ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯249 悪魔の取引

 定期通信が途切れて三時間半。

 

 その間、何もしなかったわけではない。ゴロウが《クリオネルディバイダー》側からもたらされる最新の情報を同期していたが、惑星圏の情報は既に統制されており、その情報も六時間以上のロスがある、という結果に終わっていた。

 

「六時間……、それほどの時間差があれば根回しも容易いだろう」

 

『作戦が成功したとしても、我々の側に喝采はないだろうな。栄光は全て、アンヘルが持ち逃げしたわけだ』

 

 苦々しい思いを噛み締めた鉄菜はアームレイカーを握っていた。エクステンドディバイダーからの脱却にはそれだけで三十分を要した。元の状態に血塊炉を戻せたのはつい一時間前だ。

 

 それまで内蔵血塊炉は平時の半分以下の供給量であった。

 

「……これがエクステンドディバイダーの功罪か。使えばしっぺ返しが来る」

 

 ようやく《モリビトシンス》が通常時の機動性能に落ち着いた事に安堵しつつも、これではまるで戦いの最中では使えないな、と判断を下さざるを得なかった。

 

『乱戦では難しい、というのがそちらの判断か」

 

 ゴロウの問いかけに鉄菜は頷く。

 

「こんなもの、使う暇があるとは思えない。今回は大質量兵器の破壊という大雑把な任務だからこそ役に立った。動き回る敵には撃てないだろうな」

 

『でも、クロナ。これが一度使えれば改善策だって」

 

 前向きな言葉を口にする瑞葉であったが、鉄菜はそれが容易くはない事を熟知していた。

 

「《ゴフェル》にデータを持ち帰れなければ改善も何もない。茉莉花の頭脳が必要になってくる」

 

 それに、と鉄菜は随分と離れた月面を視野に入れていた。

 

「月面を拠点に置く事を念頭にした装備だ。もし、《ゴフェル》が帰ってこられなければ……」

 

 最悪の想定に瑞葉が返す。

 

『定期通信が途切れて三時間……。何かあったと思うしかない」

 

 せめて、轟沈だけはよしてくれと考えていた。自分のいないところで仲間達が死んだなど、どれほど恨んでも恨み切れない。

 

『ランデブーポイントまで残り三十秒」

 

 ゴロウのルート開示に鉄菜は暗礁宙域を見据えていた。

 

 やはりと言うべきか。合流地点には《ゴフェル》の船体は存在しない。それどころか、デブリの浮遊する周囲に嫌でも最悪の事態を駆り立てられる。

 

「……戦闘の痕跡だ。アンヘルの一個小隊レベルとの交戦が見られる。どれがどの機体のデブリなのかは分からないが……」

 

 レーザーが索敵した一部の破片に鉄菜はブルブラッドキャリアのマーキングを発見する。まさか、と息を呑んで接近すると《イドラオルガノン》の使っているRトマホークの部品であった。

 

「……《イドラオルガノン》の部品を確認」

 

 その声の調子があまりにも絶望的であったからか、瑞葉はフォローする。

 

『まだ……墜ちたと決まったわけじゃ』

 

「いや、墜ちたにせよ、そうでないにせよ、《イドラオルガノン》が欠損するほどのダメージを負った。その時点で、もう下策に転がっていると思ったほうがいい」

 

 しかし、惑星に《モリビトルナティック》が落着した、という報告はない。

 

 阻止作戦までは上手くいっていたと仮定して、その後の作戦展開に支障が発生したと思うべきだろう。

 

 歯噛みした鉄菜は不意に湧いた熱源警告に面を上げた。

 

 視線の先で首を巡らせていたのは複座のバーゴイルである。外周警護のバーゴイルが宙域を探索している、という事実に鉄菜は息を殺してデブリの陰に隠れた。

 

 相手が熱源関知センサーを使っていれば意味のない行動であったが、宙域内の汚染濃度を計測して瞠目する。

 

「汚染領域……七十パーセント以上だと? これでは地上と変わらない」

 

 ブルブラッド汚染が拡大しているという事は爆弾が使用されたのだろう。問題なのは、これほどの汚染の中、生き残った人間がいるのかどうか。

 

《ゴフェル》が周囲にいないという事はこの宙域を離脱しているはず。しかしランデブーポイントに位置していない以上、何かあったと思うしかない。

 

 異常は複座のバーゴイルが見回していることからしても明らか。ブルブラッドキャリア側の勝利だけで終わった戦場ではないのだろう。

 

 デブリを鬱陶しそうに払うバーゴイルに鉄菜は息を詰めていた。

 

「アンヘルの送り狼だと判断するか」

 

