ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯プロローグ4

 気分が悪いと医務室への申請届けを書く途中で、後ろからペンと紙を引っ手繰られた。

 

「へイル中尉。あたしの申請届け……返してくださいっ」

 

 ヘイルと呼ばれた痩せぎすの仕官は、ペンをわざとらしく持ち上げてふふんと鼻を鳴らした。

 

「おい、ヒイラギよぉ。てめぇ、たるんでるんじゃねぇのか? 日に何回も医務室に行くんじゃねぇよ。隊長も迷惑してる」

 

「それは……! だってあたしは……」

 

「知ってんよォ。純正品らしいじゃねぇか。だからどうしたって話だがな」

 

 ヘイルはペンを握り締めて折り曲げた。痩躯とは言え軍人。それくらいの鍛錬は欠かしていないのだろう。

 

「あたしは隊長に許可を得ています」

 

「だから? 許可があるから休んでいいってのは怠慢じゃねぇのかねぇ。もしかして俺達の仕事嘗めてんのか?」

 

「嘗めてなんか……。ただ一定のパフォーマンスを保つために、必要な措置で――!」

 

 不意に歩み寄られ、顎を掴まれる。万力のような握力に呼吸困難に陥ったかと錯覚したほどだ。

 

「勘違いをしてるみたいだな。アンヘルに、お荷物は要らねぇんだよ。いいか? アンヘルは何のために存在しているか! 六か条言ってみろ!」

 

 顎に触れていた手がそのまま喉元へと至る。このままでは絞め殺されてしまう。助けを呼ぼうにも周りには誰もいなかった。

 

「い、一か条目は……」

 

「聴こえねぇな!」

 

 投げ飛ばされ、ダストボックスへと激しく背中を打ちつけた。それを目にしてヘイルが吐き捨てる。

 

「男だけでいいんだよ。アンヘルの特殊部隊になんざ。女なんて慰めモノ以外で必要あるかよ。隊長は心が広い以上に少しばかり迂闊だからな。ヒイラギ。お前みたいなどうでもいい羽虫を迎え入れたりする。俺からしてみれば不愉快極まりねぇ。お前の適性はCのはず。だって言うのに、B以上の権限持ちに意見するのか?」

 

「あ……あたし、はぁ……っ」

 

「一発で呼吸困難かよ。ハッキリ言うぜ。――弱ぇ」

 

 突きつけられた事実に返す言葉もない。どう取り繕ったって、自分の適性がCなのには変わりないのだから。

 

「どうやって取り入ったんだか知らないが、てめぇみたいなのがうろちょろされると目さわりなんだよ。さっさと撃墜でもされればまだマシなんだが、生き意地だけは汚いと見えるからな。それか、お前の人機に爆弾でも括りつけてやろうか? したら、少しはマシな働きになるかもしれねぇぜ?」

 

 哄笑を上げるヘイルに何も言えないまま、ただただ耐え抜くしかない。

自分は弱い。自分は何一つまともには出来やしない。それは六年前から痛いほど分かっているはずなのに。

 

「おっと召集命令だ。大方、ゼルストに攻め込む手はずだろうさ。ヒイラギ、てめぇは来てくれるなよ。何てったって、ブリーフィングの空気が悪くなるからなぁ!」

 

 高笑いが聞こえなくなるまで、ぎゅっと拳を握り締めていた。どこへ行っても変わらない。

 

 どこへ行っても代わり映えはしない。

 

 何になっても何を成しても。

 

 自分はどん詰まりなのだ。

 

 その時、不意に名前を呼び止められた。またヘイルか、と面を上げた視界に映ったのは隊長である。

 

「ヒイラギ准尉。ブリーフィングルームへと招集をかけたはずだが」

 

 厳しい物言いにやはりか、と面を伏せる。

 

「……あたしがいないほうが、作戦は回りやすいはずです」

 

 隊長は何も言わない。それが答えのようであった。

 

「あたしを……っ! さっさと後ろから撃っちゃえばいいのに……!」

 

「友軍機だ。無下には出来ない。それに、ヒイラギ准尉。勘違いしているようだから言っておこう。アンヘルのメンバーは誰一人欠けてはならない。どのような境遇であっても、だ。自分はそう評価しているし、そのような総括だから、君らを同じチームで纏めている」

 

 これではただ駄々をこねているだけだ。ヘイルに水を差されるから戦いたくないなど、一番にみっともない。

 

 戦士として恥じ入るべき言動であったと目を伏せた。

 

「顔を上げろ。戦いにおいて足元を見る必要性はない。前だけを見て駆け抜けろ。それに……ヒイラギ准尉。今回ばかりは総員参加の構えで向かわねばならないかもしれない」

 

