ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯214 喰らい合い

「ねぇ、蜜柑。何でボクらはこんな場所で待機なんだろ」

 

 ふとこぼした疑問に蜜柑は策敵を怠らずに応じていた。

 

「そりゃ、桃お姉ちゃんが作戦を実行出来るように、でしょ」

 

 林檎は後頭部に手をやって蜜柑の言葉を咀嚼する。

 

「でもさ、ボクらでも桃姉の守りくらいは出来た」

 

「……鉄菜さんがついているのが信用出来ないの?」

 

 ハッキリ言えばそうなってしまう。だが、どこか順当な落としどころを見つけたくって林檎ははぐらかした。

 

「ええ、どうかなぁ……。《イドラオルガノン》で運んだんだから、それくらいはって話なんだけれど。ってかさ、こんな悠長な事、やっている暇あるの?」

 

「策敵任務も立派な作戦だよ。今のところ領空にトウジャもバーゴイルもなし。当然の事ながら他の人機も」

 

「暇ぁっ!」

 

 足をばたつかせた林檎が蜜柑の後頭部を踏んづけてしまった。沈黙が降り立つ。

 

 まずい、と林檎は先に謝った。

 

「あ、ゴメン……」

 

「……林檎、そんなに文句あるならさ、別にミィから言ってもいいんだよ。《イドラオルガノン》はガンナーだけで充分ですって」

 

 蜜柑の反撃は時として何よりも恐ろしい形となってやってくる。彼女の場合、具体例が確実に列挙されるのだ。それを押さえられれば自分は一巻の終わりであるものから、全て。

 

 この妹は姉である自分の弱点などお見通し。

 

 元より、二人で一人のようなもの。互いの腹の探り合いなど旨味はない、と早々に理解した。

 

「……分かったよ。ゴメン、蜜柑」

 

 本音のトーンで返すと蜜柑も少しばかり頭を冷やしたらしい。

 

「ミィ達の作戦展開は何も間違っていない。海中用人機を墜としたのは確かに鉄菜さんだけれど、《イドラオルガノン》の行動がなければ《ゴフェル》は沈んでいた。冷静に考えれば分かるでしょ? 必要とされていないわけじゃないんだって」

 

 それは冷静に考えれば、の話である。鉄菜や《ゴフェル》の面々とて自分を軽視しているわけではない。それくらい、少し頭をひねれば分かる。

 

 問題なのは、それでも自分の中で燻り続けるものであった。

 

 鉄菜を初めて目にした時から、――あるいは《モリビトシン》と初めて共闘してからずっと感じ続けている劣等感。

 

 どうして自分はあれのようにうまくやれないのだ、という感覚。

 

 新型のはずだ、六年も前の旧式とは物が違うはず。そう信じていても、否、信じているからこそ、ほとんど埋めようのない隔絶に言葉をなくしてしまう。

 

《モリビトシン》が与えられているからだけではない。さらに言えば、エクステンドチャージを唯一使えるからでも。

 

 これは、大前提として、依存心が自分の中で膨れ上がっているのが挙げられるだろう。

 

 上官であり、信用出来る大人であった桃に、誰よりも信頼を置かれている鉄菜へと、結局のところ嫉妬しているのだ。

 

 どうして自分達が見てもらえない? 鉄菜なんて型落ちのはずだ。

 

 頭では分かっている。

 

 比較したところで、物が違うというのならば、そもそもこの前提そのものが間違っているのだと。

 

 自分と鉄菜は見てきたものも感じてきたものも違う。だから、反目し合うよりも別方向を向いて互いに共闘したほうが望ましい。

 

 冷静な部分では判断出来る代物のはずなのに、どこかで熱くなっているのだ。

 

 その不明瞭さが自分でももどかしい。

 

「……分かんないんだよ、ボク。何でこんな事で思い悩んじゃうのか。誰も教えてくれなかったからさ。ブルブラッドキャリアの大人達も、桃姉も。それに……何だか最近の桃姉、ボクらと一緒にいた頃よりも楽しそうなんだもん」

