ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯231 罪との決別

 ――アンチブルブラッド兵装の広域濃霧のせいで敵艦に仕掛けられない。

 

 その報告が同期された時、渡良瀬は歯噛みしていた。イクシオンフレームの弱点があるとすればそれは純正血塊炉である事だろう。高機動、高出力を実現する代わりにその楔からは逃れられない。因果なものだ、と渡良瀬が感じている中、かけられた言葉があった。

 

「渡良瀬。久方振りに顔を見せたかと思えば……ご自慢のイクシオンフレームの品評会に、ワシなんぞを呼んで何のつもりだ?」

 

 タチバナの射るような眼光に渡良瀬は余裕を浮かべてみせる。ゾル国軌道エレベーターより各国のお歴々が集い、次世代人機の品評会という体裁の下、ブルブラッドキャリアへと仕掛けたのだ。

 

 アムニスの発言力を増すためにもスポンサーは絶対である。現状のアンヘルへの資金繰りの流れをこちらへと流している形でも通用はするが、これから先イクシオンフレームの流通を完備するのには公式の形で実力を認めさせる事が必要であった。

 

「博士、あなたの目から見て、イクシオンフレームはどうです? 素晴らしい機動力と性能でしょう? 皆さまもどうぞ、ご観覧を! 我が方のイクシオンフレームがまさに、モリビトと戦っております!」

 

 双眼鏡を携えた人々が戦いの様子を観察し、それぞれ配っておいた機体のデータに目を通す。

 

「新型機のお披露目と、ブルブラッドキャリアの駆逐……。体よく資産も回したい、か。随分とあくどくなったではないか、渡良瀬」

 

「手段を選ばなくなっただけですよ。あなたと同じだ、博士。六年前、《キリビトエルダー》の出現にあなたは絶望したがわたしは希望を見たのですよ。あれだけの人機まで登り詰められる。ならば人機産業はこれから先、老人の動かす部署ではない、と」

 

 言葉を選ばない渡良瀬の自信にタチバナは鼻を鳴らしていた。

 

「どうだかな。破滅への遠因は案外、近くにあるものだ。謎の巨大質量の衛星にあれは……《キリビトエルダー》と同種の人機か。あのようなもの、のさばらせていいわけがない」

 

「そのために力が要るのですよ、博士。圧倒的な、ね」

 

「違えたな。ワシと貴様は決定的に、見ているものが違う」

 

 それも老人の繰り言だろう、と渡良瀬は流した直後、唯一稼動している十字架の機体に動きがあったのを目にしていた。

 

 灼熱のリバウンド兵器の砲撃網が月面を睨み据え、全方位より黄昏色の攻撃が放たれた。

 

 四方八方を引き裂くリバウンドの砲撃が月面の土くれを巻き上がらせる。渡良瀬は思わず脳内のローカル通信を繋いでいた。

 

 ――イクシオンフレームは?

 

 シェムハザとアザゼルの返答がすぐさま脳に反射された。

 

 ――こちらシェムハザ。……今の砲撃……地上へのものであった。こちらにダメージはない。

 

 ――こちらアザゼル。《イクシオンベータ》は直前に地上を離れていた。こちらも損耗はゼロだ。

 

 ホッと安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間、高官が叫ぶ。

 

「今のは何だ? あれは人機なのか!」

 

「落ち着いてください。あれはどうやら衛星軌道を見張る……敵性人機の様子ですが三機のうち一機しか稼動していません。その一機の狙いもずさんなもの。今の砲撃で我が方に損害はないのでご安心を」

 

「口八丁でたぶらかすか。渡良瀬、今の砲撃……確かに貴様の売りたいイクシオンフレームには損害はないかもしれんな。だが、アンヘルにはどうだ?」

 

 その言葉に高官達がめいめいに声を発する。

 

「アンヘルには多額の出費をしている! こんなところで第三小隊を失うわけにはいかん!」

 

