音楽を、と渡良瀬がオーダーする。
荘厳な管楽器の調べに彩られ、プライベートルームへと桃は案内されていた。
形式上は、パーティの主催者が自分を気に入った、という体裁。
だが、本当のところは違うだろう。現状のブルブラッドキャリアに探りを入れるために、渡良瀬はこちらを招いたはずだからだ。
「……何が知りたいの」
「せっかちだな。それとも、ブルブラッドキャリアの執行者というのは以前よりそうだったか? よくご覧よ。旧世紀の遺物だが」
安楽椅子に座り込んだ渡良瀬が振り仰いだ先にあったのは壁画であった。羽根のついた人間が黒々とした深層の人間を眺め、笑みを浮かべている。
「反応でも見ているの」
「天国と、地獄、というものらしい。人々は死後裁きに遭い、天国と地獄に分別される。……無論、現在でも生きていないわけではないさ。このような信仰はね。しかし、末端の戦場では信仰などまるで度外視される。あるのはこのような四肢と、それを扱うために必要な神経、それに敵へと火線を張るだけの銃火器。……これが現時点での星の人々だ」
渡良瀬が銃を構える真似をする。桃は耐えかねて言い放っていた。
「……裁きを待つだけが、人間じゃない!」
「だがその裁きを代行するのがブルブラッドキャリアであったはず。……しかし、今はどうだ? 裁く側が裁かれ、貶められるはずのない罪悪を背負い、地上で肩身を狭くして震えている。そんな天使を、誰が見たい?」
「貴様達が、そういう状況を作った!」
こちらが声を荒立てるのに比して渡良瀬はどこまでも冷静であった。
「こういう状況? 状況なんてものに流されるために、ブルブラッドキャリアが君達……執行者を造ったとでも? それならば、とんだ欠陥品だ。血続としても、操主としても、執行者としても」
「モモ達は、世界の悪意に流されるためにいるわけじゃない!」
隠していた拳銃を桃は突きつける。この男は、自分は何もしていないと言いながら破滅を喜ぶ悪の根源だ。
そのような邪悪を生かしておくつもりもなかった。
しかし渡良瀬は突きつけられた銃口にも笑みを浮かべるのみ。
「おいおい、よしてくれ。前時代的だろう? まさか銃口一つで裁けると思っているのか? 言ってあげよう。あの時、六年前の殲滅戦……思い出せるともさ、いつだって。わたし達は始末される恐れがあった。他でもないブルブラッドキャリアによって」
「……何だって?」
引き金を絞りかけた指が彷徨う。目を見開いた桃に渡良瀬は余裕たっぷりに言ってのけた。
「本当だとも。ブルブラッドキャリアの計画の最終段階では、執行者と調停者……我々人間型端末は捨て駒であった。欠損した我々のデータを寄せ集め、新たに世界を再構築する。いずれにせよ、君達の滅びは確約されていたのだよ。組織によって、ね」
「世迷言を!」
「そう思うかどうかは個人の裁量だが、予感はしていたんじゃないか? 自分達の境遇がどこかで誰かに都合よく計算された代物である事を。だからこそ、君は前に出た。しゃにむに前に出て、銃弾を浴び、戦い抜いた。その結果が現状だ。ブルブラッドキャリアの事実上の分裂。誰が予言したでもない。これは世界に待望されていた!」
渡良瀬の言葉を跳ね返そうと桃は声を張り上げる。
「それでもっ! モモ達の戦いを侮辱するのは!」
「侮辱? 何か勘違いをしていないか? 侮辱しているのはブルブラッドキャリアという組織そのもの。そして、この世界。だが、我々はむしろ君達を歓迎したい。世界の刻限を進めるのは老人でも、ましてやごく少数派でもない。多数の総体なのだと言う事を。レギオンの名を」
その名前が像を結び、桃は目を戦慄かせる。
「レギ、オン……。元老院を、破滅させた……」
「悪い噂話だな。それは向こう側からの都合だろう? わたし達は世界をよくした。その証拠に、知っているはずだ! アンヘルとトウジャ! あれを上手く使っている! 老人達ではこんな事は出来なかった! ブルブラッドキャリアに巣食う古き支配者でも、だ! 組織をクリーンにし、世界を掃除しているのは我々の職務。言わば、天使の無償の施し。愛なんだよ、見返りを求めない、何もかも完璧な……愛そのものだ!」
「愛? こんな世界が、愛だって?」
ふざけるな、と桃は歯軋りする。愛はこんなにも残酷だと言うのか。愛は、人を陥れ、騙し、殺しつくす代物だとでも言いたいのか。
――違う!
