♯216 屈辱の戦場
『こちら不死鳥戦列。ラヴァーズの艦を発見しました』
先遣隊の通信網に海上で波間を弾けさせる旗艦に収まったレジーナは声を吹き込ませる。
「ブルブラッドキャリアは?」
『現状、一隻のみです』
これをどう見るか、それは隊長である自分にかかっている。ラヴァーズの旗艦――《ビッグナナツー》を連動通信で視野に入れたレジーナは水分を補給しふとこぼしていた。
「やはり一隻……、モリビトは出てこないか」
どこかで、あの夜に出会った林檎との戦いを予見していたのであるが、杞憂に終わるのかもしれない。いや、今は先延ばしになっただけで、結局因果はそそげないか。
レジーナは操縦桿を握り締め、上官へと問いかけていた。
「ラヴァーズの艦は発見出来ましたが、肝心のブルブラッドキャリアは見当たりません。もし、潜行している可能性もあるのならば、不死鳥戦列を前に出し過ぎれば艦を叩かれえる恐れもあります」
『シーア中尉、先のアンヘルからの伝令でブルブラッドキャリアは別航路を取ったという情報もある。ここはラヴァーズのみを叩け。そのほうが上も納得する』
了承し難い命令であった。ブルブラッドキャリアをあえて叩かず、一時的な共闘関係にあったラヴァーズを奇襲するなど。
しかし、自分達に大した選択肢など与えられていないのだ。
レジーナは《フェネクス》の最終調整を行う。
「《バーゴイルフェネクス》、不死鳥戦列の隊員に告げる。第一種戦闘配置」
『シーア隊長からの命令が下った! 全機、いつでも出撃出来るように配備! 《フェネクス》の底力を見せてやるぞ!』
応、と放たれた声音にレジーナは息をつく。
彼らの在り方に関して異論を挟むつもりはないが、どうしたところで敵は待ってくれない。なれば自分達から赴くべきだ、というのは何も間違った帰結ではないのだ。
ただ、それがあまりにも強情だと、別の軋轢を生む事になる。
自分達は所詮、旧ゾル国陣営。
亡国の徒なれば、与えられた運命のうねりの中で最善策を模索するしかない。
まったく、因果なもの、とレジーナはコックピットの中で《フェネクス》の出撃シークエンスに手をかける。
《フェネクス》の強みは機動力だ。旗艦から敵艦までは相当離れているが、《フェネクス》のスピードをもってすれば、三分以内に強襲可能であろう。
加えて敵は型落ち品ばかりの二流人機達。如何に三十機近い編成が組み込まれていようとも、本国で何度も《スロウストウジャ弐式》を前提にした模擬戦を繰り広げてきた自分達の敵ではない。
否、ともすれば敵よりもなお、こちら側に近いのかもしれないが、今は考えないでおいた。敵の敵は味方など、そのような理論がまかり通るのはいわゆるファンタジーだ。
いつの時代とて、敵は敵でしかなく、叩くべき相手を見定め切れなかった陣営は滅びるのみ。
今回の場合、ブルブラッドキャリアの支援がないのはある種、僥倖である。
モリビトが出てくる最悪の事態も加味した上での作戦、失態を晒すわけにはいかない。
「《フェネクス》、シーア機、射出用カタパルトへと移行」
『了解。リニアボルテージ、出力入ります』
円筒型の射出用カタパルトへと、《フェネクス》の機体が運び込まれていく。翼を折り畳んだ形の《フェネクス》は今か今かと出撃を心待ちにしているようであった。
しかし、このような形の初陣とは、とレジーナは奥歯を噛み締める。
「……どう足掻いたところで、決定には逆らえない。国と国とが定めた政の上に、軍事は成り立つ。軍が先行してはならない」
それが分かっていてもなお、悔恨は苦々しいものとして残る。
《フェネクス》をC連邦のスタンダードに鑑みれば、やはりコンペディションを経ての実戦配備こそが理想であっただろう。
だが、理想通りに話が進むなど誰も思っていなかった。不死鳥戦列の者達は、皆が強者だ。
バーゴイル乗りの中でも生え抜きが選び取られ、先鋭された操主は《フェネクス》の高機動に耐え得るだけの素質を持ち合わせている。
