ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯256 存在の集約

「《ナインライヴスピューパ》のエネルギー能率を鑑みれば、この損耗程度、痛くはない……はずだ」

 

 どこか自信なさげなタキザワに桃は言い放っていた。

 

「相棒がいなくって不安なんですか」

 

 その言葉振りにタキザワは苦笑する。

 

「正直、ね。ゴロウはいつの間にか自分の欠けてはならない一部になっていた。いい話し相手でもあったからね」

 

「……でも、元は敵ですよ」

 

 元老院。この星を回していた陰のフィクサー。それと対等に話せていたのだからタキザワはフラットな目線を持っていたのだろう。彼はどこか所在なく声にする。

 

「……彼らの気持ちも、分からないでもないんだ。自分達が支配していたつもりの星で、勝手な狼藉を働かれて、その挙句に追放……言ってしまえば僕らと似たようなものだ。因果応報とでも言えば、それで済むんだろうけれどさ」

 

 自分は、欠いてはならないものを欠いたまま、ずっと戦い続けている。この六年間もそうだ。彩芽を永遠に失い、鉄菜を探し続けた。その日々は心を磨耗させるのには充分であった。

 

「……操主として、戦い抜けるのならそれでいいんです。戦うに足る理由もあれば」

 

「何か言いたげだね。鉄菜の事が心配かい?」

 

「そりゃ……! そうでしょう。だってクロは……人一倍脆いから」

 

「脆い、か。それは鉄菜を近くで見てきた君だからこそ出る言葉だろう。六年間の隔たりを感じさせないのも君がよくやっているからだと思うよ」

 

「……何ですか、急に褒めて。何も出ませんよ」

 

 返答にタキザワは笑う。

 

「そうだね、こんな事を、している場合でもないのかもしれない。今すぐに鉄菜を助けに行って、アンヘルも壊滅させる。それくらいの気概があればいいんだが」

 

「まるでないみたいな言い草ですね」

 

《ナインライヴス》の整備データを端末に読み込ませながら、タキザワは顔を翳らせた。

 

「……正直、分からなくなる時がある。本当にこれで正しいのか。この道で自分達の理想に辿り着けるのか。靄がかかったみたいに、分からなくなる時が」

 

「意外ですね。タキザワ技術主任はそういうの、気にしないと思っていました」

 

「僕だって人間だよ。いや、本隊の言い方を借りるのならば造られた人間、か」

 

 笑い話に出来ないのは、桃も自分の遺伝子が別の形で息づいているのを知っているからだ。自分達は優秀な遺伝子を掻き集めて造られた人造人間達。誰もが同じ穴のムジナだと分かった今、《ゴフェル》のクルー達は独自の判断が求められる事だろう。

 

 これまでのように流されて戦うのではない。本当の意味で覚悟して戦うために。

 

「……気にするものでもないと思いますよ。だって、自分の生まれなんていい加減なものですし」

 

「そうだね。生まれた瞬間を記録する事は出来ても、記憶する事は出来ない。客観によってのみ、自分がこの世に生を受けた実感を得られるものだ。……頭では分かっている。割り切れる理論もあるさ。ただ、突きつけられるとしんどいな、というだけの話」

 

 しかし鉄菜はそれらを分かっても前に進んでいる。彼女は造られたという十字架を一番に背負っているはずだ。造られた存在、人機と似たようなもの。いつ殺戮機械になってもおかしくはない、という恐怖――。六年前に聞いた彼女のルーツは今でも鮮明に思い出せる。

 

 鉄菜がそこまで苦しんでいるなんて傍目では分からなかった。それでも、一番に辛いのは鉄菜のはずなのだ。

 

「クロは……失いながら進んでいるんだと思います。だってあの子は不器用だから。失って、切り捨てて、その先にしか未来を描けないんですよ。それでも、クロは前を向いている。一度だって振り返る事はない。どれほどの後悔に苛まれても、どれほど苦難が待ち構えていても、クロは一度だって歩みを止める事も、ましてや後退なんてする事はなかった。だから眩しいんだと思うんです。だって、クロは……」

 

「一人だが、独りではない、か。強いな、彼女は」

 

 言葉尻を引き継いだタキザワに桃は微笑む。

 

「分かっているじゃないですか」

 

「僕だってデータ人間だとは思われたくないからね。感情はある」

 

《ナインライヴス》のコックピットに繋いでいた端子を引き抜き、タキザワは数値を参照した。

 

