ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯226 戻れぬ修羅

 

『愚かなる者達は地上での応戦を諦めたか。あるいは我らの術中にはまる事をよしとしたか』

 

 上層部の議案には《ゴフェル》の殲滅作戦が提言されていた。他の端末もそれを認可する。

 

『いずれにせよ、裏切り者には死を。それがブルブラッドキャリアの鉄則だ』

 

『しかし、このままの軌道ルートを経れば連中……月へと至る。どこで情報を仕入れたのかは知らないが、月面の守りは』

 

『無論、疎かではない。月には最大の功罪を用意してある。この百年余り、ほとんど稼動確認が成されなかった代物だがゾル国のバーゴイル乗りには語り継がれているらしい。魔の領域――ムーンライトトライアングルが』

 

『皮肉なものだな。月の存在は知り得ていないはずの連中にそのような名前のみが伝え聞かれているなど』

 

『いずれにせよ、あの機体を撃墜するのは不可能だ。その射線を潜り抜けるのも、な。あれは百年の鉄壁を誇っている。先の殲滅戦であれを資源衛星の守りにする作戦もあったが、我々は細く長く、ブルブラッドキャリアの組織存続を選び、今日に至った。組織内部でもあれの存在を知っているのは我々のみのはず』

 

『だが、月面都市ゴモラを掌握されれば権限は地に堕ちる。守りは過剰なまでに、がちょうどいい』

 

『軽んじてはいないとも。あれを出させろ』

 

 全議席の承認が取れ、今まで拷問椅子に括りつけられていた少女がよろめきながら議会の前に歩み出ていた。

 

 黒かった長髪は白く染まっており、痩せこけた身体は今にも崩れ落ちそうだ。

 

 それでも、その瞳孔に宿った殺意だけは本物だ。

 

『リードマン、それに他の担当官の手記を基に完成を見た、新たなる最強の血続だ。梨朱・アイアス。作戦を執行せよ』

 

「……仰せのままに」

 

 傅いた下僕に議会の人々は完全勝利を予感した。

 

『《モリビトセプテムライン》、整備は完了している。搭乗し、敵を撃滅。我らの背信者を確実に地獄へと叩き落せ』

 

「……仰せのままに」

 

『これが完成形か?』

 

『そのはずだが……今一つ反応が鈍いな。もっと調整が必要か』

 

 その言葉に梨朱は目を戦慄かせてさらに頭を垂れた。どうやら調教によるこちらへの忠義は完璧らしい。

 

『成果を期待している』

 

「はっ。……この梨朱、一命にかけて任務を……遂行します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾル国の軌道エレベーターは既にC連邦傘下に入ったとは聞いていたが、まさか自分達を快く出迎えるとは思っても見なかった。

 

 こちらを視野に入れたゾル国高官が笑みを刻む。

 

「よく来てくださいました」

 

 まさかそこまでの歓迎が待っているとも思えず、燐華はうろたえたほどだ。だがその賛辞のほとんどはヒイラギに向けられたものであった。

 

「よろしく頼みたい。娘の……ちょっとした戦場に」

 

「なに、サポートは惜しみませんよ」

 

 高官の人のいい声音に燐華は不安に駆られたほどだ。C連邦と旧ゾル国陣営は建前上、協力関係にはあるが、それは所詮、建前の話。実際の戦地になればお互いに反目し合う様を見てきたこちらからしみれば薄気味悪かった。

 

 ヒイラギの袖を引き、燐華は目で問いかける。ヒイラギは強く頷いた。

 

「ちょっとした借りがあってね。軌道エレベーターの監視員は友人なんだ」

 

 そのような容易い間柄ではないはず。如何に自分がアンヘルで汚いものを見てきたのかがよく分かった。ヒイラギの言葉でさえも今は信用出来ない。

 

 借り、と言われてしまえばそれは国家を揺るがすレベルであると容易に想像出来てしまった。

 

 思えばヒイラギはどう考えても高次権限の持ち主である。

 

《ラーストウジャカルマ》の封印場所を知っていただけではない。自分をアンヘルに入れ、クサカベの名前を完全に消し去った。

 

 それだけでも驚嘆すべきなのに、今まで疑わなかったほうが不思議であった。

 

