ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯208 世界への抵抗

 クッキーを焼いたのだと、ベルは自慢したかった。

 

 だから使用人達のいない時間を見計らってクッキーを用意し、手提げの籠に入れて地下階段を下っていった。

 

 最近ではクリーチャーに会うのが一日のうち、一番の楽しみになっていた。

 

 彼はいつも新鮮な反応をする。

 

 この間、養殖された魚介類を持って行った時など、黄金の瞳を丸くして驚いていた。

 

 あれにはベルも笑いが漏れたほどだ。

 

 今のコミューンの技術なら、絶滅した生物の再生は出来るのだと、言い聞かせると彼は魚介類に齧り付いた。

 

 きっとお腹が空いていたのだろう。そういえば、ベルは彼が何を食べているのかも知らない。

 

 ならば、次は手作りでもっと驚かせてやろう。

 

 そう思ってクッキーを焼いてきたのだ。

 

 慣れない料理で指先を火傷もしたが、今はそれも勲章。地下の階層に至ると、クリーチャーはいつものように神像の上で四肢を広げていた。

 

 彼は僅かに差し込む日光を得ようとして神像の上に佇み、末端四肢を温めているのだ。

 

 ベルは呼びかける。

 

 すると、クリーチャーは目にも留まらぬ速度で舞い降り、眼前に迫った。鋭く尖った牙に、曲がりくねった爪。

 

 一瞬、心臓を鷲掴みにされたかのように驚いてしまうが、それも慣れたものだった。

 

 ベルはドレスの下に隠した籠を取り出す。

 

「じゃじゃーん! クリーチャーさん! クッキーを焼いてきたの!」

 

 ベルの言葉に相手は首を傾げたようである。彼女は自慢げに説明を始めた。

 

「チョコレート味に、ミルク味、他にもフルーツ味があるわ。どれがいいかしら?」

 

 こちらが選別する前に、クリーチャーは籠を引っ手繰り、その中にあったクッキーをごっそりと手に握って齧りついていた。

 

 その様子にベルは微笑ましく応じる。

 

「おいしい?」

 

 クリーチャーが何か意味のある呻り声を発する。

 

 彼の言葉の全てが分かるわけではないが、どことなく、言わんとしている事は理解出来るようになっていた。

 

「そう! とってもおいしいのね! よかった……あたしも初めてだったから、うまく出来たのか不安だったの」

 

 籠の中にあるクッキーを平らげたクリーチャーが籠を放り投げる。それを拾い上げベルは満面の笑顔を作った。

 

「ねぇ、クリーチャーさん。あたし、あなたの物語が聞きたいわ。今日はどんな物語を聞かせてくれるの?」

 

 クリーチャーは天上を振り仰いだ後、一声咆哮する。

 

 彼の物語はたった一声であったり、あるいは意味を成さない呻り声の連鎖であったりしたが、それでも一定の法則があるのをベルは発見していた。

 

 何かを伝えたい時の雰囲気とでも言えばいいのだろうか。

 

「そう……外の世界の話をしてくれるのね」

 

 ベルは腰を下ろす。漏れた声は羨望であった。

 

「いいなぁ……、クリーチャーさんは外に出た事があるんだ……」

 

 彼が呻る。ベルは頭を振った。

 

「外が汚らわしいって? そんな事はないと思うわ! だって、お外は素晴らしいんでしょう? こんな、殻に篭っているよりもずっといいに決まっているじゃない!」

 

 クリーチャーは爪で地面を引っ掻き回す。

 

「そりゃあね。あたしだって外の知識はあるのよ。……ブルブラッド汚染大気。そういう毒が、外では蔓延しているんだって。病気も多いって聞くわ。でも、あたし、こんな場所でずっといるほうが、病気になっちゃうんじゃないかって思うの。だってそうでしょう? 自由な外に比べて、ここは息が詰まっちゃいそう! セバスチャンの言いつけは守らないと怒られちゃうし、使用人の眼も厳しいわ! こんな場所、まるで箱庭みたい! ……だから、ね、お外に行けるのなら行ってみたいの。どれだけ毒の大気に溢れていたって構わない。外はきっと、とても綺麗な世界のはずだもの!」

 

 陶酔したように口にしたベルに、クリーチャーは遠吠えする。その様子にベルは笑みを浮かべた。

 

