作戦に参加しなくとも、という問いかけに燐華は首を横に振っていた。
「許可は得ています」
「そう、か。アンヘルの仕事は大変だろう?」
「いえ、もう慣れました」
冷淡に応じるこちらにヒイラギはどこか気後れしているようであった。自分の今までの力では駄目だ、というのを痛いほどに感じた。このままでは何も守れない、何も成し遂げられないと。
ヒイラギは封印措置の取られた格納庫に赴いていた。彼はアンヘルの高官に当たる。ゆえに、封印指定の場所へのアクセス権があった。
「本来ならば……君をここに招くべきでもないのだろう。しかし、僕は求められれば応じるしかなくってね。アンヘルの兵士が情報開示を求めるのならば、それを拒むか、あるいは許諾するか。……今回、拒む理由はない」
一つの格納デッキには無数の呪符が貼り付けられていた。効果的かどうかはともかく、中にあるものが忌避すべき代物である事は疑いようもない。
ヒイラギは淀みなくパスコードを打ち込み、格納デッキを展開させた。内側に収まっていた機体は高濃度ブルブラッドの作用で結晶化が進んでいる。
それでも、その機体形状は見間違えようもなく――。
「トウジャ……」
「《ラーストウジャカルマ》。これが君の求めたトウジャの姿だ」
噂話程度にしか感じていなかった。実在を危ぶまれてきた人機であり、なおかつ、保管は厳重に行われており、一般兵では見る事など叶わないだろう。
ヒイラギのコネクションを利用しなければ自分には一生縁がなかった、最強の一角。
「使えますか?」
問いかけた言葉にヒイラギが苦々しく面を伏せる。
「使えるか使えないか、という観点で言えば、最新の操縦システムを組み込めばどれだけでも。ただし、これには条約で禁止された装備がいくつか確認されている」
「ハイアルファー……ですね」
「調べ済みか。ハイアルファー人機は非人道的という触れ込みから、現状の戦闘には使ってはならない、禁断の力だと言われている」
「ですが、その禁忌にも縋らなければ、モリビトは墜とせません」
こちらの強い論調にヒイラギは心底参ったようであった。
「……そこまでして、どうして自分でモリビトの首を取ろうとする? 君がやらなくとも組織全体がそういう風に動いているはずだ。《ラーストウジャカルマ》なんて厄介な機体を動かすまでもない。ここで何も知らず、何も見ていないと言って小隊に戻り、《スロウストウジャ弐式》を操れば――」
「先生。それはあたしにとっては逃げなんです」
逃げ、と断言されてヒイラギは絶句した様子であった。
そうだ、自分にとっては逃げの方便。今まで通り、戦う事も出来る。だがそれは、隊長や他の人員を犠牲にして得る仮初めの平和。
自分だけが生き残ればいいというのならばそれでも是とするべきだろう。だが、もう自分の中でそのような甘えは許されないのだ。
モリビトを撃墜するためならば、自分は心を鬼に売り渡してもいい。何よりも、鉄菜を遠ざけるモリビトという幻影に、決着をつけなければならなかった。
もう一度、鉄菜と会うためにはモリビトのいない世界にしなくてはならない。ブルブラッドキャリアを排斥し、全てが終わった平穏な世界を掴むために、自分は泥でも何でも被ろう。
「……そこまで思い詰めているとは考えもしなかった」
「先生。《ラーストウジャカルマ》をあたしにください。そうすれば、成し遂げられる」
「だが、これは恐ろしい兵器だ。人の心を食い荒らす」
「兵器に、貴賎はありません。所詮、どれも、敵兵を殺すためのものです」
「……正論だな。僕の言っている事なんて所詮は現場を知らない理想論か」
ヒイラギが最後のパスコードを打ち込もうとした、その時、封印倉庫に入ってきた人影があった。
「困ります! 大尉! ここは封印指定で……!」
「もう大尉じゃないっての! 少尉相当官まで下がった」
「だったらなおさらですって! 封印指定の機体の譲渡なんて出来ません!」
「アンヘルに行くんなら手土産くらいはないとな。そうじゃないと嘗められちまうだろ」
仕官とスタッフのやり取りにヒイラギが言葉を挟んだ。
「何事だ?」
「あんたが責任者? 《ラーストウジャカルマ》を、貰い受けに来た」
思わぬ言葉に燐華は心臓が収縮したのを感じた。赤毛の青年仕官がヒイラギと向かい合う。
「それは……あの人機がどのような機体か分かっての言葉かい?」
「弄するまでもない。おれはあの人機をよく知っている。……大切な奴の人機だ。だからこそ! ブルブラッドキャリアにケリをつけるのには、あの機体じゃないと駄目なんだ! おれが、《ラーストウジャカルマ》を乗りこなす!」
自分にはない自信であった。青年仕官の言葉にヒイラギは尋ね返す。
「……その方の名前は」
「タカフミ・アイザワ。連邦軍からアンヘルに異動になった。本日付けでアンヘル第三小隊勤務となる」
まさか、と燐華は息を呑む。六年前の殲滅戦を生き残った伝説の操主。それがどうして自分と同じ《ラーストウジャカルマ》を求めるというのだ。