『クロナ。前向きに考えるのなら、相手は《ゴフェル》を見失った。だから痕跡を探そうとしているんじゃないだろうか。ここに戻ってくると相手も仮定して』

 

『だとすれば、ここでバーゴイルをやり過ごすのは間違いではないが……発見されるとアンヘルが大挙として押し寄せる。それくらいは』

 

「ああ、理解しているとも。そう考えれば、ここで行うべきは一つだ」

 

 鉄菜はフットペダルを踏み込み、《クリオネルディバイダー》の補助推進も手伝って銀色の軌道を描く。

 

《モリビトシンス》は機動力が持ち味のはずのバーゴイルの背後へと、瞬時に接近した。相手が接近警告を聞いた時にはその背筋に刃が突きつけられている。

 

「動くな。通信を放っても殺す。何か少しでも動きがあれば迷いなく墜とす」

 

 こちらのオープン回線に相手はうろたえているようであった。

 

『な、何でモリビトが……? もうブルブラッドキャリアなんていないからって後始末を頼まれてきたって言うのに……』

 

「それは災難だったな。ブルブラッドキャリアの艦はどうなった?」

 

『し、知るかよぉ! 俺達はゾル国の駐在軍に所属しているんだ! アンヘルの動きなんて分かるわけ……』

 

「分からずして、ただ闇雲に宙域を漂っていたにしては迂闊だぞ。複座のバーゴイルなんて目的は残存兵の策敵か、あるいは殲滅に限られている」

 

 つまり相手の言った通りの後始末――ここに《モリビトシンス》が帰ってくる事を見越しての行動のはずなのだ。

 

 敵操主は息を詰めた様子であった。Rシェルソードがいつでもバーゴイルを叩き割れるように位置する。

 

『……黙っていても好転はしなさそうだな。知っている限りでいいのならば』

 

「ああ。話せ」

 

『……ブルブラッドキャリアの艦はダメージを負って……地上に逃げ延びたんだと聞いていた。アンヘルが上手い事交渉を持ちかけたんだと、俺達は作戦前に聞かされている。こちらの展開部隊があまりにも消耗したから、俺らは調査の名目で出されたんだ。爆弾の起爆する様子を、目に焼き付けたからな。ブルブラッド汚染がどれほどに深刻なのかを計るのも兼ねている』

 

「その調査だけにしては、武装している理由を聞かせてもらえるか。プレッシャーライフルを装備しているのは探索だけにしては重いはずだ」

 

『信じてくれ! 本当に調査が第一なんだ! ブルブラッドの爆弾……あれの破壊領域は上でさえも関知し切れていない! だから、アンヘルの足をすくうのならば今だって……お歴々からのお達しで……』

 

 ある意味では上層部の足の引っ張りあいに巻き込まれた形か。旧ゾル国連はC連邦の一強を面白く思ってはいないはず。

 

『鉄菜、恐らくこれは本音だろう。このバーゴイルはそれしか教えられていない。アンヘルの手の者ではないと分かった以上、この宙域にこいつを縛り付けておくと枝をつけられるぞ』

 

 こちらの首を絞めるような真似はしない。鉄菜はバーゴイルから少しずつ離脱していく。充分な距離を取ったところで、相手が機体を反転させた。

 

『タダでは帰れるかよ! 馬鹿野郎が!」

 

 プレッシャーライフルを相手が手にする前に、Rシェルソードが可変し、ライフルモードの銃撃が敵の頭部コックピットを射抜いた。

 

 頭部から黒煙を棚引かせつつ、複座のバーゴイルがデブリと共に流れていく。

 

「一機だけだな。囮でもない」

 

 反応を確かめていたが、伏兵の可能性は薄くなった。裏で糸を引いている人間がいるかもしれないが今は仕掛けては来ないのだろう。

 

『モリビトを釣ろうとするにしてはあまりに迂闊だ。恐らく調査名目というのも嘘ではなかったのだろう。ただ、餌と行き遭った不幸だけだ』

 

 ゴロウの声音に鉄菜は虹の皮膜に包まれた罪の星を見下ろす。

 

 単騎で降りられるかどうかのシミュレーションはゴロウが担当してくれるだろう。問題なのは瑞葉であった。

 

「瑞葉、お前はここまでついてくる事はない。月までは送り届ける。少し待ってくれれば無事に地上にも。だから、ここで――」

 

『嫌だ。クロナ、わたしを軽く見てもらっては困る。ここまで来たんだ。最後まで同行させて欲しい』

 

 だが、これより先は撤退戦になる可能性も高い。六年前の戦いは真に覚悟した者達だけの戦場であった。あのような場所に瑞葉を置きたくはないのだ。

 

「……月に残った者達もいる。不満はないはずだ」

 

