薄く瞼を上げる。
男達が言い争いをしていた。
「だから、アンヘルの操主服だけでも高くつく! ここはこいつを売る事も考えて壊すなって言ってるんだ!」
「仕方ないだろ! この操主服自体にロックがかかっていて壊す以外に選択肢がなかったんだからよ!」
操主服、という言葉に自分の姿を目にする。
眩んだ視界の中、黒のインナー一枚になっていた。
ハッと顔を上げた瞬間、男達が下卑た笑みを浮かべる。
「お目覚めか? 虐殺天使の尖兵」
「しかし、女かよ。随分と嘗められたもんだよなぁ」
インナー一枚では抵抗も出来ない。アンヘルの操主服は首筋のロックを銃弾で破壊されており、操主服がもたらす副次効果も期待出来なかった。
「しかし脱がしてみるとまぁ……華奢だな。こんなので本当にC連邦の兵士なのか?」
恥辱に歯噛みする。手錠もはめられており、言い返す言葉もない。
「トウジャタイプは高値で売れる。いや、それ以上にゼルストの戦力にもなるだろう。この操主服もな。だが……操主は要らねぇな」
すっと銃口が向けられる。終わりを予感したが男の一人が制した。
「まぁ待てって。殺すのは勿体ないぜ? 一発もヤってねぇんだから」
その言葉にゼルストのリーダーと思しき男は銃口を下ろす。
「……大概にしておけよ」
男達が立ち去っていく。一対一で男と共に残された形となった。
男がインナーを引っ掴む。
「C連邦の女を犯すのは楽しみで仕方がねぇな。アンヘルの尖兵って言ったって、操主服もなければ人機もねぇ。そんな状態じゃ、何も出来ねぇだろ!」
肩口からインナーを引き剥がされかける。
刹那、銃声が木霊した。
固く目を瞑っていたが、自分が撃たれたわけではないようだ。男が倒れ伏したのを音で感じ取り、薄く目を開ける。
外套の人物がこちらへと拳銃を突きつけていた。
誰なのか。身をよじって抵抗しようとした矢先、外套の人物がハッと声にする。
「……まさか。燐華・クサカベか?」
久しく呼ばれていなかった自分の本当の名前を紡がれ、ヒイラギ――燐華は瞠目する。
この名前を知っているのは一部の人間のみのはず。相手はすっぽり被った外套を剥ぎ取った。
黒い長髪に、紫色の虹彩。あの日、別たれたはずの存在が何の因果か、目の前に存在していた。
「嘘、でしょ……。鉄菜、なの?」
全てが壊れ、揺るがされたブルブラッド大気汚染テロ。その時に別れを告げたはずの親友が眼前で怜悧な瞳を携えていた。
どう見ても鉄菜にしか見えない相手がこちらの様子を観察し、男と見比べる。
「……売られたのか」
誤解をしているようであったが、アンヘルの兵士だと告げるよりかはマシだろう。燐華は面を伏せた。
鉄菜は手錠を銃弾で破り、拘束を解く。
「ここはすぐに戦場になる。燐華・クサカベ。脱出経路を取るぞ」
外套を手渡され、燐華はそれを羽織る。
「脱出って……」
「十分前に掴んだ。C連邦の兵士奪還のためにアンヘルがこの基地を強襲する。そうなってしまえばここも虐殺に抱かれるだろう。最短距離で向かう。ついて来られるな?」
手を引いた鉄菜に燐華は戸惑いっ放しであった。どうして生きているのか。どうして、アンヘルの情報を掴んでいるのか。
聞きたい事は山ほどあるのに、どれも口をついてでない。困惑する燐華は鉄菜に先導されるまま、脱出のための道筋を辿っていた。
言うべきではないのか。
自分こそがアンヘルの兵士なのだと。
しかし証明する手段は一つもない。
操主服もなければ《スロウストウジャ弐式》がどこに運び込まれたのかも不明なのだ。
「待て」
鉄菜が立ち止まり、折れた角を見やる。
