『随分と痩せたな』
第一声に、いえ、と声を振り絞った。
「元からです。プラス三キロになりました」
システマチックに報告する瑞葉に対し、そうか、と通信回線越しの上官が目線を伏せた。
――あの時、消したつもりの命。どうして目の前にいる、という疑念が露になっている。
『事、ここに至るまでの経緯を話してもらえると、こちらは助かる』
「はい。わたしは海上で謎の敵性人機と交戦。その結果、《ブルーロンド》試作機は大破、《ブルーロンド》小隊は全滅しました」
全滅。その言葉が自分の胸にのしかかってくる。無数の命の声が己の中から身体を食い破ってきそうなほどだ。
『そこまではモニターしていた。そこから一週間の経緯を知りたい』
「はっ。一週間、わたしは無人島で大破した《ブルーロンド》と共に生き延びました。辛うじて生命維持に必要な物資とエネルギーは揃っていたので、《ブルーロンド》の上で餓死する事はありませんでした。その後、救難信号を察知したC連合の船舶で保護。今に至ります」
『そう、か。大変であったな』
本当は何故生きている、となじりたいのがありありと伝わる。C連合などに保護されて恥を知れ、だろうか。どちらにせよ、今は上官を前にして、瑞葉の下す結論は一つであった。
「上官殿。わたしに、提言があります」
『何だね? 生き残ったんだ、ある程度の便宜は――』
「あなたを告発します」
あまりに突拍子もない事柄に思えたのだろう。上官の頬が引きつった。
『何だって?』
「聞こえなかったのならばもう一度。上官殿、あの場における判断の未熟さを我々に棚上げし、あまつさえ危険対象となっている不明人機と交戦させた事、不手際と判定し、あなたを軍事裁判にかける、と言っているのです」
上官が拳を握り締め、僅かに耐えているのが分かった。無理もない。戦闘機械だと思っていた相手から告発などという言葉が出れば誰しも穏やかではないだろう。
『こちらを軍法会議にかけるだと? 馬鹿な、そのような事、まかり通るわけがない。こちらは責任者だ。君達強化兵を管理する側だ。その管理者を自ら切る、というのかね』
やはりしらを切るつもりか。瑞葉は僅かな逡巡の後、口にしていた。
「恐れながら、あなたはわたし達強化兵の名前をご存知でしたか? 散っていった仲間達の、番号ではない名前を、知っていましたか?」
それだけ聞き出したかった。だが、返ってきたのは予想通りの返答である。
『番号ではない名前? 何を言っている。強化兵34号、取り消せ。その発言は上官への侮辱に抵触する』
そうか、と自分の中の何かが崩れた。この男には自分達はただの強化兵。人間を改造した忌むべき存在にしか映っていない。そのような存在をどう使おうと自分の腹次第。結局は使い捨ての駒に等しいのだと。
「残念です、上官殿」
『待て、強化兵34号。君は何を勘違いしている? 生き残ったんだ。何も恥ずべき事じゃない。何が不満か? 身分か? それとも兵として与えられる戦場か? 新型が欲しいのならばあてがうくらいの事は――』
「上官殿。あなたがそのような言葉でわたし達を愚弄している間に、わたし達は全滅したのです。分かりますか? 死んだんですよ、わたしの仲間達は」
諭すような口調に飽き飽きしたのだろう。上官が拳を固めて机を叩いた。
『いい加減にしろ! 殺戮人形風情が何を……。感情でさえも、精神点滴でどうにかなる肉人形共が……! 取り消せ! 人間への侮蔑だ!』
「わたし達も、人間です」
『貴様らが人間だと……笑わせる! 貴様らは人間などでない。使い捨てのゴミ、いいや、屑だ! そこいらに転がっている塵芥と同じだ! それを有効活用してやろうと言っているのに、人間様の温情が分からんか!』
この男の声を聞き続けるのも最早、意味がないだろう。ここまで本国高官と兵士との違いを見せ付けられれば、もう迷うまい。
