ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯213 舞踊の夜

 会合の席において桃は手はず通りにこのパーティの最有力権限の持ち主へと接触しようとしていた。

 

 アンヘルのスポンサー連は全て頭に叩き込んである。

 

「いや、しかし見目麗しい。あなたのような方を今まで社交界で見逃すなんて」

 

 形ばかりの賛辞を受け流し、桃は歩み寄っていた。

 

「失礼、タチバナ婦人ですよね?」

 

 こちらへと振り返ったのは金髪の女性であった。落ち着き払った物腰に、柔らかな慈愛の瞳がこちらを視野に入れる。

 

「あら? あなたは……」

 

「こういうものです」

 

 桃は偽名と偽装IDを明かす。その名前は彼女にとって親しいものの名前であった。

 

「ああ、あの時の。何のご用事かしら?」

 

「社交界で会える日を楽しみにしていまして。……私はお父様の最新の論文に目を通しております」

 

「まぁ、父の? それじゃあ、あなたも人機関係の?」

 

「開発者をやっております」

 

「そう、人機の話ならちょっとここでは出来ないわね。テラスに回りましょうか」

 

 タチバナ婦人はテラスに赴く途中でシャンパングラスを手に取った。桃はそれを受け取り、声にする。

 

「お父様……タチバナ博士の提唱する、新機軸の人機は拝見しました。素晴らしい性能だと思います」

 

「……おべっかはよして。私は、ね。父にあまりいい思い出はないの」

 

「存じております。先日、タチバナ博士と直接お会いした際、話を。あまり家族の思い出を作れなかった、と」

 

「あの人でも反省はするのね」

 

 皮肉めいた笑みを浮かべたタチバナ婦人はコミューンの空を眺めた。窺い知れない孤独があったのだろう。タチバナ博士の実の娘となれば、それなりに近づいてくる男も多いはずだ。

 

 利権目当ての大人達に幼少期から晒されてきた少女は今、大人になって何を思うのだろうか。

 

 寂しげな眼差しが桃へと振り向けられた。

 

「人機は嫌いよ。人殺しの道具だもの」

 

「ですが平和を生み出す道具でもあります」

 

「……夫と似たような事を言うのね」

 

 タチバナ婦人は既婚者だ。彼女の夫にまで調べは回っていなかったが、桃は順当に応じていた。

 

「現場責任を預かる身となれば、人機の事を一方的に糾弾も出来ません」

 

「恨む事さえも許されないのね。この世界の礎だ、だとか難しい事をよく昔から聞かされてきたけれど」

 

「ですが今日の平和は連邦と勝ち取ってきた人々の賜物です。私は、それを少しだけお手伝いしているだけのもので」

 

「謙遜したって仕方ないわ。でも……夫は金を渋る事はない。アンヘル、という組織に随分とご執心のようなのよ。娘の事も放っておいて……その辺り、父にそっくりだわ」

 

 少しばかり酔いが回っているのか、タチバナ婦人は思ったよりも饒舌だ。桃はすぐに本題を切り出すのも難しくはないと感じていた。

 

「タチバナ博士は今でも、缶詰状態ですか」

 

「おかしい話でしょう? 家族でもあの人がどこにいるのかは分からないのよ。……まぁ、どうせこの地上のどこかで今も人機を造っているのでしょうけれど」

 

「私は……元々、ナナツー関連の整備担当をしておりました。その辺りがここ数年間で一気に……塗り変わった印象があります」

 

「トウジャでしょう? 私もデータでは参照したわ」

 

 タチバナ婦人の役職は軍の参謀官。決して軽んじられる役職ではない。ゆえに、人機に対しても恨みはあれどどこかで一線を引いているものだと予想していた。

 

「トウジャタイプは次の人機市場を席巻します。恐ろしいほどに高性能で……、六年前のモリビトが児戯に思えるほど」

 

「モリビトの参照データね。確か六年前に、大型のモリビトが放置した三機の自律型人機よりデータが抜き取られた。そこから前回、アンヘルで使用された海戦用の人機が造られたのだと……夫は言っていたわ。《マサムネ》、だとか」

 

