ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯200 博愛の徒

 信用問題が何よりも優先される、と繋いだ桃の声に、鉄菜は甲板で佇む人機の集団を睨んでいた。

 

 ゆうに三十機を超える人機。軍隊でもここまでの規模の展開はしない数だ。なればこそ、その脅威度も高く設定されて然るべき……。

 

「桃、ニナイからの通信は?」

 

『切ってるみたい。相手も人機の集団だからね。盗聴を関知されればまずいからでしょ。その代わりゴロウからの定期連絡を受けているみたいだから、大丈夫だとは思うけれど……』

 

 その言葉尻がどこか頼りなくなっているのは、連中の異様さも拍車をかけている事だろう。

 

 惑星博愛主義組織、ラヴァーズ。

 

 六年間戦場を渡り歩いてきて、聞いた事のない組織というわけでもなかった。

 

『ねぇ……クロはラヴァーズに関する知識は……』

 

「持っているが、あまりいい心象ではないな。この黙示の世界で成り立っている新興宗教だとも、あるいはカルト教団だとも言われている。その実態がここまで統率された旧式人機の集まりだとは思いもしなかったがな」

 

『戦場で会った事は、ないみたいね』

 

「戦場で会えば撃っている。この連中、型落ち人機の集まりにしては統率も高く、反撃されれば手痛い相手だろう。アンヘルほどの軍隊ではないにせよ、三十機の人機が一度に敵に回るという状況がまず旨味がない」

 

 だからこそ、アンヘルは撤退したのだろうと推測された。如何にナナツーやバーゴイルによる烏合の衆に近い相手だとしても、では五機以下の《スロウストウジャ弐式》で圧倒出来るかと言えば答えはノーになる。

 

 加えて先の戦闘では一機の《ゼノスロウストウジャ》の改造型――《コボルト》が先行し過ぎていた。あれ以上一機のみの独断を許せばそれはアンヘルの統率を歪める。

 

「……あいつは、何だったんだ」

 

 問いかけても答えは出ない。特別に恨まれる覚えはあるが、あれほどの執念を携えた相手となれば二度目、三度目の生還は難しいかもしれない。

 

 次に会敵した際には鬼札を切る事も視野に入れなければならない。

 

 こちらの最大の切り札――エクステンドチャージ。

 

 まだ制御段階としては乏しい現状で《モリビトシン》に負荷をかけるのは望ましくないが、もしもの時には使用の是非は自分にあるように、とタキザワに厳命しておいた。

 

 ただしタキザワから言わせれば使うとすればそれは下策、との事であったが。

 

『……ねぇ、これだけ人機が密集していて、何でじゃあ誰も気づかないのかしら。だって、《ゴフェル》だって関知されたのに、この《ビッグナナツー》……だっけ? こんな巨大艦、確認されないはずがないんじゃ……』

 

 それは違和感であった。《ゴフェル》は恐らく敵が躍起になって探しているからだろうと思われるが、《ビッグナナツー》とて、航海上では脅威に上がるはず。

 

 これを今まで轟沈させずに済んだ要因は、と問えば自ずと答えは見えてくる。

 

「最後の中立……《ダグラーガ》の存在感」

 

 そう結論付けた理由は無数に存在するが、やはり初見の衝撃が大きかった。

 

 人機から降りられぬ身体を持つ男――サンゾウ。あれはどうして、いや、いつからああなってしまっているのか。

 

 下衆の勘繰りには違いないが、あのような異質今まで誰も突き詰めなかった事が奇妙だ。

 

 この場にいる人間は……と問いかけてそれが無為である事に気づく。絶対的な信仰心を兼ね備えるカリスマに、誰が異を唱えるであろう。

 

 それこそ神をも恐れぬ所業に違いない。

 

『でも……あの人機、見た事もない形状をしてる……あれが世界最後の中立? さっきから照合データと示し合わせているけれど全然引っかからないもの』

 

 桃はバベルから離れたとは言ってもその解析能力は依然として持っているらしい。あるいはゴロウによるサポートか。いずれにせよ、《ダグラーガ》なる人機は既存のプロセスからはかけ離れた代物だろう。

 

「禁断の人機……なのかもしれないな、あれも」

 

 その《ダグラーガ》に視線を流すが、肝心の話の内容に関しては他の信徒達が囲っており、盗み聞きは出来ないようであった。

 

『ねぇ、桃姉。ボクら、来たと思ったらこんなので……どうしろって言うの?』

 

 漏れた文句は《イドラオルガノン》に収まる林檎からであった。彼女らはつい一時間前に合流し、現在ブルブラッドキャリアとラヴァーズが交渉条件に入っていると告げている。

 