「あなたも、恋しいのね。お外が。……そうよね。ここはとっても寂しい。こんなお城の地下なんか、嫌に決まっているわ」

 

 クリーチャーが神像へと這い登っていく。それは二人の間に降り立った、今日はここまで、という合図であった。

 

「バイバイ。また明日会いましょう。あたし、あなたの物語が大好きなのよ」

 

 地下階段を上っていく。隠し通路への扉を開けかけて、不意に発せられたセバスチャンの声に身を潜めた。

 

「お嬢様! どこへ行かれたのです!」

 

「……嫌だ、見つかっちゃった? もうっ、セバスチャンったら、眠ったって言ったのに……」

 

 息を殺していると使用人が追いついてきたらしい。

 

「セバスチャン様……、こちらにもお見えになっていません」

 

「やはりか……。この城は構造上、まだ分からない場所も多い。まったく、お転婆にもほどがあるというものだ。ご両親から預かっているこちらの身にもなって欲しい」

 

「本当ですよね。お嬢様の身勝手さに振り回されるばかりで……。そりゃ、このお仕事は割がいいから我慢は出来ますが」

 

「あのお転婆を見ているだけで一生は安泰だ。なに、そうと考えれば難しい仕事でもないのだが……」

 

 ベルはぎゅっと拳を握り締めていた。

 

 そう思われているのは、何となく分かっていた。自分のご機嫌を取るだけで彼らには金が行き渡っているのだ。その関係性を理解していないわけではない。

 

 だが、いざ口にされるとベルは頬を伝う熱いものを止められなかった。

 

 ――ここに居場所なんてない。

 

 自分は籠の鳥も同じ。誰かに監視され、そのままレールの敷かれた一生を歩んでいくのみ。

 

 どこにいたって同じならば、籠の中で終われと、彼らは思っている。

 

 自分はクリーチャーの事を笑えないのだ。彼は地下の階層にどれくらいの長い時間、閉じ込められていたのだろう。言葉も忘れるほどの悠久の時間に違いなかった。

 

 それと自分の何が違う? 何が異なっている。

 

「……お願い、助けて、クリーチャーさん。あたしを、独りにしないで……」

 

 呻いた声にベルは痛みを押し殺すのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、これがモリビトだって言うの」

 

 整備デッキに現れたのは青い髪色の少女であった。銀色の瞳が並び立ったモリビト二機を観察している。

 

 色めき立ったのはタキザワだけではない。整備班全員であった。

 

 部外者がどうして、という眼差しに彼女はふんと鼻を鳴らす。

 

「無知蒙昧ね。こんなんじゃ、モリビトだって本来の性能も発揮出来てやいないでしょう」

 

 踵を返しかけた少女へとタキザワが声を投げる。

 

「待て! 何者なんだ!」

 

 足を止めた少女がタキザワを睨み据えた。その眼光だけで彼は射竦められてしまう。

 

「何者? 本当に分を弁えていないのね。いえ、ここにいる全員が、かしら。モリビト二機、見た限りこのままじゃ先はないように見えるけれど」

 

 思わぬ反論に整備スタッフが息を呑む。タキザワが言い返そうとして、声が弾けた。

 

『ほう、興味深いな。そういうタイプの人間に会うのは久しぶりだ』

 

「ゴロウ……。どういう意味だ? そういうタイプ、って言うのは」

 

 電算機に接続されていたゴロウが面を上げ、タキザワの手を煩わせる事もなく、転がってその足元に歩み寄る。

 

『彼女は君達流の古い言い方をすれば、調停者……、その役職に相当する権限を持っているだろう』

 

 放たれた言葉にタキザワは絶句する。

 

「まさか……、調停者はだって全員……」

 

『男性型、しか製造されていないはず。否、発見されていなかっただけかもしれないな。いずれにせよ、面白い逸材だ』

 

「そっちも見た限りじゃ、随分と変な数式ね。そのアルマジロの中に入っているの、元々の持ち主じゃないでしょ?」

 

『見通すか。しかし、分からないな。どこで紛れ込んだ?』

 

「そっちこそ。誰の許可を得てその躯体を使っているのかしらね?」

 

 一歩も譲らない双方の論点を逸らしたのは現れたニナイの言葉であった。

 

「みんな。この子の名前は茉莉花。ラヴァーズより預かった……条件とでも言えば、分かりやすいかもね」

 

「条件……?」

 

