ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯244 相克する心

 想定速度よりも素早く、敵機は一目散に《ゴフェル》へと向かってくる。識別信号を振った相手を林檎は見据えた。

 

「《ラーストウジャカルマ》。……瑞葉が昔乗っていたって言う」

 

 鉄菜と共に今は月面で戦闘を行っているはずの瑞葉。あれも旧世代の戦闘機械のはずだ。それ以上であるはずがないのに。

 

 林檎は部屋で交わした言葉を思い返していた。彼女はどこまでも「人間」であった。強化兵であった名残などまるで感じさせない、ただの「女」……。

 

 あれも自分達とは違う。もう出遅れた代物のはずだ。だというのに、どこかあの時、部屋を出たのは負け戦のような気がしていた。

 

 自分は彼女に輝きを見ていた。それが届くはずのない、羨望のように映って……。

 

「林檎、《ラーストウジャカルマ》、速いよ。近接戦になるかも」

 

 下操主の蜜柑の言葉が考えを霧散させる。今は、ただ勝つだけだ。勝つ事だけが次への糧となる。

 

 林檎はアームレイカーに入れた両手を引き込み、フットペダルを踏み込んだ。

 

「蜜柑! 接近前にアンチブルブラッドのミサイル弾頭、張れるよね?」

 

「それは大丈夫だけれど……、相手の動き、どこか変だよ。止まる事なんて考えていないみたいに……」

 

 それはこちらも同じだ。一度でも立ち止まれば自分の至らなさに押し潰されそうになってしまう。敗走は許されない。ましてや停滞など。前進するしか出来ない身分なのだ。

 

「足踏みしている場合じゃない。ミサイル掃射後、距離を詰めて両断する!」

 

 マルチロックオンシステムが稼動し、両手両脚の鎧より放たれたミサイルと銃撃網が《ラーストウジャカルマ》を打ち据えた。そのはずであったのに。

 

「止まらない……? うそ、命中したよ! だって言うのに……!」

 

「上等ッ!」

 

 うろたえる蜜柑を他所に林檎は《イドラオルガノン》を挙動させていた。振り上げたRトマホークと敵の腕が交錯し、赤と青のスパーク光が網膜に焼きつく。

 

 開かれた接触回線に滲んだ敵意が林檎の耳朶を打った。

 

『モリビトォッ! お前らはどうして、無益な争いを生み出すんだ!』

 

「無益? それ、どの口が言う!」

 

 弾き返した一閃を翻させ、機体を横合いより寸断させようとする。その太刀筋を読んだ敵機が片腕で受け止めた。

 

 もう片方の腕が突き出される。

 

 蛇腹剣の打突が来る、と予感した身体が《イドラオルガノン》の機体を仰け反らせていた。Rトマホークの軸で蛇腹剣の勢いを受け流そうとするがその切れ味は本物であった。

 

 軸が断ち割られ、Rトマホーク一本が使い物にならなくなる。林檎はすぐさまそれを相手に向かって投擲し袖口に潜ませていた機銃を撃ち込んだ。

 

 内部に搭載されていたリバウンドジェネレーターに引火したRトマホークが眩い輝きを放つ。

 

 一時的な照明弾の役割を果たしたRトマホークを手がかりに《イドラオルガノン》は《ラーストウジャカルマ》の背後へと回り込んでいた。

 

「その首! もらったァッ!」

 

 薙ぎ払った一閃を不意に割って入った機体がプレッシャーソードで弾かせる。

 

 舌打ちと共に回線が漏れ聞こえていた。

 

『ヒイラギ! よそ見してるな! 敵は取りに来ているぞ!』

 

「助言なんて、戦場でよく吹かす!」

 

《スロウストウジャ弐式》を押し込もうとした《イドラオルガノン》へと照準警告が響き渡った。

 

 脚部を拡張させた敵人機が別の方位よりこちらへと攻撃を見舞おうとする。蜜柑が機体を流し、その一撃を回避させた。

 

「林檎! あまり接近し過ぎると危ないよ!」

 

「分かってる! 分かっているけれどこいつら! 殺し合いの場でじゃれあっているんじゃない!」

 

 袖口に隠したR兵装の機銃で《スロウストウジャ弐式》を引き剥がそうと目論むが、相手側の二機は心得たようにお互いの背を守っている。

 

 見せ付けられた信頼関係に林檎は舌打ちする。

 

「見せ付けてくれて……! 一緒に墜ちろよ!」

 

 Rトマホークを《スロウストウジャ弐式》に打ち下ろしかけて、横合いからの《ラーストウジャカルマ》の援護攻撃が本懐だと悟る。《スロウストウジャ弐式》は所詮隙を限りなくゼロにしているだけの弱者。

 

 二人ならば墜ち難いとでも思ったのか、放たれたプレッシャーライフルの光条にはどこか自信が窺えた。

 

「連携って言うの……。そーいうのさぁ! 見せるんならもっと上手く見せなよ! ただのこけおどしに! この《イドラオルガノン》が臆するとでも!」

 