「どう責任を取るのだ! 渡良瀬! 新進気鋭の部隊とは言え、本隊を無視した独断専行は許されないぞ!」

 

 どの口が、と渡良瀬は歯噛みする。この連中には現場判断などまるで見えていないのに、こういう時だけ現場の空気に立とうとする。

 

「ですから……心配はないと……。第三小隊は手だれでしょう?」

 

「だからこそだ。失いたくはない駒を、貴様の道楽で失って堪るか、という」

 

 タチバナの声に数人が同調した。

 

「品評会という触れ込みで来たが……こんな無茶苦茶な戦局では話にならんのではないかね?」

 

 一人が身を翻すと全員が醒めたようにこの場を立ち去ろうとする。

 

「お、お待ちを! 確実にモリビトを破壊してみせます! だから、今しばらく……!」

 

「品評会を気取ったのならばイレギュラーは廃するべきだ。渡良瀬、悪手を取ったな」

 

「博士は黙っていてもらいたい! 我が方の問題です」

 

 肩を竦めるタチバナに渡良瀬は必死に高官達のご機嫌を取った。

 

「見てください! イクシオンフレームは健在です! あの宙域を!」

 

 訝しげに高官達は双眼鏡を覗く。

 

 宙域で高機動を実現した《イクシオンアルファ》が一気に高高度へと飛び上がっていた。

 

 これも必要なパフォーマンスの一つ。今は《モリビトシン》を追うのは中断し、《イクシオンアルファ》には見世物になってもらう。

 

 十字架の機体へと回り込み、即座に背後を取った。その挙動に拍手が漏れる。

 

「トウジャより速いな」

 

「現行の人機を遥かに凌駕している」

 

 賞賛の言葉に渡良瀬は恭しく頭を下げる。

 

「それはそうでしょう。イクシオンフレームは現状の人機開発を一変させます! モリビトなど、最早前時代の遺物! あんなものを恐れているよりも、今は国家間の緊張状態を加速させ、連邦国家の礎を――」

 

「渡良瀬。失態だな。モリビトが抜けてきた」

 

 タチバナの言葉に渡良瀬は両盾のモリビトが射線を抜け、もう一機のモリビトと激しく交戦しているのを目にしていた。

 

 今はしかし高官を納得させる事だ。

 

「……い、一回限りでしょう! モリビトなんて」

 

「戯れに言葉を弄するのは勝手だが、モリビトを軽んじるな。あれは禁断の人機だ」

 

「黙っていてもらえますかね。……老躯の分際で」

 

 怒りを滲ませた渡良瀬にタチバナは目を細める。

 

「モリビト。この戦局、どう切り抜ける?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鉄菜の《モリビトシン》がイクシオンフレーム一機の警戒網を抜けました! しかし、依然として《セプテムライン》が……!」

 

 もたらされる報告にニナイは声を飛ばしていた。

 

「出来るだけ弾幕を薄めないで! 《ゴフェル》はこのままの機動力を維持して前に進み続けて! ……茉莉花、何を」

 

 茉莉花がコンソールに先ほどから取り付き、ずっと作業している。その行動にはいささかの澱みもない。

 

《ゴフェル》は攻撃を受けている。いつ沈むかも分からないほどの高密度の敵の包囲網にニナイは奥歯を噛み締めていた。

 

 このままでは、と思ったところで茉莉花がやっと声にする。

 

「……繋がった。ニナイ、これで生存率が上がったわ」

 

「茉莉花、さっきから何をしていたの?」

 

 茉莉花は額の汗を拭って振り向く。

 

「月面の監視塔へのハッキング。十五個もあるから手間取ったけれど、今より十分間だけ、全部無効出来る。今のうちに《ゴフェル》を最大船速。一気に月面の中枢に入るわ」

 

「そうは言われても敵の攻撃が……!」

 

 今も張り付いている敵人機からの銃撃網を何とか持ち堪えているところだ。しかし茉莉花はこめかみを突いた。

 

「頭を使いなさい。どうやって地上の敵を振り切ってきたのか」

 

