ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯210 船出

 

 桃は目に留めていたがわざと介入しなかった。

 

 そのせいで林檎が傷ついても、それでもここは彼女らの問題だと思ったからだ。

 

 林檎は壁を殴りつけて吼え立てる。

 

「あの旧式! ボクを軽く見て!」

 

「違うよ……林檎……、鉄菜さんはそんなんじゃ……」

 

「うるさいな! 蜜柑に何が分かるのさ! あんな旧式を信じるって言うの? ボクよりも?」

 

 そう迫られれば蜜柑も返事に窮するしかないのだろう。その様子を目にして林檎は舌打ちした。

 

「……次の任務で差を分からせてやる。戦闘がなくっても、ボクらのほうがブルブラッドキャリアに必要だって」

 

 歩み去っていく二人を視野に入れつつ、桃は独りごちていた。

 

「……いつの時代だって、分かり合えないものなの、かもね……」

 

 自分と鉄菜と彩芽の折り合いが最初、悪かったのと同じだと言ってしまえばそこまでだ。だが、鉄菜はそれを変えてみせた。己が変わる事で自分達に、諍いが無意味だと証明してくれたのだ。

 

 その鉄菜本人をどうしても拒絶してしまう林檎の気持ちは分からないでもない。

 

 彼女は最新鋭の血続である事に誇りを持っている。それを傷つけかねない鉄菜の存在は看過しようがないだろう。

 

 どこまで行っても、傷つけ合うのが人の常ならば、次の任務で証明する、と言い張ってみせた林檎の存在はまだ真っ当だ。

 

 自分のほうが歪である。分かった風になって、こうやって介入もしない。

 

 傍観者を気取る事に慣れてしまったせいか、誰かに自分を曝け出す事も出来ない。

 

「アヤ姉……こういう気持ちだったの? モモ達を見ていたのは」

 

 分からない、と拳を握り締めていると不意に曲がり角を折れた少女とかち合った。

 

「あら? 確かモリビトの操主」

 

 ブルブラッドと同じ色の髪をした少女が目を細める。銀色の眼差し、と桃は息を詰めた。

 

「……はじめまして、でいいのかしら」

 

「ふぅん、妙な数式ね。人智を越えている? 何、その能力」

 

 ハッと桃は後ずさる。まさか、自分の特殊能力が視えているというのか。

 

 相手は小首を傾げた。

 

「分からないなぁ……それほどの力を持っていながら、人機に乗る際には封じ込めている。《ナインライヴス》だっけ? あれも、先に行けないのは操主がまだ人機を信用していないからって言うのもあるかもね」

 

「……《ナインライヴス》の、何を知って……」

 

「視れば、分かるもの」

 

 その声音の説得力に桃は言葉を失った。相手は、でも、と中空を睨む。

 

「その気がないのなら、同じかもね。モリビトの操主の中で、あなたが一番、隠している。あの姉妹は確かに性能面では上でしょう。でも、本当に怖いのはあなたみたいなタイプよ。実際のスペックは相当なものなのに、能ある鷹は爪を隠すじゃないけれど、如何に能があってもここまで隠し通されているんじゃ意味がない。他のモリビトとの連携にも響いてくるでしょう」

 

「……視ただけで分かるって言ったわよね? それはモモ達の関係性も、だって言うの?」

 

「そこまでは。ただ大雑把には、ね。あなた達、そうでなくとも明け透けよ。心の秘密を隠すのに、そこまで数式に書いてあるんじゃ意味がないって言っているの」

 

 数式、と桃は何か策を講じようとして何もない事に気づく。相手の見ている世界の証明もなければ、こちらが明け透けだという証明もない。

 

「……言葉を弄して、楽しい?」

 

「楽しいわけないでしょう。……《ゴフェル》に来て、少しはマシな連中だと期待していたのに。サンゾウはとことん、見る目がなかったと言うべきね。いや、期待し過ぎていたのはお互い様かも。メインコンソールにいるAIは重大な秘密を隠していたし、全員が似たようなもの。大きな秘密と傷痕を隠し立てしているのに、協調性があるみたいに装っている。そっちのほうがよっぽど不気味」

 

 言い当てられた事への驚愕よりも、全員が全員、隠し立てしている、という事実のほうが震撼した。

 

 ニナイも、鉄菜、誰もがどこかで線を引いている。その線引きをこの少女は見透かすとでも言うのか。

 

 ――だがそれは……。

 

「でも、それは人間ならみんなそうよ。何もかも隠す事のない人間なんて、居やしないでしょう?」

 

「そうかもね。……でもラヴァーズは違った。信仰、というものをご存知?」

 

 試すような物言いに桃は自分の知識の範囲で応じていた。

 

「……昔、地上にあったものよね。何か……神様みたいなものを信じようとする、そういう力」

 