《マサムネ》と呼ばれたあの海中用人機は元々、ノエルカルテットの――ポセイドンのデータを運用されているのだ。

 

 予測はしていたがやはりショックであった。自分達が切り捨ててきたものが牙を剥いていたなど。

 

「他にもモリビトのデータを使用した人機は存在するので?」

 

「……新聞記者みたいよ、あなた。せっかく綺麗なのに」

 

 ここで訝しげに思われれば意味がない。桃は少しばかり相好を崩した。

 

「……仕事人間だと、揶揄されます」

 

「ちょっとくらい肩の力を抜いたら? 女が女としていられる場なんて、こういうパーティくらいなんだから。軍属なんてね」

 

 花火が打ち上がった。そろそろパーティもお開きに近いらしい。富豪達が空に咲いた極彩色を指差す。

 

「では同じ女性として……。タチバナ博士のような存在を近親者に持つと、気苦労が絶えないかと思いますが」

 

「逆かもね。ああいう、偉人と呼ばれる人が近くにいると案外どうでもいいものなのよ。才能という目に見えないものを信奉する人間は多いけれど、私には引き継がれなかったみたいだから」

 

「でも、軍の参謀をやっておられます」

 

「序列よ。なんて事はないわ。父は……軍に入った事に反対もしてくれなかった」

 

 きっと、軍属になる事を猛反発されたほうが彼女にとっては幸福であったのだろう。

 

 だが現実はタチバナ博士という一代限りの才覚を頼り、その血縁を蔑ろにした。

 

「……似たようなものです。私も、父親には反対の一言も言われませんでした。あまり余裕のある家庭ではなかったので」

 

「貧困層の軍属化、選択肢はほとんど存在しない中、兵士になってしまえば楽かと言えばそうでもない。……私はね、せめて娘にはまだ夢を見させてあげたいと思っている」

 

「立派な心がけです」

 

 表層だけの謝辞を吐いて、桃は核心に迫る言葉で追及した。

 

「アンヘルのスポンサーは、ここにいる人間だけではないと聞きました」

 

 アンヘルを影から動かすフィクサー。それを詳らかにする事こそがこの任務の本懐。

 

 タチバナ婦人は、ああ、と声にしていた。

 

「何度か会った事は。でも彼らはどことなく、正体が知れなくってあんまり好きにはなれなかったわ。C連邦の参謀としても正直なところ信用は置けなかった」

 

「このパーティには……」

 

「あそこにいるのが代表者のはずよ」

 

 指差された先にはダンスに興じている男と女がいた。彼らは今宵を楽しみ、享楽に身を浸しているのだろう。

 

 自分はそのような人間の内面を引き剥がすためにここにいる。

 

 歩み寄ろうとして、タチバナ婦人に向けて一人の少女が駆け抜けてきた。

 

「ママ!」

 

 タチバナ婦人が抱き留めた少女の姿に、桃は目を戦慄かせる。

 

 その少女の髪の色こそ違うものの、相貌は間違いようもなく――。

 

「……私?」

 

 不意に発した言葉に少女がタチバナ婦人のスカートの陰に隠れた。婦人はにこやかに言い放つ。

 

「紹介するわ。娘の理沙よ。そういえば……あなたによく似ているわね」

 

 タチバナ婦人は半ば冗談のつもりで口にしたのだろう。だが、桃には分かる。決定的な事実として認識出来る。

 

 ――この少女は寸分変わらず自分そのものであった。

 

 二つに揺った髪も、その瞳の色も、まるでかつての自分の鏡像。

 

 どうして、と息を詰まらせた桃にタチバナ婦人は笑いかける。

 

「……驚いているの? でも、世の中には似ている人間が一人や二人はいるって聞くし、それにこの子は間違いようもなく、私達の子供なのよ? まるで幽霊に行き遭ったみたいな顔をしているわ」

 

「ママ! このお姉ちゃん、何だか……」

 

 相手も直感的に理解しているのかもしれない。自分と桃が同じ存在であると。

 

 だが、どうして全く同じ顔の人間が目の前にいるというのか。相手は惑星の住民のはずである。

 

 後ずさった桃に、おっとと声がかけられた。

 