 まさか、とニナイは息を呑む。

 

「エクステンドチャージ……。でも、無理よ! 使用限界を超えてしまう!」

 

「どうせ使わない血塊炉ならギリギリまで使いなさい。それとも、ここで死にたいの?」

 

 火線が咲き、《ゴフェル》が激震する。よろめきながらニナイは茉莉花の眼差しを見据えた。

 

 彼女は何も酔狂で口にしているわけではない。この艦と運命を共にする覚悟を持っているから、言えるのだ。

 

「……当てにするわよ」

 

「結構。さっさとおやりなさい」

 

 ニナイは艦内に通信を吹き込ませた。

 

「整備デッキへと入電! 艦の出力を最大に設定する。エクステンドチャージを稼動! 一気に月中枢へと潜入する!」

 

『無茶だ! 艦長! 《ゴフェル》のエンジンだってギリギリの推力なんだ。これ以上無茶をすれば航行に支障が出るぞ!』

 

 タキザワの忠言にそれも分かっているとニナイは拳を握り締めた。

 

「それでも、やるのよ。今はそれしかない。茉莉花が作り出してくれた好機、逃すわけにはいかない」

 

『ニナイ艦長。エクステンドチャージに頼るのはいい。だがその場合、月面に入った直後より《ゴフェル》は完全な機能停止状態に追い込まれるだろう。試算して約三十分。三十分も立ち往生する艦を敵が逃がすとは思えない』

 

 その場合の事を予期していないわけではない。それでも、実行するしかこの状況を打開する方法がないのだ。

 

「ゴロウ、それにタキザワ技術主任、艦長命令です。《ゴフェル》にエクステンドチャージの実行を。その後の航行状態の悪化に関しても全て、私が責任を取ります」

 

 その言葉に暫時沈黙が流れた。今も爆発の余波が広がる中、そっと言葉が返される。

 

『……了解。艦長がそこまで腹を括っているのなら、僕達がビビッている場合でもない』

 

『同感だ。システム上の試算として、生存率は下がっているようにしか思えないが……君達はいつもその計算の先を行ってみせた。こちらも信じるとしよう』

 

「……感謝します」

 

 その言葉の直後、ブリッジを声が満たす。

 

「エクステンドチャージ準備! 実行可能時間は三分にも満たないと推測されます!」

 

「おやりなさい。艦の軌道ルートは吾が導くわ。月面中枢までの道案内は任せて」

 

 茉莉花がコンソールに取り付き、キーを激しく叩く。その背中にニナイはこぼしていた。

 

「……ありがとう」

 

「……まだ何も成し得ていないのにありがとうは言うべきじゃないわね。それに、超大型のモリビトの動きも解せない。月面への先ほどの攻撃……何かを潰すためだったとしか……」

 

 ハッとしたニナイはすぐさま通信を繋ごうとした。

 

「モリビト三機の消息は? 四人とも無事なの?」

 

「現在、高濃度アンチブルブラッドジャミングによって計測不能!」

 

 先ほど《イドラオルガノン》が掃射したミサイルが仇となったか。今はただ、四人を信じるしかない。それしか出来ない自分が歯がゆくとも、モリビトの力に頼るのがこの場での正答。掻き乱すべきではない。少なくとも自分は艦長なのだ。

 

 現場判断を預かるだけの地位に立っている。

 

 月面の地表より間断なく注がれる銃火器の火線を受けつつ、《ゴフェル》が大きく振動する。

 

『……ニナイ艦長。今一度だけ、確認する? ……いいんだな?』

 

 タキザワの言葉振りにニナイは拳をぎゅっと握り締める。

 

 ――彩芽、私達を導いて。

 

「……ええ。実行して」

 

《ゴフェル》が黄金の皮膜に包まれる。先ほどまで激しく甲板を叩いていた火線の勢いが衰えた。ほとんどの攻撃を弾き返す、ブルブラッドの加護を受けた《ゴフェル》が最大加速で月面へと突っ込んでいく。