「別に信仰は神様なんて特別なものがいなくたって通用するのよ。それが説明し辛い、分かりにくい事象だった場合、神様の存在を言い訳に使うだけで。例えばそれは圧倒的な能力を誇る人機でもいい。変換出来ない事象をどうにかして自分達の認識に落とし込む場合、信仰というのはとても便利な道具に成り下がる」

 

「……つまり、《ダグラーガ》は神様でも何でもなかったって言いたいの?」

 

 その問いかけに茉莉花は肩を竦めた。

 

「さぁ? あれに神様を見るのは……あるかもしれないけれど、吾の前では間違いようもなくサンゾウは人間だった。そう、どこまでも人間……度し難いほどにね」

 

 どこか苦味を伴わせた論調に桃は怪訝そうになる。茉莉花は、それよりも、と話題を変えた。

 

「サンゾウや《ダグラーガ》よりあなたのほうが奇妙。その能力、知っているのは?」

 

「……一応、全員が知っているわ」

 

 そう、六年前の戦闘の後、自分は全スタッフにこの能力の事を教えた。それでもついてきてくれるのならば、と。

 

 実際、気味悪く感じた人間もいるだろう。それでも、今のところ、不自由はしていない。

 

「そう、隠しているわけじゃないんだ? じゃあどうしてなのかしら? あなたの完璧な能力を誰も当てにしないのは……」

 

 心底、不可思議で仕方がない、とでも言うような茉莉花に桃は言いやっていた。

 

「きっと、それだけの時間が過ぎた。結局、そういう事なんだと思う」

 

 異常を異常として検知して、排斥するだけでは組織は成り立たない。自分と他人が違う事など有り触れているはずなのだ。その違いを、茉莉花はどこか飲み込めていないようであった。

 

「……時間が過ぎたから? そんな事で、あなたの特異性が通用するわけ」

 

「でも通用している。違う?」

 

 茉莉花は顎に手を添えてただひたすらに呻るだけであった。

 

「……理解出来ない」

 

「それも、いいんじゃない? 理解出来ないのが人だって思っているのなら」

 

「……癪に障るわね。吾の眼に視えていて、不可能なんてないんだからっ! モリビトの強化最適プランだってこの眼には視えている! それを否定するって言うの?」

 

「否定はしないわ。ただ、自分はまだ幸運だなって思っただけ」

 

 茉莉花は足元を蹴り上げる。

 

「本っ当ぉーに! 癪に障るわ! あなたも《ゴフェル》の連中も!」

 

 言い捨てて歩み去っていった茉莉花に桃は知らず言葉を浮かべていた。

 

「それが人なんじゃないかな、って、言ったら怒るかしら」

 

 分かった風な口を利いて、と。かもしれない。だが、それが人なのだと理解する事が出来た。自分はそれだけできっと救われたのだろう。

 

 桃は静かに踵を返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤い詰襟は少しばかり窮屈であった。

 

 だが、慣れなければならない。そうでなければ、ここから爪弾きにされるのは自分のほうだ。

 

 こちらを窺った上官にタカフミは後頭部を掻いていた。

 

「……何かありました?」

 

「いや……君がその制服に、袖を通すとは思わなかった、とでも言えば正しいか」

 

 リックベイの直属でもあった上官はどこか苦々しげに語る。タカフミはエレベーターに入る前に口にしていた。

 

「少佐が戦えないんです。おれがやらないと」

 

「……いつだって、犠牲になるのは若人だな」

 

「おれも若くはないですよ。もっと若いのが先陣を切っている。それが今の時代です」

 

 肩を竦めて言いやったタカフミはシースルーのエレベーターで面を伏せた。

 

 本来ならば忌むべき赤。虐殺天使の血の色。

 

 だが、それでも纏わなければならない。纏わなければ、戦う意志さえも踏み潰されてしまう。

 

「連邦側として見れば、確かに一人でも志願兵が欲しいところだ。アンヘルへの志願は一存では握り潰せない。……辛いところだよ」

 

「おれの思った事ですから。何も……」

 

「そうではない。少佐は、どう思うだろうな、と考えただけだ」

 

 遮られてタカフミの顔から貼り付いた笑顔が消えた。リックベイも瑞葉も、何もかもを失ってしまった。

 

 この胸にあるのはただ虚無のみだ。相手を否定し、抗う事でのみ自らの存在意義を示せる、という虚無のみが大穴を空けている。

 

「きっと……怒られちゃいますよ。おれ、またトチっちゃったから」

 

 無理やり笑い話にしようとするのを上官はやんわりと頭を振る。

 

「無理に笑うな。君は、無理に笑っているとすぐに分かる」

 

 もう偽りの顔も利かなくなってきたか。タカフミは拳を固く握り締める。

 

「……本当なら、今すぐに人機で飛び出して、ブルブラッドキャリアに……いや、これも言い訳っすよね。当り散らす何かが欲しいだけなんだ、おれは」

 

「零式を学び取ったのは伊達ではないな。怒りで我を忘れる事はないか」

 

