ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯2 赤の守り手

 宇宙で虹を見た。

 

 こう口にすれば、信じる側の人間と信じない側の人間がいる。

 

 しかし、桐哉・クサカベの眼下に広がっているのは確かに虹の裾野であった。七色の平原がコックピットにリアルタイムで、全方位モニターの補正CGによって映し出されている。

 

 眠りこけそうになって、隊長機から怒声が飛んだ。

 

『桐哉……、桐哉・クサカベ! 反応遅いぞ! ジャムってるのか?』

 

 ジャムっている、という造語は弾詰まりから転じて人機操主の反応が遅い事、つまるところコックピットで眠っているくらい鈍いのか、という意味になる。

 

 桐哉は背もたれで背筋を伸ばし、いえ、と首を横に振っていた。

 

「そんな事は、決して」

 

『頼むぞ。ここはもうプラネットシェルの圏外だ。古代人機の射程外ではあるが、一人の連携ミスが全員に響いてくるからな』

 

 気を引き締めろ、という声に桐哉は操縦桿を握り直した。耐Gの特殊スーツの内側が汗ばんでグリップ面が滑る。内圧を調整して汗を吹き飛ばしてもよかったが、次いで通信を騒がせたもう一人の嘲笑にその暇はなくなった。

 

『なにせ、〝モリビト〟の栄誉を賜ったくらいだからな。本国では鼻高々かもしれないが、ここは実戦。勲章の数が物をいうわけじゃないぞ』

 

 後続する同期の諌める言葉に隊長も笑ったようであった。

 

『まったくだ。桐哉、お前はちょっとばかしたるんでいるぞ。我々スカーレット隊の迎撃成功率は百パーセントとは言え、それが保証されているのは連携プレーのお陰だ。一人でも油断すれば古代人機に滅多打ちにされるぞ』

 

 スカーレット隊、という言葉に桐哉は前方の宙域を行く赤い機体を目に留めていた。

 

 細身のシルエットに肩口から腹部までの赤い装甲が常闇の宇宙空間に映えている。ところどころ垣間見える黒と白の装甲はこのカスタムモデルの基となった機体――《バーゴイル》の名残を感じさせる。

 

《バーゴイルスカーレット》の名を冠する自分達の操る機体は成層圏を抜けた先、虹の向こう側での防衛任務が仕事であった。

 

 惑星を覆う虹の原に、桐哉は再び視線を投じる。

 

 虹の平原に包まれたのは青い星であった。その姿は変革の時代となった百五十年前から変わるところはない。

 

 しかし、それは見かけ上だけの話。

 

 内側で燻る悪を両断する。

 

 それが《バーゴイルスカーレット》を駆る自分達の役目であった。

 

 隊長機が片腕を上げ、獲物を見つけたハンドサインを送る。

 

『来たぞ。古代人機だ』

 

 虹の原を破ろうと高空域まで上昇してくるのは蛇腹型の青い身体を持つ機体であった。

 

 継ぎ目と思われる部分が一切ない、純粋なるブルブラッドの化身。

 

 自然が生み出した人類に仇なす、世界の罪悪。

 

 古代人機の形状は蛇腹の身体の側面に無数の砲身を継ぎ足しているもの――俗に言う「A型古代人機」であった。

 

 最もポピュラーな古代人機は正面からその姿を見ると鍵穴にも映る。

 

 古代人機がのたうち、領空を越えようとして虹の原に阻害された。その隙を見逃さず、隊長機が直進する。

 

『一気に片をつけるぞ! スカーレット隊、出撃!』

 

「了解」の復誦を掲げつつ、《バーゴイルスカーレット》が古代人機へと接近する。相手がこちらに気づいたのか、側面の砲塔を向けてきた。砲撃が矢継ぎ早に紡がれ、三機編隊を組むスカーレット隊は隊長機の号令を待たずして散開する。

 

 もう慣れた仕事だ。隊長機が装備するプレスガンが一射された。古代人機の頭頂部を叩き据えた一撃に後続の同期がロングレンジ砲で援護する。

 

 切り込みは自分が一任されていた。

 

