ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯237 戦いの行方

 

「何、これ……」

 

 声を詰まらせた茉莉花にスタッフが視線を投げる。

 

「どうした? 茉莉花ちゃん。幽霊でも見たみたいな青い顔をして」

 

 いつもならば呼び方で噛み付くのだが、茉莉花は整備スタッフに頓着している場合ではなかった。月面へともたらされた情報に茉莉花は即座に艦内通信を使う。

 

「今すぐに、モリビトの執行者とニナイ、それにタキザワとゴロウはここに来て。とんでもない情報がオープンソースに上がっている」

 

 戦慄く視界の中、茉莉花は青い爆風が地上を包んでいくのを目にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 処刑は滞りなく行われる、と聞き、リックベイは拘束具に包まれたまま項垂れる。

 

 もうどれだけ言葉を弄したところで無駄であろう。徒労に終わるのは目に見えていた。

 

「……リックベイ・サカグチ。本国では英雄だったな。でもここじゃ、ただの罪人だ」

 

 自分を担当する看守の声にリックベイは面を上げる。

 

「怖い顔すんなよ。こっちだって仕事なんだ。今や、アンヘルが法も同然。……正直、憧れていたよ。銀狼には。でも、ここで繋がれているあんたは、剥き出しの野性の狼どころか、ただの負け犬だ」

 

 どれほど侮蔑されても構わない。どうせこの命、長くはないのだから。

 

 そう諦観のうちに浮かべていた、その時であった。

 

 施設を緊急警報が駆け抜ける。赤色光に染まった懲罰室の中で看守が声を張り上げた。

 

「何が起こった!」

 

「人機が接近! 討伐部隊へとスクランブルが!」

 

「人機だぁ……? どこの所属だ! 未確認なら!」

 

「それが……アンヘルの《コボルト》です。……シビトの」

 

 その言葉に看守の表情が凍り付く。

 

「シビト……だと。あの悪魔が、どうしてここに?」

 

「分かりませんよ! 応戦部隊は出ています。目的の知れない以上、囚人達を第三警戒ブロックまで!」

 

「……お、おう。立て! このまま第三警戒ブロックまで下がってもらう!」

 

 どうせ口答えは出来ない。抗う事も。リックベイは鎖で繋がれたまま、看守に引き連れられ、施設内を移動していく。

 

 その最中、窓辺をリバウンドの火線が瞬いた。

 

「……マジかよ、もうここまで来てるってのか。早くしろ! 殺されるぞ!」

 

 鎖を強く引いた看守にリックベイはよろめいてその場で転倒してしまう。舌打ちをした看守が身体を蹴りつけた。

 

「てめぇ……足手纏いになりたいのか!」

 

 張り上げた声の直後、人機の巨大な腕が施設の壁を突き破ったのは同時であった。

 

 よろけた看守を人機のマニピュレーターが掴み上げる。何やら喚いた看守を握り潰したのは投光機の光を浴びた真紅の人機であった。

 

 鬼の面のような意匠を施された人機がこちらを睥睨する。

 

 X字の眼窩にトウジャである事が窺えた。

 

 再び火線が咲く。《スロウストウジャ弐式》部隊がプレッシャーライフルの光条を放ち、鬼面のトウジャを引き剥がそうとするが相手はその射線を読み切って推進剤を棚引かせ、護衛機へと飛びかかっていた。

 

 まるで獣のような俊敏さでありながら、抜き放たれた刃の計算高さにリックベイは息を呑む。

 

 ――あの人機が用いる戦闘術は紛れもなく……。

 

 実体剣がトウジャ部隊の腹腔を引き裂き、血塊炉の青い血潮を迸らせた。

 

 頭蓋を砕いた一閃で他の人機が及び腰になる。その隙をついて鬼面のトウジャがこちらへと接近していた。

 

『……迎えに来た。リックベイ・サカグチ』

 

 その声に間違いないとリックベイは立ち上がる。

 

 猿ぐつわがかまされているせいで声を上げられなかったが、直後に鬼面のトウジャが腰に装備した手榴弾を投擲する。

 