「……厄介だな。ゼルストの守り自体は容易いが、敵の接近までの時刻は迫っている。燐華・クサカベ。お前は私の提示するルートで脱出しろ。一人ならばものの十分程度で行き着く事が出来る」
「そんな……鉄菜はどうするの?」
「私はやらなければならない事がある。すぐには退けない。燐華・クサカベ。この端末に記されている通りの道を行け。売られた身とは言え難しい話ではないはずだ」
「鉄菜……。勘違いを――」
言いかけたのを鉄菜が制する。
「時間がない。やれ」
直後には鉄菜は飛び込んでいた。銃声が幾重にも交差する中、親友の無事を確かめる事も出来ずに、燐華は逆の道を辿っていた。
せっかく再会出来たのに、何も言えなかった。何も聞けなかった。その悔恨が涙として流れる。
鉄菜の記した脱出経路は確かにコミューンから安全に脱出するまでの道筋を示していたが、自分はただ逃げるだけではいけないはず。
右手の甲に埋め込まれている遠隔操作用のコンソールへと、燐華は呼びかけていた。
「《スロウストウジャ弐式》。あたしのところに来て」
どこに収容されているのか分からなくとも、コミューン一個程度ならばこの遠隔通信は届くはずだ。
愛機を待つ間にも状況は動いていく。
蘇った通信網に燐華は隊長の声を聞いていた。
『ヒイラギ准尉……、応答せよ。通信途絶より二時間が経過した。アンヘルは作戦失敗を加味し、援護に向かう。繰り返す……』
ここが戦場になる。その感覚に燐華は慌てて吹き込む。
またしても鉄菜を失うのは嫌だった。
「隊長! あたしは無事ですから……っ、攻撃の中断を……!」
『ヒイラギ准尉。……ようやく、か。だが間に合わん。もう継ぎ目までの射程に入っている』
瞬間、轟音がコミューンを激震する。
継ぎ目が破壊され、ドーム型のコミューンの天上に亀裂が走っていた。
「空が……割れる……」
天蓋が砕け落ち、灼熱の息吹と共に赤い虐殺天使達が降り立つ。青く逆巻いた汚染大気がコミューンを襲う。
《ゼノスロウストウジャ》が自分を回収するために降り立った。
隊長の声が飛ぶ。
『ヒイラギ准尉……、トウジャは』
「……奪われましたが今、呼び戻しています。多分、三分以内には戻ってくるかと」
『そうか。……拷問を受けたのか?』
「……いえ。どこも。何も話していません」
『そう、か。作戦続行に支障は?』
「いえ、全くありません。トウジャさえ戻ってくればいつでも」
『結構。全員に通達。コミューンゼルストは我々アンヘルに牙を剥いた。よってこのコミューンに棲息する全ての反抗勢力を――駆逐する』
隊長が一度そう口にすればもう止まらない。虐殺天使は放たれた。
『すぐに隊列に加われ。准尉』
そう言い残して《ゼノスロウストウジャ》が駆け抜けていく。
燐華は硝煙に支配される感覚にぐっと目を瞑った。
また鉄菜を失うかもしれないのか。
今度は間違えようもない自分のエゴで。
「鉄菜……お願い、逃げて……」
「総員、対人機戦闘用意! アンヘルが攻め込んで来やがった!」
悲鳴のような声が迸る中、ゼルストの兵士が次々にナナツーと《ホワイトロンド》へと乗り込む。
型落ち品とは言え、人機は人機のはず。
そう考えて搭乗した者達は降り立った赤い虐殺天使に絶句していた。
「あれが……アンヘルのトウジャ……」
一機の《スロウストウジャ弐式》が推進剤の尾を引きながらこちらに猪突する。機銃掃射を見舞ったが、高速機動の中で《スロウストウジャ弐式》は軽やかに回避してみせる。
「嘘だろ……、弾道予測だって出来ないはずなのに……」
「化け物かよ……」
接近した相手へとブレードに持ち替える前にプレッシャーソードが発振する。
ナナツーの腕が切り上げられ、宙を舞った。その最中にも敵のプレッシャーライフルの銃口がキャノピーを狙い済ます。
