端末の拾い上げるデータがどれもあまりに異常なニュースばかりで、ベルは地下室で欠伸を漏らした。
眼前には自分の焼いたクッキーを頬張っているクリーチャーの姿がある。彼は自分の至らない料理をいつでも美味しそうに食べてくれていた。
「おいしい?」
クリーチャーは頷く暇も惜しいほどにクッキーを貪る。ベルは座り込んだまま、言葉を口にしていた。
「……ねぇ、クリーチャーさん。星が落ちてくるんだって。よく分かんないよね」
ベルのこぼした言葉にクリーチャーが動きを止める。何か、彼の過去に関わる事であったのだろうか。ベルは苔むした地下室を見やり、水気を帯びた天井を仰いだ。
「だって、そんなの関係がないじゃない。あたしは、そんなので世界が終わっちゃうんなら、終わっちゃえって思う。……いけない子なのかな」
クリーチャーの反応を窺う。彼は黄金の瞳でこちらを見据えている。
その感情の赴く先がベルには自然と分かるようになっていた。彼との時間が長いお陰か、語らずとも本懐は伝わる。
「そう、よね……。いけない子よね。でも、お父様もお母様も、……セバスチャンも、みぃーんな、いなくなっちゃえって思っちゃう時があるの。とっても罪深いわ。でも、そういう事を考えている時、胸がドキドキして止まらない。あなたと会っている時と同じよ、クリーチャーさん」
物語の始まりを予感した。その胸の高鳴りと禁断への欲求が同じなど、本来は認めてはならないのかもしれない。それでも、自分は手を伸ばした。この地下室の扉を開け放ったのだ。
禁断の扉をノックしたのは、間違いだとは思っていない。
クリーチャーが喉の奥を鳴らす。その一声だけで充分。
「……不思議よね。世界は終わりに向かっているのに、あたし、あなたといるといつまでも終わる事のない物語の中にいるみたいなの。こんな世界、なくなっちゃっても、あなたとあたしだけはいなくならない、って……変かな?」
都合のいい夢想に違いない。少女趣味を現実に持ち込んで、美談に終わった物語なんてこの世にはないのだ。
それでも、信じたかった。この黄金の怪物と一緒にいれば自分は解き放たれるのだと。
退屈な日々の牢獄から、ようやく自由になれるのだと。
クリーチャーが何か言葉を口にしようとする。耳を傾けかけて不意に劈いた悲鳴にベルは振り返っていた。
地下室の扉が開いていたのか、それともつけられていたのかは分からない。ランタンを手にした侍女が見開いた眼でクリーチャーを凝視する。
ベルは言い訳を探そうとして、それより速く空間を奔ったクリーチャーの爪に覚えず声を荒らげていた。
「殺さないでっ!」
クリーチャーの爪が静止する。侍女の首筋を掻っ切ろうとしたクリーチャーがこちらへと振り返る中、彼女は真っ直ぐに地上に向けて駆け抜けていた。その足を止める術を持たない。
すぐに屋敷の者達が包囲してくるはずだ。
逃げられない。物語の中にはもう二度と戻れないのだ。
ベルは床に落とした端末が伝えるニュースキャスターの声が妙に浮いた響きを伴わせるのを聞いていた。
『ご覧ください! これは終末の光景でしょうか? 今! まさに大質量兵器が惑星に迫りつつあります。しかし、ご安心ください。既にC連邦の精鋭部隊が宇宙に上がっており、質量兵器は静止されるとの見通しを政府が局へと提出しました。つきましてはコミューンに点在する自治体は良識ある行動を、と勧告されています! 繰り返しお伝えします。コミューンへの落着の可能性はあり得ません。よって市民の皆さまにおきましては……良識ある行動を……』
世界が終わりに向かう只中、自分の物語は虚しく崩れ落ちようとしていた。