タカフミは自分を見つけ訝しげに声にする。
「……アンヘルの仕官か。どうして《ラーストウジャカルマ》の事を?」
「聞きたいのはこちらです。あなたこそどうして」
「おれは、因縁って奴がある。どうしても、果たさなければならない、な。そのためにはこの暴れ馬だって乗りこなさなきゃならないのさ」
「あたしは……アンヘルの正式な辞令を得てこの人機の接収にかかっています。何か問題でも?」
「大有りだね。女の子にはこんな人機、任せられない」
それが、騎士道精神か、あるいは高潔な志から来ているものだというのは窺えたが、今の自分からしてみれば道を阻まれているも同義であった。
「……自分はアンヘルの仕官です。操主としての経験も積んでいます。それに……」
「血続適性、だったか? アンヘルの兵士はみんなそうだって聞いた」
思わぬ言葉であった。アンヘルが血続の集りだと分かっていて、門外漢であるこの男は割って入ろうとしているのか。
その姿勢に腹が立ってしまう。
「血続でもないくせに……偉そうな事を」
「血続じゃないが、それなりに戦い抜いてきたつもりだ。なに? もしかしておれの事、知らない?」
「ええ」
燐華からしてみれば相手がどれだけの手だれでも関係がなかった。自分は鉄菜を救うため、この世界の間違いを正すためにここにいる。他の事は全て些事だ。
参ったな、とタカフミは後頭部を掻く。
「……まぁ、百歩譲っておれの事は知らないとしよう。じゃあ、何だってこんな人機に乗りたがる? これはハイアルファー人機だ」
「存じています」
「人道にもとると判断された封印指定機だぞ?」
「それも」
こちらが何もかもに対して是と言うものだから相手も困惑しているようであった。
「……まぁ、おれもこの人機を使おうって言っているんだから同じ穴の、か。で? お前はこの人機を使ってどうしたい? それを聞かせてくれ」
「ただ平和を」
簡潔に応じた燐華にタカフミは眉を跳ねさせる。
「平和を?」
「脅かされない平和が欲しいだけです。何の恐怖もない、真の意味の平穏が」
その言葉にタカフミは胡乱そうにヒイラギへと視線を移す。
「失礼ながら、薬物の使用の疑いは? 洗脳なんてしてるんじゃないだろうな?」
思わぬ言いがかりに燐華は憤慨していた。
「先生は! そんな事する人じゃありません!」
自分の身の丈からは考えられないほどの大声であったからだろう。タカフミは大仰に後ずさっていた。
「……悪かったよ。だが、おれだってここで退いたら男じゃない。いっちょこの人機を操るに足るか、腕前を見せてもらう」
「撃墜成績ですか」
「まさか。そんなもので比べたらこっちに軍配が上がる。そうじゃない、実力面だ。シミュレーター、出せるな?」
問いかけたタカフミにスタッフが目を丸くする。
「まさか、やる気で?」
「当然だろ。てこでも動かないって眼をしてる。だったら、理解させてやるまでだ」
燐華は転がっていく状況にヒイラギへと目線を配る。彼は頭を振っていた。
「……僕ではどうしようもない」
「では、決闘の準備を」
「おっ、やる気はあるってわけか」
「ええ。やらなければならないのならば」
受けて立つ、と退かない瞳にタカフミが感嘆の息をついた。
「……いつの時代でもいるもんだな。潔い撤退に、うんって言わない奴は。まぁおれもそのクチだ。《スロウストウジャ弐式》でいい。武装は?」
「スタンダードで」
「じゃあ標準のB型装備! それで腕前を見る!」
「でも大尉! 本気ですか? だって相手はアンヘルの」
「おれだってアンヘルだ。もう、な」
どこか自嘲気味に放たれた声にスタッフが声を潜める。
「……虐殺天使です。連邦の軍規とはワケが違うところで動いていた兵隊ですよ? 分が悪いのでは……」
「おれを誰だと思っている? 六年前の殲滅戦、絶対無理だって戦局で道理を蹴っ飛ばして今の今まで生き残った、その兵士だぜ? モリビトだってぶっ倒してみせるさ。この手でな!」
その思想まで被っているのならば余計に、であった。モリビトを倒すのは自分である。
「模擬戦、入ってください。いつでも行けます」
「言うねぇ……、だったらさっさと行こうぜ」
タカフミと共に封印指定の格納庫を抜け、陽の当たる場所まで歩んでいく。ヒイラギはどこか及び腰であった。
「本当に、やるのかい? 別段、《ラーストウジャカルマ》にこだわる事もない。あれはハイアルファーという危険因子を積んだ人機。別の当てを探せば……」
「いえ、先生。ここで気持ち負けすれば、あたしは一生、モリビトに勝てない」
鉄菜との日々を取り戻し、この星に平穏をもたらすのだ。そのためならば同じ部隊とは言え、弊害は叩き潰す。
その意志を湛えた眼差しにタカフミが、へぇ、と笑みを浮かべる。
「面白い奴もいたもんだ。アンヘルに異動したの、案外馬鹿を見るだけじゃないかもな」
互いの人機が用意されるまで、一時間程度。覚悟の戦場へと赴くのには充分な時間であった。