「吾はこの《ゴフェル》に関心がある。だからまずはモリビトから見ていこうと思ったんだけれど……とんだ見込み違いだったわ。だって、陸戦型と海中戦闘を加味した機体? 頭打ちになるのは分かっていてこういうコンセプトにしたの? ……理解し難いわね」

 

 それは整備班への侮蔑に繋がる。彼らの眼差しに敵意が宿ったのを、タキザワは見逃さなかった。

 

「そんな物言い……」

 

「怒らないで。こういう子みたいなの」

 

 ニナイの説明に茉莉花は鼻を鳴らす。

 

「ま、いいんじゃない? 吾が担当したらモリビトはもっと先を行けるけれど、今はその時じゃないでしょう。この中で一番に権限を持っているのは……そこの男ね」

 

 顎をしゃくられてタキザワは困惑する。

 

「僕、か……?」

 

「他に誰がいるの? 困惑の数式になっているけれど、まぁいいわ。頭は一番マシなようだし。少なくともその他大勢に比べればね」

 

 敵を増やすような言い草にニナイはフォローを浮かべる。

 

「お願いだから、今は敵視しないで。詳しい事は後で説明するから……」

 

「ニナイ艦長。この《ゴフェル》のメインフレームに案内を。……とは言ってもさっきから一方的に見られているのは分かっているんだけれどね」

 

 ニナイが少女を先導する。その場から立ち去った少女に一人の整備士が悪態をついた。

 

「何だって言うんだ、クソッ!」

 

「……ゴロウ。彼女は……」

 

『調停者相当の存在。いや……もっと言えばそれそのものか。まさかまだ生き残っていたとはな。禁断の鍵、真理への扉……。人間型端末だよ、あの少女は』

 

 予見されていた事とは言え、タキザワは二の句を継げなかった。

 

「まさか……」

 

『だが全ての事象がそれを証明している。どこへなりとも接続出来るだけのデバイス権限、それにあの立ち振る舞い……何もかもが見えているに違いない』

 

「しかし、調停者は三人しかいないはずだった。……それも六年前の戦いで全員が行方不明……あるいは死亡したはずだ。水無瀬、渡良瀬……それに白波瀬」

 

『だが、全員の行方は知られず、その死体も確認されていない。……ともすれば新世代の人間型端末かもしれないな。それをラヴァーズが囲っていたのはどうにも皮肉めいているが』

 

「ラヴァーズは何を考えて……。だって戦局を鑑みれば、あれを僕らに渡すよりかは」

 

『自分達で運用したほうがうまく立ち回れるはず。それを条件、と銘打って差し出したのには考えがあるはずだ』

 

「……ゴロウ」

 

『言われるまでもない、調べは尽くしておこう』

 

 この六年間で以心伝心となったアルマジロ型AIにタキザワは薄ら寒いものを感じていた。

 

 自分達でもどうしようも出来ないほどの何か、窺い知れないもの。

 

「……まだ、この世界には僕らの認知では及ばないものがあるっていうのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきから後ろを見ているのは、感心しないわね」

 

 不意に茉莉花が声にしたのでニナイは足を止めていた。

 

「私……?」

 

「いいえ。この《ゴフェル》の中心者よ」

 

 そう言われて初めて、ニナイは茉莉花の不愉快そうな面持ちを理解した。

 

「……彼女は、でも《ゴフェル》を管轄している、システムで」

 

「それも分かっている。いちいち説明しないで、馬鹿馬鹿しい。で? メインフレームの巣穴はここってわけ?」

 

 ニナイが首肯するとエアロックが解除された。

 

 楕円型の一室の中、粒子が寄り集まり少女の投射映像を顕現させる。

 

「……ルイ」

 

 ニナイの声にルイは敵意を浮かべた眼差しで応じる。

 

『……嫌なのを連れて来たわね。こっちへの当てつけ?』

 

「へぇ……システムAIだからあのアルマジロと同じかと思ったら、あなたは攻勢システムね。元々は戦術機に搭載されていた」

 

『……ねぇ、経歴を覗かれるのはいい趣味だとは思えないけれど』

 

「お互い様でしょう? さっきからずっと追跡してたくせに」

 

 舌鋒の鋭さでは負けると判断したのか、ルイは後退して先を促した。

 

『……で? 何のために《ゴフェル》に? だってラヴァーズの端末でしょう?』

 