「違う……、断じて! 貴様らの所業が! 愛なんて! 飾り立てられて堪るものか!」
このような悪逆が愛だとすれば、どれほどまでに愛が残酷だというのだ。愛が人を救わない、非情なる存在だと言いたいのだ。
張り上げた声に渡良瀬はナンセンスと頭を振った。
「理解出来ないのか? 大局を見極め、世界にとってよりよい効率的な解決を求める。それこそがブルブラッドキャリアの、在るべき姿だ」
「モモ達は! そういう思惑を砕くために降りてきた! この星に!」
「そう信じたければ勝手にするといい。だが、世界を実質的に動かしているのは総体、多数派だ。君達のような少数派が望んだ世界になんてならない。この世界は、無数の悪意と無数の善意が渦巻いている事によって成り立つ。どちらかに均衡を振れば、それこそ破滅だ。だからこそ、わたしはここに名乗ろう。レギオンの中でも調停を司る存在――我らアムニスはね」
「調停者を集めて、何をしようとしている? レギオンは、何のために言論の統制なんて」
「統制? それは違う。統制されていくのではない。統一されていくのだ。人の意識は散漫になり過ぎた。この百五十年……いやもっと長い時間をかけて、か。意識は統一され、統治され、そして統合されなくてはならない。ヒトは、争いを繰り返す。過ちも、どれほど警告しても。ならば、その方向性を画一化させてやればいい。アムニスはそのためにある。人をあるべき姿へと変革させる」
「……人間の意識の流れを操って、その行く末に未来なんて……」
震えさせた銃口にも及び腰にならない渡良瀬は天井を仰いだ。
「ならば、誰が裁く? 天国も地獄も、この世にはないんだ。誰も決められない、誰も審判なんて出来ない。ゆえにこそ、こう教えるのが正しい。この世界に天国も地獄もない。等しくそれはここにある」
こめかみを突いた渡良瀬に桃は首を横に振る。
「そんな事って! じゃあモモ達は、何のために戦ったって言うの! 何のために、失ったって言うのよ!」
「安心するといい。保護すべき遺伝子は保全され、安定した供給が約束されている。君の遺伝子配列だってそうだ」
先に目にしていたタチバナ夫妻の娘の姿が思い起こされる。あれは、まさしく自分自身であった。
硬直した桃へと渡良瀬が言葉を振る。
「おかしいかな? しかし優れた血縁は優先的に保護されるべきだ。タチバナ夫妻は、了承して、遺伝子改良にサインした。あれが君に似ているのは、君の大元もまた、同じであるからだろう。惑星で百五十年も前に、君の血縁は永続的な生存を確約された」
まさか、と桃はよろめく。
「モモ、自身も……」
「そうだ。恐らくはブルブラッドキャリアが星より持ち出したのはモリビトの製造データと、血続の情報だけではない。操主として優れた能力を持つ存在を恒久的に保存するための……遺伝子配列も」
だとすれば自分の担当官は。いや、そもそも自分は? 何者なのだ。どうしてここに立っているのだ?
