ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯207 死を掌握するモリビト

 理解出来ない、と燐華は声を張り上げるべきだったのだろう。

 

 実際、ヘイルは反感を浮かべていた。

 

「何でですか! 次の任務が陸地でなんて!」

 

「落ち着け、ヘイル。我々は残り三人、どれほど御託を並べても、な」

 

 ブリーフィングルームで顔を合わせたヘイルに自分は面を伏せていた。隊長を庇って得た名誉の負傷もただただ痛々しいだけの代物。

 

 きっとヘイルにはその怪我も計算高いものに見えていたに違いない。

 

 自分とて、隊長を庇おうと思って割って入ったわけではない。覚えずモリビトの剣筋に入っていたのだ。

 

 それが危険だと誰よりも分かっていながら。

 

 拳を握り締めた燐華に、ヘイルが舌打ちする。

 

「そりゃ、三人ですよ。でも! 精鋭には違いないでしょう! 第二小隊にでも話を通して……」

 

「第二小隊は待機命令が下っている。現状、アンヘルのどの部隊も動けない状態だ。分かるな? 《マサムネ》と他の隊員を失ったのは思ったよりも大きな損失であったと」

 

「そりゃあ……」

 

 分かっているに決まっている。海中戦特化の人機を失い、さらに言えば貴重なアンヘルの人材まで失ったとなれば胸中は穏やかではないはず。

 

 しかしながら、隊長の声音にはどこにも怒りの感情は読み取れなかった。それどころかいつも以上に冷静な声が飛ぶ。

 

「今は、どう捉えても三人だ。だからこそ、地上任務でも貴重だと判断する」

 

「……納得は出来ますよ。そりゃ、理屈ですもん。でも! モリビトを追わないでいいなんて逃げでしょう! あいつは一対一をやってのけた!」

 

「ゆえにこそ、だと考えろ。モリビトの底を一旦でも見せ付けられた。ここは一時撤退、その後に分析し、戦局を読み取って対応する」

 

 どこにも間違いなんてないはずだ。ただ一つ、人間的な感情を除いては。

 

 ヘイルは押さえ切れなかったのだろう、言葉に怒りを滲ませた。

 

「……弔い合戦も出来ないのかよ」

 

「真に失った兵の事を思うのならば命令には従え。それが彼らへの手向けとなる」

 

「……了解」

 

 ヘイルがブリーフィングルームを後にする。残された自分も退席しかけて、隊長に声をかけられた。

 

「待て、ヒイラギ准尉。話がある」

 

 ああ、きっと責められる、と燐華は予感していた。命令違反の上に乗機を失ったとなればそれは多大なる損害だと。

 

 隊長の前に歩み出た燐華はそれこそ平手が来てもおかしくはないと感じていた。

 

 だからだろう、かけられた言葉の優しさに、困惑してしまった。

 

「……ヒイラギ准尉、また借りが出来てしまったな」

 

 面を上げた燐華は隊長がフッと笑みを浮かべているのを目にした。

 

「……怒らないんですか」

 

「怒ってどうなる。怒れば失った兵は蘇るかね?」

 

「いえ、それは……」

 

「冷静さを欠けばそこまでだ。むしろ、チャンスだと思っているほうだとも」

 

「チャンス……ですか」

 

 隊長は卓上の三次元図を呼び出す。ブルブラッドキャリアの艦の予想三次元図であった。海上から窺える敵のデータと、海の中にある敵艦のデータが合致している事の不明瞭さに、燐華は唖然としていた。

 

「どうして……こんなしっかりとした輪郭が……」

 

「《マサムネ》が送信したデータのお陰だ。彼らは命を賭して、モリビトとブルブラッドキャリアを追い詰めてくれた」

 

 その言葉にハッとする。ただただ闇雲に消費されていく命など、この世にはいないという事に。

 

「……すいません」

 

「どうして謝る?」

 

「あたし……無駄死にだとか思っていました」

 

 今度こそ叱責されても文句は言えない。だが、隊長は冷静であった。

 

「そう、か。それを過ちだと思える精神、授かった事に感謝せねば、な」

 

 隊長の言葉はどこまでも優しい。ここまで人に優しくあれる人がどうしてアンヘルなんかに在籍しているのだろう。

 

 燐華は思わず口にしていた。

 

「……その、隊長はどうして、アンヘルに……」

 

 聞いてはいけない事の一つだったのかもしれない。言ってから気づく愚鈍さに我ながら嫌になる。羞恥に顔を伏せた燐華に隊長は僅かな逡巡の後に言葉を紡いだ。

 