「条件なのよ。吾の身柄を預かるって言う、ね。ま、破格の条件だと思っていいわ。だって、あなた達、このままじゃジリ貧だもの。ラヴァーズの共闘も断って、アンヘルに位置を捕捉されている。どう足掻いたってよくて一週間、悪ければ三日程度の命しかない」

 

 発言された実情にニナイは拳を握り締めた。それを理解しているからこそ、どうしてサンゾウが茉莉花を寄越したのかが分からない。

 

 どうせ滅びるのならばせめて足掻けとでも言いたいのだろうか。

 

『あなたはそれをよく出来る……いや、言い方を変えないと。その未来を変えられる』

 

 ルイの言葉にニナイは問い返していた。

 

「それって……本当なの? ルイ」

 

『ハッキリした事はこいつに聞けば?』

 

 視線を茉莉花に据えると彼女は嘆息をついた。

 

「現状、燃やされちゃう舟に吾を預けたって言うのは馬鹿馬鹿しいからね。状況を打破しろ、って意味なんでしょう。でも、不思議。この艦に入って、すぐにその方策は見えたって言うのに……今まで誰も気づかなかったの?」

 

 見えた、という言葉にニナイは身を強張らせる。

 

「この艦の、中に?」

 

「あなただって気づいているんでしょう? ルイ。いえ、気づいていてあえて教えてなかった、と言ったほうが正しいかしら?」

 

 試すような物言いにルイは視線を背ける。

 

『何の事だか』

 

「とぼけるだけの権限持ちなのは分かるけれど、破滅願望なんていい兆候とは言えないわね。この艦に入って、真っ先に見えた数式。誰も気に留めなかったのが不可思議だけれど、この《ゴフェル》が生き残る唯一の術。分かっていて秘匿しているんでしょう?」

 

 ルイがこちらへと一瞥を投げる。ニナイは茉莉花へと問い質していた。

 

「どういう意味なの?」

 

「一つ一つ解き解すのはあまり好きじゃないんだけれど、言ってしまえば《ゴフェル》は今のままじゃ撃たれてしまう。でも撃たれないような方策を練るのに、このルイとかいうのは知っていてあなた達に助言しなかった。……何か恨みでも買ったの?」

 

 彩芽の事が思い出され、ニナイは口を噤んだ。その様子に茉莉花は悟ったようである。

 

「……ふぅん。色々あるのね。いずれにしたって、この方法論を用いなければこの艦は轟沈する。そうなってしまうのが嫌なら、吾の助言に従う事ね」

 

『……いきなり来て偉そうに』

 

「でも、あなたよりかはマシなはず。知っていて何も言わないなんて。このまま地上でブルブラッドキャリアが潰えるのがお望み?」

 

 ルイは舌打ちして部屋の中を舞った。その手から構築されたのは宇宙へと到達するためのマップである。

 

「地上に降りたのと同じルートで……? でも相手だってそれくらいは」

 

「分かっていて然るべき。問題なのはそこから先よ、艦長。あなた達は宇宙に上がっても、ブルブラッドキャリア本隊に阻まれるのだと思い込んでいる。だからどこにも居場所なんてないのだと。逆転の策はないのだとどこかで諦観を浮かべている。でも、逆転の策は存在する」

 

 茉莉花の言い草にニナイは瞠目していた。ルイは説明を始める。

 

『このルートに沿えば宇宙には上がれる』

 

「何で、その先を言わないの? ブルブラッドキャリア本隊に帰して、むざむざこの舟を明け渡すつもり? そうなればメインフレームであるあなただって無事では済まないはずよ」

 

 ルイは何か重大な事を隠し立てしている。それを茉莉花は看破する術を持ち合わせているようであった。

 

『でも……この情報の秘匿レベルはAプラス以上』

 

「今さら秘匿レベルを気にしていられる状態? もうそういうところは過ぎ去ったのよ。情報を開示しなさい。そうでなければモリビトも、ブルブラッドキャリアもここで死に絶える。……もっとも、あなたからしてみればそれが本望かもしれないけれど」

 

 ルイは秘匿権限のあるファイルをニナイの端末に送信する。茉莉花が手を繰ると、まるで魔法のように暗号コードが解読され、内部ファイルが開放された。

 

「これが……私達の生き延びるための術……」

 

