ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯219 イクシオンの眼

「遅いわよ。ラグタイム三秒以上。戦場では死を招く」

 

 コンソールでゴーグルをかけた茉莉花が作業している。鉄菜はそれを視野に入れつつニナイに歩み寄った。

 

 ルイが高速演算に身を浸し、現状の《ゴフェル》の守りが手薄である事を伝えている。

 

「……何の真似だ」

 

「誤解しないで欲しいの。何も、守りを捨てたわけじゃない」

 

「しかし、今攻められればモリビトは二機……それも、中破した《イドラオルガノン》は出せず仕舞いで私の《モリビトシン》と《ナインライヴス》でのみ迎撃可能だ。これでは容易に」

 

「攻め落とされるわね。確実に」

 

 言葉を継いだ茉莉花に鉄菜は反感の眼差しを注いだ。

 

「分かっているのならば、どうしてルイをこんな事に駆り出す? 《ゴフェル》が失われればお前も死ぬ」

 

「人間というのは、死ぬと分かっていても、確率の高いほうに賭けたいものなのよ。分の悪いギャンブルより、確率のいい勝算に、ね」

 

 視線を振り向けもしない茉莉花に焦燥を募らせているうちに、ニナイが口火を切った。

 

「現在、《ゴフェル》は大気圏突破用のシークエンスを整えている。来たのと同じ、リバウンドフィールドの穴を通って」

 

「それくらい、アンヘルは読んでいる」

 

「でしょうね……、分かっているんだけれど」

 

 憔悴し切った様子のニナイはあまり建設的な議論はしたくはないと言いたげだった。その帰結へと導いた諸悪の根源へと、鉄菜は言葉を飛ばす。

 

「人間型端末、茉莉花。セカンドステージ案を練るのはいいが、それは月面とやらに辿り着ければの話だろう。今は、目の前の障害を片づける」

 

「目の前の障害? それが見えていないのはどっちかしらね。吾は必死にシステムを構築しているのよ。この艦、ほとんどバックアップがなかったから。それらをこのルイに頼り切っていた。いざという時の手綱は人間が握れないといけない」

 

 システムコンソールの中でルイが浮遊する。茉莉花を突き抜けて白磁の肌が眼前に迫った。

 

『……悔しいけれど私の策は切れた。この茉莉花という人間を招いた時点でね』

 

「……どういう意味だ」

 

「ルイは組織を恨んでいた。だから、私達にとって生存率の低い作戦を今まで立案してきた」

 

 ニナイの補足に鉄菜は睨み上げた。

 

「切る、腹積もりだったわけか」

 

『悪くは思わないでね。それもこれも、マスターを軽んじたブルブラッドキャリアが悪いんだから』

 

「組織のやり方に問題があったのは認める。私の命が欲しいのならば、それでも。ルイ、今のあなたは、でもそうではないのよね?」

 

 問いかけたニナイにルイは肩を竦めた。

 

『もう、ね……。この小娘に立てていた作戦全部を立案され直してしまった。もう私のバックアップデータに、ブルブラッドキャリアを……《ゴフェル》を破滅させるためのプランは一つもない。その代わり、新たにデータが紡ぎ出されている』

 

「あなた達が、一秒でも生存出来るような作戦を、とのオーダーだったからね。安心なさい。今のルイは味方よ」

 

 まさか、と鉄菜は目を戦慄かせる。システムの裏切りでさえもこの少女は看破したと言うのか。今まで表面上にも出なかったルイの感情を読み取ったとでも。

 

「そこの血続……吾を見ている暇があれば、ニナイ艦長より次の作戦を聞く事」

 

 視線さえも読まれていた。鉄菜はニナイへと向き直る。彼女は咳払いして言葉を継いだ。

 

「大気圏突破は見抜かれているでしょう。でもそれを、最大の速度と最大の規模で行えば話は別のはずよ」

 

