ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯222 部品未満

 

「どうせ、次の出撃はしなくたっていいんだってさ」

 

 やけっぱちに言い放った自分は彼女にどう映っていただろうか。少なくともモリビトの執行者としては半人前の烙印を押されてもおかしくはない。

 

 瑞葉の部屋は片づけが行き届いており、自分の部屋に比べると見栄えもいい。

 

「へぇ、片付いてるじゃん」

 

「散らかすと悪いと、思っているから」

 

「それは、あの旧式に?」

 

 瑞葉は応じずにコーヒーメーカーから抽出する。マグカップに注がれていく液体に林檎は手を払った。

 

「砂糖多目でね。あとミルクも」

 

「分かった」

 

 淡々と応じる瑞葉はまるで人形のようだ。まさか、まだブルーガーデンの洗脳が解けていないのではないかと思わせられる。

 

「あのさ、その答え方、やめれば? 作り物みたいだよ」

 

 林檎の理不尽な言い草にも瑞葉はどこか壊れかけたかのようにぎこちなく微笑むばかりであった。

 

「すまない」

 

「……何だかな。ボクが全面的に悪いみたいじゃん。そりゃ、部屋にお邪魔して図々しいとは思う。でも、そっちが呼んできたんでしょ?」

 

「あなた達は、惑星の外で?」

 

「あー、そうだよ。造られた。んでもって、モリビトに乗って戦っている」

 

 自分だけが悲劇のヒロインじゃない。そう言いやったつもりであったが、瑞葉は複雑な顔をしていた。

 

「……嫌にならないのか?」

 

「嫌に? なったらそこまでだよ。だってボクらの存在意義ってそこに集約されるんだもん。モリビトを動かせなくなれば、もう用済み。はいサヨナラ、ってね。執行者なんてそんなもんだよ。人機のパーツ……いや、パーツなら直せるか。直るかどうかも分からない、不完全な何かだよ」

 

 そう、パーツ以下の代物なのだ。だから破損して初めて、自分の至らなさに嫌気が差す。

 

 鉄菜のように褒め称えられたかったのか? 桃のようにどこまでも強くありたかったのか? それとも、他の誰かのように何の使命も帯びず、ただ生きていたかったのか。

 

 何もかもが分からない。堂々巡りの胸中で、結んだ言葉はあまりにも情けなかった。

 

「……そうだよ。パーツでよかったんだ。ボクなんて」

 

 だがパーツという生き方ではない。その生き方は間違っているのだと桃に諭された。訓練生時代、何度も桃が自分達に教え込んだのは人機を動かす側という責任感であった。

 

 この手は破滅への引き金になる。同時に何かを救い出せもする、救済者の役割にも。どちらに意味を見出すかは自分で考えろと言われてきた。

 

 今、その答えが出せるかと言えば微妙だ。握り締めた拳には何の確信もない。

 

「……パーツでいいのだと、誰かが言ったのか?」

 

「まさか。桃姉は逆。パーツになるなって何度も何度も……。しつこいくらいに」

 

「だったら、よかったじゃないか」

 

「よかった? 知った風な口を……」

 

 紡ぎかけた反感をコーヒーメーカーの抽出音が遮った。マグカップが差し出され、林檎はコーヒーに砂糖をありったけ入れ、ミルクを注いだ。

 

 甘ったるい味に仕上がったコーヒーを一気飲みする。呷って呼気を放った林檎は、どこか自分の境遇に嫌気が差していた。

 

 モリビトの執行者を降ろすと言われたわけでもない。自分勝手に解釈して、鉄菜に嫉妬した結果、自分で自分の居場所を狭めただけ。

 

 ただの空回りだ。

 

「……蜜柑にだけは、悪い事をしたな」

 

 震えていた。泣き出しそうであった。それでも、精一杯自分を保って、モリビトの操縦桿を握っていた。

 

 そんな妹を、どこか馬鹿にするかのような眼差しであったのは事実。

 

 謝るとすればまずは蜜柑にだろうと考えていた林檎は、瑞葉の放った言葉に面食らっていた。

 

「……別に、自棄になってもいい」

 

「何だって?」

 

「わたしは、自棄になった。かつてブルーガーデンに居た頃……、何もかもがどうでもよかった。モリビトを撃墜出来れば、他には何も要らないと思えるほど、怒りに身を焦がしていた。《ラーストウジャカルマ》はそれに応えてくれた」

 

「……その理屈じゃ、ボクが旧式に怒りを覚えるのも同じだって言いたいの? 自分と?」

 

 瑞葉は静かに頭を振る。

 

「いや、違うだろう。わたしはそれを思い知ったのは仲間を失ってようやく、だった。枯葉や鴫葉、彼女達が命を賭して、自分に繋げてくれたんだ。それは別段、戦うという場合においてのみではない。生きる、という事を、わたしは間接的ながら彼女らから教わった。もし、あのままブルーガーデンの目論見通りに事が進んでいれば、わたしはここにはいないだろう。廃棄され、国家と共に滅びたか、あるいは明日も知れぬ戦場に身を投じていたのみだ」

 

「よく……分かんないな。戦いを避ける、って言いたそうだけれど違うだろうし。なに? ボクと旧式がぶつかり合うのがそんなに嫌?」

 