 プレッシャーソードと打ち合った直後、ゼロ距離でミサイルを炸裂させる。アンチブルブラッドの靄が暗礁宙域に漂った。《スロウストウジャ弐式》が明らかに挙動を鈍くする。

 

 まずは一機、と判じた神経に声が交錯した。

 

『墜とさせない! あたしが、守るんだからぁっ!』

 

「くどいよ! 分かり切っている事をぺちゃくちゃ喋って、掻き乱すんなら出てくるなよ!」

 

 蛇腹剣が四方八方より迫り《イドラオルガノン》を包囲しようとする。あまりに近接戦を選んでも旨味はない。その理屈は分かり切っているのに。

 

「……分かっていても、退くもんか」

 

 こぼした林檎は刃を軋らせる。どちらか片方でも撃墜すれば必ず隙は生まれる。そう確信しての行動であったが、蜜柑が悲鳴を上げていた。

 

「林檎! 近づき過ぎないでって! 照準が全然……!」

 

「ここで剥がれたら、じゃあどうするって言うんだ!」

 

 アンチブルブラッド兵装の有効時間はまだ余裕がある。コスモブルブラッドエンジンを採用している《イドラオルガノン》ならば相手に一方的な打撃を与えられるはずなのに。

 

《ラーストウジャカルマ》はX字の眼窩をぎらつかせ、こちらを睥睨する。

 

『守る……守りたい! 動いて、あたしの身体……、トウジャ!』

 

「両断する!」

 

 打ち下ろした刃がその瞬間、空を切った。

 

 虚しく裂いた常闇に林檎はハッとする。

 

「どこへ……」

 

 首を巡らせる前に、接近警報が激しくコックピットを掻き乱し、激震が浴びせかけられた。

 

 蛇腹剣が片腕の鎧に突き刺さっている。誘爆の危険性を判じて即座にパージさせた。爆発の光がすぐ傍で広がる。

 

 冷や汗がどっと背筋を伝う中、林檎は今しがたの現象を《ラーストウジャカルマ》の異様な機動性によるものだと実感した。

 

「まさか……ファントム?」

 

 ハイアルファー人機は人間を弄ぶ機体。精神が瓦解した操主では理性的な判断を下せないはずであった。

 

 だというのにファントムという高等技術を使われた。

 

 それそのものが深い侮辱となって胸の中を占めていく。

 

「林檎! 直上に敵!」

 

 蜜柑の声もどこか遊離していた。今、この一瞬。相手にファントムを許した自分自身。

 

 ――それがとてつもなく許せない。

 

 仰ぎ見た林檎は敵に剥き出しの嫉妬を重ねていた。

 

「旧式風情がァッ!」

 

 払った剣閃を敵人機が片腕で払い除ける。一撃の下に頭蓋を割られる予感に林檎は一気に体温が下がっていくのを自覚した。

 

 終わりの瞬間。

 

 それがこうも生々しく、身体を這い進む虫の如く戦闘神経に毒牙をかける。

 

《ラーストウジャカルマ》が大きく引いた蛇腹剣を《イドラオルガノン》へと打ち込みかけた。その時である。

 

 茫然自失の自分に代わり、《イドラオルガノン》の腕が挙動していた。

 

 アンチブルブラッド爆雷が炸裂し、敵の視野を眩惑する。その隙を突いて《イドラオルガノン》は鎧の各所に装備された後退用の推進剤に火を通していた。

 

 敵の蛇腹剣が眼前を行き過ぎる。

 

 垣間見えた死神の予兆に心臓が今さらの爆発を起こしそうであった。

 

 今、墜とされていても何らおかしくはなかった。

 

 首裏に滲んだ汗を他所に、《イドラオルガノン》は弾幕を張って戦闘領域から徐々に離れていく。

 

 随分と時間が経ってから、全権が蜜柑に移譲されていた事を思い知った。

 

 声を投げようとして蜜柑が咽び泣いているのを耳にする。

 

「……お願いだから。あっちへ行って。来ないで……ぇっ」

 

 自分達操主は二人で一人のはずだ。だというのに、またしても独断専攻をしてしまった。その悔恨を噛み締める間にも機体は《ゴフェル》への帰投ルートへと入っていた。

 

 逃げるに徹した相手を追うほど、敵も馬鹿ではないのだろう。磨耗した心を引きずって離脱した《イドラオルガノン》は完全に負け犬であった。

 

「また……ボクは負けたって言うのか。どうしたって、また……!」

 

 こんなに近くにいるのに二人の心の距離は離れているのが痛いほどに分かってしまう。

 

 相克する心を持ち寄って、《イドラオルガノン》は敗走を辿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヒイラギ! モリビトが撤退を……!』

 

 ヘイルの声に燐華は息を切らしていた。肺が今にもはち切れそうだ。枯渇した怒りの一滴さえも吸い込んで《ラーストウジャカルマ》は敵を見据えようとする。

 

