ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯206 ヒトを超えたもの

「……何であの旧式のために、桃姉が頭下げるのさ」

 

 林檎が廊下で声をかけたのを、桃はポニーテールを揺らして振り返る。自分達の目標、憧れの先にある存在。だというのに、桃はいつだって鉄菜の味方ばかりをする。それがどうしても看過出来ない。

 

「林檎、クロは瑞葉さんのために、命を張る覚悟なのよ。それを応援はしても、ここで阻むべきじゃないのは分からない?」

 

「分かんない。全然っ! だって、桃姉は正しいじゃん! なのに、あの旧式は正しくない。古いくせに、口ばっかり達者で……」

 

「古いって言うのなら、こっちだって同じよ」

 

「桃姉は違うよ! ……違う、違うに決まってる! だって、桃姉はいつだってさ、本隊にいた時でもボクと蜜柑をよくしてくれた。操主志願者なんて自殺と同じだって、本隊では教えられなかったけれど、桃姉は逃げずに……ボクらに言ってくれたじゃないか! そういう汚いのも含めて、どう判断するかって! ……ああ言ってくれた桃姉は、もういなくなっちゃったの……?」

 

 だとすれば、と林檎は震える。誰も理解者なんてこの《ゴフェル》にはいない。誰一人として……。そう思いかけた自分を桃は優しく抱擁した。温かな体温と鼓動に波風の立った心が凪いでいく。

 

「そんな事はないわ。いつだって、林檎や蜜柑と一緒にいるもの。絶対にあなた達を、孤立させたりはしない。独りにさせない」

 

「ボクと……蜜柑も?」

 

 桃は視線を合わせて頷いてくれる。しかし胸に湧いた一抹の疑念はまだ払拭出来なかった。

 

「でも……あいつだけ特別だ。桃姉からしてみれば特別なんだ」

 

「……ええ、そうなのかもね。六年間も離れていたからかな。クロは……ずっと離れ離れになっていた自分の一部みたいなものなの。六年前に、崩れ落ちてしまった自分の、一欠けら」

 

 自分の手を握りながら発せられた言葉に、言ってはいけないと思いながらも問い質さずにはいられなかった。

 

「……それは、アヤメって言う人と同じように?」

 

 桃と共に世界に刃を突きつけた伝説の操主の一人。そして、三人の中で唯一、永遠に失われてしまった操主。桃は彼女を思い返したのか、少しだけ目元を潤ませた。

 

「そう……アヤ姉も同じ気持ちだったのかもね。こういう気持ちで、見てくれていたのかもしれない。不充分な自分達を」

 

 林檎は恥じ入るわけではなかったが、桃にこのような顔をさせたのは少しばかり自責の念が湧いた。聞いてはならぬ事くらい人ならば一つや二つはあるもの。

 

 自分は踏み入ってはいけない場所に土足で踏み入ったのかもしれない。

 

「……桃姉も、今は同じ気持ちなの?」

 

「ええ。林檎と蜜柑が成長してくれるのが、一番に嬉しいわ」

 

「それは……鉄菜よりも?」

 

 ずるい問いかけであった。このような卑怯な問答、自分でも嫌気が差す。それでも聞かざるを得なかった。聞いてハッキリさせたかった。

 

 自分達のほうが大切だと。組織も、桃も必要としているのは自分達姉妹なのだと。

 

 だが、桃は簡単に首を縦には振らなかった。

 

「林檎……、もっと自分を大事にして。誰かと比べるだけが生きる目的じゃないはずよ」

 

「でも……! ボクは最新鋭の血続だ! その……自負だけは持っておきたい」

 

「その最新鋭、って言うのも、本当は言わないで欲しいのよ。だって生きているのに最新も旧式もないんだもの」

 

「……綺麗事だ、そんなの」

 

 ついつい口をついて出た言葉を訂正する間もなく、林檎は踵を返していた。

 

 どうしても認められなかった。認めたくなかったのだ。

 

 自分達が優れている証明なんて、組織から離れてしまえば存在しないなんて。

 

 だから鉄菜の事が許せないのか。組織からずっと離反していたくせに、当たり前のようにみんなの重要なポストにいる、鉄菜が。

 

 廊下を折れたところで蜜柑が所在なさげにうろたえていた。

 

「……聞いていたの?」

 

 これもずるい言葉。蜜柑は当惑しつつも、恥じ入るように面を伏せた。

 

「うん……。だって林檎、先の戦闘からずっとヘンだし……。そんなにさ、ミィ達が鉄菜さんよりすごいって言う、証明って要るの? そんなのに縋らなくたって結果を出せば……」

 

「そういう場さえ、与えてくれない。《イドラオルガノン》だけの単騎オペレーションなんて推奨してくれないだろ」

 

「そりゃ……そうかもしれないけれど、それはアンヘルの軍備を警戒して」

 

「もういい。いくらでも、言い訳なんて並べられる。蜜柑は、いっつもそうだよね……。言い訳ばっかり」

 