 振り返ると一人の男性がこちらににこやかな笑みを寄越している。

 

「理沙、ママに会いたいって言う事を聞かなくってね。こちらのお嬢さんは?」

 

「連邦の整備職についているお方よ」

 

 交わされる会話の嘘くささに桃は踵を返していた。どうしても耐えられなかったのだ。

 

 同じ存在との邂逅に。自分自身との禁じられた出会いに。

 

 何が起こったのか、何がどうなっているのか、それらを頭の中で反芻する前に躓いてしまった。

 

 倒れかけた桃の姿勢を整えたのは、先ほどまでダンスに興じていた男である。

 

 好機だ、と感じた桃はしおらしく接していた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 微笑みかけた相手の優しさにつけ込み、淑女の佇まいを正す。

 

「いえ……ちょっと驚いてしまって」

 

「よければ、ダンスでも如何ですか? 落ち着くのにいいかもしれません」

 

 音楽が変わる。男が桃の手を引き、そのまま乱舞にもつれ込んだ。

 

 桃は先ほどの衝撃から抜け出し切れていなかった。あの少女は自分自身だ。恐らくは相手もどこかで理解している。

 

 だがどうして? 何故、同じ存在がこんな場所にいる?

 

 堂々巡りの思考に切り込んで来たのは音楽に掻き消されそうな囁きであった。

 

「気になりますか? タチバナ夫妻の娘が何故、あなたに似ているのか?」

 

 思わぬ言葉に桃は絶句する。その面持ちを読んで男は声にしていた。

 

「あまり衝撃的な顔をするものでもない。まぁ、ドッペルゲンガーに行き会ったようなものです。怖がらないほうがおかしい」

 

「……失礼ながらあなたは?」

 

「申し遅れました。わたしの名前は渡良瀬。渡良瀬と言います。あるいは、あなた方にはこう言ったほうがいいでしょうか? 人間型端末、と」

 

 まさか、と桃は驚愕に身体を強張らせる。相手が人間型端末だと。

 

 その名前はこの数時間で嫌でも身に沁みたものであった。確かめる言葉を探り当てる前に相手は余裕を口にする。

 

「だが……まさかモリビトの執行者がこのような場所に来るとは思いもしない」

 

「……あんたは、モリビトの事を……」

 

「存じていますよ。かつて失敗した半身、水無瀬の事も。無論、あなた方が展開する作戦も。まさか本隊を裏切って星に降りて来るとは思いもしない」

 

 水無瀬の名前は鉄菜より聞いている。やはり相手は人間型端末。しかし、何故、彼はここで自分を告発しないのか。周囲はC連邦の者達ばかり。スポンサー連だけではないのは分かり切っている。衛兵にでも突き出せば一発のはずだ。

 

「解せない、とでも言いたげだ。あるいは、どうして自分を前にしてこうも余裕を浮かべていられるのか、と」

 

「モリビトの執行者は、伊達じゃない」

 

「理解はしていますとも。しかし、その足元が今にもぐらつきそうな事はそちらでも分かっていますまい」

 

 こちらの戦局的不利を読んでいるのか。動揺が足先を怪しくさせる。思わずよろめいた桃を相手は軽やかに持ち直した。

 

 周囲から見てみれば、今の一瞬の心の隙など全く分からないであろう。

 

「……あんたは何?」

 

「詳しい事はこの宴席の後にでも。なに、悪くはしませんよ。ただ提案がしたいだけ」

 

「提案?」

 

「ブルブラッドキャリアとこの罪なる惑星……どちらも相互理解し、共存の道を探れないか、というお話です」

 

 その言葉に桃は怒りを滲ませた。

 

「ふざけないで……今さら共存共栄なんて……!」

 

「それは感情面で拒んでいるだけでしょう。しかし我々の盤面と思想を理解すれば、嫌でもこの提案、呑まなければならないはず」

 

 渡良瀬は読めない笑みを浮かべた。

 

 ここで下手を打てば自分は死ぬだけ。相手の情報を一つでも得る事だ。

 

 音楽が止み、互いに頭を垂れる。自分の似姿の事、そして人間型端末の事。知らなければならない事はあまりにも膨大であった。

 

 


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