『林檎、それに蜜柑も。よく帰ってきてくれたわ。……でも、今はちょっと複雑な状態みたいだから、後で、ね』

 

 桃も年長者の風格を漂わせて応じていたが、操主姉妹は納得していないのが窺えた。何よりも鉄菜は先の戦闘における不手際を正すべきだと感じていたが、それは自分も同じ事。責められるようないわれはないだろう。自分からは何もいわないほうがいいに違いなかった。

 

『はぁーい。……でも、ヘンな集まり。ナナツーとかバーゴイルの、しかも正規部品を使っている相手じゃないじゃん。どれも型落ちの……連邦の軍規から離れた奴を使ってる。いいの? これ。絶対に足枷になるよ』

 

 その進言も間違っていないのだが、桃は冷静に返していた。

 

『足枷になるかどうかは、ニナイに託している。今はそれを待つしかないのよ』

 

『つまんないー。これでアンヘルが来ないって言う保証もないんでしょ?』

 

 問いかけた林檎に鉄菜が繋いでやる。

 

「だが前回の海中用人機は撃墜出来た。礼を言う」

 

 そちらの状況判断のお陰だ、と言ったつもりであったが、相手からしてみればそれは嬉しくも何ともないらしい。

 

『……褒められたって、だから? って感じだけれど』

 

『林檎! ……すいません、鉄菜さん。林檎、まだ疲れていて……』

 

「いや、別に構わない。私は何も気にしていない」

 

『その言い草……ボクは気にしているみたいじゃん』

 

 実際、《イドラオルガノン》が失われるかもしれないリスクに比べれば嫌われるくらいどうという事はない。その思いを察知してか、桃が直通回線を開く。

 

『……ゴメンね、クロ。まだ二人とも、気持ちの整理がついていないんだと思う。《ゴフェル》に……まかり間違ったとはいえ攻撃しちゃったんだから』

 

 いつまでも気に病むものでもないだろう。鉄菜は何でもないように言ってやる。

 

「いい。ミキタカ姉妹が無事で何よりだ。この言葉も、嘘くさいのだと思われるのかもしれないが……」

 

 それでも、モリビトの執行者は、今は一糸たりとも乱れてはならない。敵は強大になりつつある。このままアンヘルと戦うのに、こちらの戦力はあまりに弱々しい。

 

『アンヘルの動き次第、な部分もあるけれど、ニナイが何を持ち帰ってくるかにも寄るから……。実際、この世最後の中立が何を望んでいるのかは、モモ達じゃ……』

 

 分からない、か。鉄菜は《ビッグナナツー》の艦橋を睨む。

 

「全ては、相手の思うがまま、か」

 

 

 

 信用問題が何よりも優先される、と繋いだ桃の声に、鉄菜は甲板で佇む人機の集団を睨んでいた。

 

 ゆうに三十機を超える人機。軍隊でもここまでの規模の展開はしない数だ。なればこそ、その脅威度も高く設定されて然るべき……。

 

「桃、ニナイからの通信は?」

 

『切ってるみたい。相手も人機の集団だからね。盗聴を関知されればまずいからでしょ。その代わりゴロウからの定期連絡を受けているみたいだから、大丈夫だとは思うけれど……』

 

 その言葉尻がどこか頼りなくなっているのは、連中の異様さも拍車をかけている事だろう。

 

 惑星博愛主義組織、ラヴァーズ。

 

 六年間戦場を渡り歩いてきて、聞いた事のない組織というわけでもなかった。

 

『ねぇ……クロはラヴァーズに関する知識は……』

 

「持っているが、あまりいい心象ではないな。この黙示の世界で成り立っている新興宗教だとも、あるいはカルト教団だとも言われている。その実態がここまで統率された旧式人機の集まりだとは思いもしなかったがな」

 

『戦場で会った事は、ないみたいね』

 

「戦場で会えば撃っている。この連中、型落ち人機の集まりにしては統率も高く、反撃されれば手痛い相手だろう。アンヘルほどの軍隊ではないにせよ、三十機の人機が一度に敵に回るという状況がまず旨味がない」

 

 だからこそ、アンヘルは撤退したのだろうと推測された。如何にナナツーやバーゴイルによる烏合の衆に近い相手だとしても、では五機以下の《スロウストウジャ弐式》で圧倒出来るかと言えば答えはノーになる。

 

 加えて先の戦闘では一機の《ゼノスロウストウジャ》の改造型――《コボルト》が先行し過ぎていた。あれ以上一機のみの独断を許せばそれはアンヘルの統率を歪める。

 