「……妹がいた。ちょうど君と同じくらいの」

 

「妹……」

 

「よく懐いてくれていたよ。連合の軍に在籍していた頃、一週間に一度は手紙を寄越してくれた。何度も、上からはからかわれたし下からはいい眼では見られなかったな」

 

 そこまで口にしてから、その帰結が決して幸福ではなかった事に燐華は勘付いていた。

 

「……今は」

 

「妹は自分が軍務についていたその時、テロで死んだ。それを企てたのは地上でブルブラッドキャリアを支持する少数派であった」

 

 まさか、と燐華は目を戦慄かせる。自分と同じ、いやそれ以上に苛烈にブルブラッドキャリアを憎む理由が隊長にはある。

 

 それなのにどうして我を失わないで済むのだろう。

 

 これ以上聞けば詮索し過ぎだ、とは思っていても燐華は尋ねずにはいられなかった。

 

「……ブルブラッドキャリアを、憎まないんですか」

 

「憎んでいるさ。殺したいほどに。だからアンヘルに入隊した。何度も地獄を見たクチだよ。当初の世界情勢は悪化の一途を辿っており、今よりも反抗的なコミューンはたくさんあった。その時に気づけたのだ。ブルブラッドキャリアのような、ただ闇雲に憎悪と怨嗟をぶつけるだけなのは間違っているのだと。その先に待っているのは、ただの虚無だ」

 

「虚無……」

 

「憎しみ続け、恨み続けても敵は依然として存在する。ならばどこまで憎めばいい? どこで手打ちにするのが正解か。自分の中で、自ずと答えは出た。虚無への戸口に立った時、このまま戦い続けても生むのは憎しみの連鎖ばかり。……終わらせられるのならばそれに越した事はないだろう?」

 

 隊長は全ての恨みを終わらせるために、アンヘルで戦い続ける道を選んだのか。その在り方の眩しさに、燐華は恥じ入った。

 

 自分はただただモリビトとブルブラッドキャリアが許せないだけ。子供の理屈で戦場を嗅ぎ回られたのでは堪ったものではないはずだ。

 

 ヘイルはそれを分かっている。見通していて自分を下に見ているのだ。隊長も分からないはずがないのに。

 

「……あたしは、そこまで高潔にあれません」

 

「いいさ。これは自分の生き方だ。誰かに強制すべきだとも思っていない。ただ、生きていくのに恨みだけでは辛くなる。それだけの話だ」

 

 隊長が踵を返す。話はそこでお終いのようであった。その背中に燐華は永遠に失ったはずの面影を見ていた。

 

 兄の背中……もう絶対に会えない人の影。

 

「……にいにい様」

 

 口にした言葉はアンヘルに入ってから一度だって漏らした事のない本音であった。いつだって縋りたかった。だが縋れば負けだと思っていた。

 

 自分の戦う理由、根底にある自分の憧れ。

 

 それを使って誰かに甘えてしまえば自分はきっとそれっきりになる。鉄菜を失った時のように、何もかもを投げ出したくなるだけ。

 

「……逃げても誰も責を追わない。しかし、戦うのならば、前を向け。ヒイラギ准尉」

 

 そう言い置いて隊長はブリーフィングルームを去った。残された自分は呻くのみであった。

 

 絶対に甘えないと決めたのに、すぐ近くにいる人をまた、自分は不幸にする。また、誰かを当てにしようとする。そんな自分がとことん醜く嫌気が差した。

 

「……にいにい様も、鉄菜も、もういないのに。それでもあたし……!」

 

 常に持ち歩いている鉄片を取り出す。鉄菜の遺した彼女の欠片。今は脈打つ仮初めの鼓動で、消え入りそうな心を慰めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 輸送機の振動に鉄菜は言葉を投げる。

 

「気分は? 大丈夫か?」

 

「……平気だ。クロナ、やはりわたしは……我慢するべきだったのではないだろうか」

 

 そう言葉を寄越す瑞葉に鉄菜は淡白に返す。

 

「何を。我慢出来る代物ではないのだろう?」

 

「……別段、そうでもない。リードマン先生がちょっと大げさに病状を書いてくれたんだ。わたしなんかのために……」

 

「……シートベルトをつけていろ。連邦の輸送機のコードを使っているがアンヘルと会敵した場合にはすぐさま出る」

 

「そうなれば……クロナ、また戦うのか?」

 