 ハッと気づいた時には、蜜柑が涙ぐんでいた。自分の半身を泣かせるつもりなんてなかったのに、こういうところで他人を傷つける。だから自分が嫌になる。自分の汚いところを自分が一番よく知っているから。

 

「……泣きたきゃ泣きなよ。ボクは行く」

 

 一人でも、戦えるというのならば。鉄菜より優れた結果を出せるのならば。

 

 その背中に、誰も言葉を投げてくれる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両腕を失った《コボルト》での帰還に、まず返礼が届いた事にUDは当惑していたが、自分の武勲だ、と胸を張る事にした。

 

 こちらも挙手敬礼を返し、整備デッキを歩み出ていく。

 

「やりましたね! 両盾のモリビトを圧倒するなんて!」

 

 整備班長の興奮気味の言葉にUDは頭を振った。

 

「まだまだだ。あのモリビト、底知れぬ。まだ先がある」

 

 黄金の燐光はこれから先の蠢動を窺わせたが、整備士達は浮き足立っているようであった。

 

「怖いもの知らずでさぁ! モリビトと一騎討ちなんて」

 

「……どうかな。一度死んだからかもしれない」

 

 その言葉を冗談と受け取ったのか、それとも本音と捉えたのかは判然としない。彼らの面持ちを探る前に進路を塞いだのは第三小隊の隊長であった。

 

 明らかに軍人気質、と言った佇まいの隊長にUDは声を投げる。

 

「単独行動……気に食わん、か」

 

「本音を言えば。しかし、この場においてモリビト相手に単騎で立ち回った事は賞賛に値する。素直に、力ある兵士だと」

 

 おべっかは言えないタイプのはず。UDは賛辞を言葉の表面だけ受け取った。

 

「……感謝する。援護射撃をしなかった事は」

 

「命令にあった。それだけの事だ」

 

 まさしく、本当にそれだけとでも言うように切り捨ててみせるのはやはり軍人としては適格以上の代物だろう。こういう時に形だけの賛美を言えるかどうかは大きく二分されるものだ。

 

 眼前の隊長は明らかに、相手を形式だけの評価に留めてはおかない性質だろう。こちらの戦い振りもしっかりと目に焼き付けているはず。

 

「あの両盾のモリビト、強いな。あれとやり合ったそちらも充分に」

 

 戦士だ、と言外に付け加えたUDに相手が返礼する。

 

 その時、後ろから彼の部下がどこかいけ好かないような顔をして現れた。自分を見るなり、苦々しい面持ちになる。

 

「あのよ、アンヘル内部で勝手が許されるのは、そっちが少しばかり撃墜が多いからだ。それ以外の何でもないって事くらいは覚えておけ」

 

 上官のいる前で相手に直接言ってのける胆力だけは買う。あるいは上官の前でぼろくそに言っておきたかったか。いずれにせよ、こういうタイプの兵士は伸びる。自分がわざわざ彼の短所を言ってやる事もあるまい。

 

「すまないな、UD。部下の教育がなっていなくって」

 

「隊長……! でも、援護も要らないって、嘗めているとしか……!」

 

「そういう性質なのだ、と……言葉を沿えてやるまでもない部分もあるだろう」

 

「理解感謝する。第二小隊を預かる手前、こちらの流儀というものもあるからな。流儀に合わせてくれ、とは言わない。無論、この戦いを完全に理解して欲しいとも」

 

「分かっている口振りだ。だが作戦を下すのはあくまでも上層部」

 

 そう、上が是と言えば是が通るのがアンヘルという組織。隊長はその分を弁えているようであったが、部下のほうは上からの圧力が来るという脅しと取ったらしい。

 

「そうだぜ、どれほど現場で勝手が出来ても、上が許さなきゃ……」

 

「ヘイル。もういい。時間を取らせたな」

 

 踵を返した隊長にヘイルと呼ばれた部下がうろたえる。思わぬところで恥を掻いた事になったのだろう。真っ赤になって、彼は言い捨てる。

 

「……所詮、お飾りだ。第二小隊なんて」

 

 その言葉だけを吐いたヘイルは隊長の後に続いていった。

 

 お飾り――そう揶揄されても仕方ないのかもしれない。第二小隊は他の隊に比べれば特殊な形式を取っている。

 

 UDは真っ先に自分の直属の上官の下に向かった。

 

 ブリッジでこの戦いの音頭を取った艦長に、まずは挙手敬礼する。

 

 相手は返礼してから笑みを浮かべた。

 

「いい戦い振りだ」

 

「一対一という無理を通した事、ここで謝罪させて欲しい」

 

「いいさ。お陰様で相手の実力も見えた。あの黄金の姿……データ上にはあったがまさか再現可能だとは」

 

「六年前の照合データにはやはり……」

 

「ああ、これだな。僅かに残った重力下での戦闘データだが。ナナツー相手なので少しばかり画素が粗い」

 

