ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯248 消えゆく日々に

 

 まさか本当に回収してくるとは、とアンヘルの構成員達は物珍しそうに爆弾を眺めていた。

 

 高濃度ブルブラッド汚染の可能性が高いために全員が防護服に身を包んでいたが、それでも血続で固められたアンヘルの兵士の中には操主服のみの者もいる。

 

「あれが……ブルブラッド重量子爆弾」

 

 呟いたヘイルに補足が成された。

 

「ゴルゴダ、の名前で通っています」

 

 そう口にしたのは線の細い兵士であった。軍人とは思えないほどの涼しげな眼差し。流した紫色の髪が広告塔のような容貌を整えている。

 

「……第一小隊の」

 

「メタトロンと申します」

 

 差し出された手にヘイルはわざと無視を貫いた。

 

「あの爆弾、誤爆の可能性は?」

 

 メタトロンは芝居めかした動きで肩を竦める。

 

「あり得ませんよ。受信機がないですから」

 

「受信機……人機の頭、か」

 

「元々無人の機体です。頭部コックピットを受信機として用いた新たなる武器。歴史が塗り替わりますよ」

 

 どこか自分の手柄のように話すメタトロンにヘイルは目線を流していた。

 

「……だがあんなもの、あっていいのか。ただの純粋な……破壊兵器じゃないか。大量殺戮の道具なんて」

 

「今さら、そんな事をアンヘルの構成員が言うとは思いませんでしたよ。あなたは思ったよりもロマンチストのようだ。我々のあだ名は」

 

「虐殺天使……。分かっていても違うんだよ」

 

 そう、違うのだ。今までは何も考えなくともよかった。隊長が全ての泥を肩代わりしてくれた。全ての罰を受け持ってくれた。

 

 しかし、その隊長はもういない。そうなってしまえば自分と燐華だけの第三小隊、どれほどに無力なのかは前回の戦闘で思い知った。

 

 誰も罪を肩代わりしてくれない戦場。そのような場所では、あまりにも燐華は脆い。あのような少女に今まで自分は言いがかりをつけ、無理を強いてきたのか、と考えると我ながら恥じ入っていた。

 

 隊長は分かっていて、何も言わなかったのだろう。

 

 燐華は戦場に赴く度に、研ぎ澄まされていく刃そのものだ。《ラーストウジャカルマ》が彼女の狂気を浮き彫りにさせている。

 

 それに比すれば自分などただの一兵士。駒に過ぎない己を顧みれば、殺戮天使のあだ名もどこか遊離して思える。

 

「俺は……言うほど人でなしになれていなかった」

 

「謙遜ですか。らしくもない」

 

「らしくもない、か……。そうなのかもな」

 

 隊長に依存していたのは何も燐華だけではなかったのだ。自分もどれほどに隊長に助けられたのか知れない。

 

 殺戮天使の謗りも、アンヘルの血の赤の矜持も全て、誰かがフィルターを通してくれていた評価。直視せずに済んでいたいくつかの事象なのだ。

 

 いざ目にすればこれほどまでに自分は弱い。燐華ほどの覚悟もなく、隊長ほどに何もかもを包み込めるほどの度量もない。

 

 中途半端な己を持て余すのが一番に厄介なのは目に見えている。

 

「思っていたよりも馬鹿だったって話だよ。第一小隊のエリートには分からないかもしれないが」

 

「アンヘルは皆、平等ですよ。いいではないですか。力こそが正義。その正義を振り翳す特権を持っている。この地上最後の、本当の意味での良心として」

 

 良心。その言葉一つでいくつの命が葬られてきたのだろう。屠るのも一つの良心だと疑わなかった。

 

 半端に生かすのならば殺したほうがマシだと、自分に言い聞かせてきた部分もある。

 

「……その良心の結晶が、あんな爆弾かよ」

 

「何を責める事が? ゴルゴダはクリーンな兵器ですよ」

 

「クリーン? 俺は宇宙で青い夜明けを見た。あんなものをクリーンと呼ぶのだとすれば……この世はもう狂っている」

 

 禁断の青の夜明け。敵の質量兵器を完全に消滅させたあの爆発が今も網膜の裏にちらつく。

 

 あんなものをもし、地上で起爆させられればどうなるか。地表は青い地獄に染まり、毒の大気がこれまで以上に人々を苦しめるだろう。

 

 そのような簡単な想像力でさえも欠如していたのが今までの自分だ。それを責める人間がいなかったのもあるが。

 

 隊長を失って初めて、自分で考える意義を持てた。頭を使って戦場を歩み進む、という理性がなければ燐華はすぐに彼岸へと行ってしまう。隊長は分かっていたのだろうか。

 

