ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯190 重力の投網

 

 意味が分かったわけではない。瑞葉の言いたい事が、身に沁みたわけでも。

 

 ただ、死ぬなという命令は久しぶりだな、と鉄菜は感じていた。六年前、ブルブラッドキャリア存続をかけたあの戦い以来、誰かのために戦う事などなかった。

 

 ただ自分が生き延びるため。一秒でも生存を勝ち取るための方策を練っていたのみだ。

 

 それを生きているのだと、今までは思っていた。だが、瑞葉からしてみれば違うらしい。

 

 自分は、本当に生きているのか。今さら鎌首をもたげた疑問を振り払うように、鉄菜は整備デッキに辿り着くなり乗機について尋ねていた。

 

「《モリビトシン》は?」

 

「行けます! ただ、相手が相手ですね……。上を取られています。厄介ですよ、こいつら……」

 

 定点カメラが映し出した最大望遠にはアンヘルの所有する《スロウストウジャ弐式》の機体が爆雷を投下している様子が映し出されている。

 

《ゴフェル》は爆撃を回避するためにさらに深海へと潜っているようであったが、海の底はブルブラッド汚染の温床。あまりに潜り過ぎれば、艦艇自体が損壊する。

 

「……落ち切る前に、私が出ればいいのだな?」

 

「理解が早くって。でもそうじゃないみたいです。あとはタキザワ技術主任からの直通で!」

 

 離れていく整備士にサインを返しつつ、鉄菜は《モリビトシン》の頚部コックピットへと潜り込んでいた。

 

 全天候周モニターが点くと同時にタキザワからの通信がもたらされる。

 

『鉄菜。敵は炸裂弾を投下。そこいらの海域をとりあえず滅茶苦茶に、って感じだ。出て行けば格好の的になるが、出て行かなくともこれ以上の消耗戦は避けたい』

 

「情報を」

 

 その言葉にゴロウが応じる。

 

『敵戦力は《スロウストウジャ弐式》が四機編隊。加えてもう一機、厄介なのは隊長機だな』

 

「……《ゼノスロウストウジャ》か」

 

 忌々しげに口にしたのは一度として勝ち星がないからだ。撤退戦かあるいは目晦ましばかりで真正面から打ち合った事はない。それは危険だと鉄菜の習い性の判断が告げていた。

 

『隊長機は他四機の補佐。爆撃は二機によるものだ。もう二機は海域を慎重に見張っている感じか……。相手側も相当に事態を重く見ているようだな。恐らくは《ナインライヴス》の跡を追われたのだろう。陸戦型のツケが回ってきた形か』

 

「御託はいい。《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》は?」

 

 桃の通信ウィンドウが開き、《ナインライヴス》に直通する。

 

『出るとしても、甲板上からの狙撃程度ね。それに《ナインライヴス》は陸戦機だから。……ゴメンね、クロ。モモがドジしたから……』

 

「誰のせいでもない」

 

 システムコンソールを立ち上げながら鉄菜は声に吹き込む。そうだとも。誰のせいでもないだろう。もしかすれば、瑞葉に枝がつけられていた可能性もある。自分が糾弾されても何もおかしくはない。

 

『《イドラオルガノン》はS型装備で甲板より攻撃準備を行っている。あれは水中戦も出来るからね。《モリビトシン》は下部格納コンテナより出撃。……辛いところだが、トリニティブルブラッドシステムに火を通して一気に海上へと突破。敵機の不意を突く』

 

 全天候周モニターに記された作戦に鉄菜は難色を示した。

 

「そう容易く行くのか。《モリビトシン》の出力だけでは……」

 

『《イドラオルガノン》の予備パーツを推進剤に使うといい。もう二人は出ている。異論は挟ませない』

 

 しかしそれでは反感を買うだけではないのか。脳裏を掠めた感傷も一瞬。鉄菜は戦闘用に己を研ぎ澄ましていた。《モリビトシン》で出撃しなければいずれにせよ、《ゴフェル》は大打撃を受ける。何よりも……今は瑞葉の事が気にかかっていた。

 

「了解した。……時に、ゴロウ。私は私以外だと思うか?」

 

 そのあまりに不明瞭な質問に相手は疑問符を浮かべる。

 

『どういう意味だ? 何を言わせたい?』

 

「いや……何でもない。何でもないのだろう」

 

 そう、何でもないはずだ。この程度の設問、何でもないはずであった。しかし、どこか胸がざわめく。

 

 この感覚は以前にも体感した事があった。彩芽に心について語られた時、自分の中でさざなみが立った。心とは何なのか。未だに決着のつかない疑問。

 

 未だに、自分の中で正解の出ない問答。

 

