ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯228 夜明け前の

 大人達が叫んでいるのを耳にして、レンは身を潜めた。

 

 集会場でブルブラッドの煙草を吹かしながら、数人が言い合いをしている。

 

「だから! 地上戦闘用のナナツーをもっと回せって業者に! あり余ってるんだろうが!」

 

「斡旋する業者もアンヘルの根回しが怖くってだろうな。……足元見てきやがる。高値の中古品なんて要るかよ」

 

「それでも、買わなきゃこちとら生き死にがかかってるんだ。呑まなきゃならんだろうな」

 

 一人の大人が酒を呷り、グラスを地面に叩きつける。

 

「ふざけてやがる! 何もかもが! 俺達を嘗めてかかって、地上戦力の分散って考えもしないのかよ」

 

「そういや、話には聞いたがC連邦のアンヘル連中、締め付けが厳しくなるって噂だ。どうにも……ブルブラッドキャリアが降りたって聞いてからきな臭くなったよな」

 

 その言葉にケッと毒づく。

 

「じゃあよ、連中のケツに火が点いている間に俺達は徒党でも組むかい! そのブルブラッドキャリアとよォ!」

 

 やけっぱちな言葉振りに全員が目を伏せていた。

 

「……連邦の取り締まりはきつくなる一方だ。ナナツー、バーゴイルの安定供給も渋くなってきたところだし。ロンドなんて回っても来ない」

 

「ラヴァーズとか言う……連中への伝手は?」

 

 大人は頭を振った。

 

「あれは狂信者達の群れだ。俺達みたいな明日の我が身をどうこう言っている奴らとは水が合わないんだろうさ。実際、ラヴァーズ連中が一番に中古人機の中でも質がいいのを使っているのは皮肉だよな。武装に頼らない組織のくせに」

 

「《ダグラーガ》だろ。中立が信仰として成り立っているのさ。そういう性質の奴らには何言ったって。もうお花畑が沸いているんだよ。だからこそ、兵器を渡せって言っているんだが」

 

「いざという時の兵力には困りたくない。本当、人機を手にしてから人間ってのは」

 

 大人は薪をくべたドラム缶へと新聞紙を丸めて捨てる。確か、一ヶ月前の敵前線基地の情報であったか。

 

「業者が持ってくる敵の位置情報、当てになるのか? 今時、紙媒体なんて」

 

「さぁな。敵陣に踏み込まないと分からないもんだろ、こいつも。このコミューンに住んでいる奴らは腰が引けているんだよ。ナナツー乗りって言ったって、連邦じゃ一兵卒のレベルですらねぇ」

 

「トウジャを何とかして拿捕出来ないもんかねぇ……」

 

「馬鹿言ってんなって。トウジャなんて第三国に流れた噂すら聞かない代物だぞ? それに、連中が製造ラインを押さえている。どう考えたって無理だって」

 

「……でも、うちにもあるだろ? トウジャ……」

 

 その言葉にレンは耳をそばだてた。トウジャがこのコミューンにある?

 

「馬鹿、お前、それは言わないように約束立てがされていただろうが。……どこにレンの奴、潜んでいるのか分からねぇんだ。下手な事聞かれりゃ、お前、これだぜ?」

 

 首筋を引っ掻く真似をする大人に対面の大人は笑い声を上げた。

 

「レンに聞かれりゃヤバイ、か。アホらしいよな。このコミューンで唯一残ったガキ相手に、俺らはビビッてる」

 

「人殺しの眼ぇ、してる奴だ。見たら分かるだろ?」

 

「ああ、あん時は酷かったな。レンの妹とか言うガキを――」

 

 そこから先を聞く前にケーブルを引きずった統率者が顔を出していた。大人達が傅く。

 

「統率者……、そろそろこのコミューンもヤバイって噂です。どうします? レンを出させますか?」

 

「いや、まだだ。モリビトの扱いは慎重にせねばならん。……そういう取り決めになっておる」

 

「仰せのままに……。ですが、いざという時、何も出来なきゃ事ですよ?」

 

「あれを使うのは最終手段だ。封印されていた記憶が蘇る可能性がある。そうなった時、貴様ら……レンに撃たれないという確信があるのか?」

 

 その問いかけに大人達は渋面を作って頭を振った。

 

 何か隠されている。その予感はあったが、レンにはとんと見当もつかない。

 

 これ以上の情報収集は無駄か、とレンは裏路地を駆け抜けていた。トタン屋根を蹴っ飛ばし、一足飛びで二階層分を跳躍する。

 

