救命ポッドが生物の吐息さえもない海上を突っ切っていく。
機体を捨てた。その事実よりもペネムを支配していたのは、古代人機程度に遅れを取ったという敗北であった。
拳を震わせ、全天候周モニターを叩き据える。
「馬鹿な! ……敗北したと言うのか。アムニスの序列六位……この鉄腕のペネムが!」
ブルブラッドキャリアのモリビトや他の人機相手に敗退したのならばまだ言い訳も立つ。だがよりにもよって自然現象に等しい古代人機に撤退を与えられたなど恥辱でしかない。
「《モリビトシンス》……古代人機の援護さえなければあのような機体……今頃破壊し尽くしていたのに……!」
どれほどの言葉を言い繕っても、負け犬の遠吠えには違いない。ペネムは敗退した時のための通信回線へと接続していた。
「……申し訳ありません。渡良瀬様。このペネム……敗北いたしました」
『こちらでもモニターしている。《イクシオンデルタ》……何度も製造出来ると思うな』
「ですが次こそは……! あのモリビトを血祭りにあげてご覧にいれましょう!」
『ペネム。いい加減な事を言う天使は必要ない』
冷徹に切り捨てられた声音にペネムは慌てて声を吹き込む。
「ライジングファントムは有効でした! 勝てる要素はあったのです! みすみす……!」
『勝てる要素はあった、か。まさかそれほどまでに堕ちていたとは思うまい。いいか? 勝てたかもしれない、などという不確定要素は我々には必要ないのだ』
熱源反応にペネムは眼前へと視線を向ける。
こちらへと高出力R兵装を向けている《イクシオンアルファ》にペネムは目を戦慄かせた。
「お許しを! 次こそは必ずこのペネム、勝利を! 勝利の栄光を……!」
『遣えない天使を使役するほど、神に暇はない。よく知っているはずですよ、ペネム。……いや、序列六位では知りようもない、か』
「貴様……シェムハザ! 貴様とて一度敗北したはずだ! 立場は同じだろうに!」
『言葉を慎みなさい。序列三位の御前です』
「ならばその砲門を退けろ! 《イクシオンデルタ》の性能を一番に引き出せるのはこのペネムだ! 渡良瀬様! この不埒者に、言い聞かせてやってください!」
『残念だが……さよならのようだ、ペネム。なに、君の経験は引き継がれるさ。次の天使に』
「嫌だ……、渡良瀬様!」
声を響かせたペネムへと高出力リバウンド兵装が照準される。
『聞き分けのない天使には仕置きが必要。分かり切っているでしょうに。ここまでなんですよ。ペネム、いや、最早その名前すら惜しい。人造強化兵576番』
「その名前で呼ぶな! シェムハザァッ!」
救命ポッドを無慈悲なリバウンドの光が覆い尽くし、直後にはその証明すらこの地上から消し去られていた。
最後の記憶野に焼き付いたのは怒りであった。白熱化した怒りが動機ネットワークに蓄積され、ペネムの最後の仕事を終えさせた。
「怒り……。面白いものを置き土産にしましたね、ペネム」
『同期ネットワークにおいて感情は有意義な選択肢だ。シェムハザ、全員に同期させろ』
「御意に」
シェムハザの脳内ネットワークを基盤として全天使にペネムの最期が告げられた。
だが誰も残念であったとも、惜しい存在を亡くしたとも言わない。ただ事実を反芻するのみだ。
『古代人機による戦闘記録? ……奇妙なログを残したのね』
返して来たのは今も渡良瀬と共にいるはずのアルマロスだ。戦場に出てこない天使など、とシェムハザは皮肉を返す。
「気になりますか? 前線に出ないのに」
『出ないのではなく、出る必要がないのよ。その辺分からないみたいね、シェムハザ』
どこか人を食ったような態度が気に食わない。それでもシェムハザは冷静に事の次第を分析していた。
「……どう思います? 渡良瀬。古代人機が通常人機を破壊するなど」
『あり得ない、と言ってもよかったが、あまりに断言し過ぎても仕方がないだろう。これはそういう現実であった、と受け止めるべきだ』
『しかし、古代人機ねぇ……。こっちには関係のない事象で』
そうこぼしたのは序列一位のメタトロンである。彼は宇宙でのブルブラッドキャリアへの対応のための作戦展開中のはずであった。
シェムハザは油断出来ないと感じる。
メタトロンは実力面でも、機体の性能でも自分を上回る天使。ちょっとした態度の違いでさえも機敏に反射する。
「宇宙には……古代人機は上がってこないですから。それよりもブルブラッドキャリアの舟はどこに落ちたんで?」
周囲には艦影は見当たらない。とすれば《モリビトシンス》と《ゴフェル》は完全な別行動だと判断すべきだ。
『合流を見誤ったか。あるいは別の目算があるのか。いずれにせよ、我々アムニスの仕事は変わらない』
「見敵必殺。分かっていますよ。《ゴフェル》を発見次第、駆逐します」
しかし、とシェムハザは同期ネットワークにあえて流さなかったぺネムの戦闘記録を別の端末に転送していた。
映像が投射される中、いくつかの事象が気にかかる。
「……古代人機にこちらの装甲を腐食させるほどの性能はないはずだ。だというのにこのザマ……ただ単にペネムが愚かであったとだけで断ずるのは惜しい……」
何か別の要因が働いたと見るべきである。そうでなければペネムとてこのような醜態を晒すものか。アムニスで少しでもその地位に乱れが生じればすぐさま上と下は入れ替わる。代わりはいくらでもいるのだ。
「《モリビトシンス》を性能面では僅かに圧倒していた。それなのに、直前の戦闘ではほとんど損耗した様子もない。古代人機には我々ほどの領域でも未知の性能が隠されていると思うべきか」
それとも、《モリビトシンス》に古代人機が呼応した可能性もある。あの人機は通常のそれを遥かに上回る性能を誇っているからだ。
思い返すだけでぞっとする。
《モリビトルナティック》を砕いてみせたあの大剣。赤熱化したリバウンドの刃。
「《クリオネルディバイダー》……。あんなただの武器一個で《モリビトシン》があそこまで強化されたというのか……。あり得ないと言ってもいいが、可能性世界の話は捨て切れない。何よりも直に目で見たのだから否定も出来ませんね……。これまで以上に用心しなければ如何に我らとて……」
敗れるかもしれない。その可能性は飲み込んでおいた。