 燐華がそれほどまでに危うい場所にいる事を。自分達の中で最も、狂気に染まりやすいという事実を。

 

「……分かりませんね。あなたのパーソナルデータを閲覧しても、別段変わった兵士というわけでもない。それこそ、普通のアンヘルの兵士です。メンタルチェックでも、フィジカルチェックでも一度も引っかかっていない。兵士としては理想なほどです。何を迷うんですか? ゴルゴダは福音ですよ」

 

「福音? 生憎俺は、何もかも上の言う事を聞いていられるほど……」

 

 馬鹿ではない、つもりか。あるいは愚かではないとも。

 

 しかし、そんな事、今まで考えすらしてこなかったではないか。放棄して来た選択肢を突きつけられて賢しくなった気でいるなど。

 

「……愚者は惑うものです。賢者も然り。ですがどちらでもない……凡人の域ならば、迷う事も、ましてや考える事も少なくって済む。胸を張っていい。あなたは凡人ですよ」

 

 どこまでも他人を食ったような物言いに以前ならば噛み付いていただろう。しかし、今は彼を相手取っている事さえも惜しい。

 

 横合いを抜けていくヘイルの背にメタトロンが声をかける。

 

「女の事なんて! 戦場で気にすれば負けですよ」

 

 それくらいは分かっている。分かっているつもりであった。それでも、とヘイルは抗弁を発していた。

 

「何も考えずに引き金だけ引いてりゃいいんだったら、操主なんて要らないだろ」

 

 言い置いてヘイルは格納デッキへと向かっていた。別のブロックに収容された《ラーストウジャカルマ》へと急ごしらえではあったが、改修処理が施されている。それを指揮する人物へとヘイルは近づいていた。

 

「ヘイル中尉。爆弾を見てきたんだろ」

 

 こちらに気づいた様子の相手にヘイルは目を背ける。

 

「ええ、まぁ……」

 

「硬くなるなって。おれのほうがここでは新参だ」

 

 朗らかに応じてみせる相手の名をヘイルは口にしていた。

 

「その……アイザワ大尉。どうしてあいつに……ヒイラギにこの機体を。大尉ほどの権限持ちなら、わざわざ対等な勝負に持ち込まなくたって……」

 

《ラーストウジャカルマ》を渡さずに済んだのに。そのような女々しい悔恨に彼は顎に手を添えて考え込んでいた。

 

「何でって……おれも馬鹿だからさ。少佐……リックベイ・サカグチの背中をずっと追ってきたせいか、分かるんだよ。覚悟を持って戦っている奴っていうのが」

 

「覚悟、ですか……。しかし、ヒイラギは准尉です」

 

「随分と心配しているみたいだな。まぁ、お前みたいな上官がいたんならあのヒイラギ准尉も安泰か」

 

 ――違う、とヘイルは骨が浮くほど拳を握り締める。

 

 自分は理想の上官どころか、相手を陥れようとしていた。死んでもいいとまで思っていたのだ。

 

 今さら虫のいい事に相手の事を慮れるような立場ではない。

 

「……自分は、そんなによく出来た人間じゃありませんよ」

 

「みんなそんなもんだろ。よく出来た上官なんてそうそういない。ただ、誰か一人の眼にそう映ったのなら、それでいいんだ。何も多数の前で善人であれとまでは言わない」

 

 眩しいほどのタカフミの評にヘイルは覚えず面を伏せていた。今まで自分が燐華に抱き続けていた嫉妬が情けない。

 

 彼女を死地へと追い込んだ。戻れない場所まで追い詰めてしまった。

 

「……ヒイラギは」

 

「医務室に。ハイアルファーの負荷を確かめているみたいだな」

 

 ハイアルファー、という言葉を紡いだタカフミの眼差しは僅かに嫌悪に染まっていた。

 

「……失礼ながら六年前の殲滅戦を生き抜いた大尉にお聞きしたい事が。ハイアルファー人機とはどのようなものなのですか」

 

 その質問にタカフミは一拍置いてから応じていた。

 

「……ハイアルファー人機。学科で学んだはずだろう」

 

「それ以上の事を、現場の見地で聞きたいのです」

 

 人の精神を苗床にする禁断の兵装だと、そのような表面だけの話ではない。もっと具体的な部分に踏み込みたかった。

 

 これ以上《ラーストウジャカルマ》に乗り続ければ燐華はどうなってしまうのか。

 

 タカフミは慎重に言葉を選んでいる様子であった。

 