 降り立った庭園では妹達が踊っていた。

 

「あっ、レンにいちゃん、おかえりー」

 

 妹達の声に癒される。彼女らは美しい花を摘んでいた。それらを王冠やアクセサリーにして遊んでいる。

 

 平穏だ、とレンは感じる。

 

 どこまでも平和な光景。自分達が決して冒されざる絶対領域。

 

 この場所に帰ってこられれば何もかもを忘れられる。嫌な事も、ささくれ立った心も、何もかもを。

 

「大人達は深刻そうな顔をしていた……。俺に出来る事はないのだろうか。せっかく……モリビトの鍵をもらったのに」

 

 首から提げている鍵をレンは掌に乗せていた。この鍵一つで自分は切り込み隊長を名乗れる。だが、切り込むべき戦場がなければこの大役も意味はない。

 

 欲を言うのならば、誰も死なないのが一番いいと思っていた。戦う必要性に駆られないのならば、それでいいではないか、と。

 

 だがそれは臆病者の理論だろう。闇雲でも敵を射抜くための技を会得するほうがまだ、生き甲斐になるというものだ。

 

 このコミューンは、とレンは空を仰ぐ。

 

 ――錆びたような黄昏の空。いつもそうだ。

 

 コミューン外壁の空は統率者が設計していると聞く。ならば、この斜陽の光景も常に統率者が管理しているのだろうか。

 

 夜が訪れる事のない、永遠の夕刻。代わりに昼も朝も知らない。知識以上では聞いた事もない。

 

「なぁ、このコミューンから、出たいか?」

 

 尋ねたのはどういう心境だったのだろう。自分はともかく、妹達はコミューンを世界の全てだと信用して欲しくはないからか。

 

 しかし、妹達はめいめいに答える。

 

「レンにいちゃんと一緒がいいー」

 

「一緒じゃなきゃ、やだー」

 

 まだまだ子供だな、とレンは妹達の頭を撫でていく。彼女らには自分が必要なのだ。

 

「ああ、そうだな。俺もモリビトなんだ。お前達を守り通してやるよ。全力で、な」

 

「うれしい! ねぇ、レンにいちゃん、オヤシロ様のところに行こー」

 

 その提案にレンは快く応じていた。階層を移動する大型エレベーターに乗り、舞を奏でる妹達を視野に入れながらレンは鍵を握り締める。

 

 いつか必要な力。いつか必要な身なのだ。ならば、一日でも長く戦えるように祈っておくべきだろう。

 

 辿り着いた地下階層でオヤシロ様が静かにこちらを見据えていた。レンは歩み寄り、その眼前で跪く。

 

「オヤシロ様、オヤシロ様……どうか俺達に、平穏を。敵には然るべき報いを」

 

「オヤシロ様ーっ、レンにいちゃんをまもってーっ」

 

「あたし、踊るからーっ」

 

 思い思いに踊り始める妹達にレンは諌める声を発していた。

 

「こら。あんまりふざけちゃ駄目だぞ」

 

「ふざけてないよ。オヤシロ様に喜んでもらうための舞だもん」

 

 訝しげに見つつも、レンはこの平和がいつまでも、絶える事なく続いてくれる事を切に願っていた。

 

「あっ、飛行機!」

 

 妹の一人が出し抜けに声にする。

 

 コミューン上空を全翼機が高度ギリギリで突っ切っていく。

 

「……だいぶ低いな」

 

 まさか爆撃機か、と身体を強張らせたレンに妹が声を上げた。

 

「オヤシロ様……怒ってる……」

 

 振り仰いだレンはオヤシロ様の苔むした頭部が赤く輝いているのを目にしていた。オヤシロ様が怒りに震えている。

 

 レンは合掌して唱えていた。

 

「オヤシロ様……お鎮まりください。お鎮まりください……」

 

「おしずまりくださいーっ」

 

 妹達も一緒になって唱える。幸いにして、先ほどの機影は爆撃機ではなかったようだ。

 

 完全にその姿が消えてから、汗を拭う。

 

「ああいうのがいるから、大人達が物騒な事を言うんだ」

 

 この平和を誰にも掻き乱されたくない。

 

 だからこそ、自分が前に出ていいのならばそれを喜んで受けよう。

 

 戦いは最終手段だが、別段、悪手とも思っていない。それが必要ならば、迷わず遂行するまでであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弱小コミューンの上空を飛翔するのは要らない緊張状態を加速するだけなのでは、という懸念はあった。