「しかし、ご令嬢、まさか操主であったとは」

 

「アンヘルのまだ新兵ですが、腕は確かです。タカフミ・アイザワ大尉に勝利してみせましたほどですから」

 

 タカフミの名前は六年前の殲滅戦で敵にも語り継がれている。その名前を出しただけで高官は目を丸くした。

 

「あの白兵の天才の? それはそれは! 楽しみですな!」

 

 恰幅のいい高官は身体を揺らして笑う。どこかこの状況が素っ頓狂に思えてしまって、燐華は目を伏せていた。

 

 これから先、実行される作戦とはまるで遊離している。

 

 軌道エレベーターの最上階に辿り着き、無重力の虜となった身体を浮遊させた。

 

「バーゴイルが常に三十機は駐在しております。……ですが、つい一時間ほど前、そのうち十機前後が大破しました」

 

「……もしやブルブラッドキャリア?」

 

 高官は重々しく頷く。燐華は拳を骨が浮くほど握り締めていた。

 

 ――ブルブラッドキャリア。宇宙まで上がってくるなんて。

 

 余程自分との決着をつけたいと見える。双眸に意志を湛えた燐華を見やり、高官が笑い声を上げる。

 

「頼もしい面持ちですな! ご令嬢は大物だ!」

 

 この太っちょの軍人は今まで何を見てきたのだろうか。軌道エレベーター勤務は確かほとんど戦場とは無縁と聞く。

 

 この男は地上で繰り広げられている阿鼻叫喚の地獄絵図にはまるで無知。知らぬ存ぜぬが通用する世界で生きているのだ。それならば笑いの数が多くなっても頷ける。

 

 整備デッキには既に宇宙にリニアで上げられていた愛機が佇んでいた。整備班が必死になってケーブルを繋ぎ、内部点検に勤しんでいる。

 

 太っちょが近づくと全員が挙手敬礼した。それに返礼し、高官は声にする。

 

「状況は?」

 

「フレーム周りに僅かな痛みがありますが、予測範囲内です。それにどうせこの人機、両腕が換装されているので使い道はいくらでも。そちらのオーダー通りに両手両脚は全盛期のものに差し替えておきました。ちょっとシステム面は特殊ですが、血続のトレースシステムに慣れていれば難しくはないはずです」

 

 端末を差し出した整備スタッフに、高官は目を通してからヒイラギへと振り返っていた。

 

「如何ですか! 我が方の技術スタッフは! 優秀でしょう!」

 

 どうしていちいち声を張り上げなければならないのだろう。それほどまでに自信がないのだろうか、と燐華は勘繰ってしまう。

 

 ヒイラギはスペック表を見やり、次いで当の人機を眺めた。

 

 紺色の機体色に、両腕両脚は特殊な刃節によって固定され、刺々しい刃を帯びている。

 

 全盛期に、というオーダーにはもっと時間がかかるかに思われたが、実際に整備を始めてみればものの三時間程度で済んでしまった。これにはヒイラギも驚きを隠せないようである。

 

「こんなに早く……整備出来るなんて。思いませんでしたよ」

 

「なに! トウジャのメインフレームを輸出しているのは我が方です! 六年もの間トウジャの安定供給を約束しているのならば同じトウジャフレームならば容易い事!」

 

 それは自分の特権ではないだろうに。この高官はまるで全てが自分の手柄のように言ってのける。

 

「スペック上の参照値がありませんので予測値に過ぎませんが、これならばブルーガーデンの強化兵が使っていた頃よりも使いやすく、なおかつ操主の期待通りに動くはずです。この《ラーストウジャカルマ》はね」

 

 六年の月日は強化兵しか使えなかった人機を一般向けにまで引き下げた。技術の進歩に感謝すべきか。あるいは、これを使っていた名もない強化兵に感謝すべきだろうか。

 

「しかし、不安要素はありますね。ハイアルファー……」

 

 こぼしたヒイラギに高官は鼻を鳴らしていた。

 

「なに、さほどの脅威ではありませんよ。【ベイルハルコン】でしたかな。怒りの感情を吸い上げ、機体追従性能を大幅に上げるハイアルファー。実のところ、ほとんどデメリットはないのです」

 

 思わぬ言葉にヒイラギは問い返していた。

 

