正用のキーは廃され、フットペダルが出現した。
「蜜柑……でもキミじゃ……」
「やるしか……ないじゃない。だって誰も! 死んで欲しくないもの! 《モリビトイドラオルガノン》! 蜜柑・ミキタカ!」
雄叫びを上げた蜜柑が《イドラオルガノン》の操縦系統を指揮し、機体が跳ね上がった。どこかおっかなびっくりの《イドラオルガノン》が甲板を蹴ってラヴァーズの甲板へと跳躍する。
こちらへと振り向いた《イクシオンベータ》は照り輝く炎と青い血を浴びていた。ゴーグル型の表情のない容貌に、蜜柑は睨み据える。
『……先ほどまでと気配が変わった。そういえば複座の人機であったな。……もう一人か』
「来なさい……。《イドラオルガノン》は負けない」
『気丈な台詞だ。……聞いていて涙が出るほどの。……乙女が、銃を握ってこちらへと、その小動物のような眼で睨んでいる……、そのようなイメージを持てる』
「負けない……、負けたくない。――負けられないんだぁっ!」
加速した《イドラオルガノン》は林檎の目からしても愚策だ。どう考えても周りが見えていない。
ただ闇雲に突っ込むだけでは敵の武装の餌食となる。
「蜜柑! 操縦系統の指揮をボクに戻せ! 八つ裂きにされるぞ!」
『その見方……正しいと言っておく』
鉤爪が発振し《イドラオルガノン》のRトマホークを肘から掻っ捌いていた。格闘武器を失った《イドラオルガノン》が格納していた銃火器で応戦しようとするのを、敵のリバウンドの腕が頭を掴んだ事で制されてしまう。
電磁場が放出され、アームレイカーが痺れた。コックピットは、今やプラズマ磁場の中心地だ。
「このままじゃ……焼き殺される」
『その恐怖も正しい。……ひき潰す。《イクシオンベータ》、貫くぞ』
もう一方の腕から発振されるリバウンド粒子が一本へと収束し、その太刀筋が血塊炉を引き裂いていた。メイン血塊炉ダウンのポップアップ警告が赤く明滅する。
「終わった……」
絶望的な呟きに敵が声を被せる。
『そのようだな。悪足掻きしなければこのまま、操主だけは生かしておいてやろう。……これは慈悲だ。天使の……な』
「慈悲……? 慈悲だって? そんなものが欲しくって……ミィ達は戦っているんじゃない!」
吼え立てた蜜柑が全天候周モニターの一角を叩く。モニターが切り替わり、蜜柑の下操主席が後方へと格納された。
「まさか……、蜜柑」
直後、《イドラオルガノン》を覆っていた鎧が引き剥がされていく。甲羅部分に位置していた灰色の拡張武装に血脈が宿った。青い血潮を滾らせて、光を乱反射する装甲板が捲れ上がる。それは《イドラオルガノン》の切り札。用意されていた「複座式の人機として」の追加武装であり、もう一機の――。
『第二の血塊炉反応……? この照合データは……モリビトだと!』
『そう、これこそがミィ達の切り札……』
装甲が裏返り、内側に収納されていたマニピュレーターが出現する。頭部に位置する単眼が赤い光を灯した。
《イドラオルガノンカーディガン》より剥がれた機体が飛翔する。灰色の機体に蜜柑は搭乗していた。
「……《イドラオルガノンジェミニ》……」
その名前を紡いだ途端、《イドラオルガノンジェミニ》が炸薬を用いて《イクシオンベータ》を眩惑する。
『まさかもう一機隠されていようとは、な……。だが無意味だ』
敵の肩口よりリバウンドの外套が引き出される。その堅牢さは《ナインライヴス》のRランチャーを弾いた事からも明らかだ。
しかし、《イドラオルガノンジェミニ》は敵の防御皮膜へと手を伸ばす。
その機体から黄金の燐光が発せられた。
『エクステンドチャージ……、まさか! どうしてそれを……』
『この機体は! 純正血塊炉が使用されている! だから使える、モリビトの真の力を!』
機体の袖口が敵機のリバウンドの外套を中和し、その内側へとミサイルが埋め込まれた腕を肉迫させる。
『こんな事で……こんな事で、アムニスが敗北するはずが……!』
『ミィ達は負けない……負けちゃいけないんだ!』
アンチブルブラッドのミサイルがゼロ距離で発射され《イクシオンベータ》が大きく損傷する。その機体へと矢継ぎ早にリバウンド兵装が火を噴いていた。
誘爆した機体が噴煙に包まれていく。
『我々は……天使であるというのに……!』
『墜ちろぉっ!』
爆発が連鎖し、《イクシオンベータ》は完全に葬り去られていた。逃げようとした敵の頭部コックピットを《イドラオルガノンジェミニ》が掴み取る。
『逃がすわけ……ないでしょう』
『離せ! ここで死ねば、計画に歪みが……』
『全ての不条理を正すために、ミィ達は存在している! だったら、自分の手を汚すくらいは!』
掴んだコックピットに亀裂が走る。叫び声が木霊する中、銃口が当てられた。
『……撃つと……貴様らのエゴで! 世界の平和的な循環を乱すと言うのか!』
『世界の平和なんて、ミィ達はどうだっていい! ここで――勝つ!』
発射されたリバウンド兵装が敵のコックピットを撃ち抜いていた。林檎は完全に圧倒されたまま、言葉を継ぐ事も出来ない。
蜜柑が自らの意思で、隠し武装であった《イドラオルガノンジェミニ》の封印を説いた。それだけでも充分に衝撃であった。
「……蜜柑」
通信網にすすり泣く声が漏れ聞こえる。蜜柑は自ら選択した。
――ならば、自分は?
自分は何に成るというのだろう。どうしたいと言うのだろうか。
「ボクは……結局どっちつかずで……」
呻いた林檎は項垂れるしかなかった。