 アンチブルブラッド作用のある濃霧が発生する中、鬼面のトウジャが自分を抱えて施設より飛び退っていた。

 

 その挙動は計算されつくしているかのように迷いはない。

 

 いくつかの銃火器がこちらを狙おうとしたが、アンチブルブラッドの濃霧の中ではうまく照準をつけられないのだろう。

 

 どれもが見当違いの方向を引き裂いていく。

 

 施設より充分に離れた場所で鬼面のトウジャが高度を下げた。ブルブラッド汚染大気もさほど心配の要らない入江である。

 

 静かに降下したトウジャが自分を陸地へと導く。

 

 リックベイは頭部コックピットより這い出た人影を注視していた。

 

 アンヘルと言えば赤い操主服のイメージがあるが相手は操主服を纏っていない。それだけでもイレギュラーなのに、その存在の奇抜さを彩っているのは鬼を模した仮面であった。

 

 そこから覗く相貌には癒えない傷跡が刻まれている。

 

 彼は降り立つなり自分の口に噛まされていた猿ぐつわを取り去った。咳き込みながら、リックベイは相手を見据える。

 

「……まさか。キリ――」

 

「その男は、もうこの世にはいない。死んだ」

 

 遮られた言葉にリックベイは感慨を新たにする。そうか。彼はもう、あの姿では存在しないのか。

 

 眼前の男こそが、その答えであった。

 

「零式を使ったな? 名は?」

 

「UD、と呼称されている。アンヘル第二小隊、たった一人の所属隊員であり、隊長だ」

 

 噂には伝え聞いた事がある。アンヘルには地獄より蘇ってきた「死なず」の男がいると。だがそれがまさか、彼だとは夢にも思わなかった。

 

「アンデッド、か。……皮肉な名前を名乗るものだ」

 

 UDは腰に提げている刀の鯉口を切る。奔った一閃が拘束具を切り裂いていた。自由になった手足をリックベイは確かめる。

 

「……わたしを自由にして、どうする? もう処刑される身だ」

 

「俺は高次権限……アンヘルにおける独自命令権を持っている。既に上には取り付けた。俺の命令権の下で、リックベイ・サカグチ。――あなたを生かす」

 

 思わぬ言葉であった。かつて自分によって死よりも色濃い修羅の道へと導かれた青年が、今度は自分に道を諭すというのか。

 

「……どの道、生きていないほうがいいはずだ。わたしなど」

 

「それがそうもいかないようでな。モリビトが動き出している。世界は再び、先読みのサカグチを必要としているはずだ」

 

「当てにしたところで、わたしは古い人間だ。今の価値観には合わない」

 

「勘違いをするな、リックベイ・サカグチ。俺はかつての借りを今、返したまで。そこから先は俺に従ってもらう」

 

 自分の意思など無関係に、か。随分と強靭に生まれ変わったものだ。

 

「……全ては君のさじ加減次第か。だが、どうしたい? わたしに何を求む?」

 

 UDは刀を掲げる。

 

「零式の最終奥義の習得を。それでもって我が怨敵との戦いは完遂される」

 

「……教えるべき事は全て教えたはずだが」

 

「いや、まだだ。まだ、零式は遠く、蒼穹を断つに及ばない。俺はこの六年間、零式を極めたつもりだった。だが、それでもまだ、なお……だ。振るえば振るうほどにこの刃には悔恨が滲む。もっと先に行けるはずだ、という悔恨が」

 

「買い被るな。わたしの独自戦闘術にそこまでの価値はない」

 

「価値を付与するのは俺の役割だ。リックベイ・サカグチ。まだ教えていない、奥義があるはず。それを授けてもらうか、あるいは」

 

 その刃が瞬時に空気を裂き、首筋へとかかる。リックベイは違えずにその眼差しを見据えた。

 

「あるいは……ここでわたしを斬る、か。それも道の一つだろう」

 

「眉一つ動かさないのだな」

 

「君と同じだ。既に死んでいるも同義だよ」

 