「……モモは、何?」
「難しく考える事はないさ。優れた血の人間であるというだけ」
「黙って!」
引き金を絞る。当然、その当り散らしたような銃撃は渡良瀬に命中もしない。
「……そろそろ気づいたらどうなんだ? 君もわたしも、変わりはしないのだよ。選ばれてここにいるんだ。ゆえに、わたしは君を仲間に引き入れてもいいと思っている」
「仲間……レギオンの手先なんて!」
「勘違いしないでくれ。尖兵としてではない。この星を回す側として、こちらの観察眼が欲しくはないか? わたし達の視点に立てれば無敵だ。君は何も思い悩む事はなくなるし、モリビトに乗って死に物狂いで戦う必要もない。悪くはない条件だとは思うがね」
星を回す側の視点。自分達ブルブラッドキャリアは所詮、手駒程度にしか執行者を考えてはいなかった。ならばもっと大局的に、もっと細く長く……。
間違っていない判断だろう。
合理的に考えるのならば。
しかし、桃は銃口を真っ直ぐに渡良瀬の身体へと照準していた。今度こそは迷いなく、間違えようもない自分の意志で。
「……驚いたな。まだ抵抗するというのか?」
「抵抗? そうね、あんた達からしてみれば抵抗かもしれない。こんなの所詮、ちょっと足掻いているだけ。悪足掻きにも等しいでしょう。……でもね、嘗めないで。たとえ宿命付けられた命だとしても! この身体に流れる血潮がたとえ、誰かの似姿でも! 構いはしないわ、だってモモはモモなの! 何年も組織の言う通りに生きてきたわけじゃない。六年前の殲滅戦だってそう! モモは自分の意志で、生き残る事を選んだ! 断じてあんた達の掌の上なんかじゃない!」
引き金を絞りかけて、その銃身を横合いからの弾丸が射抜いた。
ビィンと震える手に激痛を覚えた桃は振り返る。
「アムニスの序列五位、アルマロス・ヴァイヴス。執行者相当の権限を持っている」
銃口を向けたドレス姿の女に、桃は咄嗟の逃走経路を辿っていた。窓枠へと駆け込み、身体ごとぶち破る。
降り立つなり、すぐに鉄菜へと通信を繋いだ。
「クロ! すぐに来て! 《ナインライヴス》で出るわ!」
耳にはめ込んだ緊急通信回線が開いたのを鉄菜は感覚し、燐華との会話に打ち止めをかける。
「……燐華・クサカベ。もう会う事はないだろう」
踵を返した鉄菜に燐華が追いすがる声を発する。
「待って! 鉄菜! あたしを置いていかないで!」
その言葉を振り払い、鉄菜は合流地点に向けて駆け抜けた。
《ナインライヴス》がアイドリングモードのまま機体を蹲らせている。パーティ会場より少し離れた森の中だ。人目はないだろう。
鉄菜が乗り込んだ瞬間、メイン操主である桃の位置情報が送られてきた。パーティ会場を抜け、別方向へと駆けている。
「《モリビトナインライヴス》、副操主の権限で起動を開始。メイン操主である桃を拾う。スタンディング形態へと可変」
《ナインライヴス》が獣の姿から人型へと変形を果たす。
桃を拾い、情報を纏め直さなければ。
そう考える冷静な自分に比して、先ほどまで燐華と話していた自分が遊離する。
「……燐華・クサカベ。私は完全に突き放せなかった。これも弱さか」
もっとハッキリ言えばよかった。住む世界が違うとでも。見ている世界があまりにも異なっている。
燐華はいくらでも取り返しのつくポジションだ。どれだけあのテロで友人を失ったとは言え、どれだけでも人生において戻れる場所にいるはず。
それに比べ自分はもう戻る事など許されない戦いの連鎖の中にいるのだ。
だからこそ、燐華を切り離せなかったとも言える。
どこかで感じている非情になり切れていない側面が邪魔をしたのだ。
「私は……まだ」
その時、不意打ち気味にコミューン外壁を激震が見舞った。策敵熱源反応が二機の人機を映し出す。
「《イドラオルガノン》……? もう一機の反応は……」
照合データに鉄菜は絶句した。
「《モリビトサマエル》……。どうしてこの空域に!」
眼下の桃が風に煽られつつ《ナインライヴス》を迎える。拾い上げ、操縦席へと導いた。
ドレス姿の桃がすぐさまメインコンソールへと情報を打ち込んでいく。
「クロ……モモ達が本当に倒さなければならないのは……組織そのものなのかもしれない」
「……興味深い言葉だが今は悠長に聞いている時間もない。《イドラオルガノン》が《モリビトサマエル》と戦闘をしている。コミューン外壁に穴を開けた。再生機能が働くとは言え、あの機体のみで戦闘はまずい」
こちらの状況判断に桃は首肯する。
「林檎達だけで《モリビトサマエル》と? 危険過ぎるわね。すぐに応援に向かうわよ、クロ!」
「分かっている。《モリビトナインライヴス》」
「このまま《モリビトサマエル》と会敵する!」
可変した《ナインライヴス》が吼え立て、機獣形態で駆け抜けていく。一刻も早く援護に向かわなければ、間違いなく――。
「……やられるぞ、《イドラオルガノン》は」
瞬く火線に鉄菜は腹腔に力を込めた。
パーティ会場上空を人機の反応が抜けた、というアラートが響き渡り、燐華は鉄菜を追う事を諦めざるを得なかった。
隊長とヘイルがすぐさま通信に吹き込む。
『ヒイラギ准尉、聞こえているか』
『こちらヘイル。……奴さんは……モリビトだ。照合中だが、敵影はモリビトタイプだと……こっちからは見えています!』
燐華は目を戦慄かせた。どこまでも自分の運命を弄べば気が済むのだ。
モリビトに、ブルブラッドキャリア。
拳を骨が浮くほどに握り締める。
――憎い、……憎い!