「よしてください。褒められたって、今のおれじゃ、気の利いた返事だって出来やしないんですから」

 

「少佐はいい部下を持ったものだ」

 

 上層に辿り着き、開いた扉から上官が先導する。事務手続きと転属願いの書類に判を押してもらわなければならない。

 

 見知った連邦軍側のオフィスも今日でお別れだと思うとどこか名残惜しかった。

 

「事実上、君の転属は向こうに一方的に許可され、もうこちらに権限はない。その制服を着ている時点で、君はアンヘルの一員だ」

 

 決して袖を通す事はないと思っていた制服。その想定外の重みにタカフミは息をついた。

 

「……重いっすね、この制服」

 

「世界の憎悪を一身に背負うというのだ。重くなくってどうする」

 

 世界をよりよくするために、自分達が泥を被る。その組織理念こそがアンヘルの、元よりの設立の根幹であったはず。

 

 だが今は、世界情勢を食い漁り、情報を一手に担う、悪逆非道な虐殺天使。

 

 そうあだ名されても、彼らの組織転属願いは一年に一本あるかないか程度だという。それだけ待遇がいいのか、あるいは組織の基盤が硬いのか。

 

 いずれにせよ、茨道が待っているのは疑いようがない。

 

 リックベイと瑞葉の分、果たせなくってどうする。

 

「君がこの部屋に来るのも最後、か。少佐はいつも言っていたとも。自分には真似出来ない若さだと」

 

 腰かけた上官が自分の書類を呼び出していた。そこに電子署名すればもう自分はアンヘルの兵士。

 

 どこで石を投げられても文句は言えない立場だ。

 

「だから、もう若くないですって」

 

 冗談めかしても相手は愛想笑いも浮かべなかった。

 

「……正直なところを言わせてくれ。まだ正式には、アンヘルの兵士ではない君に。タカフミ・アイザワという戦士に」

 

「何ですか、改まって」

 

 こちらは虚飾の笑みを浮かべているのに相手は真に迫ったような面持ちで告げていた。

 

「我が方での働き、立派であった、と。大義を理解し、その上で己の成すべきを考え、それを実行する。単なる一兵士にはもったいないほどの逸材であった」

 

「死ぬんじゃないんですから、大げさな」

 

 笑ってみせるが、連邦兵としては死んだも同然。もうここに戻る事はない。戻る時には、自分は棺おけに入っていることだろう。

 

 だがもう決めたのだ。人機という鋼鉄の棺おけで死ぬ。戦場という喧騒の中で死に絶える。

 

 それが自分に与えられた使命なのだと。この世で生きていくのに、値する価値なのだと。

 

「……だからこれはわがままだ。上官としてでもない、ほんの小さな、判を押す事しか出来ない老人の繰り言だと思ってくれれば。……死ぬな、タカフミ・アイザワ。アンヘルに呑まれず、生きて任務を実行してみせろ。……きっと、少佐ならばこう言って送り出すはずだ」

 

 ――ああ、その通りだろう。

 

 いつだってリックベイは背中を押す言葉を投げてくれた。激励の言葉はいつも彼からであった。

 

 今はもう、甘えられる立場ではない。リックベイを救い出す。瑞葉の仇を取る。それらを成すのに、連邦軍人として綺麗なままで終わるつもりはなかった。

 

 たとえ血の色だと恨まれようが、蔑まれようが、自分の成すべきと思った事を成す。

 

 それが自分に課せられた、最後の――命令であろう。

 

 挙手敬礼し、タカフミは踵を揃えた。

 

「了解しました! タカフミ・アイザワ大尉、任務を実行します! ……って、気負い過ぎか、おれ……」

 

 上官は目頭を揉んでいた。その仕草をさすがに茶化す事は出来ず、タカフミは無言を貫く。

 

「ここに。タカフミ・アイザワ大尉の転属志願を許可する。もう部下ではなくなった。ゆえに、かけられる言葉は上官としてではない。友として、君の生存を望む」

 

 電子署名が成され、タカフミは書類の上でも実質的にも、もう連邦兵ではなくなった。

 

 言葉少なに上官の部屋を後にする。

 

 嗚咽が漏れ聞こえた気がしたが、何も言わなかった。

 

 自分も泣いていたからだ。

 

 だが、このような場所で涙を容易く見せるのは大義を背負った男らしくない。

 

「……そうさ。まだ泣くまいよ。ここから進むんだからな。――泣くもんか」

 

 斜陽のコミューンを見上げ、タカフミは静かに頬を伝ったものを拭い去った。

 

 泣くのは全てが終わってからだ。

 

 だからこれは「連邦兵としての涙」でいい。次に泣くのは仇を討ったときでいい。

 

 だが、今はどれほどまでに世界が残酷でも、夕日だけはずるかった。姑息なだけの黄昏は切り捨てようとした涙に、深く沁みた。

 

 


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