 自分と《モリビトシン》は出撃する運命だろう。鉄菜は迷いなく首肯する。

 

「ああ。輸送機はオートマチックに設定出来る。操縦桿さえ握っていれば誰でも……」

 

「違う! クロナ! もう、……戦って欲しくないんだ……」

 

 嗚咽混じりの言葉に鉄菜は前を向いたまま、沈黙を持て余していた。どうして、自分を兵器以上の価値観に置けるのだろう。周りはみんなそうだ。

 

 六年間も戦い抜いてきた。その在り方にどうして皆が皆、綺麗なものを期待する。自分は硝煙と血に塗れた兵隊の一人。

 

 幾分かブルブラッドキャリアの価値観に疑問は持つ事は出来るが、それ以上は何も出来ない。ただのでくの坊だ。

 

 だというのに、今の自分にみんなが引き寄せられるように尋ねてくる。

 

 今の自分ならば、その問いかけに応じられる価値があるかのように。

 

 やめて欲しい、というのが本音であった。自分はだって、ただの――。

 

「……破壊者だ」

 

 口にした言葉に瑞葉は首を横に振る。

 

「違う。破壊者なんかじゃない」

 

「では、私は何だと言うんだ? 《モリビトシン》に搭乗し、敵を葬り、抗う連中を皆殺しにする……そういう風に仕立て上げられた破壊兵器以外に何がある? 私を……何か意味のあるもののように飾り立てるのはやめてくれ。桃も、ニナイも……お前もだ、ミズハ」

 

「わたし、も……」

 

 絶句した瑞葉に鉄菜は声を続けさせる。

 

「私には何もない。本当の虚無が、この胸の中には広がっているんだ。戦って、何があった? 憎しみと怨嗟と、途方もないほどの怒りだけだ。人間はここまで他者に対して憤怒を抱けるのかと思ったほどだ。私が渡り歩いてきた戦場はどこもそうであった。人が人を恨み、殺し、陵辱する。その価値観を葬り去る事に全部を振り絞っている。……ならば、このような地獄の上に浮いている世界に何の価値がある? 私は……殺戮兵器なんだ。そう思うしかなかった。そう思って銃弾の音に慣れ、むせ返るような血の臭気に対して何の感慨も浮かべずに次の手を打ち、そして冷静に引き金を引く……。それだけなんだ。だから、私を……何か綺麗なもののように考えるのはやめてくれ。私はここまで……汚いんだから」

 

「クロナ……でもそれは……」

 

 分かっている。瑞葉はそれでも自分の事を強いのだと賞賛するだろう。だがそれも偽りに過ぎない。自分を見た相手が何を感じようが勝手だが、虚飾塗れの己がどこまでも卑しく思えるだけの事だ。

 

「ミズハ、私は……」

 

 言いかけて、鉄菜は輸送機の察知した熱源反応に身を引き締めた。

 

 ブルブラッド大気濃度を計測する。

 

「大気濃度……九十パーセント以上……。馬鹿な、ここまでの汚染」

 

 そこまで言いかけて、鉄菜は咄嗟にマスクを投げていた。自分は平気だが瑞葉に危害が及ぶ。

 

 瑞葉も機転は利いたのか、マスクを装着した後に周囲を見渡す。

 

「汚染域に?」

 

「ああ。いつの間にか入っていた。だが……こんな数値見た事なんて……」

 

 瞬間、輸送機のバランサーが崩れた。今までの揚力を得ていた翼が急激に軋む。

 

「高重力……! まさか、あの青い地獄と同じような……」

 

 瑞葉は何かを察知した様子だが自分はまださっぱりであった。今にも手落としそうな操縦桿を必死に握り締め、輸送機の姿勢制御を取らせる。

 

 全自動の制御パターンは当てにならなくなっていた。

 

 マニュアルに設定し直し、鉄菜は近似値を振る。

 

「こんな重力……、地上じゃないような……」

 

「クロナ! 前を!」

 

 瑞葉が指差した先にあったのは青い炎に抱かれた地獄の釜であった。

 

 コミューン全域が焼け爛れ、黒煙を発している。汚染された市街地から離れれば離れるほどに、煙が白く変わり、次いで重力が反転しているようであった。

 

「コミューンへの……爆撃か」

 

「まさか! そんなものは条約で禁止されて――」

 

 瑞葉の放った言葉に禁止されている代物を試した人間がいる、という帰結へと辿り着く。

 

