――撃たれた?
最初の印象はそれであった。進行方向を塞がれた形の水柱に推力が下がっていく。
海面激突、のアラート表示が前面に浮き出ると共に背筋を強く打ちつけた。咄嗟にウイングスラスターを立てた結果、着水は防いだが、それでも姿勢制御が言う事を聞かない。
今の不意打ちのような一撃で逃げに徹していたこちらの攻勢は削がれた。周囲を見渡すより先に、肌を粟立たせた緊張感に鉄菜は習い性の剣閃を見舞っていた。
幸運であったのはまだ勝負勘が鈍っていなかった事か。刃がプレッシャーダガーと打ち合う。
《スロウストウジャ弐式》の随伴機のうち、一機が《ゴフェル》へと向かっていった。弾道予測されれば位置関係など探るまでもないのだろう。
それとも、ここまで追い込まれれば一機程度減ったところで問題ないと判断したか。
打ち合う干渉波の鋭さとは裏腹に《ゼノスロウストウジャ》は余裕を見せていた。もう片方の腕より砲撃が浴びせかけられる。
盾を前面に翳して防御しようとするが、リバウンド兵器は反射出来ない。せいぜいその威力を減殺するだけだ。
激震が見舞う中、鉄菜は上方を取った敵人機の姿を目にしていた。プレッシャーダガーが必殺の勢いを灯らせる。
この一瞬。Rシェルソードで受け止めようとしたが、そうすれば次の二の太刀を受け止める事は不可能だろう。
だからと言って、推力を上げて逃げ切ろうとしても重力の投網は纏いついてくる。これ以上速度を出せば、重力下戦闘では無意味な醜態を晒すのみ。
何よりも、鉄菜は完璧なタイミングで退路を塞ぐべく入った《スロウストウジャ弐式》を関知していた。
《ゼノスロウストウジャ》が前を塞ぎ、随伴機が挟み撃ちを仕掛けるという計算ずくの攻撃。
どちらに転んでも、今の《モリビトシン》には荷が重いだろう。
刃を翻しかけて、瑞葉の言葉が脳裏に残響する。
――もう一人の、自分……。
どうしてこんな時に、と振り解きかけた刹那には、敵の射線に入っていた。
鉄菜はぐっと奥歯を噛み締め、フットペダルを限界まで踏み締める。
推進剤が閾値まで焚かれ、背面の《スロウストウジャ弐式》の視野を眩惑させた。
それと同時に加速。隊長機の懐に入った形の《モリビトシン》はそのまま突撃を与えていた。
ただの突進ではない。リバウンドの盾で入った懐から反重力を発生。斥力で無理やり敵をこの位置から引き剥がす。
出力規定外の警告音が響き渡り、コックピットの中が赤く染まっていく。
《ゼノスロウストウジャ》はしかし、その程度では離れまいと踏ん張る。それこそが鉄菜の好機であった。
全身の循環パイプを軋ませ、身を反らせた《モリビトシン》が弾かれたように跳ね上がる。
その挙動は全ての人機の基礎法則より乱れていただろう。
この六年間で会得した、人機の高等戦闘術――。
「――空中ファントム」
擬似的な超加速を得る操縦技術は《シルヴァリンク》を操っていた頃より身に馴染んでいる。使う機会に恵まれなかったのは、《シルヴァリンク》の損耗度合いが酷くなっていたからだ。
万全の人機ならば、どのような機体状況であれ、この操縦技術で敵を翻弄出来る。
完全に《ゼノスロウストウジャ》の背後を取った。Rシェルソードが必殺の勢いに煌く。
「もらった!」
打ち下ろされた一撃は、しかし《ゼノスロウストウジャ》の頭部コックピットを引き裂けなかった。
割って入った《スロウストウジャ弐式》がほぼ半身を犠牲にして隊長機への引導を肩代わりする。
入った一撃は《スロウストウジャ弐式》をほとんど寸断した。
それでも届かない――。
歯噛みした鉄菜が後退するのと、《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャーダガーを突き出すのは同時であった。
こちらも撤退の判断を下さなければ腕の一本くらいは持っていかれていただろう。
距離を取った《モリビトシン》に対し、隊長機が随伴機を気遣うようにその機体を受け止める。
ここで追いすがるか、とRシェルソードを構えた《モリビトシン》に対し、隊長機が撤退信号を放った。
《スロウストウジャ弐式》がそれぞれ射撃で弾幕を張りつつ、安全に戦闘領域外に出て行こうとする。
その背中に闇雲に爪を立てるほど、こちらは獣ではなかった。
鉄菜は肩で息をしつつ、《モリビトシン》の全身のステータスを確認する。