「四枚羽根によるウエポンマウントシステムと防御皮膜は健在、地上でも使えるだろう。問題なのはどのような戦闘に巻き込まれるのか、まるで予測不可能という点だ。敵はこちらの位置を捕捉出来る。有り体に言ってしまえば、上から爆弾を落とされればお終いだっていう事」

 

「分かりやすくっていいじゃないですか。敵は絶対に来る。それさえ分かっていれば」

 

 どれだけでも対応策はある。拳を固めた桃にタキザワはフッと笑みを浮かべた。

 

「……何ですか?」

 

「いや、君だって強い。鉄菜とどっこいか、それ以上に」

 

「……馬鹿にしています?」

 

「いや、褒めているよ」

 

 コックピットから離れたタキザワは不意に湧いた怒声に目線を振り向けた。メカニックと林檎が言い争いをしている。桃も身を乗り出していた。

 

「あの子、また……!」

 

「桃、あまり君の手を煩わせるものでもない。僕が見に行こう」

 

「……言っておきますけれど、林檎は簡単に屁理屈で納得する子じゃないですよ」

 

「重々承知だとも。君だってそうじゃないか。屁理屈では納得しない」

 

 そう結んでタキザワは《イドラオルガノン》のほうへと歩み寄っていった。桃はリニアシートに体重を預け、ふと息をつく。

 

 事ここに至るまでほとんど休みなんてなかった。今は、敵の動きを見つつも少しばかりは休める事に感謝するしかない。

 

「……クロ。どうか無事でいて」

 

 天井を仰ぎ、桃は呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、《イドラオルガノン》はまだやれるって言ってるんだ!」

 

「無茶を言わないでくれ! 大分損耗している。後方支援に徹するべきだ」

 

 メカニックの言葉に林檎は食ってかかっていた。冗談ではない。せっかく強くなった《イドラオルガノン》が後ろに下がれというのか。

 

 承服しかねて林檎は言いやる。

 

「せっかくのセカンドステージ案だろ! 何のために重くしたと思っているんだ!」

 

「……それもある。《イドラオルガノンカーディガン》は防御に優れているとは言え、敵の弾幕を一点にもらって大丈夫なほど堅牢でもない。ウィザードとガンナーの息が合わなければ一番に難しいモリビトなんだ」

 

「合っているだろ! 何を今さら……!」

 

 噛み付きかけた林檎を歩み寄ってきたタキザワが制する。

 

「双方、落ち着いて。何があった?」

 

 メカニックは困惑顔でタキザワに説明する。

 

「《イドラオルガノン》のダメージは深刻なんです。それに、ウィザードとガンナーの同調率が……」

 

 端末を目にして示し合わされるのが一番に苛立つ。林檎は手を払っていた。

 

「勝てばいいんだろ! ……勝てるさ!」

 

「いや、林檎・ミキタカ。一度落ち着いたほうがいい。今、ラヴァーズの援護が期待出来るからこそ、モリビトの戦力は温存しておくべきだ」

 

「そんな及び腰……ボク達らしくないだろ!」

 

 叫んだ林檎にタキザワは冷静な声を差し挟む。

 

「それでも、この状態で出せば格好の的だ。モリビトは一機でも欠いてはならない戦力。今の《ゴフェル》がどういう状況なのか、分からないわけじゃないだろう?」

 

「《ゴフェル》がどうこうじゃない! ボクのモリビトだ! ボクが判断する!」

 

 林檎の言い分にタキザワは辟易しているようであった。

 

「……勘違いをしないでもらいたい。モリビトは貴重な戦力。個人のものではない」

 

 どうして大人達はこうも冷静でいられる。それもこれも、皆が実戦に赴く自分達の苦労なんて理解しようとも思っていないからだ。

 

 誰もが身勝手でいい加減。林檎はそのような状況に飽き飽きしていた。

 

「だったらさ! どうして強化したんだ! 強化しなけりゃ、いい話じゃんか!」

 

「物事はそう簡単じゃない。ブルブラッドの爆弾を抑止するためには《イドラオルガノンカーディガン》の投入は必須であったし、何よりも《モリビトルナティック》落着阻止という大きなミッションでもあった。これまで以上に、モリビトの執行者には慎重な行動が求められるはずだ」

 

「何それ……。まるで今のボクがまともじゃないみたいに」

 

「冷静な判断力を欠いている。少し頭を冷やしたほうがいい」

 

 林檎は怒りをそのままに吐き出した。

 

「ふざけるな! ボクはモリビトの、執行者だ!」

 

「そうだと言うのならば、もっと謙虚に振舞う事だ。《ゴフェル》に来る事を望んだ以上、少しの軋轢だって許されない」

 

「……あの旧式みたいに、従順でいろって言うの?」

 