 潮騒を聞きつつ、リックベイは水平線を眺めた。UDは静かに刀を仕舞う。

 

「俺はもう生きてはいない。シビトだ。だが死んでいるなりの意地はある。たとえこの身が朽ちても構わない。モリビトへと雪辱を晴らす」

 

「復讐心か。今の君を動かすのは」

 

「――いいや、使命感だ。俺以外でモリビトを倒すなど、許されない」

 

 どこまでも傲慢に成り果てたものだ。だがその傲慢さこそ、六年前に見出した傑物でもある。

 

「まずは義を立てよ。わたしは隠居をするつもりはない。生きているのならば、法で裁かれる腹積もりだ」

 

「……アンヘルに帰せと?」

 

「それが全うな道でもある」

 

 暫し睨み合いが続いた。彼の目的から鑑みればアンヘルへと帰すのは下策のはず。だが、UDはその要求を呑んだ。

 

「……いいだろう」

 

 UDが鬼面のトウジャの手へと招く。リックベイはコックピットへと導かれた。

 

 即席の副操縦席で不意に尋ねる。

 

「この機体の名は? 何という?」

 

「《ゼノスロウストウジャ》白兵戦闘特化型仕様……《コボルト》の参照コードを使っている」

 

「《コボルト》……鬼、か」

 

 呟いた途端、《コボルト》が浮き上がった。

 

「出るぞ。舌を噛むな」

 

 果てのないブルブラッドの海へと、《コボルト》は機体を反射させる。連鎖する光の波に、リックベイは生き永らえた己を回顧していた。

 

 ――まだ生きている。ならば出来る事はあるはずだ。

 

 そう考える一方で、生きるのを放棄し、シビトとなった男が一人。

 

 彼はあのまま生きていては不幸であったのだろう。それでも、生きるのを諦めて欲しくなかったというのはやはりエゴであろうか。

 

 それさえも見えず、先読みは曇ったままであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 ニナイが息を呑む。集った者達は青い炎が地表を焼いていく光景に唖然としていた。

 

 タキザワがその中でも淡々と言葉を継ぐ。

 

「ブルブラッド……血塊炉そのものを利用した……大量破壊兵器。理論上では可能だが、それを実行に移すとなれば大きな弊害が発生するはずだ。……倫理観、という名のね」

 

 唾を飲み下した桃は投射画面の映像を指差す。

 

「本物、なの……?」

 

「正真正銘、惑星で観測された事象だ。どうしてだか、月面へとわざわざ最速で送られてきた。……この意味が分かるな?」

 

 茉莉花の問いかけに鉄菜は歩み出ていた。

 

「月面を押さえた事は何もアドバンテージにならない。それどころか、相手はこちらを上回る兵器を保有している、という、一種の警告」

 

 茉莉花は首肯し、映像を解析にかける。

 

「下手に《モリビトルナティック》なんてものを浮かばせているがゆえに、敵は僅かに逸ったな。ここで血塊炉の爆弾を晒すのは相手も本懐ではなかっただろうに。それでも、情報が挑発じみた感覚で送られてくるのは癪でしかない」

 

 歯噛みした茉莉花にニナイは問いかける。

 

「どうやって……これだけの大質量爆撃を可能に? そのプロセスが分からない限りは……」

 

「ああ、打つ手はない」

 

 断言された結論に林檎が声を上げる。

 

「やられる前にやっちゃえばいいじゃん。相手はアンヘルでしょ?」

 

「それが……そうとも限らなくってな。アンヘルにしてはやり方がずさんだ。これでは要らない反感まで買ってしまう。別の組織が動いていると見ていいかもしれない」

 

「別の……」

 

 その言い草に誰もがアムニスの事を思い浮かべただろう。アンヘルの上級組織。このタイミングで仕掛けてくるのは確かに頷けるが、それでも前回、戦っただけのイクシオンフレームの持ち主が短絡的に切り返したにしては無理がある。

 

「別の組織とは言っても、それはともすればアンヘルには近くないのかもしれない。……もっと別の」

 