 

「昔の仲間と会えて、安心しているんじゃないの?」

 

「それだけじゃないような気がする。……六年前、詳しくは知らないけれどさ。桃姉、きっと自分の価値観を揺さぶるような何かがあったんだと思う。それを与えたのが、旧式……鉄菜・ノヴァリスなんだとすれば」

 

「頷ける?」

 

 問いかけに林檎は頭を振った。

 

「……やっぱりダメだ。分かろうとしても、分かりたくない。こんがらがっちゃうんだ、多分」

 

「じゃあ、それでいいんじゃないの?」

 

「これで?」

 

 思わぬ言葉に林檎は面食らう。蜜柑は策敵レーザーから視線を外してわざわざ上操主である自分を見据えた。

 

「林檎が、納得いかないんなら、ミィも付き合うよ。だってミィ達は、この世界でたった二人だけの……血の繋がった家族じゃない」

 

「家族……でもボクらは、元々血続としての基本配列を基にして形式上、姉妹として構築された、人造血続で――」

 

「そういうの、抜きにしようよ。もう、組織の本隊に戻る必要もない。小難しい事は……ミィ、あまり好きじゃないから。林檎が家族だって事は、ハッキリと分かる。それだけじゃダメなの?」

 

 絶句するしかない。蜜柑にそこまで考えさせてしまっていたなど。思えば、島での単独行動を含め、蜜柑には責任を負わせ過ぎた。

 

 自分勝手に振る舞うのには、この身は少しばかり雁字搦めになっているのかもしれない。それが分けようのない、血縁と言う名のものであるのならば。

 

 蜜柑は自分達の境遇をひっくるめて、「家族」で片づけようとしている。

 

 無論、それでも構わない。蜜柑が恐らくは一人の時間を耐え抜いて、搾り出した結果だろう。ならば、姉である自分がそれを受け止めないでどうする。

 

 しかし上手く言葉がついて出なかった。

 

 どう口にすれば、この胸に渦巻く感情を形に出来るのだろう。どう処理すれば、棘もなく伝えられるのだろう。

 

 まごついている林檎は不意に劈いた接近警報に空を振り仰いだ。

 

「反応? 上!」

 

 ウィザードとしての習い性が即座に《イドラオルガノン》を後退させる。天空より紺碧の闇を引き裂いて、白金の稲光が襲ってきた。

 

 瞬時に海面は蒸発し、ブルブラッドの濃霧が発生する。

 

「熱源? そんな、策敵センサーは万全のはずなのに……!」

 

 蜜柑が周囲へとレーダー網を走らせる。その間にも敵から放たれる強力なプレッシャーの波に林檎は操主としての勘で応戦していた。

 

 夜を引き移したかのような漆黒を身に宿した機体が雪崩れ込むように実体武装を振るい落とす。

 

 咄嗟にRトマホークの安全装置を解除し、発振させたのは我ながら上出来と言えただろう。

 

 干渉波のスパークが激しく散る中、林檎は敵方の機体が持つ意匠に愕然としていた。

 

 特徴的な三つのアイサイトに、機体の基礎フレームはまるで――。

 

「モリビト……、これは、モリビトだって言うのか!」

 

「林檎、もしかしてこの機体、……鉄菜さんが会敵したって言う……」

 

 参照データを探す蜜柑に林檎は予見する。

 

「これが……《モリビトサマエル》……。桃姉が苦戦したって何度も言っていた、《モリビトタナトス》の発展機……」

 

 同時に鉄菜が幾度となく挑み、撃墜出来なかった機体だと伝え聞いている。

 

 林檎の胸の中で、脈動が跳ねた。

 

 ――この機体を墜とせれば、鉄菜以上に……。

 

 鎌首をもたげたその欲望に感化されたかのごとく、《モリビトサマエル》が鎌を跳ねさせ、こちらの気勢を削ごうとする。

 