 

 だがこの位置で見たいという懇願ならば請け負うのがこの職務だ。

 

 眼下に広がるのはブルブラッドの濃霧が支配する荒涼とした大地。その中に点在する、白亜の中型コミューンの群れ。

 

 楕円の形状を持つコミューンはどれも似たり寄ったりであった。その思想も、である。

 

「攻撃的な思想を持つコミューンは排斥すべき、だと連邦内でも声が高まっている。しかし我が方は出来るだけ穏便な対処を、というのが前提でね。あまりアンヘル以外の部隊にはヨゴレを負わせたくはないのもあるが」

 

 そう切り出した連邦高官に形だけの謝辞を送る。

 

「立派な心がけだと」

 

「そうかな? 臆病者、と揶揄する声もあるよ。アンヘルが市民権を得ているのは、何もブルブラッドキャリアの脅威一つのせいではない。……つい数日前、攻撃論を唱えていた弱小コミューンが地図から消えたな」

 

 切り込んできた声音にやはりここでハッキリさせるつもりらしい、とこちらもカードを切っていた。

 

「……静止衛星上からの画像です。粗くって申し訳ありませんが関知されないギリギリの範囲でとの事でしたので」

 

 端末に送信した画像に高官はふんと鼻を鳴らす。

 

「……またこいつか。黒い謎の人機」

 

「情報は常に最新に進めております。ですが、隠密を主とする我々でもなかなか察知は難しく……」

 

「能書きはいいとも。これは何だね? もう何回も打ち合わせを踏んでいるが、誰も判で押したように同じ返答だ。調査中です、と」

 

 ここでは少しばかり発展的な議論が要求される。仕方ない、と機密情報レベルの低いものから口にする事にした。

 

「……我が方が独自に察知した情報網によると、あれはモリビトとの事です」

 

「モリビト? ブルブラッドキャリアが地上のがん細胞を焼いて回っていると?」

 

 無論、この論法には無理が生じるのも理解しての口振りであった。ブルブラッドキャリアはそれこそ数週間前までは敵視もされなかった勢力。完全に潜伏し、アンヘルの魔女狩りにも全く関知されずに済んだ連中だ。

 

 それが行動の範囲外から、コミューンを攻撃して回っているというのは理解し難いであろう。

 

「ブルブラッドキャリアの理念には地上勢力への報復が入っています。この機体……尖兵の可能性も捨て切れないかと」

 

「……だがアンヘルより連絡は来ている。海上にモリビトの艦は固定した、と。アンヘルの構成員は生え抜きだ。嘘を言うとも思えない」

 

 連邦議員の面持ちでありながら信用するのはアンヘルの情報筋か。その時点で歪んでいるのだと言ってやりたかったが、ここは我慢する。

 

「彼らは実際、事実を言っているのだと思いますよ。モリビトの艦は海に縫い止めた。ですが別働隊の線は拭い去れません。ブルブラッドキャリア……六年前にはモリビト以外の人機も導入したと言う話です。何も一小隊レベルの動きだけではないでしょう」

 

「詳しいな。関係者目線だ」

 

 どちらにしても勘繰られれば痛い横腹を晒している。この程度の揺さぶりは児戯だ。

 

「ちょっとばかし昔の職場の経験則が生きているだけです」

 

 その言葉に高官は感嘆の息をつく。

 

「軍人くずれには見えないな」

 

「それも、わたくし達の仕事ですので」

 

「存じているとも。しかし、情報が何よりも商品として機能するこの時代において、君達のようなまさしく、時代の寵児とこうして会話出来るとは思えなかったよ。名は……」

 

「――グリフィスと名乗っております」

 

 組織の名前を口にすると高官はフッと笑みを浮かべた。

 

「黄金を守る伝承の獣か。君達の守護する黄金、如何なるものか、未だ判別をつけかねている。それにはやはり、我々の関知の外にある情報というのが大きくってね。どうして一国家のレベルが追い詰められないのに、君達は常に先を行くのか」

 

「足並みの問題でしょう。国家が目を光らせるのと、神獣が見張る宝物では、質が違うというもの」

 

 暗に国家では一生かかってもこちらの目線は得られないという皮肉のつもりであったが、高官は特に意に介した様子はない。

 

「君のように、軍人くずればかりなのか? それとも、別系統の情報筋を?」

 

「申し上げられません。勝手に映るかもしれませんが……」

 