『大丈夫かい? 《モリビトシン》に何か疑問があれば応じるが……』

 

「いや、何でもない。下部コンテナに移送してくれ」

 

 その命令で《モリビトシン》の機体が横倒しになり、下部コンテナへとゆっくりと運び込まれていく。

 

《モリビトシン》は《シルヴァリンク》と同じ設計思想のコックピット機構を有しており、球体のコックピットは常に操主に最善の状態を約束する。たとえ機体が横倒しでも、最善の視野を確約する球体型コックピットでは鉄菜は真正面を見据えていた。

 

 照準器の先が僅かにぶれる。

 

 ――もう一人の、自分。

 

 問い返しても何も答えは出ない。もう一人の自分という瑞葉の考えに合致出来ない事に歯がゆさでも覚えているのか。

 

 どうしても理解出来ない問いを前にすると足が竦む。身が強張る。どうしたって理解出来ないものに対して、身体が拒否反応を起こす。

 

 だが、全くの理解の範疇ではないのが厄介であった。相手を拒否すればいい、拒絶すればいいわけではない。

 

 瑞葉は何かを悟ってその言葉を発したに違いないからだ。

 

 だとすれば余計に……その問いの先が見えない。

 

『下部コンテナに移送完了。発進シークエンスを鉄菜・ノヴァリスに委譲します』

 

 アナウンスが響き、鉄菜はアームレイカーを引いていた。

 

「了解した。鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシン》、出る!」

 

 ハッチがゆっくりと開き、コンテナから開放された機体が水圧に軋んだ。人機はやはり水中戦は出来るようになっていない。《モリビトシン》はそうでなくとも空戦用の人機。鉄菜は脚部に取り付けられた補助推進剤のステータスを呼び出した。

 

 幾重にもヒレのついたジェットエンジン機構を持つ補助推進剤が稼動し、《モリビトシン》の機体重心を持ち上げていく。水を掻く音が明瞭に耳朶を打つ中、鉄菜はすぐ傍で弾けた炸裂弾頭に咄嗟に身を引いた。

 

 相手は全くの考えなしで狙っているわけではない。

 

 やはり、瑞葉に枝でもついていたのか。その場合、自分の禍根である。ぐっと奥歯を噛み締めたのも一瞬。鉄菜はアームレイカーを身体に押し当て、フットペダルを踏み切っていた。

 

 両盾を機体前方に可変させた《モリビトシン》がリバウンドの斥力で水を押し上げ、そのまま勢いを殺さず海面から上昇する。

 

 水圧からは逃れたが重力の投網にかかった機体の姿勢制御弁に黄色の注意勧告が光った。

 

 一瞬の隙。しかし、相手からしてみればそれは格好の機会。

 

 硬直した《モリビトシン》へと《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルを構える。炸裂弾頭を持っていない二機に、鉄菜は瞬間的に機体をひねらせていた。

 

 放たれた一射が《モリビトシン》のすぐ傍の海面を蒸発させる。

 

 脚部補助推進剤をパージした途端、その部品が撃ち抜かれた。こちらの動きはやはり相当に警戒されている。

 

《モリビトシン》が飛翔機動に移るまでの十秒程度。

 

 完全なロスが生まれた形のこちらを追撃しない手はないのだろう。敵人機が標的を狙い澄ます。

 

 舌打ちを漏らした鉄菜は背面で瞬間的に膨れ上がった熱量反応にハッとした。

 

 水中より放たれた一条の黄色い光軸が《スロウストウジャ弐式》の肩口を焼く。

 

 上昇してきた《ゴフェル》の甲板に、超長距離砲撃銃身を装備した《イドラオルガノン》が狙いをつけていた。

 

 完全に腹ばいになったその姿は前時代的な粘性を持つ甲殻生物のようだ。甲羅で防御を敷きつつ、《イドラオルガノン》は長距離砲撃を敵へと向ける。

 

 間断のない狙撃に敵人機の隊列が乱れた。

 

 その隙を突いて鉄菜の《モリビトシン》が高度に至る。

 

「……応援、感謝する」

 

『別に助けたわけじゃないしー』

 

 相手の操主の声を聞きながら、鉄菜は《モリビトシン》の右手にRシェルライフルを握らせていた。

 

 銃撃が敵人機を翻弄させる。

 

 炸裂弾を担っていた敵へと照準を向けた途端、接近警告が激しく劈いた。

 

 基部を回転させ、Rシェルソードでその一撃をいなす。

 

 肉迫した機体の重圧に鉄菜は刃を薙ぎ払っていた。

 

 干渉波のスパークが焼きつく中、紫色の機体色を持つ隊長機に鉄菜は吐き捨てる。

 