 開示された情報源には「バベルへのアクセス権限の復活」と記されていた。

 

「バベルに今一度アクセスする。そうする事でしか、ブルブラッドキャリアは復権出来ない」

 

「でも、このバベルの場所は確か惑星の地下深くだってゴロウが……」

 

 端末に表示されたエリアは宇宙の常闇の只中であった。何もない場所を示している。

 

「そこには月があるはずよ」

 

「月……? 月というのは何?」

 

 尋ね返したニナイに茉莉花は、まさかと目線を鋭くした。

 

「月を知らないの?」

 

「そんなものは……何の事を言っているの?」

 

 嘆息をついた茉莉花は端末をタッチする。それだけで何もない場所を示していたエリアマップに円形の資源衛星が浮かび上がった。

 

 ニナイは絶句する。

 

「これ、は……」

 

「人類はバベルを二つに分けた。一つが掌握されてももう一つが機能出来るように。正しい道を歩む事が出来るように。一つは惑星の地下深く、地下都市ソドムに封じられた。そして、これはもう一つのバベル。月面都市ゴモラに封印されたバベルであり、月はモリビトが生まれ出た場所でもある」

 

「どうしてそこまで……」

 

 茉莉花はこめかみを突いた。

 

「この艦にいれば、嫌でも情報は入ってくる。あのアルマジロのゴロウとか言うのが潜在的に封印している情報もそうなら、このルイとか言うのが意図的に見せないようにしている情報も」

 

「モリビトの……製造場所だって言うの」

 

「今まで、どうやって宇宙の、何の資源もない場所から新型人機を開発出来たと思っているの? 全ては衛星である月からの供給だったのよ。あなた達には、人機の製造プロセスは意図的に伏せられていたみたいだけれどね」

 

 モリビトが生まれたのは月という場所だというのか。しかし、茉莉花が可視化出来るようにしてくれたが、その宙域は依然として「何もない」状態のままだ。

 

「……今、見えるようにしてくれたけれど、他のマップ情報を比較すると、この宙域には何も存在しないって」

 

「そりゃ、そうかもね。平時は見えないようになっている。地上からはリバウンドフィールドの皮膜で視覚情報が封じられているし、宇宙に出ても特殊な外装でその宙域に存在している事を隠されている。つまり、誰にも見つけられない衛星、誰の目にも留まらない最大の拠点」

 

 ブルブラッドキャリア上層部はこれを分かっていて伏せていたというのか。だとすれば、自分達は最初から分の悪い賭けに出た事になる。

 

「……月に行けば、何か分かるって言うの?」

 

「分かるというよりも月に赴かなければ《ゴフェル》に未来はないわ。モリビトを強化しようと思っても地上じゃジリ貧。コミューンに頼ろうとしても敵のほうが素早い。現状、最も現実的なプランは月面都市をこちらが押さえ、モリビトを強化する事。吾の思っている通りに」

 

 茉莉花が手を払うとモリビトの強化案が空間を満たしていった。それらの強化実装は今まで思いつきもしなかったものも混じっている。

 

「月面都市ゴモラ……、その場所に希望が?」

 

「全ての希望かどうかは、まだ分からないと言うしかないけれど。それでも抗うのならば、モリビト三機を召集し、この期を逃さず宇宙へと赴く。幸いにして現状、アンヘルは射程外に離れている。次の一手が来るまでに《ゴフェル》で重力圏外まで出る」

 

「でも、それほどまでの推力なんて……」

 

『ニナイ。これは試算上だけれど、モリビト二機のコスモブルブラッドエンジンを艦の動力に繋げば、重力圏を抜ける事くらいは出来る。その後は出たとこ勝負になるけれど』

 

 まさかルイからの助言があるとは思いもしない。唖然とするニナイにルイは視線を背けた。

 

『もうこれ以上、破滅を願っていても、見透かされているみたいだからね』

 

「よく分かっているじゃない。ここで足止めでもして出来るだけ敵に損耗させる腹積もりだったんだろうけれど、残念だったわね。吾がいる」

 

 ルイは舌打ち混じりに消えていった。それを追おうとして茉莉花に止められる。

 

「やめておいたほうがいいわ。あれも意固地になっている。それにしたって……機械に恨まれるなんてね。相当相手からしてみれば敵対する理由があるのか。いずれにせよ、身の破滅からは少しだけ逃れられた形よ」