「……あいつは、何だったんだ」

 

 問いかけても答えは出ない。特別に恨まれる覚えはあるが、あれほどの執念を携えた相手となれば二度目、三度目の生還は難しいかもしれない。

 

 次に会敵した際には鬼札を切る事も視野に入れなければならない。

 

 こちらの最大の切り札――エクステンドチャージ。

 

 まだ制御段階としては乏しい現状で《モリビトシン》に負荷をかけるのは望ましくないが、もしもの時には使用の是非は自分にあるように、とタキザワに厳命しておいた。

 

 ただしタキザワから言わせれば使うとすればそれは下策、との事であったが。

 

『……ねぇ、これだけ人機が密集していて、何でじゃあ誰も気づかないのかしら。だって、《ゴフェル》だって関知されたのに、この《ビッグナナツー》……だっけ? こんな巨大艦、確認されないはずがないんじゃ……』

 

 それは違和感であった。《ゴフェル》は恐らく敵が躍起になって探しているからだろうと思われるが、《ビッグナナツー》とて、航海上では脅威に上がるはず。

 

 これを今まで轟沈させずに済んだ要因は、と問えば自ずと答えは見えてくる。

 

「最後の中立……《ダグラーガ》の存在感」

 

 そう結論付けた理由は無数に存在するが、やはり初見の衝撃が大きかった。

 

 人機から降りられぬ身体を持つ男――サンゾウ。あれはどうして、いや、いつからああなってしまっているのか。

 

 下衆の勘繰りには違いないが、あのような異質今まで誰も突き詰めなかった事が奇妙だ。

 

 この場にいる人間は……と問いかけてそれが無為である事に気づく。絶対的な信仰心を兼ね備えるカリスマに、誰が異を唱えるであろう。

 

 それこそ神をも恐れぬ所業に違いない。

 

『でも……あの人機、見た事もない形状をしてる……あれが世界最後の中立? さっきから照合データと示し合わせているけれど全然引っかからないもの』

 

 桃はバベルから離れたとは言ってもその解析能力は依然として持っているらしい。あるいはゴロウによるサポートか。いずれにせよ、《ダグラーガ》なる人機は既存のプロセスからはかけ離れた代物だろう。

 

「禁断の人機……なのかもしれないな、あれも」

 

 その《ダグラーガ》に視線を流すが、肝心の話の内容に関しては他の信徒達が囲っており、盗み聞きは出来ないようであった。

 

『ねぇ、桃姉。ボクら、来たと思ったらこんなので……どうしろって言うの?』

 

 漏れた文句は《イドラオルガノン》に収まる林檎からであった。彼女らはつい一時間前に合流し、現在ブルブラッドキャリアとラヴァーズが交渉条件に入っていると告げている。

 

『林檎、それに蜜柑も。よく帰ってきてくれたわ。……でも、今はちょっと複雑な状態みたいだから、後で、ね』

 

 桃も年長者の風格を漂わせて応じていたが、操主姉妹は納得していないのが窺えた。何よりも鉄菜は先の戦闘における不手際を正すべきだと感じていたが、それは自分も同じ事。責められるようないわれはないだろう。自分からは何もいわないほうがいいに違いなかった。

 

『はぁーい。……でも、ヘンな集まり。ナナツーとかバーゴイルの、しかも正規部品を使っている相手じゃないじゃん。どれも型落ちの……連邦の軍規から離れた奴を使ってる。いいの? これ。絶対に足枷になるよ』

 

 その進言も間違っていないのだが、桃は冷静に返していた。

 

『足枷になるかどうかは、ニナイに託している。今はそれを待つしかないのよ』

 

『つまんないー。これでアンヘルが来ないって言う保証もないんでしょ?』

 

 問いかけた林檎に鉄菜が繋いでやる。

 

「だが前回の海中用人機は撃墜出来た。礼を言う」

 

 そちらの状況判断のお陰だ、と言ったつもりであったが、相手からしてみればそれは嬉しくも何ともないらしい。

 

『……褒められたって、だから? って感じだけれど』

 

『林檎! ……すいません、鉄菜さん。林檎、まだ疲れていて……』

 

「いや、別に構わない。私は何も気にしていない」

 

『その言い草……ボクは気にしているみたいじゃん』

 

 実際、《イドラオルガノン》が失われるかもしれないリスクに比べれば嫌われるくらいどうという事はない。その思いを察知してか、桃が直通回線を開く。

 