 プレスガンの下部を持ち上げさせ、銃剣を顕現させる。《バーゴイルスカーレット》の推進剤が焚かれ、青い軌道を刻みながら真紅の機体が古代人機へと肉迫した。

 

 古代人機の体表を削り取った銃剣の一閃に、相手は身悶えする。

 

 古代人機に痛覚があるのか、という議題がそういえば一年ほど前に学会で上がっていたが、自分達兵隊にとって考える事ではないな、と一蹴した。

 

 即座に反転し、プレスガンを発射モードに設定。引き金を絞ると古代人機の頭部が砕けた。

 

 後続援護のロングレンジ砲との連携がうまくいった形だろう。古代人機は青い血を滴らせながら上昇機動から、逃走に転じようとする。

 

 当然、逃がすわけがない。

 

 桐哉の《バーゴイルスカーレット》が追いすがり、その背筋に銃剣を突き立てた。速射モードに設定したプレスガンを矢継ぎ早に放つ。

 

 古代人機の背筋が割れ、青い血の心臓部へと達した火薬が爆発の光を棚引かせた。

 

 桐哉は高度が下がっている事をモニターで確認し、古代人機を蹴りつけて再び上昇機動に入る。

 

 隊長機と後続援護は切り込み専門の自分とは違い、高度を下げてまで古代人機に追いすがる事はない。

 

《バーゴイルスカーレット》の赤い装甲版は耐熱加工のため、大気圏突破には充分に耐え得る素材であったが、大気圏をこのまま突破すれば、《バーゴイル》は無事でも操主である自分は熱病に晒される事であろう。

 

 通信網に口笛が混ざる。

 

『よくやるぜ。さすがはモリビト、だな』

 

「その皮肉、やめてくれよ。上がりたいからそっちの《バーゴイル》のワイヤーで引き上げてくれ」

 

『あいよ。本国の英雄さん』

 

 後続援護の機体からワイヤーが射出され、桐哉の機体を持ち上げていく。

 

 重力圏内に入っていないため、まだ《バーゴイル》の性能でも宇宙空間に戻る事が可能であった。

 

「英雄、か……」

 

 一人ごちた桐哉は胸元に留められた階級章をさする。「モリビト」の名前は本国から古代人機を狩るエースとして認められた人間にのみ与えられる栄誉であった。

 

 とはいっても、実際に戦闘で得た勲章ではない。

 

 本国に帰れば、不可侵条約で結ばれた国々によって古代人機狩りは正当化され、今や立派な国のための職業として保証される。

 

 古代人機狩りこそが、他国との軍事衝突を避けるために、仕組まれた一つの共通の敵、という実情。

 

 その実態では、他国も軍力増強政策を固め、新型の開発に勤しんでいると聞くが、操主である桐哉には関係のない事であった。

 

 新型機が配備される、ならばそれでいい、という認識。

 

 現場の負担は年々軽くなっている。自分はただ、古代人機狩りに適性があっただけだ。

 

 ――それに、と首から提げたネックレスを取り出す。

 

「本国に帰ったら、あいつに色々としてやらないと。……兄貴なんだしな」

 

『おっ、妹君の写真でも見てるのかい? この色男』

 

 囃し立てる声音に桐哉はネックレスを仕舞った。

 

「当然の責務だよ。古代人機狩りは周期が長い。半年も一年も帰れない時があるんだ。家族を思うのは当然だろ」

 

『そいつは耳が痛い』

 

 隊長の言葉に桐哉は佇まいを正した。

 

「いえ、その、この仕事が嫌なわけでは……」

 

『分かっているとも。さっさと今日のノルマを終わらせるぞ。古代人機は一日に数体上がってくる事もあれば、一体も来ない時もある。俺達は、せいぜい、与えられた巡回ルートをきっちり仕事しましたって証明するだけだ』

 

『デブリの心配も、ましてや敵国の奇襲による迎撃も視野に入れなくなった今、こんな仕事しか回ってこないってのもシャクですねぇ』

 

 安全高度に上がり切った桐哉はワイヤーを取り外して、虹の平原を見据える。

 