 

 瞬時に大写しになる地面に誰もが激突を危惧した。

 

「ぶつかる……!」

 

「そんなわけ……ないでしょうっ!」

 

 茉莉花がエンターキーを押した途端、月面中枢の内部機構が開いていく。内側からガイドビーコンが点灯し《ゴフェル》を安全ルートへと導いた。

 

 月面中枢はまだ砂礫の装いの強い地表とは打って変わって機械の内壁であった。全てが自動的に構築されている様は惑星のコミューンよりもなお濃い人類の叡智の結晶である。

 

「これが……月の中……」

 

 こぼしたニナイに加速度を得た《ゴフェル》が内壁へと完全に突入する。茉莉花がその直後に忙しくキーを打ち始めた。

 

「茉莉花? もう突入出来て」

 

「ここからでしょう。他の連中まで招いていたら意味ないわよ」

 

 その言葉でまだ油断すべきではないのだとニナイはハッとする。エクステンドチャージの終了まで残り三十秒とない。

 

 茉莉花は外壁をハッキングし、突入に使った扉を閉ざそうとしている。

 

 その時、ブリッジが赤色光に染まった。

 

「何?」

 

「……おいでなすったわね。ブルブラッドキャリア本隊からの直接ハッキング! 《ゴフェル》をこれ以上進ませる気はないみたいね」

 

 ここに来て古巣が邪魔をする。その事実に歯噛みした直後、モニター全域が黒く染まった。

 

 全てのモニターへの同時ハッキングにニナイが命令の声を飛ばす前に、重々しい通信域が骨の髄まで身震いさせた。

 

『……来たか。罪の果実に塗れし者達』

 

 まさか、と冷や水を浴びせかけられたかのように硬直したのはニナイだけではない。ブリッジの全員がその語調に絶句する。

 

「まさか……」

 

『久しいな。だがここまでだ。貴様らはこれ以上、我々の財産を食い潰す意義はない。ここで潰えろ。そのためにそこにいる、醜く汚い生態部品を使ってきたのだろう?』

 

 生態部品、という言葉に茉莉花が反論する。

 

「最悪ね。あなた達思っていた通りに……卑怯で臆病な、軟弱者の群れ!」

 

 言い捨てた茉莉花にも意に介さず、相手は声にする。

 

『ここで足を止めるのならば、まだ温情をくれてやろう』

 

『左様。ブルブラッドキャリア離反の罪を、不問に伏すと言っているのだ。これ以上の譲歩はあるまい』

 

『既に見てきた通り、月は我が方の支配下にある。これを覆すのは貴様らが如何に度量を積んだところで不可能であろう』

 

「どうかしら? あなた達が縋ってきたあの十字架の巨大人機、動きもしない!」

 

『生態部品がよく吼える』

 

『動きもしない、と言ったな。確かに、対人機戦では、な。だが使い道は他にもある』

 

 他の使い道、と脳内で反芻している間にもブルブラッドキャリア上層部は交渉を試みる。

 

『悪くはないはずだ。月面にあるバベルへ手を触れる事は許されないが、その恩恵には与れる。つまり、これまで通り、……いや、これまで以上に貴様らを使ってやろうというのだ。我らが組織の理念のため。百五十年にも渡る因縁の決着に』

 

 そうだ。自分達は上の命令のままに生きてきた。百五十年前の罪。それをそそぐため、その一心で。

 

 ――だが、ふと足を止めてみればどうだろうか。

 

 自分達は百五十年どころか、まだ五十年も生きていない。だというのに、上の作り上げたレールを疑わず、無知蒙昧にも信じ続け、数多の若い命を失ってきた。

 

 彩芽も失い、何もかもを失って初めて、ようやく一端の人の目線になれた気がしたのだ。

 

 だというのに、ここで元に戻る? ここで、また思考停止が正しいのだと信じ込むというのか?