トリニティブルブラッドシステムには異常は見られなかったが、恐らくはこの機体での初めてのファントムであっただろう。
相当な負荷がかかっていると思っていいはずであった。
重力下でのファントムはそうでなくとも異常を来たしやすい。敵が完全に逃亡してから鉄菜は《ゴフェル》へと引き返した。《ゴフェル》の甲板上に二機のモリビトが並び立っている。その間へと《モリビトシン》を降下させた。
途端、どっと汗を掻く。極限状態に晒された神経が今さらに興奮を伝えてくるのだった。
鼓動が早鐘を打つ中、鉄菜は桃へと通信を繋ぐ。
「桃。そちらに損耗は……?」
『大きくは……。クロ、大丈夫なの?』
「問題ない。ファントムを初めて使ってやると大抵の人機はこうなってしまう。この《モリビトシン》には三基のブルブラッドエンジンが入っている。余計に、だろうな。タキザワを呼んでおいてくれ。予期せぬエラーがあるかもしれない」
『もう呼んでおいたよ……。それよりもクロが心配。大丈夫だったの?』
鉄菜は深呼吸を二、三度して己を落ち着かせようとする。それでも必殺の間合いに入った時の冷水を浴びせかけられたかのような感覚は何度も味わいたいものではなかった。敵陣に踏み込んだだけでも威圧に掻き消されそうにある。
《ゼノスロウストウジャ》を操る隊長は相当な手だれであろう。あの状況で、友軍機を守ったばかりではない。
《ゴフェル》を足止めし、この海域に留まらせた。それだけでも充分な成果だ。
「桃、《ゴフェル》が敵に関知された可能性がある。一度でも航行予測を立てられれば厄介だ。敵は先の先を読んでくる」
『バベル、ね……。ニナイに聞いてみるけれど、次の戦局はそう遠くないと思うわ』
自分達が奪われた切り札。バベルの閲覧権限と対象予測さえ立てればある程度の動きは簡単に把握される。殊に、こちらはそうでなくとも孤軍奮闘状態。《ゴフェル》の位置情報がオープンソースになればC連邦だけではない。他の国家もブルブラッドキャリア狩りに乗り出してくるかもしれない。
敵は多ければ多いほど難しくなるのは当然の帰結。
鉄菜は《モリビトシン》のステータスを一つ一つ確認しつつ、《ゴフェル》甲板上からデッキへと降下していった。
整備班の声が張り上げられる。
「《モリビトシン》! 被弾ですか?」
「分からん! だが最善の状態にしておけとタキザワ技術主任からのお達しだ! 《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》も、次の戦場で動けなければ話にならないんだからな!」
「《モリビトシン》、整備ユニットを取り付けます! 第三コンテナへ!」
誘導されるまま、《モリビトシン》へと無数の自動整備装置が取り付けられ、鉄菜が確認していた状況を引き継いでいく。
頚部コックピットから這い出た鉄菜は整備デッキまで来ていた瑞葉と顔を合わせていた。
瑞葉はまるで自分の事のように顔を翳らせている。タラップを駆け上がると、その手を強く引かれた。
「待って欲しい、クロナ。傷ついて欲しくないんだ……。まだ、モリビトで戦うと言うのか」
「……敵との情況は芳しくない。相手を完全に駆逐するのには、モリビトで再度脅威を示すしか……」
「そうではないだろう! わたしが、邪魔なのではないのか……?」
瑞葉は気づき始めている。当然か。彼女とて戦士であったのだ。自分に枝がつけられている可能性など一番に思い至るだろう。
「……お前のせいじゃない」
「じゃあ、誰のせいにすればいいんだ! 解析でもしてくれないと、わたしの気も収まらない!」
鉄菜は無言で手を振り解く。
「そこまでする必要性がない。お前を捕虜として扱う気はないからだ」
「それ、反対だなぁ」
口を差し込んできたのは《イドラオルガノン》から上がったばかりの操主であった。そういえば顔を合わせるのは初めてか、と鉄菜は目線を振り向ける。
緑色の髪に、勝気な瞳。赤いRスーツを纏った少女と、もう一人。黄色いRスーツの少女は栗毛を二つ結びにしてどこか弱々しげに二人を見合わせている。在りし日の桃を想起させた。
緑髪の少女が歩み出て、胸を反らす。
「何の不都合がある?」
「不都合も何も、そいつスパイじゃないの? だから《ゴフェル》の位置が割れた」
単刀直入な物言いに鉄菜は眉根を寄せる。
「その論拠はない」
「あるじゃん。ここに攻撃されたって言う証拠」
「相手は我々のモリビトを追跡してきただけだ。ミズハに責はない」