 林檎の脳裏に浮かんだのは鉄菜の後ろ姿であった。いつだって自分なんて相手にしていないあの背中。冷徹な眼差し。どれもこれも癇に障る。

 

「鉄菜は関係がないはずだ」

 

「関係がない? 本当にそう思っているんだとすれば、キミ達おめでたいよ。《モリビトシンス》に乗っているからって、何が! 機体の性能で勝っているだけだ!」

 

 タキザワは返す言葉を失ったようであった。その通りであろう。《モリビトシンス》、あの機体が優れているから、自分達より上に立てている。それだけのはずだ。

 

「……そう思っているのならば、僕はもう言う事はない」

 

 急速に興味をなくしたかのようにタキザワが踵を返す。メカニックも淡々と整備に戻った。この空間の中で自分だけが燻っている。その感覚に林檎は羞恥の念で顔が真っ赤になる。

 

「……何だよ、ボクが怒っているのが馬鹿馬鹿しいみたいに……何なんだよ、みんなして! そんなに旧式が好きなら、あいつにだけこびへつらえばいいだろ! 知らないよ!」

 

 身を翻そうとした林檎の背中を呼び止めた声があった。コックピットより這い出た蜜柑の眼差しに林檎は目を背ける。

 

「……林檎」

 

「なに、蜜柑。同情でもしてくれるって言うの? ……何もかも要らない。憐憫も、何もかも! みんな、大ッ嫌いだ!」

 

 駆け出した林檎の背に蜜柑の声がかかる。自分以外の誰もが敵になった気分だった。この世で信じるべきものが一つもない。

 

 艦内を走り抜けた林檎は静かに息をついていた。強化された心肺機能がちょっとした運動ならばすぐに回復を約束する。それほどまでに優れているのに、どうして哀れみなど受けなければならないのか。

 

 自分が引っ張れるだけの資格を持っているはずなのだ。だというのに……何もかも見えない。

 

「ボクは……この《ゴフェル》に居場所なんて……」

 

 そう口にした時、扉から人影が出てきた。覚えず視線を合わせる。

 

 白衣を纏った男に林檎は警戒を浮かべた。

 

「リードマン……」

 

「久しいね。林檎・ミキタカ」

 

「何? ……嗤おうっての?」

 

「いや、たまたまだ。何かあったのかい?」

 

 説明する気も起きず、林檎は沈黙を是とする。リードマンは嘆息をついた。

 

「トラブルメーカーだな。だが、鉄菜もそうであった」

 

「あの旧式と比べないでよ」

 

「そうか? だが君達のほうが最新の血続だ。組織の生み出した人造血続計画。その最たるもののはず」

 

「……そうだよ、そのはずなんだ。だって言うのに、どうして誰も彼も、鉄菜、鉄菜って……。そんなに旧式がいいのか」

 

「僕は鉄菜の担当官だ」

 

 だから自分の味方にはなれない、とでも言うのか。それならばそれで構わない。

 

「味方なんて、期待していないよ」

 

「誤解をしないでもらいたい。鉄菜のいなくなった六年間、僕は君達二人の副教育係でもあった」

 

 そうだ。リードマンは桃のバックアップとして自分達の教育を買って出ていたはず。

 

「……ボクと旧式の、差って何?」

 

 思わず尋ねていた。自分と鉄菜の差なんてないはずだ。性能以外では完全に別個体。だというのに何故勝てない。

 

 リードマンは逡巡の後に応じていた。

 

「鉄菜は、心がない……と本人は思っている」

 

「心? そんなの単純じゃん。自分が自分であるという自信。それさえあれば心なんてどうとでも……」

 

「だが彼女はそれを追い求め続けている。どこまでも、ね。愚直にも見えるその行動原理こそが、鉄菜・ノヴァリスという血続の特徴だ。他の血続や操主では見られなかった、彼女自身のルーツなんだ」

 

「ルーツ……。でも、そんなの! 心がないって言うんなら、ボクらのほうが優れているはず! そんな事で思い悩まない!」

 

 断言した口調にリードマンは首肯する。

 

「そう、君達はその程度では思い悩まない。性能に変調は挟まないだろう。それほどまでに、さしたる意味もない事なんだ。どこに心があるかなんて。そもそも自我の発生自体、心の証明に他ならないのだが……彼女はそれが分からない。自分を衝き動かすのが自分自身から発生した動機なのか、それとも誰かより授けられたものなのか、その線引きが出来ないんだ。それが鉄菜という少女の全てでもある」

 