『……ゴメンね、クロ。まだ二人とも、気持ちの整理がついていないんだと思う。《ゴフェル》に……まかり間違ったとはいえ攻撃しちゃったんだから』

 

 いつまでも気に病むものでもないだろう。鉄菜は何でもないように言ってやる。

 

「いい。ミキタカ姉妹が無事で何よりだ。この言葉も、嘘くさいのだと思われるのかもしれないが……」

 

 それでも、モリビトの執行者は、今は一糸たりとも乱れてはならない。敵は強大になりつつある。このままアンヘルと戦うのに、こちらの戦力はあまりに弱々しい。

 

『アンヘルの動き次第、な部分もあるけれど、ニナイが何を持ち帰ってくるかにも寄るから……。実際、この世最後の中立が何を望んでいるのかは、モモ達じゃ……』

 

 分からない、か。鉄菜は《ビッグナナツー》の艦橋を睨む。

 

「全ては、相手の思うがまま、か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 招かれた《ビッグナナツー》の艦橋には無数の人機乗りが駐在しており、《ダグラーガ》と自分が監査の目を注ぐのを、相手は頭を垂れて見守っていた。

 

『《ビッグナナツー》は元々、C連合が開発したナナツータイプの発展型だ。艦載可能な巨大人機を目的にして製造されたこの艦は純粋血塊炉七つで稼動しており、実質的には大型人機にカテゴライズされる』

 

 ゴロウの分析を聞きながら、ニナイは周囲へと視線を巡らせる。ナナツー、バーゴイルが忙しなく行き交っていた。

 

 中にはブルーガーデンのロンド系列の姿も見られる。

 

『国家の枠組みは関係ない。この中立地帯において、それは邪魔なだけだ』

 

 そう語った《ダグラーガ》の操主にニナイは再び問いかけていた。

 

「あなた一人で、ラヴァーズを?」

 

『拙僧のやった事は少ない。勝手に立ち上がった、と言えば語弊があるかもしれないが、その通りなのだ。この組織は勝手に立ち上がり、勝手にここまで拡大した』

 

 嘘を言っている風ではない。そもそもラヴァーズなる組織が謎の大きい代物である。

 

「惑星博愛主義組織……聞こえだけはいいようですが、具体的には何を?」

 

『ブルブラッド汚染地帯を見て回っている。この惑星は汚染の只中にあり、今もまた、戦場が拡大している。戦時需要に応えるべく、成り立ったのが人機開発。今日の地獄は人類そのものが生み出した功罪』

 

「それは……原罪も含めてと言いたいんですか?」

 

 ニナイの質問にサンゾウは、そうさなと言葉を躊躇わせる。

 

『何もかもを見てきたわけではないが、人より多くを見てきたつもりではある。古代人機の大移動、ブルブラッドの汚染領域は重力が反転し、何もかもが崩れていく様、プレッシャー兵器の隆盛……、どれも一個人の人間では見るも叶わぬものばかり』

 

 サンゾウの身体を目にした自分はその言葉の意味するところがどことなく理解出来ていた。

 

 彼は恐らく人間の寿命単位で物事を俯瞰しているわけではない。もっと大きな目線でこの惑星を目にしてきたはずだ。

 

 人類の愚かさを。どうしようもない罪の連鎖を。それでも、彼は中立を止めなかったのだろう。中立である、というのは誰にも与しない、最善が分かっていても誰にも助言しないという事。

 

 滅びが見えていても彼は静観するしかなかった。その苦しみの一端が窺えたわけでもない。自分は所詮、分かった風になれるだけ。

 

 ただ、《ダグラーガ》という人機と共に彼が見てきた世界が何も崩れ落ちるだけだとは思いたくはなかった。

 

 人機と生命を共にする、という事実はこちらの罪である人造血続計画にも直結する。決して彼だけが地獄の側面を眺め続けていたわけでもない。

 

『言葉少なだな。何か思うところでも?』

 

「いえ……、こちらの艦への補給、ありがたいと思っております。アンヘルとの戦いはほとんど消耗戦ですから」

 

『その事だが、ハッキリさせておきたい。我々、ラヴァーズは前回の戦闘で割って入ったがあれは拙僧の本意ではない。じっくり話し合いたいから、アンヘルを一時的に退けたまで。次の戦闘では……』

 

「存じています。ラヴァーズはあくまでも惑星博愛主義組織。戦闘組織ではないのだと」

 

 彼らに戦闘による助力を得るのはほとんど不可能だろう。前回はただサンゾウがこちらに興味を持っていたから成立したまでの事。次の戦いはしかし、アンヘルもラヴァーズを潰しにかかってくると見て間違いないだろう。