「別の別のって言うがな……、どれだけ調査してもこの爆弾の出所は不明なんだ。どうやってこれだけの規模の爆発を起こしたのかも……! 手詰まりなんだ、今のところ」

 

 悔しげに呻いた茉莉花にニナイが肩に手をやろうとして、不意に投射画面が乱れた。

 

 プラント設備付属のこの場所だけではない。艦内で同じ現象が多発しているようであった。

 

『何だ、通信機が……』、『電波ジャック? 月面で?』

 

 通信に混じる困惑にニナイが応じようとした矢先、声が響き渡った。

 

『惑星からの宣戦布告を我々は受け取った』

 

 そう口火を切ったのは間違いようのない――。

 

「オガワラ博士……」

 

 呆然とした声にオガワラ博士にしか見えない禿頭の男性は言葉を継ぐ。

 

『星の原罪を正すために、我々は粛清の十字架を打ち立てる。見えているだろう、白き凶星が! 貴公らの頭上に位置する、星の原罪そのものが! これより衛星に付属する我らの兵器を行使し、貴君らの三十二時間以内の全武力の解除を願う。もしこれが実行に移されない場合、貴公らは体験するだろう。星が落ちてくる光景を。罪そのものが質量破壊兵器として、降り立つ地獄を。空が砕け落ちるのを否が応でも感じるだろう。そして知るのだ。我々の報復作戦は第二段階へと移った。白き凶星は貴君らとの戦いの前線基地として使用される。惑星の罪をそそぐべき宇宙の涙を思い知るがいい』

 

 呆気に取られていた一同に茉莉花は慌ててコンソールへと取り付く。直後、拳で殴りつけていた。

 

「やられた! 今のはオガワラ博士の声明を装った……ブルブラッドキャリア本隊の声明だ! 奴ら、使うつもりだよ。《モリビトルナティック》を。質量兵器として!」

 

 思わぬ言葉に桃は混乱していた。

 

「ちょ、ちょっと待って! 意味が……」

 

「分からないのか! 星の連中はあんな爆弾を用意していた。それに対抗すべく、《モリビトルナティック》を惑星に落とす、って言っているんだ。しかも、連中はほとんど手を汚さない。月面からの、という建前にした以上、攻撃の矢面に立つのはこの《ゴフェル》と、月そのものだぞ……!」

 

 茉莉花が苦渋に顔を歪ませる。瑞葉はゴロウを抱き留め、その意味を反芻していた。

 

「……宇宙と星とで、戦争が起きる……。それも今までの比じゃない、戦争が……」

 

「ああ、クソッ! 手を打つのが遅過ぎたのか? いや……惑星からの挑発が送られてきたのは今だった。となれば相手はバベルを奪還された前提で、同じバベルへと情報を同期した事になる……。相手からしてみれば本隊もこちらも同じブルブラッドキャリア。攻撃する理由は充分にある」

 

「全面戦争だって言うの……。でもそんなの……勝ち目なんて……」

 

 皆まで聞く前に鉄菜は身を翻していた。その背中へと声がかかる。

 

「鉄菜! どこへ!」

 

「《モリビトシンス》で月面に浮遊している敵人機を駆逐する。そうすればこの戦争をどちらともなく終わらせられるはずだ」

 

「そんなの綺麗事じゃん。無理に決まってるよ」

 

 手を払う林檎に鉄菜は強く言い放つ。

 

「私と《モリビトシンス》ならば出来る」

 

 論調が気に食わなかったのか、林檎は噛み付いてきた。

 

「……あのさ、根拠のない自信、大いに結構だけれど、ボクらの進退がかかっているのによくそんな事言えるよね」

 

「修復出来たのならば《モリビトシンス》で出る」

 

「話を聞けっての! それとも……ボクなんて話すまでもないって?」

 

 挑発する林檎に鉄菜は一刻でも惜しかった。茉莉花へと視線を流すと彼女が頭を振る。

 