その論調に少女は舌打ちする。
「……どうにもさぁ、ナマイキだよね、キミ。言っておくけれど、ボクと蜜柑は第二世代の血続。ブルブラッドキャリアが威信をかけて造り上げた、最新鋭の兵士なんだ」
蜜柑と呼ばれた少女が肩をびくりと震わせる。
「姉妹操主だと聞いている。お前は……」
「林檎。林檎・ミキタカ。上操主……《モリビトイドラオルガノン》のウィザードをやっている」
複座式と思しきモリビトを一瞥し、鉄菜は、そうか、とだけ言い残して立ち去ろうとした。
その進行方向を林檎が遮る。
「……退け」
「退けない。分を弁えていない相手って言うのはどうしてこう、度し難いかなぁ。キミ一人の独断で《ゴフェル》を危険に晒してどうするの? そのミズハっての、解析なり解剖なりさせればいいじゃん。そうしたらよく分かるよ。キミが意固地になってまで守りたいものは、《ゴフェル》なのか、その女なのかって言うのがね」
「私はブルブラッドキャリアを裏切る気はない。無論、《ゴフェル》の全クルーも」
「じゃあさ、証を立てて見せなよ! その女が疑わしいのなんてみんな思っている! そいつが来た途端にこの艦の位置が割れた。それってさ! つまりはそーいう事でしょ!」
「……分かるように言え。何を私に言わせたい」
振り切ろうとすると林檎は張り手を見舞った。乾いた音が整備デッキに残響する。
ひりついた頬の痛みに、鉄菜は相手を見据える。林檎は煮え滾った怒りをそのままに口にしていた。
「バカにすんな! ボクらが自分より性能で劣る人機に乗っているからって! 《モリビトシン》の性能だけで勝っているだけだ!」
「林檎! ダメだよっ!」
割って入った蜜柑を林檎が突き飛ばす。鉄菜はよろめいた彼女を受け止めていた。その動きに林檎が眉を跳ねさせる。
「蜜柑に触るな! 汚らわしいっ!」
「……おかしな事を言う。暴力の矛先は一つに絞れ。そうでなければ失わなくっていいものまで失う事になる」
話はそれだけであった。立ち去ろうとする鉄菜に林檎は言い捨てる。
「旧式風情が……! 古いんだよ、キミは」
鉄菜は瑞葉の手を取り、廊下を歩んでいく。衆目の離れたところで瑞葉は静かに口火を切っていた。
「……彼女の言う事は何も間違っていない。わたしを解析くらいはするべきだ」
「では、もし解析結果として、お前自身、どうしても掻き消せない枝があった場合、どうすると言うんだ? まさかお前を撃って海に捨てろとでも?」
瑞葉は手を振り払う。向き直った鉄菜に、彼女は首肯していた。
「それが、最も適切な手段なら……」
その言い草に鉄菜は嘆息をつく。
「お前はもう、ブルーガーデン兵ではないはずだ。当然の事ながら戦力の一つとしても数えられていない。民間人だ。それを勝手な都合で解剖するだと? ……私はそんな組織を是とするつもりはない」
「でも……! わたしの存在で皆が不自由する! それなら、いっその事……」
「死んだほうがマシだと言えるのは一端の兵隊だけだ。お前はもう、戦士でさえもない」
言い切った鉄菜に瑞葉は言葉をなくしているようであった。自分でもどうしてここまで意固地になるのか分からない。だが、もし瑞葉に問題があった場合、彼女を始末するのはこの手になるはずだ。
その未来を認めたくないから、事実として可能性に上がる物事を否定したいだけなのかもしれない。
「……でもあんな風に言い合わないでくれ。モリビトの……操主同士なんだろう?」
「向こうが吹っかけてきた。私は乗ってすらいない」
そもそも林檎と蜜柑の姉妹操主に直に会ったのは初めてのはず。だというのにあそこまで敵意を剥き出しにされるいわれもない。
「クロナ……わたしはただただ心配なんだ。お前が……このままではどこか遠くに行ってしまいそうで……」
「この《ゴフェル》から離れる予定はない」
「そういう事じゃなくって! ……傷ついて欲しくないだけなんだ……わたしのエゴで……」
「ミズハ。先刻言っていたもう一人の自分とやらの言葉だが、私にはやはり理解は出来ない。この個体は一つだけだし、……それに私は、ただ相手を葬るだけの破壊者だ。壊すだけの存在に、戦う以外の価値はない」
そう断じた鉄菜は身を翻す。
その背中へと瑞葉が必死に呼びかけていた。
「それでもヒトのはずだろう!」
立ち止まらなかったのは素直に分からなかったからだ。
それでも、自分はヒトなのだろうか。