 

 その場合どうするのか、問い質す必要があった。

 

『……だが甘くはないのだと、承知している。一度でもアンヘルと矛を構えたのならば、二度目も覚悟しておくべきだと』

 

 案外物分りがいいのは長く生きているからか。それとも、全てを諦観のうちに置いていったからか。いずれにせよ、手を貸すのは最大でも次までと言われてしまっているのだ。

 

 こちらはあまりラヴァーズの戦力を過大評価は出来ないし、相手もこちらが守ってくれるとは思ってもいないだろう。

 

 それは末端の構成員一人を取ってしてみても明らかであった。彼らは惑星を愛しているが、ヒトは愛していないのだ。だから人機での作業に没頭出来る。人間をやめた――ある種では合理性を求めた果ての存在なのだから。

 

『合理的、などとは思わないで欲しい』

 

 だからか、こちらの思惑を見透かされたようでニナイは心臓が止まるかと思った。

 

 仰ぎ見た《ダグラーガ》が新たなシステムブロックへとアクセスし、《ビッグナナツー》の甲板そのものが巨大なエスカレーターとして下降する。

 

 思わぬ仕掛けだったが、これも人機なのだ、と説明されればそれくらいは理解出来た。《ダグラーガ》と自分以外は表に残った形となる。

 

 モリビト三機とのリンクも失われればもしもの時に仕損じる。ニナイはモリビトの執行者へと直通する腕時計型の端末を握り締めていた。

 

 これを押せばモリビト三機は有事と判断し、すぐさま飛び込んでくるだろう。

 

 それでも不安が勝ったのはやはり、自分達を囲んでいた人機の目がなくなったからか。《ダグラーガ》のみとなったこの場で、自分という「人間」ではあまりにも心許ない。

 

「……どういう、意味ですか」

 

 すっ呆けたわけではない。ただ意味をはかりかねた。《ダグラーガ》はピンク色のデュアルアイセンサーを輝かせつつ、こちらを見やる。人機に比すれば小さな人間の身。いつでも踏み潰せる、という余裕は相手にはないようであった。

 

 むしろ、相手は人機に搭乗していても自分と同じように物を見ている。自分と同じ目線に立ってくれているような気がしていた。

 

『拙僧は……《ダグラーガ》と一体になって久しい。だから、この身体が人機のような合理性を突き詰めたものだとは思わないで欲しいという意味だ。惑いもするし、逡巡も浮かべる。まだまだ、常世を断ち切れていないのだ。合理的など最も縁遠い事』

 

 そういう意味か、とニナイは安堵の息をつく。

 

「いえ、《ダグラーガ》はもう、ほとんどそれ単体で強みを発揮しています。既に抑止力の域なのでは?」

 

 これはともすると多大な干渉かもしれない。それでもニナイは問わずにはいられなかった。

 

 ――あなたはもう、この星にとっての脅威として、既に確立されているのでは、と。

 

 星や世界がその脅威度をはかったのならば、それはもう、抑止の意味を持つ存在。この世界そのものを構築する勢力が一つ。

 

 だからこそのラヴァーズ。そうだとも思っていた。惑星を愛するなどという大きな一つ事を成し遂げようとするのならば、それは霊長の頂点に立つくらいではないと意味がない、とも。

 

 だからか、直後に《ダグラーガ》より振り向けられたあまりに弱々しい声音に、ニナイは驚愕した。

 

『……買い被らないで欲しい。抑止力などと、高を括るつもりも、ましてや霊長類の頂点に立ったつもりもない。むしろ、この身体は逆であろう』

 

「逆……ですか」

 

『そうに違いない』

 

 ゴゥン、ゴゥンとエレベーターが下降していく。どこまで降りるのだろうか、とニナイは周囲を見渡した。この《ビッグナナツー》の艦艇は想定していたよりもずっと巨大だ。

 

「ですが……あなたはラヴァーズの」

 

『頭目、だと言いたいのだろうが、先にも申し上げた通り担ぎ上げられた、というのが正しい。ゆえに、この身が頂点に立つものの目線に相応しいかどうかは、甚だ疑問だ。頂点に立つしては、あまりにも不利な部分が大きい』

 

「でも、人機と一体化するなんて。出来るものじゃないですよ」

 

『……褒められたものでも、ないと思うがな』

 

 言ってから失言だったとニナイは反省する。自分はいつもこうだ。取り返しがつかなくなってから反省という機能を思い出す。

 

「すいません……私……」

 