「最大規模……まさか」

 

 こちらの読みに茉莉花がゴーグルを上げる。

 

「さすがに、六年間、伊達に孤立無援で生き残ってきたわけじゃないか。分かるわよね? 鉄菜・ノヴァリス」

 

 問い質されて鉄菜は返事に窮する。

 

「……だが、それは難しいだろう」

 

「何を今さらな事を言っているの? あなた達、その無理を道理で覆すために、今まで戦ってきたんでしょうに」

 

「……悔しいけれど事実。私達が弱気になってはいけない」

 

『鉄菜。《モリビトシン》のスペックデータよ。受け取って』

 

 ルイが差し出したデータを鉄菜は自身の端末に読み込ませる。次の作戦における負荷も加味されていた。

 

「……やるんだな?」

 

 問いかけたのは不安だからではない。これを実行するかしないかはニナイの一存にかかっている。

 

 彼女に艦長としての責任を負わせなければならないのだ。そうでなければ読み負けるのみ。

 

 ニナイは瞑目して、嘆息をついた。

 

「……正直なところ、ね。自信はないわ。でも、鉄菜。あなた達が全力を尽くしてくれるのなら、私はもう地獄だって構わないと思っている。それくらい一蓮托生なのよ。あなたも私も」

 

「……ルイは」

 

『こっちも策は丸潰れだし、破滅を悠々と見ようと思ってもその小娘が、ね。許さないから』

 

「よく分かっているじゃない、っと! これにてバックアップは終了。後は、この作戦の中核を担うあなたの判断ね。鉄菜・ノヴァリス」

 

 こちらに全ては投げられた形か。鉄菜は逡巡も浮かべず、ただ頷いていた。

 

「了承した。鉄菜・ノヴァリス。作戦を実行する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦に戻れば自然と佇まいも戻るかと思われたが、ヘイルはやはりと言うべきか落ち着かなかった。それもこれも、パーティなどという門外漢の場所に呼ばれたせいもあるのだろう。

 

「……戦場以外、性に合わないってのに」

 

 こぼした言葉にちょうど廊下を折れた人影とかち合った。相手の仮面越しでも分かる凄味に、ヘイルは唾を飲み下す。

 

「……シビト」

 

「UD、が軍規コードで通っている。そちらで呼んでもらえると助かる」

 

 赤っ恥を晒してしまった。ヘイルは恥の上塗りにはなるまいと声の調子を上げた。

 

「何だって言うんだよ、あんた。この艦はいつから、第二小隊の専属艦になったって言うんだ?」

 

 皮肉を浮かべてやるもUDは一笑もしない。その在り方が正直に癪に障る。

 

「……おい、澄ましてないで答えろよ。第二小隊なんて、お株がないんだってよ! 上も理解しているぜ? あんたみたいなのを陸地に上げりゃ、それこそお陀仏するってな! 死人に引き寄せられるのは御免だとよ!」

 

 精一杯強がりを吐いたつもりであった。当然、相手からの反発はあるものだとも。しかし、UDはその相貌に何の感情も浮かべない。まさしく死者であるかのように。眉一つ上げないのだ。その反応にはヘイルのほうがたじろいだ。

 

「……なっ、てめぇ、何か言ったら――」

 

「言えば、解決するのか? お前の言いたい事はある程度理解した。目障りだと、言われるのは慣れている」

 

 何事もなかったかのように通り抜けていく。その背中が憎らしく、ヘイルはこれが醜態になるのを分かっていても声を張り上げていた。

 

「てめぇなんて要らないんだよ! 何がシビトだ、気味悪がられているだけだろうが! 死なずだって言うんならモリビトの首くらい、取ってきやがれ!」

 

 UDの足が止まる。さすがにこれは看過出来ないか、と笑みを浮かべたのも束の間、その眼差しから発せられた寒気にヘイルは息も出来なくなっていた。

 

 ――これは殺意だ。

 

