ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯227 追えない背中

 廊下を折れたところで不意に出くわした瑞葉に、茉莉花は目を見開いていた。その数式に思うところがあったのだ。

 

「……あなたね。すごい数式。面白いわ。ブルーガーデンの造り上げた、最大の功績。強化実験兵の生き残りなんて」

 

 瑞葉は悲しげに眉を伏せる。おかしい、と茉莉花は感じていた。

 

 数式が戦闘を主とする者にしてみてはあまりにも……変動している。

 

「ねぇ、人機には乗らないの? あなたのためなら見繕ってあげるわ。ジャンクでも、あなたなら一級の人機に仕立て上げるでしょう?」

 

 茉莉花は少しばかり浮き足立っていた。人造兵士。その中でも最上級に位置する強化兵をどれほどの高みに持っていけるのか。ワクワクする、という感情が最も適任であった。

 

 ――しかし、瑞葉からはまるで戦闘の気配は感じられなかった。それどころか、現れたのは凡俗の数式である。

 

「……わたしはもう、人機に乗る事は」

 

「ねぇ、どうして? あなた、だってよっぽど……あの血続姉妹よりももっとよ? もっと適任なのに、何で? 何で乗らないの? 人機に乗れば一番高いところに行けるわ。素晴らしい領域に! だって言うのに、何で拒絶するの? 戦いへの意志を! その崇高な数式を! ホラ! 今もこの数式……信じられない、これほどの人機との適合率なんて、見た事ないわ!」

 

 興奮気味に語るこちらに比して、瑞葉はどこか醒め切っていた。

 

「……クロナに誓ったんだ。もう戦わないと。クロナだけじゃない。タカフミにも、少佐にも誓った。……戦わないでいい未来があるのだと。彼らに教えてもらったわたしが、そう軽々と人機に乗っていいわけがない。わたしからしてみればそれは安直な逃げだ。自分の居場所が、人機の操主席にしかない、なんて」

 

 茉莉花は瑞葉の言葉に胡乱そうに眉をひそめた。

 

「何それ。……言っておくけれど、あの操主姉妹のどっちにも言わない事ね。それ、嫌味以外の何者でもないわよ。鉄菜・ノヴァリス、桃・リップバーン、それにミキタカ姉妹……そのどれもを凌駕する才能を持っていながら、その言い草? ……持たざる者には一生分からないものでしょうね。才覚があるのに使わないなんてもったいないったらありゃしない! 今からでも《モリビトシン》のシステムOSをあなた専用に作り変えてもいいくらいに! とっても人機に見合っているのに、何で? 何で戦いを拒絶するの!」

 

 瑞葉は言葉を選びかねている。当然だろう。これ以上ない適任者だ。人機を動かすのに、最良の存在だというのに。

 

「……戦わないでいいのだと、教えてくれた人達を、わたしは裏切れない。彼らは必死になってわたしの居場所を作ってくれた。どれだけでも、無茶をして……。だから応えなければならないんだ。わたしは、戦わない事で」

 

 その発言を聞いて茉莉花は呆れ返っていた。過ぎた日和見もここまで来れば重傷である。

 

「……戦わない事で何が示せるって言うの? 《ゴフェル》にいる以上、最悪の場合は戦ってもらうわよ。たとえそれを鉄菜・ノヴァリスが拒んでも。あなたが戦わない事で消えてしまう命もあるって覚えておく事ね」

 

 鼻を鳴らし、茉莉花は身を翻そうとする。その背へと声が投げられた。

 

「……わたしに、戦う以外に出来る事はないのだろうか。クロナや、みんなのために、出来る事を模索したい」

 

 どこまでも、と茉莉花は苛立ちを募らせる。

 

「……さぁ? 知らないわ。身勝手に戦いたくないって言うくせに、今度は役に立ちたいですって? 自惚れない事ね。戦いしか向いていない人間がそうも容易く色んな事が出来るなんて。あなたは戦闘機械なのよ。どれだけ言い繕ったって、ブルーガーデンの強化兵。だって言うのに、一端の人間みたいな事を言っちゃって……。気に食わないったらありゃしない」

 

 こちらが不機嫌になるのに、瑞葉は困惑しているようであった。

 