大気圏突破用の防護フィルターでも減殺し切れないのは、リバウンドフィールドの穴を選んで落着するほどの余裕がなかったせいもある。
エクステンドチャージによって黄金に染まった《ゴフェル》が激震する。ブリッジが赤色光に染まり、《ゴフェル》は大気圏突破の配置に入っているにも関わらず、大規模なダメージを負っていた。次々に注意色から警戒色に染まるステータスが全てを物語っている。
「各員! 配置からは離れないで! 《ゴフェル》は海上に落着の予定です! 不時着時の衝撃は計算の数値内に固定! 格納部を含め、各所には冷静な対策を……」
『ニナイ。この計算式だと《ゴフェル》は三日も動けない。この状態でアムニスに攻められると……』
茉莉花の声音にブリッジのクルーが悲鳴を上げる。
「嫌だ! 死にたくない!」
頭を抱えたクルーにニナイは声を荒らげる。
「死ぬかどうかは私達次第でしょう! ブリッジは絶対に諦めちゃいけないのよ! 月で本隊に吼えた時の根性を見せなさい!」
自分でもあまりにも不条理な言葉だとは思う。月で啖呵を切った時とはまた別の脅威には違いないのだ。あの時の勇気をもう一度、などという都合のいい弁明が通用するはずもない。
重力圏に抱かれて焼け死ぬイメージの結ぶ鮮烈さに、ニナイは奥歯を噛み締めていた。
「……せっかく《モリビトルナティック》を撃墜したのに……」
悔恨が滲む中、不意に繋がれた接触回線にニナイは面を上げていた。
『……達す。ブルブラッドキャリア旗艦。重力下装備を全面に張れ』
「そちらは?」
『……ちら……、ァーズ。……サンゾウ、……位置している』
位置情報マップが受信され、茉莉花が声を張り上げた。
『これは……ラヴァーズからの安全圏のマッピングだ! 最小限の衝撃で不時着出来る可能性が高い。艦長、《ゴフェル》のシステムコンソールをラヴァーズの誘導に任せるぞ! ここはラヴァーズを信用するしかない』
茉莉花が言うのだから確かなのだろう。いずれにせよ、恐慌に駆られたブリッジを収める方法は多く見当たらない。
ニナイはブリッジに伝令する。
「ラヴァーズのガイドビーコンに従って! 不時着姿勢に入ります!」
「ですが……本当に洋上に入れるんですか……。その前に燃え尽きる恐れも……」
「今は、一分でも生き残れる可能性に賭けるのよ。今までだってそうしてきたでしょう」
そう、分の悪い賭けは今に始まった事ではない。《ゴフェル》の耐熱フィルターが次々と剥がれていく。
「第一層に到達! 持ちませんよ!」
『推進剤を使いなさい! 加速をかけてすぐにラヴァーズの誘導に乗れば……』
助かる、というのか。今は迷っている時間もない。
「加速前進! 船体の装甲を維持しつつ、そのまま落着します!」
「加速了解……。ですが……どうなったって」
そのぼやきを聞きながらもニナイは必死に身体を持ち堪えさせた。艦長である自分だけは絶対によろめいてはならないと。
『直下にラヴァーズの艦を確認! これは……人機で?』
茉莉花の言葉の真意を探る前に数機のバーゴイルが編隊を組んで《ゴフェル》へと取りついてくる。
何をするのか、と問い質す間もなく、バーゴイル数機が制動用の推進装置に火を通していた。
「バーゴイルは元々、大気圏突破も加味されている……。その機体なら、《ゴフェル》を持ち堪えさせる事も……」
だが理論上可能である事と、実際に実行するのとはわけが違う。減速に入った《ゴフェル》の衝撃波についてこられずにバーゴイル二機が吹き飛ばされた。操主は即死だろう。焼け落ちた人機にブリッジのクルーが面を伏せる。
ニナイは決して顔を背けなかった。彼らの死に目を逸らしては報いる事が出来ない。
『《ゴフェル》……熱量低下。衝撃波を最大まで減らして……このまま洋上に不時着出来る……』