 

 それは……。

 

「……上層部の方々。それは我が方にとっての利益にはなり得ません」

 

 口をついて出ていた言葉にブリッジのスタッフが息を呑む。茉莉花だけが笑みを浮かべていた。

 

『ほう。では何のためにあるというのだ。貴様らの命は計算と調整の上に成り立っている。緻密な計算式を貴様らの代で終わらせるというのか? その場凌ぎの人間の欠陥部品となって、この月面で潰えるというのか?』

 

「いえ、私達は潰えません。ここで消えるために、この命があるはずではないからです」

 

『痴れ者が。言葉を慎め。貴様らを造り上げたのは我々だぞ。百五十年前……遺伝子組成を惑星より持ち出し、禁忌とされてきた人間の遺伝子をもって造り上げた末端兵共が、調子づきよって』

 

「それなら、より一層、です。だって、造られたはずの彼女は……鉄菜は人間でした。だったら、余計に胸を張れます。鉄菜が今を生きているのですから。同じ穴のムジナだというのならば私達だって生きていけないはずがないのですから」

 

 暫時沈黙が凍て付いたように降り立った。全ての時間を清算してもなお足りないほどの隔絶。それを噛み締めた末に待っていたのは相手の最終確認であった。

 

『……艦長だけの妄言ではないと判断するぞ。貴様ら全員の、罪の烙印だとな』

 

「……構いやしませんよ」

 

 不意に漏れた言葉はレーダー班の船員の声であった。彼は震える唇で言葉を紡ぐ。

 

「構いやしません……。だって、何のためにだとか誰のためになんて、どうだっていい! どうだっていいんだ! 俺達は……だって生きているんですから……命として生まれた以上、それは俺達の人生だ! あんた達の人生の勝手のいい駒じゃない!」

 

 手を振るったレーダー班は自分の仕出かした事の大きさに気づいたのか、顔を伏せて恥じ入った。

 

 だが、何も恥じ入る事も、ましてや憤りを感じたその心を否定する事もない。

 

「その通りです。私達はもう、一個ずつの命。だからあなた方の意見に反する事もまた、命だからです」

 

『余計な試行反射を作り上げてしまった。脳内に寄生するバグだ。悪い虫を取り除いてやろうというのに、それを甘受出来んか。愚か者共め』

 

『こちらの菩薩の如き慈愛を忘れ、生んでやった恩義も忘れるか。離反者風情が、作り物の命一つで、何が出来る?』

 

『造物主に反して、貴様らは何を手に入れたい? 報復作戦だけならば、もう成る。それを何も、負け犬の側で見る事もない。勝者の目線に立ちたくはないのか?』

 

「まことに勝手ながら、そんな目線なんて――クソ食らえです、皆様方。私達はブルブラッドキャリア。抗いの声を上げる者達。その声を止める事なんて誰にも出来ない。それが作り物でも! それが、あなた達の意に反するものであったとしても!」

 

『……致命的な欠陥だ。貴様らは全員、廃棄処分としよう。なに、もう五年あればもっと優秀な人間を造れる。その間の惑星との緊張状態の計画はもう練れてある。貴様らは大きな好機を逃した。その過ちを知るがいい。我らが鉄槌を持って!』

 

『来い! 梨朱・アイアス! 《モリビトセプテムライン》が裁く!』

 

 茉莉花がハッとしてキーを叩く。しかし誘導灯が灯ったままのゲートは閉じる事がなかった。

 

「ゲート開閉システムに強制介入……、他のシステムは捨て去って完全に《ゴフェル》を破壊する気ってわけ……」

 

 睨み上げた茉莉花に上層部は嘲笑う。

 

『相応しい末路というものがある。貴様らはここで、最も惨く死に絶えろ。ブルブラッドキャリアの明日の礎……最強の血続の経験値として!』

 

『なに、デブリになっても部品はいくらでも使えよう。その身、死しても組織の糧となれる事、幸運に思うがいい』

 

 ニナイは歩み出て、画面越しの相手へとサムズダウンを寄越した。

 