 今まで感じた事もないほどの密度の濃い殺意が首を締め上げていくのが分かる。急速に周りの空気が凍てつく明確な殺気。中てられないほうがどうかしている。

 

「……忠言痛み入る。だが、俺は何もモリビトの首を諦めたわけではない。むしろ、激情だよ、この身を焦がすのは。あの首を、何があっても、たとえこの首が刎ねられるのが先であっても、狩ってみせるという執念。そう、執念だ。恩讐の彼方にのみ、我が悲願は成就する」

 

 ヘイルは後ずさる事で殺意の波から辛くも逃れる。だが、それでも目にしているUDそのものから溢れ出す殺気だけは押し留めようがなかった。

 

「……あんた何……」

 

「何者でもない、戯れ言だ。俺は、もうシビトなのだからな」

 

 殺意が急速に凪いでいく。歩み去っていったUDの背中からしばらくは目線を外せなかった。

 

「何だって言うんだよ、クソッ!」

 

 悪態をついて精一杯自分を持ち直す程度しか出来ない。それほどまでにあの男の妄執は強かった。

 

 モリビトという存在に対しての忌避感、いや、憎悪だろうか。

 

 よくもまぁ人間の形を保っていられるものだ。

 

「あんなもん……人間じゃねぇ」

 

 ぼやいたヘイルは艦長の待つブリッジへと向かっていた。隊長が既に到着しており、作戦指示を待っているところである。

 

「遅いぞ、ヘイル」

 

「……すいません。あの、第二小隊は」

 

 口をついて出たのは先ほど目にしたからであろう。艦長が頭を振る。

 

「彼にも休暇が必要だという判断でね。今次作戦は第三小隊と、補充要員による作戦展開となる。何か不安でも?」

 

「いえ……それならいいんですけれど」

 

「艦長、第三小隊のトウジャは」

 

「既に修復、配備済みだ。問題なのは上から送られてくる特務員だな」

 

 艦長席に腰かけ、その情報を呼び出す。窺ったこちらへと情報が送信されてきた。

 

 端末に浮かび上がったのは戦場とは無縁そうな優男である。

 

「……彼は」

 

「シェムハザ・サルヴァルディ。アンヘルにおける実行部隊よりもなお、高次権限を持つ人間だ。正直なところ、彼が是と言えば全てが是になるほどの」

 

「まさか、そんな権限……」

 

 息を呑んだヘイルに比して隊長は冷静であった。

 

「彼と部隊を組めと?」

 

「いや、彼は独自作戦展開だろう。ゆえに、我々も出撃後における彼の位置は秘匿してある。敵に掴まれれば惜しいからな」

 

「独自作戦って……要はUDと同じでしょう? そんなの信用なるんですか?」

 

「そこのところはアンヘルの上層部が決める事だ。現場判断じゃない」

 

 どこか艦長もやけっぱちのような気がしていた。このシェムハザという男に関してのデータをスクロールするが、どれも黒塗りにされている。

 

「参照データが少な過ぎる」

 

「勘弁してくれ。それでも譲歩したほうだ。上役はあまり教えたくないのだと」

 

 その時、不意に通信が入る。艦長が声を吹き込んだ。

 

「何だ? ……そうか」

 

 顔を振り向けた艦長が笑みを浮かべた。

 

「喜べ、二人とも。件の彼と会えるぞ。あと十分で甲板に来る。新型機と一緒にな」

 

「新型……」

 

「まぁ、百聞は一見にしかずだろう。見てくるといい」

 

 挙手敬礼を返した隊長がブリッジを後にする。その背中へとヘイルは慌てて追いついていた。

 

「……気に入りませんよ、こいつ」

 

「そう言うな。何よりもアンヘルの上役から派遣されてきた人間なのだからな。無碍には出来ん」

 