「……非人道的な兵器。国家間でも使用を控えるべきだという調印が成されたほどの。だが、おれが見た限りでは、そういうお偉いさんの決めた部分を遥かに超えている。あれは悪魔の兵装だ」

 

「悪魔の……」

 

「人の精神を蝕み、その負の部分を増長させて人間を……人ではない人でなしに仕立て上げてしまう最悪の兵器。おれは昔、こいつに呑まれかけていた操主を見た事がある」

 

 確認されている限りではハイアルファーは三つだけのはずだ。六年前に失われた【ライフ・エラーズ】。現存する【ベイルハルコン】。そして完全にその出所も、どこに封印されたのかも知れない禁忌である【バアル・ゼブル】――。

 

 情報の上ではその特性を知っていても、実際の戦場で猛威を振るったものを目にしたのは一つだけだ。

 

 憎しみと憤怒で機体の追従性を上げる【ベイルハルコン】。赤く染まった眼窩で敵を睨んだ《ラーストウジャカルマ》の姿は鮮烈に記憶に刻まれている。

 

「それは……」

 

 この機体のかつての操主なのか。そう聞きそびれたヘイルにタカフミは言いやる。

 

「どこまでも愚直で、どこまでも真っ直ぐで……どこまでも貧乏くじを引いちまった奴だった。でもそいつは……世界から拒絶されてもたった一個の寄る辺を見つけ出したんだ。素直に尊敬すべきだったと、今ならば思える。そいつは誰にも信用されず、誰にも信頼を置かずに戦い抜いた。殲滅戦の後、おれが零式を引き継がなかったら間違いなくそいつが後継者であっただろう」

 

 零式抜刀術の正当後継者。タカフミはリックベイより、その戦闘術を叩き込まれた教え子だったと聞く。しかし今の話し振りではまるで別にそのような人間がいたかのような……。

 

「零式を引き継げるほどの……」

 

「ああ。実力者だった。何よりも執念が段違いだったんだ。そいつは、一夜にして英雄から逆賊へと堕ちた。だからこそなんだろうな。世界を憎む事も出来たのに、そいつは世界を憎悪せずに戦いを全うした。本物の武士であったんだと、分かるまでには時間がかかり過ぎた」

 

 実力者であるはずのタカフミの経歴に残る汚点そのもののような口調に、ヘイルは《ラーストウジャカルマ》を仰いでいた。

 

 蛇腹剣の四肢をそのままに、別の武器を備え付けられようとしている。

 

「……地上用に改造するんですか」

 

「ブルブラッドキャリアの舟が地上に逃れた、っていう報告があったからな。当然、アンヘル第三小隊は追いすがりにかかる」

 

「……でも、俺達なんて。もう上は期待していないでしょう」

 

 第一小隊が出てきた時点で、お役御免の位置づけのはずだ。しかしタカフミの眼差しは死んでいなかった。

 

 むしろこれから先こそが本懐だとでも言うかのように、彼の眼の奥は燃えている。

 

「役割を見出すのは兵士の役目じゃない。だが、その役割に意味をつけられるかどうかは戦士の振る舞い次第だ。おれはそう教わった」

 

「……ですが俺達はアンヘルです」

 

 正規軍の流儀はここでは通用しない。それは錆び付いた理論だ。綺麗事で片付くのならば虐殺天使の謗りは受けない。

 

 それを分かっていないはずもないのに、タカフミの声音には諦めはなかった。

 

「アンヘルでも、精一杯足掻いてやろうじゃんか」

 

 タカフミが《ラーストウジャカルマ》の改修指示に戻る。その背中を見やりつつ、ヘイルは口走っていた。

 

「……何もかも、失ってから分かるほどに、俺達は愚かしいんだ。足掻きなんて……無駄なんだよ」

 

 そう思わないと失ったものに押し潰されそうでやっていけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通信が繋いである、という言葉に燐華は面食らっていた。

 

 まさかゾル国駐在基地にまで私信を送ってくる相手など、自分には身覚えがなかったからである。

 

 しかしその名前を紡がれ、燐華は通信を受け取っていた。

 

「先生……こんな場所まで……」

 

『やっぱり……失礼だったかな。もう立派なアンヘルの士官である君に、僕が口を差し挟むのは』

 

「いえ、先生のお陰で……、《ラーストウジャカルマ》を動かせているんです。あたし、感謝してもし切れないほどに」

 

 感極まりそうになった燐華の声にヒイラギはこちらを窺う。

 

『……その様子だと機体に呑まれてはいないようだね』

 