「……すまない。わたしには、誰かを幸福に出来るような、そんな資格はないのだろう。それでも、クロナには……恩を返したい。どれほど返し難いものでも、それでもわたしは……」

 

「恩義、ね。勝手な都合よ、そんなもの。鉄菜・ノヴァリスが勝手やって、あなたまで勝手に振る舞えば吾みたいに気に食わないって思う人間は出てくる。せいぜい、後ろから撃たれない事ね」

 

 手を振って会話を打ち切る。

 

 もっと有意義な事が聞けるかと期待していた。相手はブルーガーデンの生き残り。ともすれば自分の求めていた答えがあるかも知れない、と。

 

 だが、とんだ見込み違いであった。

 

 あんな眼をした人間は、戦士ではない。

 

「……本当に、とんだ見込み違いばっかり。この舟は」

 

 こぼした途端、アラートが鳴り響いた。茉莉花は瞬時にシステムへと繋ぎ、敵の熱源関知を脳内に叩き込む。

 

 廊下でうろたえている瑞葉に叫んでいた。

 

「敵襲よ! 戦えない人間はさっさと逃げ隠れすれば?」

 

 自分は他の者達をバックアップしなければならない。駆け出し始めた茉莉花は真っ直ぐにメインブリッジに向かっていた。

 

 ニナイがこちらへと向き直る。

 

「早かったわね」

 

「嘗めないで。システムを掌握しているのよ? で? 何が近づいてきているって?」

 

「人機が一機……。信号はアンヘル。でも、妙なのは識別信号に参照データが存在しない事」

 

「未確認の人機、っていうわけ。四人とも、聞こえているわね?」

 

 整備デッキに向かっているであろう操主四人へと茉莉花は接続する。

 

「現状、《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》は下手に出せないわ。《モリビトシン》による単騎迎撃に入る。もしもの時のバックアップに《ナインライヴス》は甲板に固定。《イドラオルガノン》は待機」

 

『待機? 冗談! 出られる!』

 

 林檎の声に茉莉花は舌打ちする。

 

「出てもいいけれど、墜とされるわよ。それと分かっていてなら、話は別だけれど」

 

 林檎が渋々と言った様子で引き下がる。モニターに鉄菜の姿が映し出された。

 

『《モリビトシン》で迎撃……。月面へは?』

 

「まだ半日はかかる見込み。その間攻められれば痛い。この敵、どうしても墜とさなければ禍根を残すわ」

 

『了解した。発進シークエンスに入る』

 

 通信を切った鉄菜に茉莉花は息をつく。ニナイが顔を覗き込んできた。

 

「……何かあった?」

 

「……どうして分かるの?」

 

「ちょっと、らしくなかったから」

 

「らしくなかった、か。そうね、らしくなかったかもしれない。……ニナイ艦長、あれは分かっていて収容しているのよね? ブルーガーデンの生態兵器」

 

 どうしても誰かに問い質したかった。分かってて戦闘をさせないようにしているのか、と。

 

「……鉄菜の提案よ。無碍には出来ないわ」

 

「その言い草じゃ、あなたも疑問には感じているわけ。あの瑞葉って言うのあまりにも……人間らしいから」

 

「そうね。思っていたよりずっと人間っぽくって私達も掴みかねている。でも、それはいいんじゃないの?」

 

「いい? どういう事?」

 

 問い返した眼差しにニナイはどこか明日への展望を浮かべていた。

 

「だって、鉄菜は変えられた、って思えたから彼女を連れて来たんでしょう? それはきっと、いい事なのよ」

 

「いい事、ね。……どうにも解せないわ」

 

「解する必要も、ないのかもしれないけれどね」

 

 それが解せないという事なのであるが、茉莉花は答えを保留にした。

 

 今は月面到達まで少しでも損耗を避けたい。理解出来ない事象は後回しだ。

 

「にしても……あの人機」

 

 拡大モニターに表示された敵人機に茉莉花は絶句する。

 

 トウジャとも他の現存する機体とも違う。紺色の疾駆に違いない姿なのであるが、肩口が異様に発達しており、背中には増設ブースターを備え付けられている。

 

 一目で高機動型だと判断出来るが、問題なのはその手首から先であった。

 

「手首から先が……ないように見えるわね」

 

 手首から先のない人機など目にした事がない。どのような特殊機構が組み込まれているのか全く不明であった。

 