「それでいいんだろ。デブリが来ても、リバウンドフィールドが全て、弾き返してくれる。他国がミサイルを撃ってこようとしても、危険高度に達すれば自動迎撃される。平和そのものだ。いい事ずくめじゃないか」

 

 その平和が古代人機一つ程度の割を食うので済むのならば安いくらいだ。桐哉は《バーゴイルスカーレット》の機体状況を見やる。ステータス表示の安全点検を終え、編成に戻る確認が取れた。

 

「《バーゴイル》桐哉機、作戦行動に戻ります」

 

『頼むぜ、切り込み隊長さんよ。ブルッちまって古代人機になんて接近する気にはなれないからな。臆病者の装備がこれさ』

 

 ロングレンジ砲を掲げる後続援護に隊長機が片腕を振るった。

 

『こっちだって、B型装備のままだよ。桐哉以外はみんな臆病者ってわけか?』

 

 人がそうするように隊長機が身振り手振りで囃し立てる。桐哉はコックピットで肩を竦めた。

 

「……冗談はやめてくださいよ。モリビトって称号を持っているって言ったって、実戦経験はないんですから」

 

『おーっ、言うねぇ』

 

 後続援護の機体がその時、接近警報を捉えた。彼の機体には特別高感度のセンサーが備え付けられているのだ。

 

 振り返ったロングレンジ砲を所持する《バーゴイルスカーレット》は、胡乱そうに砲身を持ち上げた。

 

「……どうした?」

 

 突然の沈黙にこちらが面食らう。彼は決めあぐねているのか、センサーの誤作動を疑っているようであった。

 

『いや、接近警報がさ。これはデブリを捉えたみたいだな。随分と感度のいいレーザーを使っているから、遠いところのデブリによく反応する……。軌道計算を送ります』

 

 隊長機と桐哉の機体にデブリの軌道が概算され、データとして送られてくる。そのデブリは真っ直ぐに惑星軌道上に入ろうとしていた。

 

「……隊長、妙じゃありませんか、この動き」

 

 デブリが周回する事は儘ある。急加速を得て惑星に衝突軌道を取る事も。しかし、正面衝突ならば何の心配もない。

 

 惑星を覆うリバウンドフィールドが大気圏に入る前に燃やし尽くすからだ。

 

 桐哉が問題視したのは、デブリの軌道があまりにも――人間的であったからだ。

 

 最初は外縁軌道にも入らない動きであったのに、ここ数分で一気に加速し、惑星への衝突軌道を取っている。

 

 隊長が通信機越しに思索を浮かべたのが伝わった。

 

『こいつは……。ちょっと奇妙だな』

 

『特攻兵器……ですかね?』

 

 疑問を浮かべた後続援護に、馬鹿な、と隊長は一蹴する。

 

『特攻兵器なんて条約違反だ。それに、特攻兵器だとして、リバウンドフィールドに弾き返されるだけだぞ……。何よりも地上で建造された代物が宇宙に出て、もう一回突入軌道に入るなんて、それこそ旧時代のミサイルでもない限り……』

 

 ミサイル、という可能性に至った以上、スカーレット隊が動かないわけにもいかない。

 

 先ほどとは逆に後続援護の《バーゴイルスカーレット》が前衛に出て、隊長機と桐哉がそれのサポートという布陣を取る。

 

『来いよ、撃ち落としてやる』

 

 青い瞬きが発し、デブリを目視で捉えた。廃棄衛星のデブリだ。球状に近い形で、末端にはアンテナ類が折り重なっている。

 

 しかし、そのデブリがただの廃棄衛星ではないのは、あまりにもその速度が異常である事からしてみても明らかであった。

 

 推進剤による加速を得ている。

 

 桐哉は操縦桿を握り締め、プレスガンを構えさせる。

 

『射線に入った! 一掃する!』

 

 後続援護の機体がロングレンジ砲を発射し、デブリを粉砕しようとする。

 

 球状のアンテナ部が破損したものの、デブリの勢いは止まらない。舌打ち混じりに後続援護の《バーゴイルスカーレット》はロングレンジ砲を連射した。

 