茉莉花の声に着水までのカウントが表示される。ニナイは声を張り上げていた。
「総員、不時着に備えて! 衝撃波、来るわよ!」
直後、船体を激震させた揺れに席についていたクルーでさえもつんのめる。ニナイは必死に身体を安定させようとする。
着水時に舞い上がった水柱が《ゴフェル》の青い甲板を叩いていた。
衝撃波が完全に消え去ってからようやく、ラヴァーズの旗艦から通信が繋がれる。
『無事であったか』
サンゾウの声である。それを聞いて、ああまだ生きている、と実感した。
「何とか……と言ったところですね。ご協力、感謝します」
『宇宙に向かってからまさか再度合間見えるとは。これも運命なのかもしれんな』
サブモニターの茉莉花に視線をやると彼女はどこか不遜そうに腰に手を当てている。
『で? ラヴァーズがどうしてこちらの位置を?』
そう言われてみれば確かに、ラヴァーズの情報網では《ゴフェル》の位置特定など不可能のはず。返された答えは単純明快であった。
『接触してきた情報機関があった。彼らがグリフィスと名乗り、《ゴフェル》の落下予測をこちらに伝えた』
やはり、グリフィス。自分達を操っているのは何も本隊やアンヘルの者達だけではない。グリフィスという新たなしがらみが何もかもを掌握しようとしている。
その目論見にまんまとはまってしまったわけだ。
「……グリフィス……」
『借りが出来たわね。燃え尽きたっておかしくはなかった』
『必要はない。そちらに預けた運命の御子が生きているのならば』
茉莉花の事だろうか。彼女はその言葉にぷいと顔を背けていた。
『いずれにしたって、これから《ゴフェル》が地上で活動するに当たっては大きな制約が纏いつく。しばらくはお荷物になるわよ、この艦』
『構わない。……我々も貴殿らと離れた後、多くの兵を失った』
ラヴァーズに襲撃を仕掛けるような勢力がいたというのか。その事実に驚愕しつつも、ニナイは礼節を述べていた。
「……感謝します。何度も助けられて」
『いや、こちらの身勝手を貫いているのみだ。何も気負う事はない。大質量兵器の落着……それを阻止した貴殿らの勇気を称したい』
だが地上ではアンヘルの行いになっているはずだ。それに自分達はせっかく奪取した爆弾を一つ奪われている。完全な任務遂行とは言えない。
『嫌味かしらね。それとも素で? こっちは大分すり減らしたって言うのに……。艦長、一応は信号弾を合流地点に放っておいた。《モリビトシンス》が無事に合流地点まで来られれば、の話だけれど』
自分達は欠いてはならない戦力を欠いている。この状態でラヴァーズの世話になってもほとんど健闘は難しいだろう。
「……ラヴァーズ。そちらとの再度の会合を望みます」
艦長として出来る事はやっておきたい。その姿勢にサンゾウは了承を浮かべる。
『こちらも、話しておかなければならない事がある。地上はアンヘルの発言力が増して久しい。ほんの十日にも満たない別行動であったが、それでも変わったものが存在する。これより先、アンヘルに拮抗するのには必ず、弊害が発生するだろう。それをどのように除去するのか』
話し合いはお互いのために、であろう。ニナイは首肯し、通信を切っていた。
『……で? 本当に話し合いをするの?』
茉莉花の言い草は分からないでもない。共闘関係を切って宇宙に上がった手前、また都合よく手を取り合う、というのは虫が良い話だ。
「……お互いの利害のため、っていう建前があっても、それでも情報の共有化はされるべきでしょう」
『グリフィスに張られている、って分かっていても?』