「……駄目ね。《モリビトルナティック》の構造上、一撃での破壊は難しい。それに、現状の《モリビトシンス》にドッキングされている《クリオネルディバイダー》はまだ五割未満の完成度。正直なところ、確実なパフォーマンスを期待出来るかは分からない」

 

「ホラ、ね? 勝手に一人でしゃしゃり出て勝てる戦局じゃないんだよ」

 

「ではどうすると言うんだ。このまま静観するとでも?」

 

「それは……」

 

 濁した言葉振りに不意に通信が接続された。ゴロウが首を巡らせ、直通回線を開く。

 

『……何だこれは。暗号通信回線……地上からの?』

 

 ゴロウが目配せする。茉莉花は首肯していた。

 

「繋いで。このモニターに」

 

 接続された先にいたのは獅子の顔を持つ人影であった。ホログラムで偽装されたその姿に全員が息を呑む。

 

「何者……」

 

『何者、か。その問答は意味がないですなぁ、ブルブラッドキャリアの諸君。いや、こう言ったほうがいいでしょうか。離反兵の方々』

 

 見透かされている。だが、地上で自分達と本隊を見分ける術はないはずだ。

 

 自然と帰結は導かれていた。

 

「……ラヴァーズ?」

 

 そうだとも。ラヴァーズしか自分達の内情は知らないはず。応答した言葉に相手はわざとらしい拍手を打つ。

 

『いやはや、咄嗟の状況判断にしては素晴らしい。確かに、地上ではラヴァーズくらいしかあなた方には接触していない。しかし、こうは考えませんか? それらを上回る情報網が存在する、とは』

 

 全員の脳裏に浮かんだのは恐らく同じ単語であっただろう。

 

「レギオンか……」

 

 苦々しく口にした茉莉花に相手は、ノン、と応じていた。

 

『レギオンならば爆弾作りに躍起でしょう。相手方もそちらの上役も相当に、戦争がしたい様子。ですが我々はそうではないのです』

 

「名を名乗れ。そうでなければ話にならん」

 

 断じた茉莉花の声に相手は逡巡する。

 

『そうですなぁ……。では組織の名前を。我らはグリフィス。情報を資本としている組織です』

 

 グリフィス、の名前を同時並行で検索させる。それでも、出てくるのは伝承上の生物の姿だけであった。

 

 頭部は鳥、身体は獅子の伝説上の生き物。

 

「グリフィス……? 聞いた事もない」

 

『それはそうでしょう。我々はレギオンにも察知されていない極秘組織』

 

「馬鹿な事を。地上でレギオンのバベルを抜けられるのは独自のネットワーク権限を張っているラヴァーズくらいのものだろう。それでも彼らだってアンヘルからは逃げられない」

 

『合理的に考えれば。しかし、こうは思いませんか。誰もがアンヘルとレギオンの支配に、是と言っているのか、と』

 

 そうではない、と言うのか。だが地上はほとんど多数派に掌握されたに等しいはず。現実的に考えて別の組織が発足するのはあり得ない。

 

 あるとすれば――それこそレギオン内部での軋轢。

 

「内通者か。レギオンも一枚岩ではないと見える」

 

『そこまで分かっていらっしゃるのならば話は早い。どうです? こちらの情報を買いませんか?』

 

 その提言に全員が固唾を呑んだ。

 

「買う、だと?」

 

『ええ、そうですとも。言いましたよね? 我々は情報が資本だと。そういう取引で成り立っているんですよ。この世を渡り歩くのに何も人機でガチガチに武装するだけが力ではありますまい』

 

 胡乱そうな眼差しを注ぐ中、ニナイが歩み出ていた。

 

「もし……断った場合は」

 

 相手がパチンと指を鳴らす。

 

 モニター上にブルブラッドの爆弾の炸裂範囲が表示された。この情報さえも極秘のはず。それをちょっとした手札として扱ってみせた胆力に素直に感嘆する。

 

『地上と宇宙は引き離され、二度と交わらないか、あるいはブルブラッドの血潮の舞う、地獄絵図が発生するでしょうなぁ。そうなってしまうと立ち行かなくなる部分もあるのですよ』