 負けるものか、と林檎は歯を食いしばってRトマホークをもう片方の腕に保持させた。

 

 回転させながらの呼気一閃。腕の一本くらいは取った、と予感した林檎は敵影が上方へと逃れたのを遅れた関知センサーの報で思い知る。

 

 背後に敵の気配を感じたのも一瞬。すぐさま距離が詰められ、激震が《イドラオルガノン》を揺さぶる。

 

 まさか、このような人機――、と林檎は吼え立てた。

 

 がなった声に呼応した《イドラオルガノン》のRトマホークによる交差斬撃が《モリビトサマエル》を後退させる。

 

 それでも相手の勢いが衰える事はない。急に存在感を増した敵の殺意に林檎は咄嗟の判断でRトマホークを掲げさせる。

 

 何か、確信があったわけではない。だが今までの戦いと鍛錬は無駄ではなかった。

 

 白銀の槍の穂の一撃を《イドラオルガノン》は受け止める。

 

「この人機……無数の自律兵器を持っている! 今、一基射出された!」

 

 ガンナーである蜜柑は《イドラオルガノン》の周囲の敵性反応に目を向けようとするがあまりにもその反射速度が速いためか、さばき切れていない。この場合、ウィザードである自分が先んじて判断し、機体を動かさなければ取られる。

 

 敵の自律兵器がどこから来るのかは高濃度ブルブラッド大気のせいでほとんど予見出来ない。自分達が隠れやすい場所を見繕ったのに、いざ戦場となれば不利に転がるのは笑えなかった。

 

 舌打ち混じりにRトマホークを一閃させる。自律兵器は闇に紛れ、こちらを嘲笑うかのように刃を逃れた。

 

「この……遊んでいるのか! お前!」

 

『どーっかで見たような機体だなと思って降りてみりゃ、驚きだぜ。モリビトじゃねぇか! それも、お見かけしていないタイプだ。こいつぁ! 当たりを引いたかもなぁ! レギオン連中のケツを巻くための仕事にも、ちぃっとばかし意味があったワケだ!』

 

「男の……声」

 

 絶句する蜜柑はようやく照合データが取れたのか、《モリビトサマエル》の敵性表示を投射画に実行させる。

 

 火器管制システムはほとんど意味を成さないような距離での鍔迫り合い。

 

 自律兵器が火を噴き、《モリビトサマエル》は執拗に攻め立ててくる。防戦一方の《イドラオルガノン》がオレンジの眼窩を輝かせてRトマホークを薙ぎ払った。

 

 敵は射線だけは心得ているのか、不利になればすぐに距離を取る。その駆け引きがもどかしい。

 

「少しでも油断すれば取れるはずなのに……」

 

 その油断がまるでないのだ。敵の立ち振る舞いでありながら、今まで目にしたどの人機の交戦記録よりも凄まじい。

 

 シミュレーターでは間違いなく味わえない昂揚感と緊張に、林檎は肩で息をしていた。

 

 ――このままでは呑まれかねない。

 

 唾を飲み下したその時、敵が片腕を持ち上げる。

 

『おい、モリビトの! 聞こえてんだろ! それとも、あのガキ共みたいにゃ、反応しねぇか! 直情型の馬鹿ばっかり集めた連中じゃなくなったか、あるいは喋れないほど、イっちまっているかのどっちかよ!』

 

「……こいつ、こっちの照準を全部読んでいるって言うの……」

 

 歯噛みした蜜柑に比して林檎はここで応じなければ、自分もまた戦場の波に打ち消されそうで、オープン回線に設定していた。

 

「……《モリビトサマエル》。六年前と同じ操主か!」

 

 叫んだ林檎に蜜柑が慌てて声にする。

 

「林檎? 不用意に通信なんて……」

 

 割って入った蜜柑の声が耳に届く前に敵の哄笑が漏れ聞こえる。

 