『いい。人機と一体になった、傍から見ればまるで万能のように映るのは間違いではないだろう。だからこそ、彼らは拙僧に神を見ている。しかし……こう言ってしまえば何の変哲もないのだが、神などいないのだ。見捨てられたのだよ、この星は』

 

 見捨てられた。その見解にニナイは尋ね返していた。

 

「それは……ブルブラッド汚染があるから……?」

 

『紺碧の毒はその前兆に過ぎない。今に、ヒトは神より捨てられたこの地の意味を知る。……しかし拙僧にもその確証はないのだ。ゆえ、これは世迷言と切り捨ててもらっても結構。人機と一体化した、狂人の戯言とでも』

 

 そうだと言い切れるだけの材料が自分にはない。自分達だって勝手に星の海から渡ってきただけの者達だ。地上に故郷を持たず、この星のどこにも帰る場所はないくせに、ただ権利ばかりを主張する。

 

 ブルブラッドキャリアとは、楽園を追放された挙句、その楽園を取り戻そうとする、卑しいだけのケダモノ。

 

「……いえ、私にも思うところはありますから」

 

『……貴殿は心に闇を飼っているな』

 

 だからか、言い当てられた語調に全身が竦む。もしや、と震え出した身体はかつての罪悪を余人に知られたという恐怖に慄いていた。

 

 ――彩芽の事を?

 

 否、と頭を振る。知っているはずがない。誰も、知らないはずだ。知っていても、どうして、何故……、そのような思いばかりが空回りしていく中、《ダグラーガ》に収まるサンゾウは冷静に口にする。

 

『何も、闇のない人間はいない。どこに恐怖を抱く必要がある? 誰しも闇の只中、悟りに至る事など出来はしない』

 

 僧ならではの言葉繰りであったのか。それと気づいた時には、ニナイは頬を紅潮させていた。

 

「……私は――!」

 

『いい。言わずとも。誰しも知られたくない闇はある。殊に、貴殿はその闇に喰われかねない様相であるから注意したまでの事』

 

 暗に自分の立ち位置の不明瞭さを言い当てられたようで、ニナイはこれまでにない羞恥を抱えていた。一目見ただけでも、分かってしまうほどに、自分は不完全なのだな、と。

 

 エレベーターが最下層に到着する。

 

《ダグラーガ》が歩み出て電源システムに入った。重々しい音と共に照明が点灯する。

 

 眩さに目をしばたたいたのも一瞬、眼前に佇む巨大な水槽に視線を奪われていた。

 

 水槽だと思ったそれは果たして、ただの水槽ではなかった。

 

 ブルブラッドの青に染まった水の中に浮かんでいるのは血塊炉の原石である青い石であった。

 

 それも人機に用いるような大きさではない。ゆうに通常人機の五倍はあるその巨大さに絶句する。

 

「これ、は……」

 

『原初のブルブラッドシステムを使っている。この血塊自体は、古代人機より預かった』

 

「預かった……? でも古代人機は、現状の兵器とはまるで異なるはず」

 

『違う、古代人機は惑星の血脈を継ぎ、次世代に繋ぐために紡ぎ出された生命の吐息。命の使者。あれが動けば地層も動く。あれが怒れば地表も憤怒に染まる。そういう風に、この星は出来ているのだ。なればこそ、この血塊は彼らより預かった、というのが正しい』

 

 サンゾウの論法は、理解は出来る。血塊炉そのものの成り立ちを考えれば、元々は地脈より出でた産物。この星の命そのもの。

 

 命を繋ぐ、という意味で言えば、古代人機も現行の兵装人機も何も変わりはしない。

 

 両者共に純然たる命を使い潰し、別の何かに変換している。

 

 それが焦土の火であるか、古代の息吹であるかだけの違いだろう。

 

 青い水槽の中で揺らめく生命の原初風景にニナイはてらいのない感想を漏らしていた。

 

「綺麗……」

 

『どのような人間とて、これを目にすればそう言うだろう。だが、我々はゆえに戦わなければならない。これが美しいがため、ヒトは争う。これを自分のものにしたいという欲求のために、ヒトは殺し合える』

 

 見てきたかのような言い草だが実際に見てきたのだろう。血塊炉一つを巡って人間同士が醜く食い合う様を。どこへなりとも行けず、誰しもが血の中に生きるしかない地獄絵図を。

 

 ヒトは、血の一片一つでも争ってしまう。

 

 そのようなシンプルがゆえに残酷な現実を自分の前に突きつけられているようであった。

 

 それに、とニナイは分かってしまった。これを自分に見せた意味を。《ダグラーガ》に収まるサンゾウが、何を言いたいのか、その答えが。

 