「いいとも。我々と君達はこうして対等以上の取引に持ち込む事が出来ている。その時点で、勝利者は決まっているようなものだ」

 

 まさか、この高官は自分達連邦国家こそが勝利者だと思い込んでいるのだろうか。だとすれば……とんだお笑い種であった。

 

「……貴方のような聡明な方ばかりならば助かるのですが」

 

「そうではないだろう? なに、同じ身分でも見ているものが違うとね。自然と何もかもが食い違うものなのだよ。食い違った連中を相手取るのは大変だろう?」

 

「顧客は選ばせてもらっていますので」

 

 高官は憮然と鼻息を漏らす。選ばれた側の顧客だという認識には間違いではない。

 

 ただし、愚直な人間も含ませてもらっている、とは言わないでおいたが。

 

「してこの人機……我々連邦国家に味方しているとも映らなくはない。利用は出来ないか?」

 

「利用……、ですか。思想が見えない事には難しいですね」

 

「ブルブラッドキャリアならば報復だろう。先ほど言ったばかりではないか」

 

「言いましたが、それは確定情報ではございません。ブルブラッドキャリアの線もある、という話でして」

 

「当てにならない事だ」

 

 相手の物言いに文句があってもこちらからは切り込んではやらない。どうせそれを後悔する頃には相手は失脚しているだろう。

 

 この情報戦でも高官は危うい綱渡りをしている。自国の諜報部に頼らず、こうして旅がらすの情報筋に頼っているのがその証。

 

 連邦国家の諜報部ならばそれなりの利益が見込めるだろうに、当てにしないのはこの男が諜報部への伝手を持っていないか、あるいは独善的な野心の塊かのどちらかだろう。

 

 後者ならばつけ込みやすくなる、と思案を浮かべていた。

 

「モリビトも、それに割く戦力も増してきている。ブルブラッドキャリアにはもう少し、出てくる時期を狙って欲しかったものだ。選挙が間近ならばまだよかったのに」

 

「得票率を左右するのに軍事への切り込みは絶対でしょうからね。我々を頼ってくれている分には、貴方の次の当選は確約しておきましょう」

 

 こちらの言葉振りに、当然だ、と相手はふんぞり返る。

 

「大枚を叩いている。それなりの働きは期待しているとも」

 

「この全翼機での会合も、無償ではありませんから」

 

 その時、手首に巻いた端末に新たな情報が舞い込んできた。にこやかに笑みを浮かべて、「失礼」と下がっていく。

 

 全翼機のスタッフルームで一人の女性が壁に背を預けていた。

 

「何?」

 

「何やないやろ? あの高官、これ以上の情報は持ってへんやろうし、もう引き止める意味もないやん。――彩芽」

 

 名を呼ばれ彩芽は逡巡を浮かべる。

 

「でもわざわざステルス一機を貸し切りにしてまで話したいって言うのは相手も相当な覚悟があるはずよ。まだ聞き出し切れていない」

 

 何のために航空許可証を取り付けて全翼機を飛ばしたと思っているのだ。相手がどれほどの富裕層でも大金を何の未練もなく払う意味はない。

 

「……こっちが思ってるより相手の持っている情報、しょうもないかもよ? あっちは謎の人機を照合しろの一点張りやん、さっきから」

 

「それが切り札なのかもしれないわね」

 

 彩芽は謎の人機と目されている機体の名称まで割り出していた。別のフォルダには不明人機の推定スペックまで特定済みである。

 

 相手が知りたい情報は持っている。問題なのは渋られてしまえば、こちらもとんだ大損だという事。

 

「さっさと情報、出したほうがええ時もあるよ? あんまし情報出さなくても警戒されるし……。なに? 情報をもう買い押さえている別勢力でもあった?」

 

「いや、これに関してはないけれど……、妙なのよね。連邦国家だって自分達の仕事を横から掻っ攫われていい気分なはずもない。むしろ、不気味に感じているはずなのよ。この不明人機に関しては。だって言うのに、あの高官止まりなのが」

 

「不自然、か」

 

 言葉尻を継いだ相手に、彩芽は言い含める。

 

「もう少し粘ってみる。それでも無理ならちょっとしたお小遣いで帰ってもらうわ」

 

「グリフィスの情報網にもかからんとなると……本格的にアレかもなぁ。彩芽、あんたの言っていた……」

 

「――バベル、かしらね。それで情報制限をかけているとしても痕跡は残るのよ。その痕跡さえも消しているとなれば穏やかじゃないわ」

 