「……まどろっこしいな。ハッキリ言いなよ。そんなちょっとした差じゃないだろ? 性能面! 感情制御面! 他諸々、違うはずだ! 旧式には何を施した!」

 

 何か、特別な措置でも施されているはずだ。そうでなければ自分が負けるはずがない。

 

 しかしリードマンは頭を振った。

 

「何も。キミに施されていない処置を鉄菜にはされていないし、鉄菜は完全に何世代か遅れた血続だ。君が旧式と呼んでも差し支えないほどの」

 

 絶句する。では、鉄菜には何も特別な措置がないとでも言うのか。ただの型落ちの血続だと。

 

「……そんなはずはない。じゃあ何で! 何でみんなあれに縋る? どうしてあれに頼るんだ! ボクと蜜柑のほうがやれるのが分かっていて、あんな事を言うってのか!」

 

「そう、性能だけで言えば、鉄菜はどうという事はない。君達二人には絶対に勝てないだろう。しかし、彼女には経験がある」

 

「経験……それが埋めようのない差だって?」

 

 しかし操主としての経験値など、性能差で埋められるはずだ。そうでなければ何のための最新の血続か。

 

「君は誤解しているようだが、戦闘の経験じゃない。彼女は世界に触れた。あらゆる人々の営みに、この六年間触れてきたはずだ。星では何が起こっているのか、何が正義とされ何が悪だと断罪されるのか。どれほどの不条理が目の前に佇んでいるのか。それらを全て、理解した上で、彼女は超えようとしている。この世界の是非を問うのに、自分が相応しいかどうかをきっちり見定めるだけの眼。それが備わっている。だからこそ、鉄菜は強い。鉄菜は眩しい。《ゴフェル》にいる誰もが思っている事だろう。鉄菜が自分達を導く、北極星のような存在なのだという事を」

 

 戦闘経験値ではない、別種の部分で鉄菜のほうが優れていると言うのか。そのようなもの、と林檎は拳を握り締める。

 

「そんなもの……吹けば飛ぶような代物じゃないか! そんな事で、ボクと蜜柑が軽く見られているとでも? そんなものだけで?」

 

「……もう一つ、誤解しているようだ。《ゴフェル》の皆は君達二人を軽く見てなどいない。尊重すべき操主だと思っているはずだ」

 

「嘘だ! そんなもの、嘘に決まっている! だって、誰も必要としていないじゃないか。誰も、……ボクらを褒めてくれないじゃないか」

 

 鉄菜がいなければそれが決定的な欠落のように振る舞うのに、自分達がいなくても誰も問題はないだろう。

 

 それが分かる。予見出来る。だからこそ、こうも胸が苦しい。

 

「……林檎・ミキタカ。もう一度だけ、考え直すといい。本当に君達二人が、ただ単に戦うためだけに生み出されたのかどうかという事を。本隊は確かにそうとしか考えていなかったのかもしれない。だが、ここは《ゴフェル》。希望の舟だ。その舟で、単純に戦闘力だけが追い求められているとは、思えないがね」

 

 リードマンの言葉に何も言い返せない。当然だ。鉄菜の強さは戦闘能力ではないのだと思い知ってしまった。だからこそ、何も言えない。自分の抗弁がどこまでも幼いのだと理解出来てしまう。

 

 それでも、自分が示したいのは――。

 

「ボクは……」

 

 そこで不意に《ゴフェル》が激震した。明滅する廊下の照明にリードマンが天井を仰ぐ。

 

「……来たか」

 

『熱源関知! こちらへと高熱源が放射されました! 《ゴフェル》はこれより第一種戦闘配置に移行! ニナイ艦長の指示を待って反撃に打って出ます! 繰り返す……。第一種戦闘配置! 執行者はモリビトへと急行してください!』

 

 敵が来る。その予感に身が震えた。

 

 敵が来れば自分の強さを示せる。自分の有用性を、再びこの舟に突きつけられる。

 

「……戦わなくっちゃ」

 

 駆け出しかけたその背中にリードマンが呼び止める。

 

「答えは出たのかい?」

 

「……分からないよ。まだ。でも、ボクはモリビトの執行者だ。ここで逃げ出すわけにはいかない。戦いで埋められるのなら、何もかもを背負ってやる!」

 

 向かったのは格納デッキである。駆け出したその胸の中はしかし、まだ晴れない焦燥に駆られていた。

 

 ――どうすればいいのか。何も分かっていない。

 

 それでも今は一手でも前に進め。戦いでしか鉄菜を追い越せないのならば、それで示すしかない。

 

「……だってそうだろ。ボクは、《モリビトイドラオルガノン》の操主なんだから」

 

 


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