 ハイアルファーの禁忌は聞かされていたが、自分は戦闘時以外での精神的な病理は見受けられないという診断結果を受けていた。ハイアルファーの精神汚染は誤差の範囲内に収まっている。導き出された結論に研究者達が眉根を寄せたほどだ。

 

「あたし、【ベイルハルコン】とは相性がいいみたいで。ほとんど精神汚染も見られないって、みんなが言ってくれています。これならあたし……まだ戦える」

 

 握り締めた拳にヒイラギが残念そうに声を落とす。

 

『そう、か……』

 

「先生? あたし、また何かいけない事を言ってしまいましたか? お元気が……」

 

『いや、これは素直に受け止めるべきなんだろうね。君は、【ベイルハルコン】に選ばれた。その事実を……僕は』

 

 いつになくヒイラギの調子が不自然だ。燐華は探りを入れていた。

 

「先生、あたしの事、どう聞いているのかは分かりません。でも思ったよりうまくやれているんです。モリビトとも対等に戦えています。この力であたし、アンヘルのお役に……隊長を欠いた第三小隊の役に……」

 

 そこまで口にして燐華は嗚咽した。どうしても流れる涙を止められない。浮かび上がった感情の堰が涙の粒となって無重力を漂う。

 

『燐華。君はそこまで無理をする事はないんだ。嫌ならばアンヘルの役職を解いてもいい』

 

「そんな……! あたし、大丈夫ですから! だから先生……戦わなくっていいなんて言わないでください。もうあたしを……逃げさせないでください」

 

 懇願にヒイラギは言葉をなくしたようであった。もう自分には戦場以外の日常など望めまい。モリビトを破壊し鉄菜を――無二の親友を取り戻す。その悪夢の腕から。

 

 誓った信念のためならば命くらいは投げ打とう。それくらいの覚悟がなくって何が戦士か。何が憤怒のトウジャの使い手か。

 

 ヒイラギはしかし、こちらの言葉に比してどことなく悲観気味であった。

 

『……本当ならば君をアンヘルに入れた時点で、僕は罰せられるべきであった。エゴで君から選択肢を奪った。全てが見えているくせに、何も見えていない振りを続けていた。彼の言う通りだ。いつまで、傍観者を気取っていれば気が済むんだ、僕は。目の前の救える命に対して、いつでも他人で……』

 

「先生?」

 

『ゴメンよ。君を追い詰めたのは、僕だ。他ならぬ僕の罪なんだ』

 

「そんな! そんな事はないです! あたしが選んだんです!」

 

『いや、僕はあまりにも長い時間、この世界に諦めを抱いていた。世界なんて変えられるはずもないと、高を括って何もかもが流れるに任せるのが一番だと。それが間違いだったなんて、もう遅いのかもしれない。懺悔も、後悔も。してはいけない身分であるのは重々承知している。でも僕はもう、逃げたくはないんだ。教え子である君が前に進むというのならば、僕も覚悟を決めよう』

 

「先生? おかしな事を言わないで。先生はいつだってあたしに道を説いてくださいました。だから、そんな……自分を否定なんて――」

 

『これはケジメなんだ。百五十年の静謐を諦観の上に置いた僕自身の。贖うべき罰の証。僕は、こうも罪深かった』

 

 何を言っているのか燐華にはまるで分からなかった。ヒイラギに背負うべき罪などない。むしろ自分を導いてくれて感謝さえしているというのに。

 

「先生……? 駄目なのはあたしのほうなんです。力に酔いしれたのは、あたしの罪だから……だから……」

 

『君をそこまで追い詰めた事こそが、僕の責任なんだ。燐華……いや、クサカベさん。正しい事を成そうと思う』

 

 正しい事? 燐華は問い質す。

 

「正しい事って……それは何の罪にも問われない事ですか? 何かを踏み台にしないと何も得られないんです。この世界は、そういう風に……」

 

 出来ているのだと知ってしまった。汚れてしまったのだ。

 

 だから勝手に罪に雁字搦めにはならないで欲しい。出来得る事ならば、ヒイラギだけは綺麗なままの自分の記憶の中にいて欲しかったのだ。

 

 しかし彼は譲らなかった。

 

『僕は僕のやり方で贖うよ。クサカベさん、君が君のやり方で贖っているように』

 

 その言葉を潮にして通話が途切れた。不穏な予感に燐華は何度もコールし直したが、もう繋がる事はなかった。

 

「どうして……どうしてあたしの周りの人は、罪に囚われていくの……? 鉄菜……、助けて。にいにい様……、隊長ぉっ……!」

 

 呻いても嘆いても、眼前にあるのは現実のみ。踏み締めるべきは、現実という超え難い壁であった。

 

 


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