 

「平和を望む……っていう短絡思想でもなさそうね」

 

 桃の評に相手は得意気に獅子の顔で微笑んだ。

 

『平和というのはいつの世も民衆が革命の先に勝ち取ってきたもの。革命を抑止されたこの時代、それ自体を間違っていると言ってはいけませんか?』

 

 グリフィスを信じて情報を買わなければブルブラッドキャリアは《モリビトルナティック》を星に落とす。しかし星の切り札であるブルブラッドの爆弾がどれほどの性能かははかり知れない。最悪の想定を浮かべれば惑星が二度と人間の住めない焦土になる可能性だってある。

 

 突きつけられた現実はシンプルな二択であった。

 

 このまま何もせずに戦端が開かれるのを待つか、あるいは抗うか。

 

 鉄菜は獅子顔の相手へと問いかける。

 

「お前は……もし私達が情報を買ったらどうする? その情報をレギオン側にも流さないとは限らないはずだ」

 

「そうだな。二枚舌を使い分けて一番の利益を得る。それが情報を資本だと言うのならば考え得る可能性だ」

 

 獅子顔の相手はしかし、それさえも予定調和とでも言うように返答した。

 

『星がどうこうなるという瀬戸際に、そこまで考えますかな?』

 

「そこまで考えるからこその情報組織なのだと判断する」

 

 譲らないこちらに対して相手は嘆息をついた。

 

『どうにも……納得が行かない様子。いいでしょう。無料サービスです。これを』

 

 送信された情報はアンヘル内部で構築されている暗号通信であった。羅列された情報を茉莉花が即座に読み取る。

 

「……敵がどこに爆弾を仕掛けているかの陣地図……。そこまで見せて……これがブラフであるかもしれない」

 

『それを最終判断するのはそちらです。どうです? ここまでが無料の範囲内です。ここからは、それなりの物を貰わなくては』

 

 爆弾の位置情報が分かったのならば先回りして破壊すれば最悪ブルブラッドの爆散は防げる。宇宙に紺碧の濃霧による汚染を作り出さずに済むかもしれない。

 

 そうなった場合、本隊を如何にして食い止めるかが鍵になってくる。

 

 板ばさみの状況の中、全権は艦長であるニナイへと託されていた。

 

「……決めるのは艦長だ」

 

 譲った鉄菜に彼女は思案を浮かべた。だがそれも一瞬。すぐに艦長の面持ちとなったニナイは決断する。

 

「買いましょう、情報を。この現状、本隊と地上との闘争を食い止めなくては未来がないもの。私達で出来る事をする。そして失敗はしない。それがブルブラッドキャリアよ」

 

 ニナイの言葉に獅子面は余裕しゃくしゃくで手を叩く。

 

『賢明な方で助かります』

 

「当然、支払うのはお金じゃなさそうだけれど」

 

『そうですね。ブルブラッドキャリアのモリビト……その機体情報、いただけますか?』

 

 思わぬ切り返しであった。こちらの主力をむざむざ晒せというのか。息を呑んだニナイに、茉莉花は心得たように頷く。

 

「分かったわ。モリビトの機体データを引き渡す。その代わり、分かっているわよね?」

 

『ええ、顧客には最大限のサービスを。モリビトのデータとなればそれは国家予算にも値する。それなりに継続的な関係を続けていきましょう』

 

 ここで手打ちにするつもりはない、というわけか。

 

 だが互いに利用し尽くさなければこの惨状を止められないだろう。

 

 鉄菜は相手を睨み据え、言い放った。

 

「お前らの思い通りにはならない。ブルブラッドキャリアはこちらのやり方で行く」

 

『ええ、結構ですとも。あなた方の前途に希望があらん事を』

 

 通信が打ち切られた。しかし情報だけはしっかりと送られてきていたらしい。ゴロウが目線を合わせる。

 

『……本物だな。敵の配置図と爆弾の設計データ。それに《モリビトルナティック》が落ちるとして……どの軌道で落ちるかまでの予測……。つい先刻まで月の存在すら知らなかったとは思えないほどの精密さだ。これをどう見る?』