絶叫が上がる前にR兵装の灼熱が操主を蒸発させていた。
そこいらで炎が上がる中、ナナツー部隊が《スロウストウジャ弐式》を押し切らんと機銃を引き絞る。
「押せ、押せーっ! どれほど堅牢と言っても、弾幕を見舞えば……!」
垣間見えた勝機を掻き消すかのように、上空より間断のない砲撃が見舞われる。
《ゼノスロウストウジャ》が浴びせかけた砲撃を嚆矢として《スロウストウジャ弐式》編隊がナナツーを押し切り、瞬く間に無力化していく。
『弾幕だと? 嘗めてんのか! てめぇらの銃弾なんざ、蚊が刺したほどでもねぇんだよ!』
接触回線に開いた声が弾ける間にも、《スロウストウジャ弐式》が赤い装甲を翻らせ、ビルの上に展開する《ホワイトロンド》を撃ち落としていく。
完全に虚を突いたはずの《ホワイトロンド》による狙撃を予期したかのように、《スロウストウジャ弐式》部隊が舞い上がり、プレッシャーライフルを浴びせかけた。
「どうしてなんだ……、見えているはずがないのに……」
肉迫した《スロウストウジャ弐式》が《ホワイトロンド》をプレシャーソードで両断する。
『答えは……あの世で知りな』
「お前は……何なんだ……!」
声を上げようとした男を撃ち殺し、鉄菜は激震するコミューンの様子を確認する。
外に出るなり、銃撃とR兵装独特の臭気が鼻をついた。
「遅かったか……。アンヘルの人機が既に展開している。手遅れになる前に……」
コードを書き換えたナナツーへと飛び乗り、鉄菜はコンテナを肩口に背負わせつつ、ナナツーを挙動させた。
戦場に割って入った識別不明のナナツーを相手にゼルストのナナツーが応答を命じる。
『貴様……、味方か?』
その問いかけに鉄菜はブレードで返していた。
敵ナナツーの血塊炉付近を切り裂き、飛び退って左腕に固定した機銃で距離を取る。
『味方を撃つなど……!』
「勘違いをするな。私は、どちらの味方でもない」
背後に迫ったプレッシャーの波に鉄菜は瞬時にブレードを翳す。《スロウストウジャ弐式》のプレッシャーソードの高出力に、ブレードが融解していく。
『何だぁ? お前、同士討ちでもしてるのか?』
「同士討ちだと? 何度も言わせるな。私は、どちらの味方でも、――ない!」
呼気一閃で相手のプレッシャーソードをいなし、機銃をコックピットに向けて浴びせかける。
しかし、《スロウストウジャ弐式》の装甲は健在であった。
「ほぼゼロ距離で撃ち込んでこれか」
ゼルストのナナツーにまともな部品が行き渡っていないのもある。下段から切り上げたプレッシャーソードに、鉄菜は後退用の推進剤を全開にして回避していた。
『ナナツーの癖によく動くな。だが、何もかも足りねぇんだよ! その程度で、《スロウストウジャ弐式》を墜とせるなんて!』
《スロウストウジャ弐式》が滑るようにこちらの射線へと潜り込んでくる。どれほど相手の攻撃を読んでも、機体性能で遥かに押し負けている。
これでは勝機を見出せなかった。
ブレードで弾き返そうとするが、その前にナナツーの腕の関節部位が悲鳴を上げ、火花と共に折れ曲がった。
機銃掃射で敵を退けようとするも、全てが遅い。
プレッシャーソードが血塊炉を引き裂く。
「……ここまでか」
『そうらしいな。このまま切り上げてキャノピーごとぶった切ってやるよ!』
敵がプレッシャーソードを切り上げさせる前に、鉄菜はコックピットより脱出していた。
人機の装甲を蹴ってコンテナへと潜り込む。
隠し持っていたアルファーを額に翳した。末端神経が弾け飛ぶイメージと共にコンテナが開いていく。
『何だ? 新型の武装でも――』
そこから先を引き裂いたのは黄昏色の刃であった。