 だが、その答えに至ればブルブラッドキャリアは自壊する。分かっているからこそ、ここでサンゾウの意見を素直に呑むわけにもいかなかった。

 

「……せっかくですが、申し出お断りします」

 

『そう、か。残念だ。ヒトは、一つの石のために争う事も出来るが、一つの石を守るために、協調も出来るかと思ったのだが』

 

 それを認めてしまえば、星から追放された自分達は戦う意義をなくす。ここでサンゾウの導きに答えるのは容易い事だ。

 

 ラヴァーズの教えに従うのも、心地よいだろう。人間として、自分達に価値があるのだと彼は言ってくれている。

 

 星の人々が一度としてブルブラッドキャリアを人間と認めないのに比して、彼は一見しただけで認めてくれた。

 

 それだけでも価値はあるのだ。しかし、一つ事を成すために、ここで簡単に膝を折り、救いを求める敬謙な使途になる事は出来なかった。

 

 自分達にはまだやるべき事がある。ここで膝を折り、頭を垂れて、許しを乞うのではない。最後の最後まで、銃を手に争う道こそが本懐。

 

 それがどれほど間違っているのかを、この血塊一つで示されたところで、自分達には退路はないのだ。

 

 ここまで来た以上、誰にもその領分は冒せない。

 

「……過ぎた言葉かもしれませんが、私達はブルブラッドキャリア。惑星に牙を剥いた者。無知蒙昧にこのまま星の言う通りに生きる事など最初から出来ないのです。たとえそれが、星の意志であっても」

 

 人間なのだ。

 

 ニナイは拳をぎゅっと握り締める。

 

 自分達は星の意思を全うするただの使徒ではない。人間という、血の穢れの中にある存在なのだ。

 

 ならば最後まで、その決着は血と共に在るべきだろう。

 

 こちらの決意を悟ったのか、《ダグラーガ》から静かな声が残響する。

 

『……拙僧も疲れ果てた、というのが正しいな。貴殿らの決意が崇高であるがゆえに、ここで問答をしたくなってしまった。それがどっちにとっていいとは言わない。ただ道を説きたかったのみ。嗚呼、傲慢であろう。この身は、酷く穢れているのだ。拙僧も人なれば』

 

 サンゾウも元はただの人間のはず。

 

 その出生を問いかけて、不意に発したアラートが遮った。

 

『敵襲! アンヘルの送り狼か……!』

 

 忌々しげに放った桃の声にニナイは《ダグラーガ》を仰ぎ見る。彼の助力を自分は身勝手な理由で断った。だからこれも、言ってしまえば彼らを巻き込んだ戦い。

 

「……協力してくれ、とは言いません」

 

『いや、協力させて欲しい。ここで拙僧の問答に、是と言わなかっただけの人間の輝き、見たくなった』

 

 目を白黒させるニナイに《ダグラーガ》が広域通信を張った。

 

『達す。こちら《ダグラーガ》。世界最後の中立を背負う者である! この艦とブルブラッドキャリアに仕掛けるものならば、我々は即時の武力行使に移ると宣誓する!』

 

 まさか、とニナイは耳を疑っていた。彼に義理を通す事などないのに。しかし、サンゾウは迷いもしない。

 

『こちら、アンヘル第二小隊。ラヴァーズなる組織の真偽は不明として貴君らは、ブルブラッドキャリアに味方するのか』

 

 それは世界の敵となる、という論調にサンゾウは言い放った。

 

『構うものか。彼らは義を通した! ならば我々は最大限の礼で返すのみ!』

 

『応!』と通信越しに甲板上の人機乗り達が臨戦態勢に移ったのが伝わった。三十機編隊とモリビト三機。

 

 勝てるかどうか、と固唾を呑んだ直後、アンヘルより直通がもたらされる。

 

『……この世最後の中立を前にして、身が竦んでいる兵士も多数いる。ゆえに、ここは一騎討ちを望みたい』

 

『一騎討ちだと? 何ゆえ?』

 

『……詳細は明かせないが、端的に言えば、ここにも武人がいた、という事だ』

 

《ダグラーガ》へともたらされた投射画面がこちらへと転送される。ニナイは敵艦の甲板に腕を組んで聳え立つ一機の赤い人機を目にしていた。

 

 鬼のような頭部形状に、射竦ませるのには充分な眼光を含んでいる。まさか、その人機と《ダグラーガ》の一騎討ちとでも言うのか。

 

『……よかろう。その鬼面の人機と拙僧が――』

 