 数式を読もうとしても、宇宙空間であるせいか、上手く読み取れない。

 

「……只者ではない。それだけは確か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 カタパルトより火花を散らせて出撃した《モリビトシン》がすぐさま敵影との会敵ルートへと入る。

 

 先んじて送られてきたデータには手首から先のない人機である事が留意するように、と送付されている。

 

「手首から先がない……? 面妖な」

 

 Rシェルソードを抜き放ち、《モリビトシン》は敵人機へと推進剤を棚引かせて肉迫した。

 

 敵がどう対応するのか、全く読めない。それでもこちらの剣筋のほうが速ければ何の問題もない。

 

 確実に両断すると思われた一閃を、不明人機は手首より顕現させた粒子束で受け止めていた。干渉波のスパークが散る中、鉄菜は目を見開く。

 

「まさか……リバウンド兵器の手だと?」

 

 袖口より現出したのは一本の刃である。黄色いリバウンドの刃によってこちらの剣が押し返された。

 

 再び刃を叩き込もうとRシェルライフルで牽制の弾幕を張る。敵人機は刃を突きつけた。分散した刃が後光のように拡張し、こちらのリバウンドの銃撃を全て弾き返す。

 

「リバウンドシールド? そんな技術が……!」

 

 周回軌道より呼気一閃。寸断の勢いを伴わせた一撃を敵はリバウンドの手で受け止めていた。黄色く染まったリバウンドの指先がRシェルソードの刀身を融かしていく。

 

「何ていう熱量……、だが!」

 

 振り払った勢いで敵人機を蹴りつける。距離が離れた一瞬の隙をついて銃撃を浴びせようとしたが、不明人機の反応は遥かに素早い。

 

 すぐさま下方へと流れていった敵の機動力に鉄菜は舌を巻く。

 

「高機動人機……、それも接近戦用の。相性は悪くはないはずだが」

 

 敵を捕捉しようと照準器に入れた鉄菜が何度も引き金を絞る。それでも敵人機に追いつく事さえも出来ない。

 

 遠大な軌道を描いて敵がこちらへと接近を試みる。粒子束の刃が鋭く輝き、引き裂かんと迫った。

 

 ここで退くわけにはいかない。Rシェルソードを振るい上げそのまま打ち下ろす。

 

 スパーク光が激しく明滅する中、敵人機の肩口が不意に開いた。

 

 展開した部位から放出されたのはブロック状の外套である。リバウンドエネルギーの外套を身に纏った敵に、何だ、と疑問を浮かべる前に思わぬ斥力が《モリビトシン》を激震した。

 

 敵はリバウンドの外套を払っただけだ。

 

 それだけなのに、敵から大きく距離を離された。

 

 ダメージは、と目にした鉄菜は瞬時に注意色に染まった機体データに目を戦慄かせる。

 

「あの外套……瞬間的なダメージを人機に叩き込むのか」

 

 敵は両肩より外套を翻させ、両腕からは悪鬼の如きリバウンドの爪を放出している。

 

 近づけばRシェルソードでさえも対抗し切れないほどの粒子エネルギーで引き裂かれる。かといって距離を取ろうにも敵の機動力は遥かに上だ。

 

 超至近距離に持ち込めば思わぬダメージを受ける。敵には今のところ、死角がないように思われた。

 

 だが、と鉄菜は持ち直す。弱点のない人機など存在しない。この六年間、嫌でも思い知ったはずだ。どのような堅牢な人機であっても必ず攻め立てる弱点はある。

 

《モリビトシン》に武器を構え直させる。敵人機が推進剤を焚いてこちらへと白兵戦を実践してきた。両手のRシェルソードでまずは薙ぎ払う。その一閃を敵が受け止めた際、ゼロ距離でのリバウンドの銃撃を叩き込んだ。

 

 少なからずダメージになったはず、という目論見は辛くも外れた事を思い知る。敵の外套が前方に集中し、防御膜を形成していたのだ。

 

「防御にも転用可能なんて……」

 

 咄嗟にこちらのリバウンドの盾を前方に翳し、相手からのダメージを減殺する。それでもリニアシートが震え、機体ががたついた。

 

 右手に保持したRシェルソードが中心から切り裂かれているのを目にする。敵の出力に《モリビトシン》の武装が追いつけていないのだ。これ以上の継続戦闘は、と鉄菜は舌打ちする。