「――クソッタレです。皆様方」

 

『……つまらん人間になったな、ニナイ。育ての恩を忘れた人造種など、その程度よ』

 

 通信が途絶し《ゴフェル》のシステムが戻ってくる。それでも、与えられた衝撃は大きかった。ニナイは覚えずよろめく。

 

 ――自分達も広義では鉄菜と同じ人造種……。

 

 分かっていたつもりではあった。理屈では飲み込めた。それでも、やはりというべきか、心で理解出来るかどうかでは違っていた。

 

「……ニナイ。今は相手の繰り言に呆けている暇はないわ。《セプテムライン》が真っ直ぐに来る。《モリビトシン》との戦いを打ち切ってまで、ね」

 

「どうするの……。ゲートは閉ざせない」

 

「簡単な事よ。安全牌を振りたくって扉を閉ざす道を選んだだけ。迷わないのなら、進めばいい!」

 

 ニナイは面を上げる。漆黒の暗闇と機械の密集地へと。迷わないのならば、ただひたすらに進め。

 

 拳に力を込め、ニナイは言い放っていた。

 

「《ゴフェル》、そのまま前進! こうなったら意地でも進み通すわよ。私達の道を!」

 

 それが罪に塗れていても、構うものか。もうこの身一つの命だ。

 

 ブリッジの全員から了解の復誦が返る。タキザワが通信を繋いでいた。

 

「……馬鹿やったって、思ってる?」

 

『いいや。最高だったよ。これまでで一番、リーダーらしかった』

 

 掲げられたサムズアップにニナイは苦笑を寄越していた。

 

「ああ、もうこれまでね」

 

『ああ、これまでだとも。だが同時にこうとも言える。これからだ、と』

 

 そう、最早退路は消え去った。ここからはただしゃにむにでも、進むだけ。

 

「前方に熱源感知!」

 

 レーダー班の報にニナイは声を飛ばす。

 

「銃座?」

 

「いえ、これは……。精密機械です、とてつもなく大きな……。何だこれは……。特徴的な高周波を確認! いくつも重なって……音楽……?」

 

「音楽?」

 

 覚えず聞き返してしまう。レーダー班が別の言い回しを探ろうとしている中、茉莉花は言い放つ。

 

「いえ、合っているわよ、多分。宇宙の真空の闇を、引き裂く高周波。禁断の音響楽器。それは災厄をもたらす……」

 

「茉莉花……どういう」

 

「辿り着いた、という事よ。ご覧なさい、あれが――」

 

 眼前に迫ったのは広大な機械の洞であった。周囲の偽装皮膜が解除され、その全容を晒していく。

 

「これが、月面の……プラントだって言うの?」

 

「ええ。モリビトの生まれた場所。そして、還る場所でもある」

 

 どこか得心が言ったように口にする茉莉花は気密服に袖を通していた。どういうつもりか、問い質す前にこちらのサイズに合ったものを突き出される。

 

「艦長でしょう? 来なさい。来る義務があるわ」

 

 その強い語調にニナイは躊躇う。

 

「でも……艦のみんなを残して……」

 

「時間がないのよ。どれほど鉄菜・ノヴァリスが時間稼ぎをしてももう十分もない。艦内の全員を連れて行く事は出来ないわ。同行はタキザワ技術主任とあの胡散臭いアルマジロ……ゴロウだけにしなさい」

 

 ブリッジの全員に視線を巡らせる。彼らはただしっかりと頷いていた。

 

 たとえ作り物でも信頼関係だけは本物のはずだ。今まで潜り抜けてきた。これからも同じと信じたい。

 

「……分かったわ。みんな、艦を」

 

「任せてください」

 

「《セプテムライン》を押し返せばいいんでしょう? 砲撃手は腕利きですから」

 

 掲げた拳も少し震えている。彼らだって怖いはずだ。それでも繋ごうとしてくれている。

 

 前に、進もうとしてくれている。

 