「端的に言えば」

 

 その答えに林檎は頬杖をついてマグカップを弄ぶ。瑞葉は目線をコーヒーに落としたまま、どこかばつが悪そうに沈黙している。

 

 恐らくは自分で呼んでおきながら答えを持っていないのだろう。

 

 だが、それは誰しも同じ。この艦にいる大人達が訳知り顔で語る「答え」など吐き捨てたいほどに邪悪だ。

 

 鉄菜がそれほどまでに健闘した? 六年間、苦しんできた? そのような瑣末事、唾棄すべき事実であった。

 

 ――だからどうした。

 

 自分のスタンスはこの一言に集約される。

 

 鉄菜がどれほどに苦しみぬいて今に至ったのかは知らない。知るはずもない。データの上で知っていたつもりでも目の前にすれば違った。

 

 ただの旧式血続だと思い込んでいた相手は自分を追い込みかねないほどの抜き身の刃であった。あんな諸刃の剣、そこいらに放っているほうがどうかしている。

 

 もっと厳重に管理し、自分達以上に自由は剥奪されるべきなのだ。

 

 だというのに、我が物顔であれは《ゴフェル》を歩き回る。

 

 それが堪らなく――許せなかった。

 

 覚えず力が入っていたのだろう。マグカップに亀裂が走る。あ、と気づいた時にはマグカップは半分に割れていた。

 

 床に落ちたマグカップを瑞葉は慌てて拾い上げる。その途中で切ったのだろう、赤い血が滲んだ。

 

 その段に至って、林檎は呆然とする。

 

「赤い血……なんだ」

 

 瑞葉は掌から滴り落ちる血を見つめ、そうだな、と呟いた。

 

「わたし自身、赤い血が流れているなんて思いもしなかった。ブルーガーデンの兵士であった頃なんて、ほとんど人機と接続されている時間のほうが長かったくらいだ。人機の青い血が流れているのだと、説明されても頷いていただろう」

 

「その……絆創膏……あるなら貼るよ」

 

 マグカップを割ったのは自分の失敗だ。申し訳なさを感じた林檎は瑞葉より絆創膏を受け取っていた。

 

 それを貼ろうとして、自分の手に視線が行く。

 

 この身体にも赤い血が流れているのだろうか。訓練生時代、何度も血は見た。赤い血であったのは覚えている。

 

 しかし、その記憶が偽物ならば? 自分も青い血の……人機と同じ戦闘機械であるという可能性は捨て切れない。

 

「いや……そのほうがよかったのかもしれないな。考えずに済むから」

 

 ぼやいた言葉に瑞葉は呆然とする。慌てて絆創膏を貼ってやり、その思考を打ち切った。

 

 割れたマグカップを片づける瑞葉へと林檎は語りかけていた。

 

「そういうの、さ、どこで教わったの?」

 

 瑞葉の手が硬直する。灰色の瞳がこちらを窺っていた。

 

「そういうの、とは」

 

「コーヒーを淹れてあげるとか、他人に遠慮するとか、思い出話をするとか、そういうの。……何かさ、拍子抜けだよ。ブルーガーデンの人造兵士って聞いていたからもっと冷徹で、とんでもないほどに研ぎ澄まされた刃を想像していたのに……ただの女じゃないか」

 

 別段、何かに期待していたわけでもない。ただ、この女性がかつて強化兵であった、というのはどこか作り話めいていたからだ。

 

 瑞葉は絆創膏の貼られた手を見やり、そうだな、と口火を切っていた。

 

「きっと、あいつが教えてくれたんだ。わたしに、足りないものを。一緒に、この景色から始めてくれた人がいる。何もないわたしの、何もない空虚な心に、手作りを与えてくれた相手が」

 

「……恋人?」

 

 その問いかけに瑞葉は微笑んだ。

 

「どうだろうな。……わたしは、そうだと思っていたし、向こうもそうだったかもしれない。だが、今となっては何も。分からなくなってしまった。翼をなくし、精神点滴に頼る必要もなくなったはずなのに、この心に空いたどうしようもない欠落を、埋める術がないんだ。あいつが生きているのかも分からない。可笑しいだろう? こんなのがブルーガーデンの、かつて恐れられた強化実験兵なんて」

 

 自嘲する瑞葉に林檎は完全に毒気を抜かれていた。こうもてらいなく笑える時点で、この女性はもう――。

 

 林檎は身を翻していた。その背中に声がかかる。

 

「……怒らせてしまったか?」

 

「分かんない。分かんないけれど、さ。キミは満ち足りていたんだね。ボクとは違う。どこかに帰る場所があったんだ。それを作ってくれた人も」

 

 手作りでも、どれほどに拙くとも、帰るべき場所があった。自分には、それが今はない。

 

 どこに帰るべきなのか、何をもって帰れるのかも、分からなくなってしまった。手探りの状態で闇の中を進んでいるに等しい。瑞葉のように灯りが欲しかった。闇を照らす灯り、人の心を、映し出す揺らめき。瑞葉はあらゆる困難の末にそれを得たのだろう。自分はそれを得られるのか、何もかもが不明瞭のままだ。

 

「ただ、さ。待っている人がいるってのは、幸福だと思うよ」

 

 そう言い捨てて、林檎は部屋を後にしていた。

 

 


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