 

 敵の出方次第、と注意深く敵を観察していると、不意に空間を裂いたピンク色の光軸が不明人機を引き剥がした。

 

《ナインライヴス》の援護射撃に敵が下がっていく。元々、こちらの戦力をはかるつもりで仕掛けていたのか、敵の退き際は潔い。すぐさま戦闘領域を離脱した相手に、鉄菜は荒く息をついていた。

 

「あれほどの性能の人機……」

 

 まかり間違えればやられていた。その実感に背筋が震える。

 

『クロ! あいつ、逃げて……』

 

「今は、追わないほうが無難だろうな。こちらも損耗している。……Rシェルソードを焼き切るなんて」

 

 その言葉に桃は憮然と言葉を吐いた。

 

『ここで墜とさないと、厄介な敵になりそうね』

 

「だがあの機動力では追いついても薮蛇だろうな」

 

『二人とも、聞こえているわね? 月面までの軌道ルートが取れたわ。敵の人機が完全に離脱したのを確認後、《モリビトシン》は戻ってきて』

 

 茉莉花の言葉に桃は《ナインライヴス》のRランチャーを振りつつ、声を張り上げていた。

 

『クロの《モリビトシン》にダメージが! すぐに看てあげて』

 

『……《モリビトシン》を退けるか。それなりの敵であったという事だな。今、照合データをアンヘル内に探した』

 

 ゴロウの声音に《モリビトシン》を《ゴフェル》へと引き返させる。

 

『危ない事するなぁ……』

 

 タキザワの感嘆を他所にゴロウは告げる。

 

『あれは全く新しい機構の人機だ。我々の関知データには存在しない。ゆえに、新型機だと判断出来る。トウジャよりも素早く、どちらかと言えばモリビトに近い』

 

「モリビト……あれも、モリビトだと言うのか」

 

『確定情報ではないがね。モリビトに近いあの機体、アンヘルに転属命令が出ている機体との照合データが合致した。イクシオンフレームというらしい。アルファ……一号機が地上で《ゴフェル》の機関部を狙ってきた機体だ。さしずめあれは《イクシオンベータ》……二号機か』

 

「《イクシオンベータ》……、あれほどの機体、乱戦になれば必ず難しい敵となる。……墜とせなかったのは私の実力不足だ」

 

『そうね。推力、出力共に《イクシオンベータ》が勝っているわ。現状のモリビトでは勝利出来ないでしょう』

 

 茉莉花の言い草に、鉄菜は思うところがあった。

 

「現状の……と言ったな。当てはあるのか?」

 

『月面都市に入れば、ね。この状況からでも打開は可能よ。ただし、月面に何も仕掛けてないほど、ブルブラッドキャリアが迂闊だとも思えないけれど』

 

 月面には罠が存在すると見て間違いないだろう。それでも、と鉄菜は頷いていた。

 

「進むしかないだろう。たとえ敵の術中でも」

 

 茉莉花が嘆息をつく。

 

『今しがた仕掛けられたのにそれでも信じ抜く、か。……そういうところなのかもね』

 

「何がだ? 《モリビトシン》を動かすのに、何か不手際でも?」

 

『……いいえ。そういうところなのよ、きっと』

 

 理解出来ぬまま、鉄菜は《モリビトシン》を整備デッキまで移送する。《ナインライヴス》が前方を警戒しつつ、Rランチャーの広域射程で艦の保護を兼任する。

 

『……クロ。敵は確実に強くなっている。あまり《モリビトシン》で突っ込み過ぎないほうがいい』

 

 すれ違い様の桃の接触回線に鉄菜は返答していた。

 

「だが、《モリビトシン》のみが、今は空間戦闘で優位を打てる人機だ。《イドラオルガノン》は未だに修復が成っていない」

 

『それでも、先行し過ぎれば援護も難しいって話』

 

 それほどまでにのめり込んでいるように見えただろうか。だとすれば迂闊であったのは痛感する。

 

「……次からは気をつける」

 

『敵も次を毎回残してくれるとは限らない。殊に、月面都市はモモ達にとって』

 

「ああ、福音となるか、それとも道を阻む悪魔となるか。全ては……」

 

 全てはまだこの暗礁の常闇の中であった。

 

 


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