 人間はまたしても禁断の果実を手に取ってしまったのか。奥歯を噛み締めた鉄菜はコミューン中心街を焼き払う機影を目にしていた。

 

 漆黒の人機が白銀の光を放つ槍を用い、人々を灰塵に帰している。逃げ惑う市民を蹂躙する槍は自律稼動しており、羽根のような形状のそれが幾何学の軌道を描いて市街地に突き刺さった。

 

 白い光が拡散し、ビル街を薙ぎ払っていく。

 

 色濃い破壊の爪痕に鉄菜は操縦桿を骨が浮くまで握り締める。

 

「あの人機……楽しんで……!」

 

 覚えず鉄菜は席を立っていた。その背中に瑞葉が声を投げる。

 

「駄目! クロナ! 行ってはいけない!」

 

 分かっている。あの暴力に自分も呑まれかねないのだと瑞葉は危惧しているのだ。だが、鉄菜は誓った。

 

「……必ず戻る。帰ってくると。あのコミューンこそが、私達の目標地点だった。それを破壊する……そのようなやり方を、是とした覚えはない!」

 

 放った声と共に輸送機をオートに設定する。瑞葉の懇願の声が上がる中、鉄菜は下部コンテナに格納された《モリビトシン》の頚部コックピットに入っていた。

 

 起動させた《モリビトシン》は昂っているかのようにすぐさま目標を捕捉する。敵性人機は逃げるでもなく、こちらを窺う眼差しを注いでいた。漆黒の機体に、三つのアイサイトが赤くぎらついている。その姿はまるで――。

 

「……モリビトだと?」

 

 識別信号はモリビトタイプを示している。しかし、ブルブラッドキャリア以外のモリビトは存在しないはずだ。ならばあれは何なのか。

 

 確かめるのには飛び出すしかない。

 

 下部コンテナが開き切り、鉄菜は《モリビトシン》へと起動シークエンスをかける。

 

「《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 投下された《モリビトシン》が両翼を拡張させ、敵機へと肉迫した。こちらに気づいた敵のモリビトが鎌を振るい上げる。

 

 抜き放ったRシェルソードと干渉波のスパークが散った。

 

 漆黒のモリビトは鉤十字の背面スラスターを有しており、それらが展開してこちらの膂力を押し返そうとする。

 

「このモリビトは……まさか……!」

 

『そうよ……、そのまさかってヤツだ!』

 

 不意に繋がった通信に鉄菜は通信領域を確かめる。接触回線が開いた事に気づいた時には、敵機は《モリビトシン》の剣筋を叩き返していた。

 

 距離を取り、鉄菜は声を張り上げる。

 

「貴様……《モリビトタナトス》!」

 

『正確には違うんだがな。こいつの名前は《モリビトサマエル》! 六年前よりももっといい人機だ! ……にしたって、まさか会えるとは思いもしなかったぜ、モリビト……しかも、あの時死んだと思った青いモリビトのガキじゃねぇか! こいつは運命ってヤツを信じてもいいのかねぇ!』

 

「黙っていろ! 貴様のような人間が、どうして生き永らえている!」

 

 払ったRシェルソードで切り裂こうとして、敵人機の鎌に阻まれた。瞬間、敵の背面に備え付けられている鉤十字の機構が分散した。

 

『行けよ! Rブリューナク!』

 

 四つの自律兵器が《モリビトシン》を狙い澄ます。弾いて距離を取った《モリビトシン》が高空に至るが、すぐさま機動力を上げて追ってきた。

 

 Rシェルライフルへと可変させて狙い撃とうとするも、Rブリューナクは幾何学の軌道を描いて《モリビトシン》の死角へと入り込む。

 

 放たれた白銀の槍の穂が《モリビトシン》を打ち据えた。銃撃で撃墜しようとするが、遥かに勝る小回りのよさで敵の羽根槍は潜り込んでくる。

 

 舌打ち混じりに鉄菜は《モリビトシン》を奔らせた。刃が軋り、本体である《モリビトサマエル》を打ち崩そうとするが相手の構えは堅牢。

 

 両刃を受け切った《モリビトサマエル》は赤い眼窩をぎらつかせた。

 

『どうして生き永らえているだァ? んなもん、簡単な帰結だろうが! 強ぇからだよ。強くなけりゃ、とっくにお陀仏よ! この世界はなァ! てめぇも分かっているんだろ! モリビトのガキィ!』

 

「口を閉じていろ! このクズが!」

 