自分達こそが亡国の希望。旧ゾル国を新たに一国家レベルへと押し上げるのには生贄の子羊が必要だ。
その子羊がたまたまラヴァーズであっただけの話。
「恨みはない。だが、我々のために消すも已む無し。……許せとも言わない」
『カタパルト位置固定、どうぞ』
シグナルがオールグリーンに染まり、レジーナは腹腔から声を張り上げた。
「レジーナ・シーア。《バーゴイルフェネクス》一番機、出るぞ!」
上空へと超電磁リバウンドの効果で放出される。射出された《フェネクス》はそのまま降下軌道に移る前に両翼を広げた。R兵装の反重力が黄金の不死鳥に翼を与える。
続いて出撃したのは三機であった。現状の《フェネクス》の配備数を考えればまだこれでも譲歩した部分。
しかしたった三機で三十機余りを相手取れいうのはあまりに無茶なオーダーである。
レジーナは空中機動における《フェネクス》の安定性を精査した。今のところリバウンド揚力に問題はなし。全武装もアクティブに設定されている。
『隊長、これが《フェネクス》の初陣なんですか。こんな……当り散らしどころを間違えた、暴力みたいなものが』
やはり隊の中には思うところのある操主もいるようであった。自分達は旧ゾル国復権のために礎となる覚悟を持って《フェネクス》に乗り込んでいる。生半可な気持ちの人間などいないだろう。しかし、理想は時として弊害になる。
「命令には従う。それが軍人だ。今回の作戦、何も間違ってはいない。ラヴァーズはブルブラッドキャリアと手を組んだ。それだけの事」
『でも、その後始末を我々が任せられるのって……。やっぱりアンヘルにいいようにあしらわれているんじゃ……』
そう考えるのは何も間違いではない。C連邦政府と上の軋轢に巻き込まれ、現場の兵士が疑問を浮かべながら引き金を引く。あってはならぬ事だがまかり通っているのが現状。
迷いなく誰かを撃てる戦場など限られている。まだ今回、上が責任を取ると言っているだけでも良心的だと思うべきなのだ。
『あまり難しく考えるなよ。これから相手するのは、三十機前後の人機の編隊……、中途半端で戦えば命はないぞ』
正しい認識だ。何一つ、間違ってはいない。ただ、《フェネクス》をこのような形で晒して一番に心を痛めているのは自分達、兵士なのだ。
この黄金の不死鳥は矜持であった。だというのに、ほとんど闇討ちのような作戦に仕立て上げられている。
侮辱、と感じるのももっともであったが、誰もその事には言及しない。よく訓練された兵士なのだ。いちいち戦場に懐疑を持ち込めば死ぬのは自分であると理解している。
レジーナは《フェネクス》の高度を落とした。海面ぎりぎりを黄金の機体が突っ切っていく。白い波を弾けさせ、リバウンド効果が汚染された海面を叩きつけた。
『無茶しますね……、これから戦いなのに』
感嘆した様子の部下にレジーナは言いやる。
「どれほどの無茶が出来るのかを試すのも戦場のうちだ。墜とされる事はないだろうが、最悪の想定も浮かべておけ」
そう、最悪の想定――撃墜という憂き目も考えておかなければこの場合は読み負ける。
敵にも手だれはいるだろう。如何にラヴァーズが博愛を掲げたところで、その不可侵を実現させているのは意思とは正反対の過剰武装。
それに……とレジーナはデータを参照する。
世界最後の中立、最後の信仰と名高い人機の映像が反映された。
「《ダグラーガ》……逃げも隠れもしないか」
ラヴァーズにおいて最も警戒すべき人機であった。どれほどの型落ち品なのかも想像出来ないほど、機体は損耗している。それでも、矢面に立つのはこの人機だという確信があった。ゆえにこそ、最新鋭の《フェネクス》に軽視した部分はない。
対C連邦のアンヘルを加味した武装配置で仕掛けているのは、敵兵を嘗めていない証拠でもあった。《フェネクス》は何も卑怯なだけの戦いに用いられるわけではない。そう言い訳を作っておきたい精神は分かる。