『こいつぁ、笑えるな! 六年前と同じか! モリビトってのはケツの青いガキしか、乗っちゃいけねぇ決まりでもあんのか? それも、本当にメスガキだ! てめぇら全員、ヤられたくって来てんのかよ!』

 

「なんて、下劣な……」

 

 蜜柑の感想が通信を震わせる前に林檎は問い質していた。

 

「聞きたい……。お前が、六年前からずっと……鉄菜・ノヴァリスが勝てていない、モリビトの操主なのか!」

 

「林檎! ダメだよ! 操主の名前は……!」

 

 慌てふためいたとしてももう遅い。敵は胡乱そうに問い返していた。

 

「クロナ? そいつがモリビトの操主の名前か? 分かんねぇ事言いやがるぜ。戦場で女がケツ振って前に出てりゃ、ヤるしかねぇだろうが!」

 

《モリビトサマエル》が鎌を振り上げてこちらへと肉迫する。林檎はRトマホークの片方で刃を受け止め、もう片腕で下段より一閃を見舞おうとした。

 

 確実に敵の関知の外だ。墜とせるはず――。

 

 そう確信した《イドラオルガノン》の片腕が肘先から両断されていた。破損のアラートでようやく、左腕が切り飛ばされた事を実感する。

 

 どこから? と疑問符を浮かべたのも一瞬。肌を粟立たせる危険域の信号に従って林檎は《イドラオルガノン》を下がらせていた。

 

 敵の脛から白銀の刃が迸っている。今の瞬間、後退を選ばなければ二の太刀でコックピットを両断されていてもおかしくはなかった。その予感に芯から震える。身体に這い登ってくる恐怖は潜在的なものであった。

 

 人間が獲得した先天的な直感に過ぎなかったが、林檎は油断すればモリビトだとしても容赦なく斬られる感覚に目を戦慄かせる。

 

 特別な機体など関係がない。自分達の境遇も全て。灼熱のR兵装の前に破壊される程度の些事に過ぎない。

 

 敵が白銀の刃を仕舞ってからようやく、林檎は呼吸が出来た。暫時の呼吸停止で吐き気を催す。

 

『おいおい、つまんねぇ操主だな。あのモリビトのガキのほうがまだよっぽどだぜ? 何だかそのモリビト、ガッタガタだ。いつ壊れてもおかしくねぇ感じに見えやがる。どういう仕組みになってんだか知らねぇが、つまんねぇ醜態晒すなよ、モリビト。もっと楽しもうぜ! せっかくの戦場だ! モリビト同士が! こうしてカチ込めるんだからな!』

 

 鎌を振るい上げた敵影に蜜柑は震える声を発していた。

 

「く……狂っている」

 

『それがどうしたァ! 最大の褒め言葉だぜ、そりゃァ! 狂わなくっちゃどうやってこの時代、こういう人機に乗っていられるかよ!』

 

 赤い眼窩をぎらつかせ、《モリビトサマエル》が再度接近する。林檎は四肢に力を込めようとするが、上手く機能しない事に気づいた。全身で駆け抜けるイメージはあるのに、《イドラオルガノン》が稼動してくれない。

 

「蜜柑? 動かなくっちゃ……!」

 

「違う……林檎。どうして、動いてくれないの……、このままじゃ……」

 

 蜜柑の側からしてもイレギュラーだという事なのか。自分の身体もまるで動くビジョンが描けない。

 

 推進剤の輝きを棚引かせて《モリビトサマエル》が大上段に鎌を振るう。

 

 その寸前で動いたのは、やはり死の瀬戸際の本能か。遅れた《イドラオルガノン》が右腕を持ち上げ、Rトマホークで敵の鎌を受け流そうとする。

 

 だが、敵の勢いは想定していたよりも遥かに上であった。

 

 何よりも片腕だけで御し切れる敵とも思えない。

 

