《フェネクス》による帰還、まずは最大限の功績を称える、と上官より賞賛された。だが自分はそのようなものが欲しくって戦場に赴き、殺してきたわけではない。
「C連邦は、どのように?」
まず仮想敵国の手の内を見る。そのように判じた精神に上官は苦笑した。
「まったく……衰えないな、君は」
「衰えては負けです。連邦の動きを」
「相手は《フェネクス》の戦果をきっちりと見ている。今回、ラヴァーズに仕掛けたのも監視されての事だったらしいな。よくやったと」
「表層上の賛辞は不要です。どう、政府は動きましたか」
戦果を挙げたところで揉み消されれば何の意味もない。上官はブリッジを抜け、廊下を歩んでいった。その後姿に続きつつ、次の言葉を待つ。
「……連邦政府は我々、旧ゾル国の動きに対して若干の軽視……つまり、あまりよくは思われていないという状況が継続している。《フェネクス》でラヴァーズを壊滅寸前まで追い込んだとは言っても、それはやはりアンヘルの代わりにゾル国側の軍が動いた、程度の認識でしかない」
「ですが……《フェネクス》は最新鋭機です!」
覚えず声を荒らげ、上官の前に歩み出る。相手は憔悴した面持ちで頷いていた。
「それも……加味した結果だよ。最新鋭機《フェネクス》の事実上の初陣、それもラヴァーズという未確認の敵性組織への強襲……。どれもこれも難易度の高いミッションだ。一つでも失われれば惜しい人機を全機投入した、とまで粘ったが……」
「……連邦の姿勢は変わらない、と」
「悔しいがね。相手はそれこそモリビトでも墜として来いとでも言いたいらしい」
「モリビトなら……墜とします」
僅かな逡巡を挟んだのは林檎の事が思い出されたからか。それでも、敵ならば撃墜する。その覚悟は常に持っていた。しかし、上官はゆっくりと首を横に振る。
「様子見だと、相手に言われてしまえばそこまでだ。我々としてもあまり強くは出られない立場でね。ここまで、と制せられればそれ以上は言及出来ない」
「……何者かの圧力でも」
「それを予見していても何も言えないのが実情なのだよ」
レジーナは拳を握り締める。どれほどまでに戦果を挙げても、これでは無意味ではないか。国家の威信をかけて戦うどころか、そもそもカウントさえもされない戦場など。
こちらの思惑が垣間見えたのか、上官は重々しく口にする。
「兵を軽んじているわけではない。少なくともゾル国では。こちらの陣営としても苦渋の選択であった、とは言っておいた。そう易々と出せる戦力ではないのだと」
「……ですが今回、《フェネクス》はデータを晒したも同義」
「そこが痛いな。アンヘルのトウジャ部隊のデータはまだ黒塗りの部分が多いというのにこちらばかりが手札を切るなど」
「……命じられればアンヘルでも」
「逸るな、シーア中尉。逸れば足元をすくわれるぞ。急いて仕損じるほど、馬鹿げた事もあるまい。敵を見据え、墜とすべき時に戦う。それが出来るのならば不死鳥戦列はいつでも輝く」
「ですが大きな転機であったはずです……! それを逃したのは素直に……」
「連邦政府に《フェネクス》の脅威を突きつけるのにはまだ弱い、というべきか。模擬戦と相手の監視下での強襲戦闘。この二つを加味してもまだ、相手の喉笛にも届かないとは。……こちらとしても難しいところだ。これから先、戦力を小出しにすればしかし、それこそ敵の目論見だろう。相手はトウジャを世界のスタンダードにしようとしている。我々は、出来ればそれを抑えたい。トウジャを実戦配備の難しい人機だと断定させるのには、《フェネクス》の実戦データが不可欠」
「……しかし、《フェネクス》をあまりに衆目に晒せばまた」
上官が首肯する。
「そうだ。また人機の技術面におけるブレイクスルーが起きるだろう。今回は六年前のようにトウジャ、という分かりやすい形ではないかもしれない。連邦政府は何かを隠し持っている。その感覚だけは毎度、こちらに嫌でも伝わってくる」
「相手の動きも分からない今、下手に《フェネクス》を出す事さえも危険……」
だが、それならば何のためにラヴァーズと矛を交えた。何もこちらは伊達や酔狂で人機に乗っているわけではないのだ。国家を背負っての戦いである。大義ある戦いに政を持ち出されれば軍人としてみれば苦味が先に立つ。
それでも、言葉を飲み込んで戦ったというのに、これでは何のための戦であったのか、まるで意味を成さない。
「……シーア中尉、分かっているのならばいい。まだ大義はこちらにある。今は休みたまえ。《フェネクス》三機で三十機前後の人機とやり合ったのだ。磨耗して困るのは何も人機のパーツだけではないぞ」
操主とて盤面を構築するのに重要なファクター。それは分かっている。分かっているのだが、突きつけられないもどかしさにレジーナは歯噛みする。
「……不十分、だというのですか」
「いや、充分だとも。時が熟すのを待て、シーア中尉。《フェネクス》は……不死鳥戦列には必ず、意義のある戦いが待っているはずだ」
歩み去っていった背中を睨み、レジーナは口にしていた。
「意義のある戦い……ですがそれが、あまりにも遅ければその意味なんて……」