「まだ……敵、敵がそこに……!」

 

『ヒイラギ? もう敵は逃げた。俺達の勝ちなんだ!』

 

 肩を押さえようとしたヘイルの《スロウストウジャ弐式》を燐華は蛇腹剣で制していた。突きつけた刃に相手は絶句している。

 

『……ヒイラギ』

 

「来ないで。来ないでください。……今のあたし、誰彼構わず、斬ってしまいそうで……」

 

 怒りに呑まれながらの戦いであった。隊長の弔い合戦のはずが、自分の醜態を晒しただけの手慰みのような戦に終わるなど。

 

 奥歯を噛み締めた燐華はこの戦いでの勝利者を呪う。

 

 大局的には勝ったのは自分達かもしれない。だがたった一機のモリビト相手に自分はここまで苦戦した。ここまで磨耗したのだ。

 

「……まだ、あたしは弱い」

 

 もっと力が欲しかった。こんなところで終わらない。終わりようのないほどの途方もない暴力が。

 

 その力の波に酔いしれられたらどれほど楽だろう。

 

 引き戻した蛇腹剣にようやく冷静な頭が戻ってきたのか、燐華は酷く疲弊している自分を発見した。

 

 ――こんな戦い、隊長は望んでいないだろう。

 

 嗚咽を漏らした燐華はしばらくその場から動けないでいた。また、間違ってしまった。自分はどうしようもない愚か者だ。

 

 モリビトを狩れればいいと命令違反しておきながら実際にはただ単に吐き捨て所のない暴力を吐いたのみ。

 

 こんなもの、軍人のそれではない。

 

 兵士の、矜持があるはずもないのだ。

 

 隊長はいつだって矜持だけは忘れなかった。胸にある信じるべき信念に従い、心を通してきた人であった。だというのに、今の自分の醜態はどうだ。

 

 怒りに我を忘れ、ただ敵を狩る事のみに特化した先鋭兵。こんなもの、爆弾と何が違う。

 

 信管を引き抜けば起爆するだけの自動機雷と何一つ変わらない。心を失った戦闘機械だ。

 

「隊長ぉ……っ、許して……っ。許して、ください……。あたし、まだ弱いから……。隊長みたいに出来ないんです……っ」

 

『……ヒイラギ、お前』

 

 その時、照明弾が暗礁宙域を照らし出した。帰投命令の信号にヘイルが声の調子を取り戻す。

 

『……行くぞ。お前はやったんだ。それだけは確かだろ』

 

 糸の切れた人形のような《ラーストウジャカルマ》をヘイルが牽引する。手を引かれなくては前にも後ろにも行けない駄々っ子。それが今の自分であった。

 

 燐華は項垂れて慟哭する。

 

「隊長ぉ……ぅ。にいにい様ぁ……っ。お願い、今は叱らないで。駄目なあたしを……まだ駄目って言わないでぇ……っ」

 

 死者に許しを乞うてどうすると言うのか。誰も生きている自分の手を引いてはくれない。

 

 今を生きる人間の手を引けるのは同時に生きている相手だけなのだ。すぐ傍にある温もりさえも、過去を回顧する自分には邪魔なだけであった。

 

 ここにいない誰かに頼る事しか、擦り切れそうな自己を繋ぎ止める方法は、この時存在しなかった。どこまでも醜く、どこまでも虚弱。

 

 ヘルメットの中を涙の粒が浮かぶ。泣いているのは自分。しかし一番に叱責したいのも自分。

 

 このままでいいはずもなかった。保留にし続ける期間はもうとっくに過ぎているはずなのだ。

 

 モリビトを倒す。仇を取る。――だがそれは、迷いを断ち切れない自分からしてみれば酷く困難な事。

 

 鉄菜を信じる。友情を裏切らない。――だがそれは、現実を直視しない逃げの方便。

 

 何を実行したくってこの人機に乗ったというのだ。

 

 元々は全ての無念を晴らすためだろう。雪辱を、屈辱を、恥辱を、何もかもを。

 

 しかし、勇気の一歩が踏み出せない。いつになっても、この足はその一歩を重々しく受け止めている。

 

 足踏みしている弱者の言い訳に、この人機を使っていいはずがなかった。

 

 タカフミより勝ち取ったもの。ヒイラギの助けを得たもの。そして――自分自身の決意の表れであったはずのもの。

 

 隊長は言ってくれた。戦いを評価してくれた。だが彼の人はもう二度と届かぬ場所にいる。

 

 ならば、足掻いても。ならば、苦しんでも。どうあったとしても、この手を振り翳すべきなのだ。

 

 刃は帰結する先を求めている。行き着く先をいつまでも睨んでいる。

 

 復讐鬼になるのか、それともただ怨嗟を撒き散らすだけの怨霊に成り果てるのか。

 

 全ては自分次第でありながら、誰か他の人に結論を求めたがっていた。

 

 


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