 バベルを発展させたか、あるいはそれ以外の情報手段に打って出ている可能性がある。

 

 いずれにせよ、連邦政府の陰謀が見え隠れする現在、高官を揺さぶるのが一番効果的であろう。

 

「あれ、ほんまに知らん顔かもよ? それかしらを切る達人か」

 

「どれだけ能面貫けたって、ここから弱小コミューンに降ろすって言えば口を滑らせるでしょう?」

 

 その言葉振りに相手は微笑む。

 

「ほんま、退屈せんわ。彩芽、あんたと組んでからというもの、な」

 

「グリフィスの眼からは逃れられない。黄金を抱えている以上、その監視網から逃れる術はない」

 

 高官が黄金を持っている確証はある。問題なのはその黄金が情報筋なのか、あるいはそもそも彼の存在そのものなのか。

 

 見極めは自分達自身で行うしかない。

 

「貴女も口説けば?」

 

 彩芽の提案に相手は手を払った。

 

「無理無理。うちやったらすぐにこれやわ」

 

 指鉄砲を向ける真似をする相手に彩芽は、そうねと笑う。

 

「底意地悪くても、相手に合わせるのが商売ですもの。もうちょっとだけ、ラウンド決めてみるわ」

 

「無理そうやったら強攻部隊を呼んで。いつでも行くから」

 

「当てにしている」

 

 そう言い置いて彩芽は高官の前に出ていた。

 

 自分が取って返していた間、情報の進展があったのか、何やら眉根を寄せている。

 

 こういう時に相手を掌握するのが自分の仕事だ。

 

「さぁ、腹を割って話しましょう。これからの良好な関係性のために」

 

 次の幕が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘイルは自分を見つけるなり、おいと声を張り上げた。

 

「お前……ヒイラギ! 自分が何をしたのか、分かって――」

 

 怒声を制したのは隊長である。燐華は挙手敬礼を寄越した。相手が返礼し、言葉を発する。

 

「……命令違反で封印指定の人機の確保。どれほどの重罪なのかは承知だな?」

 

「分かっています。ですがこれがなければモリビトには追いつけない」

 

「だからって、《ラーストウジャカルマ》だと! あれは、まだ解析措置の途中なんだぞ!」

 

 噛み付きかねない剣幕のヘイルに比して隊長は冷静であった。いつもと同じ面持ちで問いかけてくる。

 

「ヒイラギ准尉。お父上の力を借りたと聞いた。その方は?」

 

「今は、偉い方々とお話し中です。あたしはただのアンヘルの兵士ですので、政には」

 

「それを分かっていて、権力を使ったって言うのか!」

 

 諌める隊長の声にも意に介せずヘイルは吼え立てる。しかし燐華は今までのような子犬の対応からは一転した態度を取っていた。

 

「いけませんか? あたしだってアンヘルの仕官です。封印指定を閲覧する権利は持っています。それでも不服ならば、これを。現場からいただいた許可証です。タカフミ大尉の署名が入っています」

 

「許可証だと……」

 

 こちらが翳した端末をヘイルが引っ手繰る。その面持ちが少しずつ青くなっていくのが窺えた。どれもこれも、嘘を言っているわけではないと理解したのだろう。

 

「タカフミ・アイザワ……。本当にあの伝説の操主のサインなのか?」

 

「間違いないかどうかは問い合わせていただけば」

 

 ヘイルは隊長へと端末を手渡す。隊長は一度首肯した後、すぐに自分に返していた。

 

「間違いない。彼の文字だ。しかし、《ラーストウジャカルマ》とは。大きな借りをお父上に作ったものだ」

 

「そ、そうだぜ! お前、勝手にこんなものを宇宙にまで上げて……。部隊責任ってものを知らないらしいな!」

 

「ですが、あたしが先行しなければまさかブルブラッドキャリアが宇宙に上がっているなど、誰も予想出来なかったのではありませんか? だからこそ、第三小隊に辞令が下りるのが早かった、とも」

 

「……てめぇのお陰だって言いたいのか」

 

 眉を跳ねさせたヘイルを隊長は一声で制する。

 

「ヘイル、落ち着け。現場判断という面においてはヒイラギ准尉の言い分にも分はある」

 

「しかし、隊長! 俺らが地上でモリビトを追っていたのが、まるで無駄みたいな言い草を……!」

 

「これは大きな借りだと思うべきだ。宇宙に我が方の部隊員がいたお陰で、旧ゾル国の軌道エレベーターへの許可が降りた。いい塩梅にモリビトを追える口実が出来た」

 