『勘違いを、しないでもらおうか。俺は、そこの! 両盾のモリビトに用がある!』

 

 放たれた言葉にニナイは即座に《モリビトシン》の姿を思い描いた。まさか、モリビトとの一騎討ちを相手は所望しているというのか。

 

『……クロとの一騎討ち……? 怪しいのが見え見え! ニナイ、この状況ならば断っちゃえる。それに《モリビトシン》は……』

 

 桃の言いたい事は分かる。《モリビトシン》は不完全。現状、出して容易い駒ではない。

 

 しかしここで出し惜しみをすれば間違いなく、禍根が残るだろう。ラヴァーズの面々が不信感を抱くのは目に見えている。もしもの時、離反したラヴァーズの兵隊がこちらの手を塞ぐのは一番に避けるべきだ。

 

 どうするか、逡巡を浮かべたニナイに新たな通信が繋がれた。

 

『ニナイ。私は別に構わない。艦長であるお前の命令権さえあればいつでも出よう』

 

「鉄菜? でも、あなた一人を出すなんて……」

 

『逆だ。私一人でいいのならば今、《ゴフェル》は逃げ切れる。現状、そちらの部隊との共闘は望めないのだろう? ならば私単騎に目が向いている間にお互いに離脱する。距離を稼いだ隙に』

 

『有耶無耶に出来る、か。だが、拙僧はそこまで薄情ではない。ラヴァーズの面々もそうであろう。この海域からの離脱くらいは手伝わせていただきたい』

 

 思わぬ申し出であった。サンゾウもまだ人の温情が残っているのだろうか。

 

 窺った眼差しに、《ダグラーガ》が頭を振る。

 

「あなたは……」

 

『誤解しないで欲しいのは、我々はただ利益のためだけに動いているのではない、という事だ。貴君らの戦いは素直に賞賛する。世界を相手取っているのだからな。しかし、その戦いの末に待つのが破滅だと判断した場合、我々は即座に矛を構える。その覚悟はあるのだろう? ブルブラッドキャリア』

 

 ラヴァーズが最悪、敵になる事もあり得る。だがこの場では、互いに銃口を向けずに済む。その一事にただ安堵するしかなかった。

 

『この場では、か。信用出来るのか出来ないのかはお前が判断しろ、ニナイ』

 

 自分に託されている。ニナイは拳をぎゅっと握り締めた後、声を吹き込んだ。

 

「……鉄菜、《モリビトシン》による迎撃を許可するわ。それと共に《ゴフェル》は離脱挙動に入る。もしもの時の備えに《イドラオルガノン》を甲板に出して。《ナインライヴス》も出撃準備に。いつでも出せるようにして」

 

『……でもさー、艦長。勝てるの? モリビト一機で』

 

 それには疑問を抱かざるを得ないが、今は信じるしかない。相手も一騎討ちなど想定外である、という甘い考えで向かってくるとしか。

 

「……私は鉄菜を信じる」

 

 ニナイの発した言葉に林檎が嘆息をついた。

 

『……ま、いいけど。《イドラオルガノン》はD型装備で待機するよ。せいぜい見せてもらおうじゃない。一騎討ちでどこまで出来るのかってね』

 

 林檎と蜜柑の操主姉妹は鉄菜に対しどこか敵愾心を抱いている節がある。当の鉄菜は意に介してもいないようであるが。

 

 現状を打破するのにはこの一騎討ちもさほど意味はないだろう。しかし敵方を引き剥がすのには要求を呑まなければならない。そうでなければ爆撃を受けても何もおかしくはない距離にある。

 

『達す。ブルブラッドキャリア。準備は出来たか』

 

 相手からの通信にニナイは応答する。

 

「……ええ。《モリビトシン》、出撃」

 

『了解した。鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシン》、出る!』

 

 カタパルトから火花を上げつつ出撃した《モリビトシン》の映像を《ダグラーガ》は投射する。それを目にしつつ、我が身の不実を呪うしかなかった。

 

 ここで共闘を受け入れていればもっと上手く出来たのではないか。彩芽を失った時に近い後悔が胸を占めていく中、サンゾウが口にする。

 

『ニナイ艦長、あなた方は義を通した。ゆえに、この戦い、最後まで見守らせてもらう』

 

 身勝手に離脱はしない、という宣誓にもニナイは苦々しいものを感じるしかなかった。

 

 結局は鉄菜を生贄に捧げたようなもの。

 

 ここで彼女が生き残るかどうかも分の悪い賭けだ。それでも出撃した鉄菜の《モリビトシン》を、今は信じるしかなかった。

 

 


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