それは、とニナイは言葉を濁す。今の自分達を縛っているのはアンヘルのみに非ず。アムニスという上位存在に、地上を手玉に取っていると思われる別勢力。正直な事を言うのならば、ここで一時でも留まっているような余裕はない。
しかし、桃や林檎と蜜柑は連戦続きのはず。一度、休息を取れるような兵力の余裕は持つべきだ。
「……モリビトの執行者には無理を強いている。私が矢面に立って、それで彼女らが休めるのならば」
『まぁ、確かにモリビトばかりを使うのは下策ね。かといって余裕のある兵力があるわけでもなし。ここはラヴァーズのおこぼれに預かるのも一興ではある』
セカンドステージ案もほとんど開発から実装までの期間はないに等しい。一度、改良した部分を見返すのには時間が必要なのは明白であった。
「全員のために……ラヴァーズとの共闘を結びます。異議は……」
伝令したニナイに桃が個別回線を繋ぐ。
『ニナイ。異議はないけれど、それでも一つだけ。モモ達は逃れ逃れてここまで来た。それも含めて、提案がある』
「提案?」
桃は一呼吸置いて言いやっていた。
『――もう逃げたくない』
その言葉には同意であったが、それでも逃げないという選択肢は少ないのだ。モリビトを前線に立たせるだけが能だと言いたくはない。
「……桃、言いたい事は分かるわ。逃げたくない、という意志もね。でも、現実的に考えればラヴァーズとの共闘においてモリビトを隠し玉にするのには大きなメリットが存在する。別段、彼らを隠れ蓑にしようというわけでもない。ここは温存する、という動きを見せたほうが得ではあるの」
そう、戦力の温存。今まで実行出来なかったその考えをここに来て実行させるのにはラヴァーズと手を結ぶのはちょうどいいのだ。
しかし桃は納得していないようであった。
『クロは……単騎で宇宙に残った。あの子が帰れる場所を保ってあげないと』
《ゴフェル》が今、轟沈するわけにはいかない。鉄菜がせめて合流するまでは、戦い抜かなければならない。
『桃・リップバーン。焦りは実感している。こっちもね。でも、今は鉄菜・ノヴァリスを信じてあげたら? 瑞葉とゴロウだってついている。何も単独で残ったわけじゃない。それに、《モリビトシンス》を欠いて一番に惜しいのはこっちなのよ。アンヘルの強襲に耐えられるかどうかは水物。無論、アムニスの使う新型にもね。存外、こっちのほうが危うい綱渡りをしている。心配するのならばまずは自分の事からにしたほうがいい』
他者を慮るのはいい事だが、現状を見据えるのなら無用な戦いは避けるべき。まさか茉莉花の口からそのような言葉が出るとは思わなかった。
桃はその返答に閉口する。
『……でも、モモ達は交渉道具じゃない』
『交渉道具じゃないからこそ、前に出したくはないといっているのよ。それも伝わらない?』
茉莉花の言葉振りに桃は意見を仕舞った。
『……分かった。でもニナイ。もしもの時には』
「ええ。モリビトでの迎撃は視野に入れている。それに、鉄菜の早期回収も」
そう結ぶと桃は通信を切った。嘆息をつくこちらに茉莉花が声を投げる。
『疲れてる?』
「正直、ね。でも意外……あなたの口からあんな言葉が出るなんて」
茉莉花はもっと達観しているのだと思っていた。彼女はぷいと視線を逸らす。
『……合理的な判断に任せたまでよ』
その返答にニナイはクスッと微笑んだ。存外、彼女も人間なのだ。
「ラヴァーズとの話し合いにもつれ込めただけでも御の字。せめて次の戦いまでは休みましょう」
異議はなかったのか茉莉花は通信を切る。クルー達も疲れが溜まっている事だろう。ニナイは艦内に伝令する。
「総員、第一種戦闘態勢を解除。今は少しでも休息して。次の戦いのために」
そう、全ては次の戦いで百パーセントのパフォーマンスを出すために、であった。