 

 問いかけたゴロウにニナイは言いやる。

 

「どうもこうもないわ。交渉は交わされた。各部署に通達! これより《ゴフェル》はモリビト三機の修復後、《モリビトルナティック》の降下と爆弾の起爆を阻止します! 全員、第一種戦闘配置!」

 

 今は相手の良心をただ信じるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なかなか食わせ者もいる、ってさ」

 

 リーダーからの通達に手渡された端末に残留するデータを洗い出す。

 

「……モリビトの機体データ……。よく引き渡したわね」

 

「それ渡さんと地上には十字架が落ちてくるんやろ? 相手さんも本意じゃないんやったら、そういう決断になるやろ」

 

 しかし彩芽は確証を新たにしていた。

 

 ――やはり今のブルブラッドキャリア。離反兵は本隊ほどの冷徹さはない。

 

 まだつけ込める。そう感じた彩芽はリーダーに繋いだ。

 

「お忙しいところすいません、ブルブラッドキャリアに関してですが」

 

『ああ。無論、あなたの言った通り、モリビトの機体データを引き渡してもらいましたが』

 

「それだけじゃありません。もっと引き出せます。最大限に搾り尽くしてから、我々の本懐と行きましょう」

 

 その言葉に通話先のリーダーが笑い声を上げる。

 

『古巣に対しても容赦なし、か。アタシゃ、嫌いじゃないですよ』

 

「どこかで相手は及び腰になる。そこを突けば、もっと欲しい情報が手に入る」

 

「彩芽、あんた貪欲やねぇ。どこまでやるつもりなん?」

 

 その問いかけに彩芽は答えていた。

 

「全て、よ。あの組織から全てを奪い去った時、わたくしの本懐は成るもの」

 

 口にした彩芽は笑みを刻んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 情報感謝します、という形だけの賛辞にタチバナは苦笑する。

 

 軌道ステーションで身体を無重力に流しつつ、タチバナは窓の外から望める白い月を凝視していた。

 

 月の軌道上には罪の枝そのものの十字架。あれが落ちてくるとなれば無知蒙昧な人々とて無関心ではいられまい。

 

「まだ生きておったとはな」

 

『そう容易く死にはしませんよ。前線におられるので?』

 

「老人にはきつい職務だよ」

 

 通話先の相手は笑いながらも正鵠を射る質問だけは心得ている。

 

「アンヘル……妙な噂を聞きましたよ。彼ら、普通の人間じゃないんでしょう?」

 

 どこで嗅ぎ付けたのか。アンヘルの組織内部の構成員は極秘のはずである。しかし、タチバナはこの男ならばそれも可能かとどこかで考えていた。

 

「ああ。ワシが直々に情報を閲覧し、精鋭を選んでおいた。彼らは血続。遠い昔に地上から忘れ去られ追放された、人機に愛された種族だ」

 

『やはり、そうでしたか。血続がアンヘルに蔓延っている。ですが、それだけでもありますまい』

 

 渡良瀬の使う私兵の事も看破しているのだろうか。だが薮蛇は慎んだ。

 

「さぁな。ワシとてオブザーバー以上の権限は持たんよ」

 

『まぁ、いいでしょう。アタシと博士の友情に、六年越しの乾杯といきましょう』

 

 乾杯か、とタチバナは自嘲する。

 

「この腐れ縁がまさか途切れないとはな。だが、これは老人の警句だ。どこで背中を狙われているのかお互いに分からん身だぞ? ――ユヤマ」

 

 その名前に相手は喉の奥で嗤う。

 

『なに、だったらせめて撃たれて困らない背中にだけはしておきましょうよ。死に体の背中に何も背負っていないのでは、あまりに愚策』

 

 その点だけは同意であった。タチバナは口角を吊り上げる。

 

「時代に取り残された者同士、噛み付くとするか。この時代のうねりそのものに」

 

『そして新時代の幕開けに』

 

 乾杯、とユヤマは続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 第十二章 了

 


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