そもそも不死鳥戦列にそのような世迷言は必要ないのだ。敵を屠り、確実に殲滅する事にのみ特化した兵士達。
アンヘルなどまだ生ぬるい。旧ゾル国市民の明日への希望となるのが《フェネクス》の戦い振り。
『間もなく会敵します』
その報告にレジーナは出撃前の上官の横顔を思い返していた。
「何故ですか! 我々不死鳥戦列がラヴァーズへの……送り狼など」
あまりにも自分達を軽視している。そのような戦い、まともな戦場とは呼べない。
レジーナの言い分を上官は看破したようであった。
「……君は戦場に道徳心を持ち込みたいのか?」
覚えず言葉に窮してしまうが、それでも反抗心だけは失わない。
「時と場合を間違えれば……不死鳥戦列に要らぬ傷がつくと言いたいのです! そうでなくともゾル国陣営は影が差している」
「その通りだ。しかし、これはC連邦と上が交わした密約の一つでね。ブルブラッドキャリア相手に負け戦をしたアンヘルに何度も出させるのは下策だと」
「……では、我々はいいと言うのですか。我らの経歴に泥を被せられても……」
「《フェネクス》の性能を上も期待している。無論、C連邦も軽んじてはいないだろう」
「ではどうして……!」
「軽んじていないからこそ、データを取りたいのではないか、というのが大筋の見立てだ」
その言葉にレジーナは拳を握り締める。
「……体のいい試金石になれと?」
「そうでなければゾル国陣営のみの作戦展開など許されないだろう。ある意味ではチャンスだと感じている」
「しかし、敵に筒抜けの好機など、好機とは呼びません」
こちらの強い言い分にも上官は頭を振る。
「C連邦と上役はいいビジネスパートナーだ。国家間において、良好な関係性を築けていると思っていいだろう。問題なのは末端兵の意識だよ。アンヘルをいい共闘関係だとは思えていないだろう?」
「それは……その通りですが」
悔しいがアンヘルと共に戦って国家の安泰が築けるとは思っていない。その反感の意思が眼差しに出ていたのだろう。上官は微笑んだ。
「安心するといい。これでも好条件なほどだ。アンヘルが割って入る事はないし、我々独自の作戦形態を実行出来る」
「……ですが連中の庭ですよ」
見張られたまま戦うなど自分達らしくはないだろう。不死鳥戦列の名が泣く。
こちらの意図を汲み取った上官は《フェネクス》の三次元図を端末に呼び出した。
「《フェネクス》の性能を見せ付けてやる、という風な気概でいてもいい。あちら側の《スロウストウジャ弐式》など、敵ではないというように」
むしろ、今次作戦は《フェネクス》の脅威を相手に知らしめるのに充分だと言いたいのだろう。前向きに考えればそれも頷ける。
だが、やはりレジーナには敵陣営の見張る空域で不死鳥が羽ばたけるとは思えなかった。思うままに翼を広げられない不死鳥など、それは意味を成さない。
「……《フェネクス》のデータが一方的に取られるのは、承服しかねます」
「言い忘れていたな。これは命令である」
今さら、ずるいだけだ、とレジーナは奥歯を噛み締める。しかし軍人ならば命令は絶対。
いくら《フェネクス》の機体がかわいくとも、使わなければそれは人機としての価値の消失を意味する。
戦場に駆り出されなければ、それは兵器ではない。飾っておくだけならば操主は要らないだろう。
《フェネクス》はお飾りではない。それを証明するための戦いが、万人の目がある仕組まれた戦地。
どこまでも――亡国は亡国らしく、振る舞えといわれているかのようであった。
「……了解しました。不死鳥戦列、第一種戦闘配置に入ります」
挙手敬礼したレジーナは踵を返す。その背中に声が投げられた。
「しかし、シーア中尉。何も連中に都合よく、戦ってやる必要もない。……誰も全滅させるなとは言っていないのだからな」
その言葉が唯一の寄る辺であった。
――そうだ。不死鳥の戦いを見せつけてやる。
矜持を胸にレジーナは歩み出していた。