 ならば、自分は進むべきだ。そうと決めたのならば。

 

「艦内に。タキザワ技術主任とゴロウは艦外へとこれから向かってもらいます。詳しくは……」

 

 歩きながら仔細を語ろうとしたところで、ブリッジに入ってきた瑞葉と鉢合わせする。

 

 両者共に言葉をなくした。瑞葉はしどろもどろになる。

 

「なに? 時間はないのよ」

 

 茉莉花の単刀直入な物言いに瑞葉はようやく口にしていた。

 

「その……わたしも連れて行ってもらえないだろうか」

 

「……どうして? あなたに何が出来るの? 人機にも乗れないくせに」

 

 どこか茉莉花には突き放す語調がある。探りかねていると瑞葉は前のめりに言い放っていた。

 

「人機にも……必要ならば乗る。だからわたしを……クロナだけに戦わせたくないんだ、わたしにも出来る事があるのなら……」

 

「……聞いていたでしょう? さっきの。同情しているの?」

 

 自分達も広義では被造物に過ぎない。その面が全くないわけではなかったのだろう、瑞葉は面を伏せる。

 

 茉莉花は腰に手を当ててハッキリと言い切っていた。

 

「作り物、作り物って……あなた達、よくこだわるわね。さっきの艦長のあれが答えよ。その答えに同意し切れないのなら、あなたは残りなさい」

 

 思わぬ茉莉花の言葉に気圧されつつ、ニナイは瑞葉を見据える。

 

「……私達は、前に進みたい」

 

 それががむしゃらな答えになるのならば。躊躇っていた瑞葉は頭を振って、声にしていた。

 

「わたしも……力になりたいんだ。……同じだとか言えば、気分を害するかもしれないが……」

 

「とんでもないわ。瑞葉さん、あなたはもう、立派な……」

 

 そこから先を口にしようとして茉莉花が背中を叩いた。

 

「湿っぽいのはなし! さっさと気密服を取ってきなさい!」

 

 前を行く茉莉花に瑞葉はこぼしていた。

 

「ありがとう……」

 

「……認めたわけじゃないっての」

 

 どこかで窺い知れない何かがあったのかもしれない。そう思いつつ、ニナイは通信に声を吹き込んでいた。

 

「タキザワ技術主任とゴロウ、それに茉莉花と瑞葉さんが同行してくれるわ。月面のプラント設備に仕掛けるわよ」

 

『仕掛けるって……おっと、爆薬でも置いていくって言うのかい?』

 

「もっと連中にとって痛い置き土産よ。喜びなさい」

 

 茉莉花の介入した声音に、『おっかないんだから、もう』とタキザワは文句を漏らす。

 

 整備デッキに訪れるとちょうど気密服に袖を通そうとして、つんのめっているところのタキザワを発見した。

 

「……何をやってるの」

 

「慣れない役目だからね。現場に赴くって言うのは」

 

「だからって、整備デッキで今まで気密服なしでいたって言うの?」

 

 整備デッキは当然の事ながらカタパルトへと通じている。いつ穴が開いてもおかしくはない場所なのだ。

 

 タキザワは愛想笑いを浮かべて頬を掻く。

 

「いや、色々あったからね。ちょっとばかし……浮かれていたのかも」

 

 それだけではないのは彼の目線からしても伝わってくる。先ほど上層部に喧嘩を売ったのが聞こえていないはずはないのだ。

 

「……あれが答えかい?」

 

 気密服のメンテナンスをしながら彼が尋ねる。ニナイは首を横に振っていた。

 

「分からない。……場の空気で言っちゃっただけかも」

 

「いいさ。そっちのほうが、よっぽど……」

 

 濁した言葉の先を追及する前に整備スタッフが声を飛ばしていた。

 

「艦長! 第三カタパルトを開けておきます! そこから!」

 

「了解したわ!」

 

 整備班が拳を固めて掲げる。

 

「先ほどの艦長の啖呵、痺れましたっ!」

 