 じりじりと削り取るものの、その機体を完全に砕く事は出来ない。隊長機が命令の声を飛ばした。

 

『桐哉! 俺とお前で挟み撃ちにする! D型装備の《バーゴイルスカーレット》は下がれ! 密集陣形からデブリを破壊する!』

 

 陣形を組み換え、桐哉が前に出ようとするが後続援護の機体が腕でそれを制した。

 

『隊長! まだやれます! こんなデブリ程度で……!』

 

 ロングレンジ砲を腰のウエポンラックに据えて、《バーゴイルスカーレット》が接近装備のブレードに持ち替える。

 

 普段は近接戦闘などまるで度外視しているため、骨董品、と揶揄される事も多いブレードはこの時、正常に起動した。

 

 ブレード表面にリバウンド作用がもたらされ、刀身が白くぼやける。

 

 推進剤を焚いて《バーゴイルスカーレット》がデブリへと衝突した。ブレードによって球状の部位が切断される。

 

 破壊した、と桐哉も確信した。

 

 だが、デブリを引き裂いて現れたのは鋭角的な盾であった。

 

「……盾?」

 

 デブリの内部から出現した盾に《バーゴイルスカーレット》が反応する前に、アンテナ部を砕いて持ち上がったのは翼手目を思わせる翼であった。

 

 銀色の翼が折り畳まれた状態から広げられ、その翼の末端よりオレンジ色の物理フィールドを発生させる。

 

 網膜に焼きつく輝きを空間に刻み、後続援護の機体へと、デブリ内部より現れた機体が突っ込んだ。

 

 通常、人機の装甲は同質量が衝突した程度では破損しない。

 

 しかし、謎の物理フィールドの展開と後続援護の慢心が招いた結果か、《バーゴイルスカーレット》の機体が腰から粉砕し、そのまま打ち砕かれる形で胴体が生き別れとなった。

 

 隊長機が慌てて後続援護の操主の名前を呼ぶ。通信機から漏れたのは焦燥の声であった。

 

 コックピットに穴でも開いたのか、急速に奪われていくいつもの皮肉屋の呼吸に、桐哉は暫時、動けなかった。

 

 何が起こったのか。

 

 それを脳内で結びつけるのにあまりにも時間がかかり過ぎたのだ。

 

 密集陣形の事など脳内から抜け落ちていたせいか、桐哉のすぐ脇を謎の機体が駆け抜けていく。

 

 一瞬であったが間違いない。

 

 鳥を思わせる機体であった。

 

 翼手のような翼に、鋭角的な盾を機首に用いている。

 

 ――人機だ。

 

 習い性の神経か、あるいは直感か。それは現行の人機とはあまりに異なっているにも関わらず、間違いようもなく人機であると感じ取った。

 

 飛翔人機が射程をすり抜けていく。隊長機がプレスガンを掃射したが、無駄だろう。

 

 惑星圏内へと鳥型の人機が突入していく。

 

『……逃した』

 

 悔恨の滲んだ声に桐哉はフットペダルを踏み込んでいた。

 

 推進剤が全開になり、《バーゴイルスカーレット》が謎の人機へと追いすがる。

 

『桐哉? 何をしている! 持ち場に……』

 

「今逃がしたら! こいつはきっと一生追いつけません!」

 

 何の根拠もない。ただ、桐哉の全神経が謎の人機へと一命をかけて直進しろと告げている。

 

 衛星軌道を抜け、大気圏を容易に突破していく敵性人機に桐哉は照準器を定めた。

 

 プレスガンを一射するも謎の飛翔型人機はことごとくその弾道を読んだかのように抜けていく。

 

 重力圏の魔の手が二機に襲いかかった。

 

《バーゴイルスカーレット》の耐熱フィルム装甲である赤い塗装が剥がれていく。

 

 大気圏突入のアラートと赤色光に塗り固められる中、桐哉は敵の人機を見定めていた。

 

 あれは間違いようもなく、敵だ。

 

 自分達が忘れ去っていた、古代人機ならざる敵の人機。

 

 武装を確認し、桐哉は重力圏内を突破する際に生じる胃の腑が上がってくる感覚を味わっていた。

 

 


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