 払い上げた刃を相手は難なく回避し、返す刀を叩き込んできた。《モリビトサマエル》の腰の構造体が変異し、内側から刃がせり出してくる。不意に巻き起こった旋風に《モリビトシン》は大きく後退した。

 

「隠し腕?」

 

『ヤるじゃねぇか! 《モリビトサマエル》の隠し腕を一発目で避けるたァ、ちっとはマシになったか! その実力もよォ!』

 

《モリビトサマエル》の隠された武器は腰の構造体だけではなさそうであった。まだあの機体には触れられない何かがある。

 

 そう確信して鉄菜は接近を慎重にすべきだと判断した。六年間の戦場での習い性が危険な人機との交戦においてどの具合で戦うべきなのかを徹底的に自分に叩き込んでいる。

 

 だが、冷静に物事を俯瞰する自分とは裏腹に、今すぐにでも敵の懐に飛び込んで叩き割りたい衝動があった。

 

 敵は許されざる罪悪だ。それを六年もの間、野放しにした事が自分でも看過出来ない。

 

 ここで打ち止めにする、と鉄菜はアームレイカーに入れた手を強張らせる。

 

『おいおい! せっかく再会したんだ! もっと楽しもうぜ! モリビトよォ! それとも何だ? ビビッてんのか? 分かるぜ、《モリビトサマエル》はヤベェ人機だって察知したんならよ、間違いじゃねぇ。だが! ここで退くかねぇ! 例えば、そう!』

 

 不意に敵がコミューンへと狙いを定める。その照準の先に生命反応が関知されたのを鉄菜は理解した。

 

「まさか……やめろ!」

 

『やめて欲しけりゃいくらでも方法はあるだろうが。《モリビトサマエル》の懐に飛び込むか? それとも、生存者のために身体を張るか。どっちだっていいさ! てめぇの道化が見えるだけの話だからよ!』

 

「やめろと……言っている!」

 

 推進剤を全開にし、鉄菜は《モリビトサマエル》の射線へと飛び込んでいた。

 

 敵機は袖口からリバウンドの銃撃を見舞う。両盾を前方に展開した《モリビトシン》で受け止めさせるが、それを相手も予見していたのだろう。

 

 大写しになった敵の鎌に鉄菜は咄嗟にRシェルライフルで受けていた。じりじりと干渉波が飛び散る中、敵からの哄笑が上がる。

 

『滑稽だ! 滑稽だぜ、モリビトォ! てめぇのその道化、命を救いたいなんていう大義名分! 全部滑稽だ! 嘘くせぇ人間性で張りぼての価値観なんて浮かべてよ、そんなもんじゃねぇだろ! もっと獣になろうぜ! モリビトよォ!』

 

「ふざけるな! 私は、獣ではない!」

 

 Rシェルライフルを可変させ、剣戟を見舞うも、敵人機から放出された四基の自律稼動兵器が《モリビトシン》の向こう側へと進み行く。

 

 まさか、と身構えた鉄菜はRブリューナクの軌跡を追っていた。

 

 生命反応に向けて白銀の輝きが宿る。

 

 ――届け、と願った鉄菜の眼前で、子供を抱えた母親の姿がモニターに表示された。

 

 こちらを仰ぎ見るその瞳は恐れに慄いている。

 

 光が、母子を焼き切ろうとした。

 

「やめろ!」

 

『目の前で守れたはずの命が散る。傑作だろ? モリビト』

 

 四基のRブリューナクが発射した白銀が人影を完全に消し去っていた。灼熱の反応が弾けた眼前には窪地が大穴を開けている。

 

 助けられなかった。

 

 その一事に、鉄菜の思考は塗り潰されていく。殺させるつもりはなかった命。それを目の前で散らされた。

 

 黒々とした感情が胸の中で渦巻く。

 

 これは、怒りだ。

 

 鉄菜は振り返らせた《モリビトシン》にRシェルソードを握らせる。

 

「お前だけは……墜とす!」

 

 加速度をかけさせた《モリビトシン》が敵人機へと接近する。鎌を振るい上げた相手へとRシェルソードを薙ぎ払わせた。

 

《モリビトサマエル》は腕に備えた刃でこちらの剣筋を受ける。

 

『マジになってんじゃねぇよ、モリビト! こんなもん、戦場の常だろうが!』

 

「だからと言って……貴様は、無為な人殺しを!」

 

『無為だと? 人殺しに無為もクソもあるか! 戦争処女が! いいか? てめぇで守れなかったもんは、全部クソッタレの代物だ! 力不足なんだよ、そんな上等な機体に乗っておいて!』