 どこか気恥ずかしさを覚えながらニナイは手を振る。前を行く茉莉花は振り返る事もなく、機械の洞へと足を踏み入れていた。

 

 周囲は完全な闇の中に没している。

 

 気密服に備え付けられたライトだけが頼りであった。

 

「茉莉花、よく迷いなく……」

 

「数式はハッキリと見えているから、ブリッジよりかはマシよ」

 

 そのようなものなのだろうか。機械の洞の入り口へと茉莉花は淀みなくコンソールへと取り付き、パスコードを打ち込んでいく。

 

 展開した扉と格納コンテナの間に位置する小さなダストシュートへと茉莉花は誘導していった。

 

「大きな扉のほうじゃなく?」

 

「あれは出撃用のカタパルトよ。人間はこっち」

 

 人一人分が入れればいいほどの申し訳程度の穴である。壁に手をつきながらゆっくりと進もうとするが、茉莉花は迷わず前を進む。

 

 本当に彼女には数式が視えているのだろうか。今さらその眼を疑うわけではなかったが、ここまで逡巡の一つも浮かべないとなれば余計に怪しい。

 

『……疑ってる?』

 

 タキザワが肩に触れ接触回線で聞いてきた。彼にも思うところがあるのだろう。気密服の接触回線は他の者には盗聴されない。

 

『少し、ね……。茉莉花に何度も助けられたけれど、それでもまだ信じられないのよ。人間型端末だなんて』

 

『存在情報として知っているのと、目の前にするのは違う、か。……僕だって完全な信用を置いているわけじゃないよ。ただ、僕らを陥れるのならば先ほどの罵り合い、こっちにつく利はないね』

 

 それはその通りであろう。茉莉花が真に利益のみを求めるのならばブルブラッドキャリア本隊についてもおかしくはないはずだった。

 

『……試しているって?』

 

『そこまでは。ただ、まだ読めない腹はあるって事だよ。こうやって声を潜めていても、向こうにはバレバレかもしれないが』

 

「着いたわよ」

 

 茉莉花が立ち止まった先には本当に何もなかった。ただの壁があるのみだ。

 

 まさか、行き止まりか、と声を詰まらせた一同に茉莉花が目線を振る。

 

「高速演算モードに入る。もう時間もあまり残されていないでしょう。ゴロウ、艦内データは」

 

『逐次保存している』

 

「結構。回線を繋いで。あなたと吾が最高のパフォーマンスを発揮すれば、ものの五分……いえ、三分で構築してみせましょう」

 

 ゴロウが内側からケーブルを差し出す。茉莉花はそれを引っ手繰り、壁に取り付けた。

 

 瞬間、壁が銀色に波打ち、直後にはモニターやコンソールが浮かび上がっていた。

 

「最新型の、これは……電算回路?」

 

 モニターに表示された三次元図は盾と剣を合わせたような形状の鋭角的なフォルムをしていた。

 

「これより、《モリビトシン》の拡張パーツ……《クリオネルディバイダー》を設計する。なに、設計って言っても、一からやるわけじゃないわ。もう組み上がっている設計図通りにプラント設備を動かせばいいだけ」

 

 プラント全体が蠢動し、今まで静謐を貫いていた機械群が一斉に動き始める。

 

「……間に合うの?」

 

「それは賭けよ。好きでしょう? 分の悪いギャンブル」

 

 その言葉にはさすがに反論しかけて茉莉花は鋭い声音で遮っていた。

 

「声をかけないで。少しでも設計が狂えば完成しないんだから。三分か五分程度、お口をチャックするだけよ」

 

 制御系列に血脈が走り、プラントが本格的に稼動し始めていた。これを全て茉莉花一人でまかなっているのか、とその背中を見やる。

 

 今にも崩れ落ちそうなほど、小さな背中。幼い容貌に汗を浮かべ、その手は一切休まる事はない。

 

『……今は、黙って信じよう』

 

 タキザワの接触回線にニナイはその手を重ねるのみであった。

 

 


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