 それでも六年前に世界を敵に回した赤と白のモリビトが黄金に染まり、ナナツーをそのあり余る出力で蒸発させたのが窺える。

 

「何という出力……これが来れば危うかった」

 

「しかし、君相手にこれを使うような暇はなかったのじゃないか? 常に近接を念頭に置く相手なんて対人機戦闘においてはイレギュラーもいいところだからな」

 

 貶しているわけではない。艦長は自分の強みも理解した上で発言している。

 

「だが、こちらも気にはなっていた。俺相手に使ってきたモリビトは六年前の……」

 

 仮面の下で疼く傷を押さえる。そうだと。この傷痕の相手はまさしく――。

 

「青と銀のモリビト、か。君が因縁の相手だと決めた人機であったな」

 

「あれの操主だという確率は高い」

 

「戦場で再び行き会う、か。それこそ因果だ」

 

 笑い話にした艦長にUDは真剣な面持ちで尋ねていた。

 

「相手の艦の追撃は?」

 

「今はしない、という判断だ。上役も第三小隊を損耗して惜しんでいる。無論、警戒は続けるがこちらから相手に仕掛ける事は、な」

 

「……ラヴァーズが」

 

「それも関係しているとも。惑星博愛主義組織、か。厄介この上ないのはその中枢に収まっている人機の象徴。世界最後の中立、《ダグラーガ》」

 

「まだ、上層部では中立相手に立ち回るのは早計だと考えている、と」

 

 艦長は帽子を被り直し、苦々しげに言ってのけた。

 

「古い観念だとも。しかしながら戦場を俯瞰するのはいつだって古い頭の持ち主だ」

 

「いや、慎重なのはいい事だ。無闇に仕掛けて兵を失うのは下策。この状況ならばこう着状態が正しい」

 

「意外だな。君ならばすぐにでも仕掛けるとでも言ってのけるかと思ったが……」

 

 自分とてそこまで向こう見ずではない。組織というものは嫌でも身に沁みている。そのしがらみでさえも。

 

「ラヴァーズは現場判断で駆逐するのは危険な相手だ。ここで一度お歴々にご機嫌を窺うのも、何も不思議ではあるまい」

 

「それだけならば、まだいいんだが。連邦政府は焦っている、という噂も流れ始めている。施設へのモリビトの強襲、及びアンヘルの擁するトウジャが一方的な攻勢を打てないとなれば、それなりに策を弄するべきだとする一派が生まれても何もおかしくはない」

 

「連邦の穏健派か。いつだって足の引っ張りあいは特権層の十八番だな」

 

「そう皮肉るなよ。我々だって特権層には違いない。アンヘル、という前線部隊という違いではあるが。連中は机の上で戦争をすればいいのだと思っている。現場に一度くらいご視察になれば嫌でも分かりますよ、とは言いたいがね」

 

 口元を緩めてみせた艦長にUDは敵艦の待つであろう海上を視野に入れていた。

 

 この汚染された水平線の上でまだ敵は手をこまねいている。次は如何にしてこちらを潰すべきかの判断を講じているはず。

 

 じっとしてはいられない。UDは身を翻していた。

 

「おっと、どこへ?」

 

「鍛錬をする。邪魔は」

 

「させないとも。いつもの鍛錬場は開けてある。最新鋭の艦にあんな場所、と訝しげにする兵士は多いが気にする事はない。艦長命令だ」

 

 笑ってみせた艦長にUDは返礼する。

 

 廊下を渡り歩く際にも、UDは囁き声を聞いていた。

 

「おい、あれ……シビトだろ?」、「マジかよ……対モリビト戦で帰ってくるなんて、化け物じゃねぇか」、「しかも一対一……、こりゃいよいよ危うくなってきやがった」

 

 どれほど陰口を叩こうとも結構。自分の武勲に変わりはない。

 

 UDがエアロックを超えてカードキーを通した先に待っていたのは木目細工の道場であった。

 

 奥座敷には水墨画が飾られている。

 

 時代錯誤にもほどがある場所で、UDは一礼し、座敷に佇んでいる刀剣を手にしていた。

 

「……剣客たるもの、刃紋を見れば、己の状態は手に取るように分かるもの。今の俺は、少しばかり浮き足立っているのか。一度の白星だぞ」

 

 しかも相手が迂闊なだけで取れた勝利。このようなもの、勝利とは呼べない。

 

 刀を置き、立てかけられている竹刀を手に取った。

 

 今でも正眼の構えを取ると心の波風が凪いで行く。教え込まれた流儀に従い、UDは破、と声を上げた。

 

 振るい落とした一撃にはしかし、迷いが浮かんでいた。

 

「まだ、悟りの境地には至れず……。この型も完全ではない。やはり、一度会うべきか。我が師範に」

 

 竹刀を握り締めたUDは骨が浮かぶほどに悔恨を滲ませていた。

 

 ――未だ自分は弱い。

 

 そう感じた心は収まるべき鞘を失っているように思われた。

 

 


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