 

「茉莉花……あなたはどうして、私達の味方をするの?」

 

「味方? 変な事を言うのね。吾は生き延びるための最善策を練ったまで。ここに寄越されてむざむざ死ぬなんて、それこそ絶対に阻止したいもの」

 

 歩み去っていく茉莉花の背に、ニナイは何も言えなかった。

 

 ただ一つだけハッキリしたのは自分では力不足だった事のみ。ルイから聞き出したのは茉莉花の力だ。

 

 もし、自分が下手なプライドを持って艦長の職務を続けていればそれは緩やかな破滅が待っていた事だろう。

 

 メインフレームの部屋から出たニナイは拳を骨が浮くほど握り締めた。

 

「駄目ね、私……。彩芽を失った負い目を、まだ持っているなんて」

 

 そんなだから、ルイにたばかられる。ニナイはただただ痛みに呻くのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 掃除ご苦労、という報告にガエルはケッと毒づく。

 

「にしちゃ……随分と今回は演出過多だったじゃねぇか。まさか新型のモリビトと会敵させてくれるなんて思っちゃいなかったよ」

 

 ブルブラッドの煙草に火を点けたガエルに通信先の相手が声にする。

 

『あれは完全なイレギュラーであった。しかし、必要な措置であっただろう。いずれにせよ、《モリビトサマエル》で勝てない相手ではなかったはず』

 

「ああ、《モリビトサマエル》はほとんど無敵だよ。これを実戦で使いたいほどだぜ」

 

『……ガエル・シーザーとしての名が今の君のほとんど全てだ。《モリビトサマエル》は露払い程度にしか使えない』

 

「分かってんよ、それくらい。ったく、冗談も通じやしねぇ」

 

 言い捨てたガエルに通信相手は咳払いをする。

 

『いいかな? あまり時間は取れないのだが』

 

「んだよ、また続け様に掃除かぁ?」

 

『ブルブラッドキャリアがラヴァーズと合流、その後、両者は共闘するでもなく、お互いの艦を離れさせている。この意味するところを、君に推理してもらいたい』

 

「オレは探偵じゃねぇぞ?」

 

『一意見として、戦士の勘を聞きたいのだよ。我々では所詮は総体、一人の軍属には負ける』

 

 こういう時だけ総体の弱さを晒してくる。ガエルは舌打ち混じりに言い返した。

 

「そっちにも、戦闘のエキスパートでも呼べばいい。その上で、レギオンの優位性を説けば、喜んで脳髄サンプルを差し出すだろ?」

 

『戦闘のエキスパートというものは得てしてこのような義体に封じ込めてしまった時点で、それはもう意味を失くす。戦場を闊歩する、生の声が聞きたいのだ』

 

 こういう時だけ持ち上げてくる。

 

 ガエルはレギオンの静止衛星カメラが監視するラヴァーズの舟を目にしていた。全体像としては海に浮かぶ巨大なナナツーだろうか。甲板には三十機近い人機が位置している。

 

 どれも型落ち品でありながら、数による圧倒を理解している布陣であった。

 

「相手は型落ちだがそれなりに戦場を行き来した猛者ってヤツが揃っている様子だな。まぁ、だからこそ惑星博愛主義なんて言う、欠伸の出る代物が通っているんだろうが。しっかし、敵陣も馬鹿に出来ねぇな。ラヴァーズって言うの、博愛が聞いて呆れるぜ。結局は相手を打ちのめすための最短距離を練ってやがる」

 

『《モリビトサマエル》で一掃出来る相手では』

 

「ない、っていうのが結論だな。しかも、前に出ている相手だけじゃないと見た。居るんだろ? この世界最後の中立っていうの」

 

『《ダグラーガ》か。こちらのデータライブラリが六年間、……六年間だ。ずっとその足跡を追っているのにも関わらず、実情が未だに知れない人機。元老院の老人達は余程恐れていたのか、バベルの深層に封じ込められている』

 

「じゃあ、んなもんに関わっている暇はねぇだろ。もっとやりやすい相手を潰せばいい」

 

『ブルブラッドキャリア……、あの両盾のモリビトはどれほどの脅威だ?』

 

「脅威ぃ? んなもん、ねぇよ。ゼロだ、ゼロ。あの機体、随分と改良が加えられているみたいだがそれでも乗り手が駄目だな。あのモリビトのガキ、ちっとはマシになったかと思ったが、直情的なのは変わりはしねぇ。突っ込んで自滅するタイプだ。そこまで恐れる必要はねぇと思うがな」