「上官殿。わたしを保護してくださったC連合の下士官の方々は、あなたよりも随分と、人間らしかったですよ」
『C連合に脳髄まで犯されたか! 貴様のような女のカタチしているだけの存在など、どれだけでも替えがある! いいか? 最善を模索されて造られた器でありながら、最善を逸脱するなど、あり得ない!』
「それが最善ではなかっただけの事です。シンプルな答えがあるだけ」
上官を通信回線越しに捕らえたのは自分の報告が通ったSP達だ。彼らが両脇を固め、上官を机から引き剥がす。
『待て、どういう事だ! 強化兵の管理者は自分に一任されて……』
『もう、あなたには用済み、という事です』
SPの非情なる宣告に上官は首を項垂れさせた。上官よりもさらに上の人間が判断したのだとようやく理解したらしい。
しかし、瑞葉を睨み上げるその眼差しは忌々しいものが宿っていた。
『強化兵34号! 呪われろ! 貴様のような殺す事しか知らぬ殺人兵器に、人間らしい明日などないのだからな!』
「残念なのはお互い様です。上官。あなたは最善をわたし達に与えてくれているのだと、信じていたのに」
畢竟、己の価値観は殺戮機械のそれであった。
運び出される上官の背中を通信回線越しに見やりつつ、その回線が切り替わったのを認識した。
『……これで満足かね?』
髭面の上官は自分の新しい飼い主だ。今日からは彼が「教官」である。
「ええ、モリサワ教官。わたしのような下士官の言い分を聞いてくださって感謝します」
モリサワはいいや、と頭を振る。
『今まで随分と使い潰されてきた部門だ。強化人間の部門は新設され、君の仲間の尊い犠牲も無駄にはならないだろう。本日付けで、強化兵サンプル34号を改め、瑞葉兵長と呼称させてもらう。それで異存はないか』
「ありません。わたしは、今も昔も、本国のために」
――嘘だ。
初めてついた嘘はほろ苦く、口中に混じる。これが感情の味。これが人間らしさの感覚。今まで脊髄に直接投与されてきた精神点滴の後遺症はあるものの、瑞葉は今まで選び取ってきた最善ではない道を模索しつつあった。
今までの「最適」は与えられてきたものであった。だが、これからは違う。
自分の手で「最適」を選び、それを享受する。
ようやく芽生えた意識の片鱗を、瑞葉はまだ呼ぶ名前を知らない。だが、この感情の名前が知れる頃には、きっと、通信越しのこの男でさえも用済みであろう。
自分の目指すのは、この国を動かすトップ。
――元首の命をこの手に。
枯葉や死んでいった仲間達に報いるのにはこれしかない。死者を弔うのに適した言葉を知らない自分は、一つの国を転覆させる事でしか、彼女らの魂を幸福に天国へと押し上げる方法を知らないのだ。
『君達、人造兵士部門――正式名称、人造血続部門を解体し、瑞葉兵長、君を新たな計画の先導者に加え、これからはより、我が国が勝利出来る戦術を編み出そう。それが君達、散っていった仲間達に報いる事の出来る唯一の手向けだ』
はっ、と踵を揃え挙手敬礼する。
だが、本心では反逆の牙を剥いていた。
これまでのように使い潰されて堪るか。
自分がこの国を踏み台にするのだ。
その野心が胸の中で燃えている。使われるのではない。とことんまで、使い潰してやる。
ブルーガーデンという国家を全て吸い尽くし、骨の髄に至るまで搾り出した後、ゴミのように捨ててやろう。
それこそが、自分の出来る「手向け」だ。
瑞葉は口角を僅かに緩めた。
『……瑞葉兵長、何故笑う?』
笑みが漏れていたのか、瑞葉は表情を引き締めて言いやる。
「生き残った感慨でしょうか。自分でも分かりません」
『そう、か。精神点滴の後遺症かもしれんな。今まで通り、精神点滴を行いつつ、君達のメンテナンスは完璧にしよう。約束するよ』
人のいい笑みで取り繕ったモリサワへと、瑞葉は偽りの笑顔で応じていた。