『……ヒイラギ准尉! 返事を』
「……聞こえています。隊長、すぐにでもモリビトを追えますか」
『いや、まだお歴々が残っているだろう。彼らの帰り際に戦闘にでもなれば流れ弾が怖い。責任追及の矛先がアンヘルに向くからな』
『現状、動くなってのが一番に賢いですか。……にしたって、もどかしいな。モリビト相手に、一矢報いる事も出来ないのかよ……』
ヘイルの悔恨は自分も同じであった。どれほどに煮え湯を呑まされた事か。モリビトには因縁を返さなければならない。
「……あたしの《スロウストウジャ弐式》は裏に待機させてあります。一機でも向かえれば」
駆け出しかけた燐華に声が投げられる。
ヒイラギが心配そうにこちらを見やっていた。
「……クサカベさん、君は……」
「先生、あたしはもう、クサカベじゃありません。アンヘルの兵士、燐華・ヒイラギです」
無情に言い放った声音にヒイラギは面を伏せる。
「そう、だったな……。君が選び取ったんだ。自らの過去を切り捨てる事を」
「行きます」
短く言い捨てて、燐華は自分の人機の下へと駆けていった。
その背中を追うものは誰もいない。
因果の決着のため、全てを振り払った戦士の赴く先は一つ――。
モリビトを倒す。
「興奮気味に! よくもやってくれたじゃねぇか! 頭沸騰して何も考えられなくなっているにしちゃ、健闘のほうだぜ!」
《モリビトサマエル》を操るガエルは眼前のモリビトに対して推進剤を焚いて距離を取っていた。コミューン外壁の再生機能に巻き込まれかけたモリビトが火線を張り、わざとコミューンに穴を開けて飛び立とうとする。
「これじゃ、侵略者はまさしくそっちだな!」
『黙っていろ、貴様はぁっ!』
ネガ色に染まったリバウンドの斧を受け止め、ガエルは思案する。こちらには熟考出来るほどの余裕があるが敵はほとんど特攻の構え。こういう時のしつこさは一番に身に沁みている。
執拗な敵の追及を追い払うのに的確なのは二つに一つ。
ここで敵の闘争心を汲んでやって飲まれてやるか。もしくは……。
「冷静に事を俯瞰するか、だな。この場合は後者か。……戦争屋嘗めんなよォッ!」
笑みを刻んだガエルがモリビトを押し返す。敵が再びリバウンドの甲羅と推進剤を使って接近しようとしたその時、新たな熱源警告に《モリビトサマエル》を急上昇させた。
ピンク色の光軸が先ほどまでいた空間を穿つ。
「……新手か。だがまぁ、楽しめたぜ。それなりにはな。次はもっといい声で啼いてくれよ」
急に醒めたこちらに比して相手はまだ深追いをするつもりである。
『待て! 戦えよ!』
「やなこって。てめぇ勝手に動きたきゃ、他を当たりな。こっちだって暇じゃねぇんだよ。戦争処女相手に立ち回るのも疲れる」
『この、……臆病者が!』
「おーおー、どれだけでも罵ってくれや。言っておくが、オレは戦争をビジネスとして考えている。分かるか? 酔いたい時に好きなだけ酔える、って言うのは酔いが回った状態を熟知している人間の特権だ。醒め時も心得ているワケよ」
《モリビトサマエル》の機体状況と、敵の数も含めて退き時だろう。撤退機動に入ったこちらへと何度か当たりもしない砲撃が見舞われる。
これも相手が退き時を理解しているからだろう。あの甲羅のモリビトに乗った操主にはそのセンスがなかった。まだ発達途上の精神性では自分と対等な戦場に立つ事さえも許されない。
「……さぁて、レギオン連中よ。お膳立ては整えてやったぜ? 後は好きに場を掻き乱すなり何なり、好きにしろよ。オレにはまだ仕事があるからな。正義の味方って言う」