『それでも。わたしはクロナと共にいたい。そのつもりで《クリオネルディバイダー》に乗っているんだ』

 

 彼女もまた覚悟してここにいる。その心根を侮辱する事は出来ない。

 

「……分かった。だが地上は以前までより更なる地獄に染まっているだろう。これまでの戦いの比ではない危険性が伴う」

 

『鉄菜。どれだけ説いたところで無駄だ。彼女もまた戦士なのだから』

 

 ゴロウが分かった風な事を言う。そんな事は百も承知だ。

 

「分かっている。……分かっているから辛いんだ」

 

《モリビトシンス》の降下予測を立てる。《ゴフェル》と狙って合流する事は難しいだろう。それでも、自分は罪なる星に赴かなくてはならない。

 

 月面という安息の地はあった。だがそれも結局は地上の罪をそそがなくてはどうしようもない事。

 

 ブルブラッドキャリア本隊との軋轢もある。月面に残れば生き延びられるという保証もない。

 

 だが今、自分と共に地上に降りることのほうがよっぽどだろう。過酷な道をいつだって瑞葉は選び取ってきた。それは彼女の人生の矜持そのものだ。その鋼鉄のような矜持を崩す事は自分には出来ない。

 

「ミズハ。《モリビトシンス》で降下ルートに入る。ゴロウが試算してくれるだろうが、大気圏突破直後に何かしらの襲撃はあるかもしれない。覚悟してくれ」

 

『分かった。……クロナ』

 

「何だ?」

 

『ありがとう。わたしは……まだ役に立てている』

 

 そのような事、礼として言葉にするまでも、と言いかけて、否、と鉄菜は頭を振った。分かり合えているうちに言葉にしなくては意味がない事もあるのだ。

 

 それを違えれば一生、袂を分かつ事にもなりかねない。

 

「……ミズハ。私は、最低だろうか」

 

 だからか、そのような問いかけが口をついて出ていた。迷いそのものの言葉が自分の喉を震わせている。

 

『何故だ? ブルブラッドキャリアのために戦っている』

 

「しかし私は……、同時に大きなものを切り捨ててしまった。切り捨てた事にも気づけずに」

 

 月面で邂逅した燐華の声。あれがもし、本当に燐華だとすれば自分は大きな間違いを犯した事になる。

 

 それを拭い去るのにはどうすればいいのか、今はまだ分からなかった。

 

 だからこそ、他人に尋ねるなんて事を仕出かす。

 

 今まで全ての決定権は自分で持ってきた。自分だけが最後の引き金を引けるのだと思い込んでいた。だがそれは驕りだ。

 

 引き金を引く覚悟を棚上げしてきただけで、結局のところ、本当に手詰まりになってしまえば何も出来ない。何も証明を刻めない。

 

 この世に生きていた意味さえもまかり間違ってしまいそうで――。

 

 瑞葉は静かにその迷いの胸中に語りかけていた。

 

『分からない。……だがわたしは救われた。あのままではアンヘルによって処刑されていただろう。ここに生きているわたしは、クロナのお陰なんだ。もっと誇りを持って欲しい。勝手な押し付けかもしれないが』

 

 勝手などではない。瑞葉は実行出来た。自分の考える事、目指す場所に自分から飛び込んできたのだ。

 

 だから彼女には勇気がある。

 

 自分は……まだ踏ん切りがつかない。とっくの昔に清算したと思っていた事象を前に足踏みをしている。

 

 ――こんなところで燻っている場合ではない。

 

 今はただ、そう決めた拳を振るうだけだ。

 

「……《モリビトシンス》。鉄菜・ノヴァリス。これより惑星圏内に入る。ゴロウ、サポートをよろしく頼む。私だけでは無理だからな」

 

『了解した。……鉄菜。余計な助言かもしれないが君は生きているうちにそれに気づけている。充分だと思うが』

 

 元老院として、生ける死体であった自分を顧みているのだろうか。ゴロウの言葉は胸の中に重く沈殿した。

 

 ――心の在り処を未だに知れぬ空虚の身体。人造細工の欠陥品。

 

 そう断じてはいても、鉄菜は背負っているものまで偽物だとは思いたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降りた、という報告を受けて渡良瀬は笑みを刻む。ゾル国駐在ステーションにて一機の複座バーゴイルの撃墜が確認されて数分。鉛を呑んだような静寂が管制室を包み込んでいる。

 

 無理もない。ブルブラッドキャリアを排斥したと思い込んでいる上からすればとんだ凶報だろう。生き残っていたモリビトには質量兵器を三割がた破壊せしめる装備が施されている、というだけで。

 