「……こいつの功績だって、隊長も言いたいんですか」

 

「全面的に肯定はしないとも。だが、一部分では認めざるを得ない」

 

 隊長の言い草にヘイルは鼻を鳴らす。

 

「……ちょっと外の空気を。ゾル国くさいったらありゃしねぇ」

 

 整備デッキを離れていくヘイルの背中を見送った後、燐華はどっと疲弊したのを感じた。

 

 彼を前にしてここまで毅然とした態度を取ったのは初めてである。いつもは草食動物のように怯えるしかなかった自分が、相手に食ってかかった。それだけでも背筋に嫌な汗を掻く。

 

 慮ってか、隊長が笑みを浮かべた。

 

「言うようになったな。准尉」

 

 その語調に少しだけ救われた自分を発見しつつ、燐華は声を小さくする。

 

「……その、やはり軍規違反でしょうか」

 

「厳密にはそうなるだろう。上官である自分が告発すれば」

 

《ラーストウジャカルマ》を眺めた隊長に燐華はどのような罰でも、と自分に言い聞かせようとしたが、やはり駄目であった。

 

 自ずと涙が溢れ出てしまう。

 

「すいません……、隊長」

 

「泣くのは早いぞ、ヒイラギ准尉。まだ慣らし運転もしていないのだろう?」

 

 思わぬ言葉に燐華は目を見開く。隊長は口元を綻ばせた。

 

「部下のちょっとした冒険心、潰えさせるのが上官の正しい在り方とも思えん」

 

「許して……くださるんですか……」

 

「ヒイラギ准尉。戦果だ」

 

 不意に発せられた声に燐華は面食らってしまう。

 

「……何を」

 

「戦果こそが、過ちを取り戻す術だと言っている。自分にまだ使いこなすと言う自負がないのならばせめて戦果を挙げてみせろ。それがモリビトの腕一本でも、武器一丁でもいい。しゃにむにしか思えない働きでも構わない。君なりの戦果を挙げる事だ。これは何も武勲とイコールではない」

 

「武勲では……ない?」

 

 疑問符を浮かべた燐華に隊長は視線を流す。

 

「アイザワ大尉ほどの人物が認めたんだ。それなりの無茶をしたのは窺える。その無茶をもう一度とは言わん。戦場では無茶は許されない。無謀も然り。だが、地に足のついた戦果ならば話は別だ。君は戦果をもたらせ。我が方に、な。どのような形でもいい。《ラーストウジャカルマ》……封印された力を使うというのならば、君にしか出来ない戦果を期待する。自分が言いたいのはそれだけだ」

 

 隊長は怒ってもいいはずだ。自分に対して、身勝手な事をした、と叱っていい身分のはずなのに。

 

 どうして隊長はこうも優しいのだろう。その言葉と振る舞いに、ついついかつての兄を見てしまう。

 

「……隊長は、あたしの……兄と同じような事を言ってくださるんですね。兄はいつでも、身体の弱いあたしに勇気を与えてくれました。どんな場所でだって羽ばたけるだけの資格があるんだと」

 

「そうか……。いいお兄様を持ったな」

 

 その兄も、もういない。この世に自分を繋ぎ止めてくれる人達はみんなどこかへと旅立ってしまう。

 

 ならば、もう世界への未練は捨てよう。この生に執着するよりも全ての因縁を返す。

 

 それこそが今ここに生きている自分に課せられた使命なのだ。

 

「あたし、《ラーストウジャカルマ》に乗ります。隊長が言ってくれたお陰で、最後の戸惑いが消えました」

 

 約束された戦地での、最大の戦果を。敬礼した燐華に隊長は首を横に振る。

 

「何も、大した事はしていない。歩みを進めたのは君の意思だ。ヒイラギ准尉。ならばせめて止まるな。我々が立ち止まっても君だけは歩み続けろ。それこそが、憤怒の罪を背負うだけの覚悟になる」

 

「最大の戦果を! そしてアンヘルに勝利を!」

 

 掲げた声音に隊長は微笑んだ。

 

「気負うなよ。君だけの作戦ではない。我々全員で勝ち取るんだ。本物の勝利を」

 

 その時こそ、自分の前に栄光は輝く。

 

 燐華は胸に刻んで、《ラーストウジャカルマ》を視野に入れる。

 

「戦い抜きます……。だから見ていて、鉄菜……」

 

 


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