 林檎は今にも身体がはち切れそうな感覚を覚えつつ、蜜柑へと叫んでいた。

 

「蜜柑! アンチブルブラッド兵装、発射用意を! 敵は惑星の人機だ! だから……!」

 

 そこから先はガンナーとしての蜜柑の処理能力が素早い。甲羅が拡張し、内側よりアンチブルブラッドミサイルを掃射させた。

 

 その軌道が敵への命中ではなく、周囲への爆散であった事に、相手は勘付いたのだろうか。《モリビトサマエル》が構えを解いて上空へと抜けた。

 

《イドラオルガノン》の周りが高濃度アンチブルブラッドの青い闇に閉ざされていく。

 

 その霧の中で、林檎は胃の中のものを吐き出していた。極度の緊張下に置かれた神経が耐えかねたのだ。

 

 蜜柑は耳を塞ぎ、肩を震えさせている。

 

 ――自分がせめてしっかりしなければ。

 

 ようやく取り戻した最初の感覚はそれであった。胃液が鼻腔を突き抜ける中、林檎はアームレイカーを引き、機体の姿勢を制御する。

 

「まだ……終わって堪るかぁっ!」

 

 叫んだ声と共に《イドラオルガノン》が推進剤を焚いて後退する。先ほどまで機体があった空間を白銀の槍が射抜いていた。

 

 通信網に舌打ちが混じる。

 

『……ここで墜ちてりゃ、地獄を見ずに済むのによ。てめぇら、とことん不幸と言う名の死神に! 好まれていると見えるぜ! 骨の髄までなァッ!』

 

 敵が二基の自律兵器を発射させる。ようやく眼が慣れてきたお陰か、あるいは高濃度アンチブルブラッドが敵の軌道を分かり易くしたからか。

 

 林檎はアームレイカーを限界まで引き、フットペダルを踏み込んだ。

 

 Rトマホークを回転させ、白銀の連続攻撃を《イドラオルガノン》が弾く。敵の声音に感嘆の色が窺えた。

 

『……ただでは死なねぇって寸法かい。ちぃっとばかし、嘗めプが過ぎたかねぇ。いいぜ。いい声で啼けよ! てめぇらが感じた事のねぇ快楽ってヤツを! 味わわせてやるよ! Rブリューナク!』

 

 射出された自律兵器の弾道を予見し、《イドラオルガノン》が直進する。

 

 林檎はただ前だけを見ていた。片腕を落とされている今、這い登ってくる恐れを跳ね除け、敵へと牙を届かせるのには広い視野は逆に邪魔だ。

 

 ――全てを投げ打ってでも、その漆黒の装甲に爪痕を刻んでやる。

 

 執念にも似た感情が渦巻き、不思議と恐れはなかった。

 

 命中すると予感した敵の射撃のみをRトマホークの回転軸で弾き返していく。果敢にも敵へと機体を躍り上がらせた。

 

 空中戦は想定していない。だが、勝つのには絶対に必要だ。

 

 地に這い蹲るのでは一生牙は届かない。ならば、湖面に映る残像でもいい。その影を引き裂け。闇を殺げ。

 

 咆哮した林檎の操る《イドラオルガノン》の一閃が《モリビトサマエル》の鎌と打ち合った。

 

『おっと……、さっきよりかぁ、マシな攻撃が来やがったな。これだから、ガキってのは始末に終えねぇ。たった一回の戦いでも研ぎ澄まされたみたいになるヤツがいる。まさに今! 目の前のてめぇみたいにな!』

 

「……喋っていると、舌を噛むぞ」

 

 放った声の黒々とした感情に自分でも驚くほどであった。敵を墜とす、という意地だけではない。

 

 身のうちから焼きかねないほどに脳内を白濁化させるこれは間違いようもなく――純然たる殺意。

 

 殺意が身体を動かし、飛ばせ、敵へとかかろうとしている。

 

 その呼気に蜜柑が耐えかねたように叫んでいた。

 