「でも、新型って……! 俺らに与えられるべきじゃないですか。前線でブルブラッドキャリアと戦ってきたのは誰だと……!」

 

「いつの時代でも、特権層がその部分は支配する。喚いたところで始まらんさ。せめて、甲板に来るという新型機だけでも見させてもらうとしよう」

 

「……隊長、あまりにも無欲が過ぎますって。あいつにもお咎めなしですし」

 

「ヒイラギ准尉か? 彼女を咎める理由がない」

 

「パーティ会場で! 勝手に持ち場を抜けて、あまつさえもトウジャの出撃を!」

 

「あの場では適任だった。それだけの話だ」

 

 しかし、気に入らない。どうして燐華は許されて自分は駄目なのだ。歯軋りするヘイルに隊長が言いやる。

 

「適材適所はある。ヘイル、お前が輝ける戦場がこの先、必ず存在する」

 

「……どうも。ですけれど、この先なんてあるんですか? 上役が寄越したこいつが、全部掻っ攫ってしまったら?」

 

「それはないだろう」

 

「分かりませんよ。新型機なんでしょう?」

 

「どこまで万能を気取ろうが、どこまで最新鋭であろうが、どうにも出来ない一線はある。それを見極めて、我々は戦えばいい」

 

「……尻拭いでも、ですか」

 

「アンヘルは統合組織だ。一糸の乱れが命取りになる」

 

「了解しました」

 

 ここで言い返したところで何も意味はない。情況は転がりつつある。今は、一つでも確定を押さえる事だ。

 

 甲板に出ているのは自分達だけではなかった。兵士は赤い操主服に身を包み、大気浄化モードに設定している。

 

 自分達もヘルメットの気密を確かめて水平線上からこちらへと接近する熱源を目にしていた。

 

 全体的なフォルムではトウジャの疾駆に近いが、機体のカラーリングが異なる。戦場では装飾華美に当たるほどの眩いオレンジのカラー。異常に細い腰関節と比して球体型の肩を有していた。全体的な印象では上半身の密度が高い。

 

 面長な頭部コックピットより操主が這い出た。

 

「眼は三つ、か」

 

 呟いた隊長の声に額とデュアルアイセンサーを有する機体をヘイルは仰ぎ見ていた。

 

 背中には二つの砲身を持つ重火器を携えている。

 

 こちらへと振り向けられた眼差しにヘイルは覚えず身を強張らせていた。

 

「そちらが今回、我々と作戦行動を共にする機体か」

 

 臆する事なく、隊長は通信を繋いだ。その胆力に毎度の事ながら仰天する。

 

 相手は通信チャンネルを合わせ、こちらへと返事する。

 

『よろしく頼みますよ。モリビトを撃墜するのに、この機体だけでは足りませんからね。アンヘル第三小隊の働きに期待しています』

 

 中性的な声であった。全体として感じた印象は、若過ぎる、という点であろうか。

 

「機体名称は」

 

『新しいフレーム構造を体現しています。試作型ですが、これから先のスタンダードになるかと。イクシオンフレームタイプ一号機。《イクシオンアルファ》です』

 

 イクシオンフレーム。聞いた事のない機体の型だな、という感覚を持ったヘイルを他所に、隊長は作戦概要を送信する。

 

「これに沿って戦ってもらいたい。我々は海上からブルブラッドキャリアの艦を押さえにかかる」

 

『信用していますよ。第三小隊には』

 

《イクシオンアルファ》が格納庫へと運搬されていく。それを横目に見ながらヘイルは口走っていた。

 

「……生意気な」

 

 それでも作戦を共にする以上、ある程度は信頼するしかない。たとえそれが、偽りに糊塗された代物であったとしても。

 

 煤けた風が甲板を吹き抜けたのを、ヘイルは実感した。戦場が近い空気だ。

 

 このままもつれ込むかのように次の作戦が訪れるのであろう。

 

 その時は決して遠くないような気がしていた。

 

 


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