 

『そう、か。君はそう結論付けたか』

 

 何か、自分では窺い知れない事実に相手は肉迫しているようであったが、ここで解答を迫っても恐らくははぐらかされるだけだろう。

 

「他にもモリビトはいるんだろ? そいつらのデータはどうなんだよ」

 

『計測中、としか言いようがないな。敵の戦力分析を出すのにはまだ、データが足りていない』

 

 どれほど高速演算システムの中に自己を浸してもそれでも情報不足に苛まれるのか。やはり義体の身は退屈だろうとガエルは感じていた。

 

 肉体を燻らせるほどの衝動もなく、かといって、欲望にも衝き動かされない究極の客観的な躯体。

 

 それを得たとしても、では何が通用すると言うのだ。

 

 戦場を行き来するのに、義体のような冷静さは逆に邪魔であろう。

 

 生の肉体を震わせる快感と、伴う絶望が必要なのだ。

 

 機械の身体など戦場の第六感を鈍らせるだけ。

 

『して、ガエル・シーザー。君には次の配備場所が決定している』

 

 藪から棒の言い草にガエルはくわれた煙草がまずくなったのを感じる。

 

「配備、ねぇ……。そいつはあれか? シーザー家の希望の星としての役職か?」

 

『どちらとも取っていい。いずれにせよ、アンヘルはブルブラッドキャリアから一時撤退を提言している。その状態ならば、二日程度のこう着状態は思案されるべきだろう』

 

「尻尾巻いて逃げたわけじゃ、ねぇって事か」

 

『上は焦る必要はないと考えている。しかし、我々としては考えそのものが別でね。所詮、肉体に支配された人間の繰り言など、大局を見据えるのには不都合な代物。モリビトの脅威を前に、及び腰になっても仕方がない、というわけだ』

 

「てめぇらほど、人間様の上は冷酷にも、ましてや冷静にもなれないってワケかい」

 

『配備場所は既に送信してある。参考に隊列の名簿も送っておいた』

 

「仕事が早いこって」

 

 ガエルは片手で送られてきたデータを参照する。アンヘルの第三小隊、その生き残りが警備を担当する場所の「計数されざる兵士」としての参列。

 

「この感じだと……《モリビトサマエル》でいいって事か?」

 

『気取られる心配がないのならば』

 

 アンヘル側にも《モリビトサマエル》のスペック、存在共に伏せられている。不用意に味方側にも背中を向けられないのはなかなかに痛いが、それでも《モリビトサマエル》の性能を鑑みればお釣りが返ってくるほどだ。

 

 この一機でまさしく、ほとんどの人機を相手取れる。無敵の人機――それこそがこの漆黒のモリビト。

 

「白カラスで出るのはそれなりに怖ぇんだぜ? あの機体の性能じゃあな」

 

『それでも、一騎当千の実力なのは窺い知っている』

 

 それは褒めているのか、それとも馬鹿にしているのか。どちらとも取れる気がして、ガエルは嘲笑に口角を吊り上げた。

 

「分かったよ。任務了解ってヤツだ。切るぜ」

 

 通信遮断を選びかけて相手から忠言が飛んだ。

 

『ガエル・シーザー。あまり、迂闊な事はするべきではない。モリビトを挑発しても、君のその力があってこその賜物だ。不用意な言動は死を招く』

 

 先ほどの戦闘をモニターしていたのか。どこまでも抜け目ない。

 

「……考慮しておくよ」

 

『では。善戦を期待している』

 

 通信が一方的に切られる。ガエルは舌打ちを漏らしていた。

 

「善戦、ね。心にもない事を言いやがる。ああ、でもそうか。心なんてもうねぇのか。機械だもんな」

 

 独りごちたガエルへと新たな通信がもたらされた。特殊暗号通信を用いられている。ガエルは自分と相手のみが知るパスコードを打ち込んだ。

 

 程なくして相手の声が聞こえてくる。

 

『息災か、ガエル・ローレンツ』

 

「その名前は一般的には死んでんだよ、水無瀬」

 

 相手の名前を呼んでやると、水無瀬は冷笑を浴びせてきた。

 

『相も変わらず戦争屋稼業か』

 