「《ゼノスロウストウジャ》……! 私を押さえに来るか……!」

 

 プレッシャーダガーが発振され、《モリビトシン》へと打ち下ろされた。その一閃を剣筋でかわし、横一文字の切れ込みを入れようとする。

 

 だが相手も接近戦の心得はあるようだ。

 

 退くべき時には退く。《ゼノスロウストウジャ》は一打が決まらなければ中距離に身を置き、両腕のプレッシャーエネルギー発射口より砲弾を乱射した。

 

《モリビトシン》は空中機動で撃ち出される砲弾を回避する。それでも機体が重いのがアームレイカー越しに伝わる。

 

「これが……重力……」

 

 今までも感じなかったわけではない。ただ、《モリビトシン》の場合、それがより顕著なのだ。

 

《シルヴァリンク》を扱っていた頃には海上戦闘など視野に入れていなかった。それだけに少しでも緊張を切らせば海面に落下するというのはそれだけで神経をすり減らす。

 

 黄色い砲弾が海面を波立たせた。水飛沫が舞う中、海面激突の注意アラートが激しく鳴り響く。

 

 このままでは対等な戦闘さえも危ぶまれた。接近してくる一機の《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーソードに持ち替える。

 

 その刹那、鉄菜は《モリビトシン》の前面に盾を張らせ、リバウンドの反重力で機体を反転させていた。

 

 瞬時に照準が敵人機を狙い澄ます。至近の距離で放たれたRシェルライフルの銃弾に《スロウストウジャ弐式》が引き剥がされていった。

 

 だが相手も分かっている。二機目は追ってこない。《ゼノスロウストウジャ》を先頭にして二機の《スロウストウジャ弐式》が隊列を組み、プレッシャーライフルで攻め立ててくる。他二機は《ゴフェル》を轟沈させるべく炸裂弾頭を投擲し続けていた。

 

 このままではジリ貧。そうでなくとも、ここで《ゴフェル》の位置を特定されれば後々、やり辛くなってくる。鉄菜は五機の中の一機でもいい。突破口になる機体がないか視線を巡らせるが、さすがはアンヘルというべきか、特殊部隊の面汚しをするような愚を冒す機体など存在しなかった。

 

 舌打ち混じりにRシェルライフルをもう一基、盾より引き抜いて照射する。それでも照準器に収まりさえもしない相手の機動力に舌を巻いた。

 

《スロウストウジャ弐式》はこちらのモリビトよりも汎用性が高く、一点特化のモリビトでは逆に返り討ちになりかねない。

 

 前回は施設強襲と言う目論見が成功したからこそ、ある程度は押せたが今回はそうではない。

 

 こちらが強襲される側なのだ。当然の事ながら、相手の力量が勝っていない限り、攻撃など仕掛けてこないだろう。

 

 勝てる算段があるから、アンヘルは仕掛けてくる。鉄菜はRシェルライフルの照準を彷徨わせた。

 

 どの機体に浴びせれば効果的なのか、まるで分からない。

 

 こちらの焦燥を上塗りするのは先ほどからコックピット内で劈く海面激突注意のアラート。

 

「《モリビトシン》が……性能を発揮出来ていない……」

 

 それに何よりも、アームレイカーにかかった荷重が全身に重力を実感させる。

 

 ――重い。

 

 照準がぶれ、敵を撃ち損なった弾丸が抜けていく中、《ゼノスロウストウジャ》が先陣を切る。

 

 切り込める、と判断したのだろう。

 

 鉄菜は丹田に力を込めて機体を立て直させた。ウイングスラスターを開き、反重力リバウンドで無理やり機体を叩き起こす。

 

 結果として関節部に負荷が圧し掛かったが、それでも一太刀を受けなければならなかった。

 

 基部を稼動させ、Rシェルソードを打ち下ろす。敵のプレッシャーダガーは明らかに取りに来ていた。

 

 首を狩るべく、その切っ先が滑る。

 

 もう一本のRシェルライフルの牽制の銃撃で距離を取ろうとするが、距離が開けば相手はこちらへと容赦のない砲撃網を仕掛けてくる。

 

 上がる水柱に照準どころか、《モリビトシン》の挙動が危ぶまれた。

 

「押し負ける……」

 

 水柱を引き裂いて蒸発させ、隊長機がこちらを御しにかかる。太刀筋自体は見極めるのは容易いものの、それでも実力者の気配を漂わせた剣圧には素直に身震いした。

 

 ギリギリでかわした刃に鉄菜は先ほどから先手を取れないもどかしさに声を上げていた。

 

「これでは……勝利なんて……」

 

 


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