「本当ですか? しかし、ハイアルファーは非人道的だと」

 

「条約では決まっていますね。ですが、それは所詮過去の産物なのです。今の技術と操主を用いればハイアルファーなどオカルトですよ。血続操主であるのならば、【ベイルハルコン】の放つ巨大な残留思念には中てられずに済むでしょう」

 

「残留思念……ですか」

 

 どこか現実からは遊離した言葉に燐華は尋ねていた。

 

「ええ、そう表現するのが妥当でしょう。【ベイルハルコン】は戦場の残留思念を吸い込む性質があります。だから泥仕合になればなるほどに、これは危険度を増す。ですが……今の戦場はほとんどトウジャの一強。現時点において何度か試行しておりますが、一度も残留思念で仮想シミュレーターが破損した事はありません」

 

 だがそれはこの者達が想像出来る程度の戦場に過ぎない。実際の戦いとなればイレギュラーはつき物のはず。

 

 こちらの不安要素を汲み取ったように高官は《ラーストウジャカルマ》に触れてみせた。

 

「これが、恐れられていた封印指定の人機ですかな? わたしのような門外漢でも触れられますよ?」

 

 それは内側に操主を内包していないからだ。あるいは、六年もの間、恩讐を飲み込まずに済んでいたからか。

 

 今の《ラーストウジャカルマ》はほとんど生まれたての雛に等しい。この雛はしかし、人を容易く呑み込む魔の人機だ。

 

「早速ですが、アンヘルより命令が下っています。この人機の実戦配備計画を」

 

 燐華はこれ以上高官との繰り言に時間を費やす気もなかった。無論、と応じかけた高官の端末が鳴る。

 

「失礼。……なに? もう一機上がってくるだと? その機体で試せというのか。モリビトを!」

 

 声を荒らげた高官と、モリビトという単語に燐華は目を見開く。高官は今までのふざけ切った面持ちからは一転、深刻そうに顔を翳らせる。

 

「……申し訳ありません。ヒイラギ様、それにご令嬢。出撃は後回しになりそうです」

 

「……何で!」

 

 掴みかかりかけた燐華に高官が声を漏らす。

 

「地上より別働隊の機体が……! そちらを先に出せとアンヘル上層部より……」

 

「でも、あたしの《ラーストウジャカルマ》でも行けるはず」

 

「……分かりやすく言いましょう。高次権限持ちです」

 

 高次権限。アンヘルにおいて独自の作戦形態が可能な人間を差す言葉だ。彼らの作戦は何よりも優先される。

 

「……でも、せっかく宇宙に来たのに……!」

 

 悔恨を噛み締める燐華に高官はやんわりと言ってのける。

 

「その……別にいいではありませんか。モリビトと会敵せずに済むのですから」

 

「そんなだから! 日和見だって言われるんですよ!」

 

 燐華の放った言葉はこの場にいる全員に響き渡っただろう。沈黙が凍りついたように降り立つ中、ヒイラギがフォローした。

 

「……高官殿。では次の約束と行きましょう。次こそは、《ラーストウジャカルマ》を前線に出すと」

 

「先生……! でも……」

 

「これでも最大限の譲歩だろう。高次権限持ちに逆らえば君の立場も危うい」

 

 確かにアンヘルの軍規に従うのならば、高次権限持ちに噛み付くべきではない。

 

 だが、もしこれでモリビトが撃墜でもされれば、自分は誰を恨めばいいのだ。何のために、伝説の操主を上回ってみせたのだと言うのか。

 

「……あたしは」

 

「呑み込むんだ。次の戦場では前に行ける。今は、それだけを糧に」

 

 呑み込む。この六年間で何度も行ってきた事だ。どれほどの理不尽でも、呑むしかない事案はある。

 

 燐華は高官を睨み据えた。相手がひっ、と短い悲鳴を上げる。

 

「あたしと、《ラーストウジャカルマ》。次の戦場で必ずや、それに見合う戦果を挙げてみせましょう」

 

 その言葉を潮に身を翻す。背中にかかったのは、「まるで夜叉だ」という言葉であった。

 

 いいとも。夜叉でも何でも、好きに飾り立てればいい。

 

 自分はもう戦い抜く道しか残されていないのだから。

 

 


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