「そっちこそ。アンヘルの諜報部門に居座る気分はどうよ? 世界の敵から一転、この星を牛耳る側になったんだもんな」

 

 水無瀬は抑揚のない声で応じる。

 

『悪くない座り心地だ』

 

「わざわざ今、オレにかけてきたって事はあれかい。連中の尻尾でも掴めたか?」

 

『レギオンはなかなか尻尾なんて掴ませてはくれないな。地下深く……人形屋敷とあだ名される場所の位置情報だって、君を追尾していても未だにハッキリしないのだから』

 

「オレから言うつもりはねぇぜ」

 

『それはそうだろう。裏切りが分かれば怖い連中だ』

 

 心得ている水無瀬にガエルは問いかけていた。

 

「じゃあ、何だよ。まさか何の用もないのにかけてくるほど暇でもあるめぇし」

 

『ラヴァーズの動きに関して、少しばかり、な。ラヴァーズはブルブラッドキャリアの艦から離れ、独自の航路を辿っている。しかし、これは奇妙だとは思わないか?』

 

「わざわざ利害の一致している相手を前にして、何もせずに撤退ってのは……」

 

『怪しいの一言だろう。そのため、ちょっとばかしラヴァーズの使用している回線に潜り込んでみた。なに、実際には三十機近くいる人機の中の一つの守秘回線への潜入だ。それほど難しくはなかった』

 

 簡単に言ってのけるが相手はアンヘルの本部でも手をこまねいているはず。それを単騎で、という部分が化け物じみている。

 

「で? 何か分かったのかよ」

 

『大きく二つ、一つは、もうブルブラッドキャリアとラヴァーズは協定を結ぶつもりはない事。もう一つが、ラヴァーズ側から、何者かがブルブラッドキャリアに差し出された事だ』

 

「何者か……ってのは」

 

『無論、そこまで潜り込めるほどの胆力はなくってね。分が悪くなる前に打ち止めにした』

 

 退き際は潔いほうがいい。この場合、水無瀬の判断は間違っていないだろう。

 

「っつー事は、ラヴァーズ側も何らかの交渉を持ちかけたと考えるべきだな」

 

『あるいは足枷か、いずれにせよ、ブルブラッドキャリアのやり方が変わってくる可能性はある、という事実には違いない』

 

 ガエルは思案を浮かべる。ブルブラッドキャリアのモリビト、自分と戦ったあのタイプがこの空域にいたのは偶然であったのだろうか。あれさえも仕組まれていたとすれば、自分の脅威をモリビト相手にわざわざ晒した事になる。それはレギオン側にとって大きな損失のはずだ。

 

 比してモリビト側も不利な局面に至っているのはレギオンと水無瀬の情報をすり合わせても明らか。畢竟、盤面を覆すだけの力を持っているのは今のところどちらでもない。

 

「こう着状態……悔しいが上の言う通りだな。どっちが仕掛けても下手を打つ」

 

『何だ、レギオンもその判断なのか。間違ってはいないだろうが、あまり時間をかけ過ぎれば互いに戻れなくなる。アンヘルはいつでも出せるように戦力の温存を行っている。海中戦用の人機を潰されて少しばかり及び腰になっている面もあるだろう』

 

「海中戦用? 馬鹿馬鹿しいもんを造ったんだな、アンヘルも。海の中でしか使えない人機なんざ……」

 

 そこまで口にしてガエルはある推論を浮かべていた。海の中でしか使えない人機。そのような道楽に等しいものに、予算を割くだけの余裕がアンヘル側にはある。

 

 もし、その予算を捻出している先、スポンサー連を押さえられれば……。

 

 脳裏に浮かべた可能性にガエルは水無瀬へと命じていた。

 

「おい、水無瀬。アンヘルのスポンサー連の名簿を洗い出せ。出来るだろ?」

 

『難しくはないが……、何だ、君特有の勘という奴か』

 

「そういうこった。いいから出来るんならば一秒でも早くやれよ」

 

『今、送信した。何の役に立つのかは分からないが……』

 

「オレもまだ確証はねぇさ。ただ……ちぃとばかし、つけ入る隙は、案外あるんじゃねぇか、と思っただけだ」

 

 スポンサーに連なる名簿をガエルは目にする。

 

 これがこちらの切り札になるか否かはこれからの戦局にかかっていた。

 

 


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