「もう、やめてぇっ! 林檎ぉっ!」

 

 蜜柑の制止の声もほとんど意味を成していない。林檎の頭の中では今、静謐な自己と荘厳な管楽器の音色の二つに支配されていた。

 

 殺意を剥き出しにして戦う己を、どこか醒めたように観察する自分がいる一方で、陶酔したかのような管楽器の放つオーケストラが戦場を奏でている。

 

 敵が攻撃の物理反応点を支点にして瞬時に《イドラオルガノン》の背後を取った。薙ぎ払われる一撃の予感に、獣のような雄叫びが舞う。

 

 Rトマホークの反応さえも追いつかない。

 

 甲羅を半面、打ち砕かれた形の《イドラオルガノン》がよろめくが、ただでは食らわない。

 

 リバウンドの鏡面が照り輝き、反重力を発生させた。

 

「リバウンドッ――、フォール!」

 

 この世に在らざる動きで《イドラオルガノン》が敵の攻撃を支点にして今度は射程から逃れる。

 

 さしもの《モリビトサマエル》でもそれは予見出来なかったのだろう。下段より打ち上げたRトマホークの一閃と共に甲羅に収納した火器が火を噴いた。

 

『ゼロ距離で……! こいつ、生意気なんだよ!』

 

 雄叫びが意識を先鋭化させる。奏でられる音楽が、一手、また一手と獣の領域へと林檎を押し出していく。

 

 Rトマホークの緑のエネルギーゲインが反転した。ネガの色を伴わせた刃に敵がうろたえたのが伝わってくる。

 

『……闇色の刃……。何を犠牲にしやがった……、モリビトォ!』

 

 相手が自律兵器を今度は四基、射出する。今の今まで敵の背後に構築されていた鉤十字型の翼に気づけなかった。それでも、今は分かる。

 

 どこから敵の射線が来て、どこならば避け切れるのかが。

 

《イドラオルガノン》はわざと制動用の推進剤を切って機体をよろめかせた。その動作で一撃が紙一重で回避される。もう一撃、今度は明瞭に像を結ぶ。

 

 真正面から発射された一基に隠れる形で射出されたもう一基。その射線を読んで、林檎は袖口に隠されたRクナイを投擲する。

 

 読み通り、Rクナイが自律兵器に突き刺さり、火花を散らせた。

 

《モリビトサマエル》がもう三基の自律兵器を棚引かせつつ、鎌を下段に構えてこちらへと猪突する。

 

 ――来るのならば来い。

 

 応戦の構えを取らせた林檎は《イドラオルガノン》の火器管制を掌握していた。ガンナーである蜜柑は先ほどから小さく震えるばかり。

 

 ならば自分がやる。

 

 自分だけで、この死神を追い払ってみせる。

 

 鉄菜の勝てなかった悪鬼を、ここで葬り去ってみせよう。

 

「ボクは……、ボクはァッ!」

 

『イきりやがって! 一回の戦闘の昂揚だけでイっちまうのが勿体ねぇよなァ! 勝手に感じてんじゃねぇぞ! ガキの自慰を見せ付けられるほど、暇やってんじゃねぇんだよ!』

 

 ぶつかり合った干渉波に敵の怒声が混じる。

 

『戦争ってのはなァ! 教えてやるよ、ガキが! 一回や二回の読みの差で決まるんじゃねぇ! 場数踏んでもいないクセに、昂りだけで上にイったつもりか? 戦場嘗め腐ってると、その脳髄を一物でシェイクしたって足りねぇんだよ! 教育してやらァッ!』

 

 鎌でRトマホークが弾き返される。それでも敵から剥がれるような無様を晒すつもりはない。

 

 前のめりに猪突した《イドラオルガノン》の機動に敵がうろたえ声を出す。

 

『……ッてめぇ!』

 

「墜ちろぉっ!」

 

 二機がもつれ合いながら、コミューン外壁へと迫りつつあった。

 

 


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