言葉にしかねて、レジーナは壁を殴りつけた。
「イクシオンフレーム、シェムハザに任せて大丈夫だったの?」
こちらに言葉を振ったアルマロスに渡良瀬は息をつく。安楽椅子に腰かけた渡良瀬は天井に描かれた天国の図柄に向けて拳を掲げていた。
「アルマロス、力というものはいつの世にも分散してはいけない。それがどれほどの高潔な意思によるものであったとしても」
アルマロスは淑女の面持ちを崩さずに、静かに微笑む。
「それが調停者の達観?」
「まさか。経験則だよ。調停者に関してもそうだ。未だに行方の掴めない水無瀬に、六年前にぷっつりと消息を絶った白波瀬……。この二人を探し出し、わたしの傘下に置くのは急務だよ」
「殺さないんだ?」
茶目っ気たっぷりに言ってのけたアルマロスに渡良瀬はフッと笑みを浮かべる。
「惜しい事を言うね、君は。いや、残酷だと、言うべきかな? 惑星で生まれ育った執行者というものは」
「執行者として必要なものは持っているつもりだけれど?」
「無論だとも。その身体に流れる血潮も含めて、執行者としては適任」
「それもそうでしょ。シェムハザだってそうじゃない」
「彼も執行者としてはよく出来ている。問題なのは大局を見据える事だよ、アルマロス。それが出来なければ旧態然とした元老院の百五十年の支配と、何一つ変わらない。彼らは百五十年もの間、星の人々の進化を押し止めた。だが、少しでも地獄の蓋を開けてみればどうだ? トウジャの技術一つで、人間はここまで残忍になれる。天国へと届く梯子をかけられるほどの」
アルマロスは部屋の中にある写真立てに触れようとした。その指先が写真立てをすり抜ける。この部屋に置かれた調度品は全て、ホログラフによる偽造品だ。
屋内を木目調の落ち着いた色調に保っているが、このホロを一度でも剥がせば、滅菌されたような白亜の天井と床が広がっているのは分かり切っている。
安楽椅子ぐらいが自分の目立った所持品であった。
「天国に、届くと思う? 人間程度が」
その問いには渡良瀬も微笑む。
「届くさ。届くために、わたし達はいた。水無瀬、白波瀬、……そしてどこに隠れ潜んでいるのだか知らないがエホバも。我々四人は何のために造られたのか、その本質を見極めれば何もこの帰結は突拍子もないものでもない」
「でもさ、切れちゃったんでしょ? リンクが」
「繋ぎ直せばいい。バベルは健在だ」
「レギオンの……勘違い連中の手にあっても?」
渡良瀬は椅子に深く腰かけ、息を吸い込む。それだけがある種の問題ではあった。
レギオンは確かに総体。総体であるがゆえに目立たず、総体であるがゆえに星の意思を汲み取って世界を回す。
しかし、その行方が退屈ならば話も違ってくる。
「タチバナ博士……あの方の右腕を何年もやっていた」
「知っているよ」
「天才の視点というのは得がたい代物……ギフトだ。天が人に与えた、ね。そのギフトを眼前にした時の末端の感情など、瑣末に等しい。何の行動も起こせない人間というのはどうにも度し難く、さらに言えば何の価値もないのだと実感したとも。だからわたしはレギオンの思想に、半分は賛成で、半分は反対なんだ」
「それが、造った理由?」
「そうだとも。天使達を創造したのは何も酔狂ではない。変えようのある未来というものは存在する。かつて数多の人間が挑戦した。時にそれは星の皮膜を引き千切るほどの、巨大な爪痕となって。……レミィ、元老院から離れ、《キリビトエルダー》を動かした。あの時点では間違いではなかったさ。だが、その肉の躯体に不必要なほどの野心を描いた。それが彼女の失態だ」
「人間って言うのは面倒だなぁ。野心なんて考えちゃうんだ?」
「野心があるから、人は道を誤る。時に野心のお陰で歴史に名を刻む事もあるが、多くは不名誉だろう。わたしは違うさ。レギオンの……総体の中での最善を導き出す。そのためにこの頭脳はある。惑星の全てのネットに接続出来る、この能力も!」
崩れ落ちそうな天蓋を仰ぎ見た渡良瀬にアルマロスはふふっ、と笑った。
「でも変な話だね。レギオンを構成していたほとんどの主要メンバーは毛嫌いしていた義体に入って、脳みそだけの存在になった。あれだけ元老院の陥落を求めていたのに、今はその元老院と何も変わる事もない」
「ゆえにこそ、わたしは天使を作り上げた。アルマロス、シェムハザ、アザゼル、そして……。君達の命はこの星に本物の罪を突きつけるためにある」
「そりゃそうじゃん? だって天使だし」
アルマロスは純真だ。白磁のように透き通った肌。しなやかに伸びた四肢。人間が妖精を想像したのならばこのように形作るであろう、煌びやかな星の輝きを内包した瞳。
「罪の化身は、もう違うのだよ、ブルブラッドキャリア。星の外にいる老人達にも教えなければならない。何が、今、必要とされているのかを」
「追放された奴らに?」
アルマロスが手を払うとホロが構築され、無数のアゲハチョウが舞い遊んだ。この世の楽園のような場所から世界を俯瞰する。
それは天使を操る自分自身――神域の存在に相応しい。
「イクシオンフレーム、新たなる罪の形に震えるがいい。旧来の者共よ」