《モリビトサマエル》の損耗状態を確かめる。Rブリューナクを一基失ったのはまだ想定内だ。
モリビト相手に善戦したほうだろう。
「ケツに火が点いたのは、モリビトかオレ達か。せいぜい見定めさせてもらうぜ」
《イドラオルガノン》が左腕を失ってもなお、闘争心を失っていない事に鉄菜は驚愕していた。
ほとんど機体は半壊。
それでも《モリビトサマエル》を追おうとする苛烈な姿勢に桃から叱責が飛ぶ。
「林檎! 蜜柑! 二人とも落ち着いて! 《モリビトサマエル》を今の状態じゃ撃墜なんて出来ない!」
《ナインライヴス》がその進路を遮るのを《イドラオルガノン》が無理やり押し通ろうとする。
『退いてよ、桃姉! あいつは、墜とさなくっちゃいけないんだ!』
「それには同意見だが、現状を鑑みろ。《イドラオルガノン》は中破している」
『うるさいんだよ……! 旧式風情が!』
こちらの意見は通らない、か。鉄菜は相手の目を覚ます方法を考慮したが、その時には《ナインライヴス》のRランチャーが《イドラオルガノン》を照準していた。
その行動に鉄菜は瞠目する。
「桃……?」
『桃姉……、何を』
「林檎、落ち着きなさい。そうでなければ操主として不適格と判断し、ここで撃墜する」
桃の切り詰めた冷たい声音に鉄菜でさえも冷水を浴びせかけられたような感覚に陥る。林檎はもっとだろう。
『……でも、追わないとっ』
「今追ったって体のいい的になるだけよ。それとも、そんな簡単な事が分からないほど、駄目になったって言うの?」
上官としての桃の声音に林檎は急速に事態を理解したのか、《イドラオルガノン》を下がらせた。
左腕を失い、リバウンドの盾の仕様も含まれている甲羅には亀裂が入っている。
どう考えても戦闘継続は不可能であった。
操主ならばそれを理解して然るべきはず。桃の強硬姿勢は無意味ではない。
『……ごめん、ちょっと冷静じゃなかった』
「それが分かっただけ、いいわ。帰投コースに入る。戻りながらでいいけれど……三人とも聞いて欲しい。ブルブラッドキャリアが本当に戦うべき、敵に関して、よ」
桃はやはりあのパーティ会場で何者かと遭遇した様子だ。
探りを入れたのは無駄ではなかったらしい。
「桃、それは私達が本気で向かい合うべき問題なのか」
問いかけた鉄菜に桃は静かに首肯する。
「ええ。これまでとは違う戦いが待っている……。それは間違いようのない事実のはずよ」
宵闇に染まった戦域をモリビト二機が駆け抜けていく。
その果てに夜明けがあるのかは依然として知れないままであった。
照準器を覗き込んでいた燐華は、敵が離れていったのを確認して荒く息をつく。
コックピットに荒々しく乗り込んだ自分は裸足で、ドレス姿のままであった。こんな状態で何が出来る、と問われればそれも致し方なしとしか言いようがない。
モリビトの背中に照準したのも束の間、すぐに鉄菜の言葉が思い浮かんでしまう。
「……もう会えないなんて、嘘だよね……鉄菜」
滲んだ視界で嗚咽を漏らす。どうして、自分から遠ざかっていく人ばかりなのだろう。この世は、どうして自分に少しでも優しくしてくれないのだろうか。
いつからこうまで世界は残酷だと知ったのか。燐華はアームレイカーを握り締めつつ、頭を振る。
「にいにい様……助けて。鉄菜ぁ……、傍にいてよぉ……っ」
浮かんだ弱さを拭い去る事も出来ず、燐華は痛みに呻いた。
第十一章 了