 

 呼気一閃、敵の鎌へとRシェルソードを叩き込む。

 

 それでも敵の守りは突き崩せない。それどころか立体的に四方をRブリューナクが包囲した。

 

「《モリビトシン》!」

 

 前面にリバウンドフォールによる重力変動を張り、機体の姿勢制御をわざと下げさせて敵の照準をぶれさせる。

 

 よろめいた《モリビトシン》を即座に立て直して攻撃しかけて、《モリビトサマエル》が上空から蹴りを見舞った。

 

《モリビトシン》が迂闊にもコミューン外壁にそのまま落下する。《モリビトサマエル》が手を開き、四基のRブリューナクの照準を絞らせた。

 

『イっちまえよ! モリビト!』

 

「させるか!」

 

 背面にリバウンドの斥力を発生させ、軽業師のように機体を反転。敵の白銀の散弾を《モリビトシン》は紙一重で回避する。

 

 鉄菜はRシェルライフルで自律兵器を打ち落とそうとするが、その前に四基のRブリューナクは《モリビトサマエル》の背面スラスターとして戻っていた。

 

 鉤十字の翼を得た《モリビトサマエル》が高空に達する。

 

『悪いが、あんまり遊んでもいられねぇんでな! 今回はこの程度にしておいてやるよ。だが、その首、忘れるんじゃねぇぞ。いつでも取れるって事をな』

 

「待て! 私と戦え!」

 

 敵機が領域を離脱するまで鉄菜は銃撃を続けていた。その攻撃も意味を成さないと分かってから、全天候周モニターの一角を殴りつける。

 

「私は! また……!」

 

 衝動のままに戦い、相手を取り逃がした。それだけならばまだいい。

 

 目標としていたコミューンは陥落した。この状況では瑞葉のための薬剤も無事ではないだろう。

 

 任務失敗。重く圧し掛かってくるその事実に、鉄菜は領域外で飛翔している輸送機への帰投信号を放った。

 

 瑞葉とニナイに誓った。生きて帰ってくると。だから、今はどれほどまでに自分の愚かしさが呪わしくても、生きて帰るべきだ。

 

 灼熱に抱かれたコミューンはもう、復興は絶望的だろう。また一つ、取りこぼした命。

 

 鉄菜は《モリビトシン》を飛翔させ、輸送機へと誘導灯を点滅させた。相対速度を合わせた輸送機に抱かれ、《モリビトシン》から這い出た鉄菜は、自分が酷く疲弊しているのを発見した。

 

 荒く息をつき、《モリビトシン》の頚部コックピットハッチで膝を折る。

 

「私、は……まだ、拭えていないのか。因縁も、何もかもを……」

 

「クロナ!」

 

 瑞葉がコンテナの気密が入ったのを確認してからこちらに歩み寄ってくる。鉄菜はばつが悪そうに顔を背けた。

 

「すまない……薬剤は調達出来な――」

 

 その言葉を遮ったのは瑞葉の抱擁であった。思わぬ行動に鉄菜は目を見開く。

 

「何をやっているんだ! 死ぬ気だったのか! あんな機体に単独で向かうなんて無茶だ!」

 

 瑞葉の言葉に鉄菜は沈黙するしかない。許せなかった。どうしても相手を撃墜しなければ気が済まなかったのだ。

 

 自分とあの機体を操る男との因縁を話そうとしたが、そういう意味で瑞葉は怒っているのではないだろう。

 

 自分があまりにも軽率に、命を散らそうとした事を、彼女は怒っているに違いなかった。

 

「……すまない、瑞葉。だが分かって欲しい。私は、戦うしかないのだと」

 

「それでも! もっと賢いやり方はあったはずだ! そうだろう!」

 

 分からない。本当にもっとマシな方法があったのか。自分がただ闇雲に突っ込んだだけなのかなど。

 

 ただ、ここで一人の女性を悲しませている事だけはハッキリしていた。

 

「……分からない。本当に、分からないんだ」

 

 そう口にするしかない。自分でも戦う以外の方策はあったのかどうかなんて、戦ってみなければ何も分からないのだ。瑞葉は頬を濡らす。

 

「どうして……クロナ、お前はどうしてそこまで……」

 

 嗚咽する瑞葉に鉄菜は何も言えなかった。

 

 そう容易く結論を言ってしまえるような事ではない。それは誰よりも自分が、一番よく分かっていたからだ。

 

 


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