 この低軌道ステーションも落とされかねない。その事実に管制室に佇む司令官はどこか緊張気味であった。恐々と部下へと尋ねている。

 

「モリビトは……」

 

「確認不能です。しかし複座のバーゴイルのシグナルが消失した時点で……」

 

「こちらに……来るかもしれないのか」

 

 ぐっと唾を飲み下した司令官は格好の獲物であった。渡良瀬は声を差し挟む。

 

「モリビトを退けるだけの兵力、欲しくはありませんか?」

 

「ミスター渡良瀬。その手腕、聞き及んでいる。ドクトルタチバナの右腕であった、という経歴。それだけでも誉れ高い。どうだろうか。モリビトは……来るのだろうか……」

 

 恐怖に支配された人間の精神ほどつけ込みやすいものはない。渡良瀬はわざと返答を鈍らせた。

 

「どうでしょうかね。来るかもしれないですし、来ないかもしれない」

 

「言葉を弄している場合では……! 敵は衛星兵器規模の攻撃力を有していると……! そちらの情報であったはずだ」

 

 情報漏洩は罪に問われるだろうが自分達アムニスはレギオンの命令系統を一時的に介さない情報処理が可能になっている。

 

 脳内リンクによって知り得たモリビトの新武装の映像を出力し、レギオンのバベルをわざと外して旧ゾル国連へとその映像はもたらされていた。

 

 片腕に装着された盾が赤熱化し、黄金の刃が質量兵器の背筋を両断せんと迫る。

 

 巨大なリバウンドの剣はそれだけでも圧倒される材料だろう。殊にゾル国はC連邦との情報戦に躍起だ。この新情報、飛びつかないほうがどうかしている。

 

「こんなものが……。本当に可能だというのならばモリビト……恐るべき……」

 

「ですから、我々の技術を買わないか、と提案しているのはこれもあるのです。アンヘルは購入を渋っている。今ならば、お安く提供出来ますが」

 

 無論、相手とて二枚舌は心得ているのだろう。どこか信用出来ないという眼差しを注いできた。

 

「……こちらの一存では。旧ゾル国低軌道ステーションはコミューンでさえもない」

 

「ですがこれがなければ地上の電力施設は困窮する。そういう場所のはずです、ここは。C連邦の体のいい運搬会社に成り下がる気ですか? これでは国家でさえもない」

 

 国家ではない、という一語が彼らの神経を刺激したはずだ。旧ゾル国はプライドだけは人一倍の連中の集まりである。

 

「……我々を侮辱するか」

 

「侮辱しているのはC連邦です。どうしますか? 連邦にこれ以上、二束三文で買い叩かれる通路でこれから先もやっていくか。それとも国家として! 本当の意味で外交を行えるか。分水嶺はここですよ」

 

 国家として、という部分を司令官は反芻する。そう、国家としてやっていくのならば戦力は必須のはず。

 

 C連邦とアンヘルには別口を通してあった。この状況で旧ゾル国の面子は何よりも眼前に迫ったモリビトの脅威の排除にあるはずだ。

 

 そこに蜜の味を入り混じらせる。

 

 モリビトの排除と、圧倒的軍事力の保持。それらが同時に実行出来るとなれば甘い囁きに乗らないだけの度量もなし。

 

 据え膳を食わぬほど牙を抜かれたわけでもあるまい。

 

「……いくらで実行出来るのだね?」

 

 この場において密約が交わされるとあってもゾル国の命令系統は既に腐り切っている。上司の勝手を密告するほどの考えなしもいないだろう。

 

「簡単な手続きで可能です。お支払いはまた後日」

 

「……偉くなったものだ。ドクトルタチバナの腰巾着が」

 

 そう言い返すだけしか出来ないだろう。それでも充分だと自分でも知らない間に線を引いているはず。

 

 ゾル国はこの時、超えてはならぬラインを超えた。

 

 その瞬間の愉悦に渡良瀬は口角を吊り上げる。

 

「《イクシオンガンマ》。モリビトの追撃に入れ」

 

『了解』

 

 もたらされた復誦に管制室が固唾を呑む。

 

「なんと……、まだ手持ちがあったのか」

 

「当然でしょう? 下々を見下ろす天使は思っているよりも数多い。人と交わりたいと思っている者達はね」

 

「……さしずめ堕天使か」

 

「いいえ。我々こそが、能天使。世界を見張る監視者そのものなのです」

 

 実際にその一部と繋がっているなど彼らは想像も出来ないだろう。世界を末端まで繋いでみせるネットワークの存在。

 

 バベルという絶対者の眼など。

 

 渡良瀬は司令官の肩を叩き、耳元で囁いていた。

 

「いい買い物をなさいましたよ。あなた達は」

 

 


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