 不意に弱小コミューン、ゼルストの前情報をそういえば仕入れていなかった事に気づく。

 

 迂闊だったか、と考える前に隊長が自前の端末に情報を呼び出す。

 

「ゼルスト。元々は旧ゾル国コミューンの一つだ。しかしながら、三十年前に国交が断絶。そこから先はC連合国家におんぶにだっこの状態だったが、ここ数年で過激思想にかぶれたらしい。革命家によって事を成し遂げんとする……危険な連中だ」

 

 隊長は自分を手招く。歩きながらの説明という事だろう。

 

「革命家……この時代にもそんなものが……」

 

「いるのだから始末に終えない。情報は均一化され、統一されて久しいはずなのに、人々の自己認識における不和だけは解消しようがない」

 

「テロとか……ですか」

 

「始末に終えない、というのはそれもある。テロだけならばどれほどいいか。思想面での侵略行為はなまじ鉄砲玉よりも厄介だ。C連邦の賢明なる市民にそのような心配はないと思うが……保健を打っておくに越した事はない」

 

 先手で敵の出鼻を挫く。今回の作戦概要はそれに集約されていると言っても過言ではないだろう。

 

「これから先の作戦概要でも話すが、敵は所詮、旧型人機の寄せ集めだ。《バーゴイル》に《ナナツー弐式》、それにロンドか。我々の持つトウジャの敵ではない」

 

 今までも幾度となく死線は潜ってきたつもりである。それでも毎回、対人機戦になるとどうしても気持ちが前に出ないのだ。

 

「《スロウストウジャ弐式》と《ゼノスロウストウジャ》で、ですか……?」

 

「制圧戦になる。情報を向こうのほうが持っている感じではないが、用心するに越した事はない」

 

 ブリーフィングルームに隊長を連れ立って現れたものだから、ヘイルが目を見開く。また、隊長に色目を使っているだの侮辱されるだろう。

 

「よく集ってくれた。もう知っている者もいるかと思うが、次の制圧任務の場所の概要を説明する。コミューン、ゼルスト。入り組んだ路地も多いからな。一つでも確定情報が欲しいところではある」

 

 何の気にも留めない隊長に比して隊員達は明らかに嫌悪の眼差しを自分に注いでいた。

 

 ――准尉のくせに。

 

 ――Cのくせに。

 

 言葉にされなくともありありと伝わってくる。後ろ手に拳をぎゅっと握りしめ、その視線に耐え凌いだ。

 

 だが真に耐えなければならないのはこれから先の戦場だ。言い訳の利かない戦場に送り込まれれば、もうそこまで。戦って勝つしか選択肢はない。軍人としてここまで来たのは純粋に戦って勝つしかない場所に投げ込まれるという事実。

 

 負け犬の言い草も、ましてや戦わぬ言葉も、慈悲も何もかも塵芥でしかない。

 

 それらは真っ先に硝煙に掻き消され、銃声の前に無意味と化す代物。

 

 世界はそのように出来ているのだと、それほどまでに過酷なのだと知るのには、この六年は充分であった。

 

 誰もが皆失いつつも前に進んでいる。可哀想がられたくって生きているわけではない。

 

 鳥籠の中で生きていた自分は、畢竟、ただただ現実を前に打ちのめされたのみであった。

 

「ゼルストは大中様々なコミューンが寄せ集めで完成した合併型の副次コミューン。ゆえに毎度の事ながら継ぎ目を使って潜入する」

 

 継ぎ目、とあだ名されるのはコミューン外壁に存在する生活圏に支障のないレベルでの抜け穴である。

 

 今回のように副次型コミューンの場合、コミューンそのものが次々と増改築を繰り返されたため、自然と継ぎ目が出来やすくなるのだ。自分の棲んでいたコミューンではまるで考えられない事柄であったが、C連合下の弱小コミューンにおいて継ぎ目は恒常的に存在しており、世界史の教科書には決して載らないが、コミューンという生活圏の基盤を揺るがす事実であった。

 

「まぁーた、継ぎ目ですか。今回は誰が一番乗りにします?」

 

 隊員の声を聞き流しながら隊長は視線をこちらへと流した。

 

「ヒイラギ准尉。今次作戦において継ぎ目に仕掛ける役割を任せたい」

 

 隊員全体に亀裂が走ったのが伝わる。自分のような出来損ないに務まる役目ではないのは分かり切っている。

 

「隊長、でもそいつ……」

 

「適性試験の結果が悪ければ実地で試す。それが自分の心得だ。殊、特務部隊アンヘルにおいて、一人でも使えない隊員はいないようにしたい。分かるな?」

 

 有無を言わせぬ隊長の声音に全員が文句を仕舞ったのが窺える。隊長は再度目配せした。

 

「ヒイラギ准尉。《スロウストウジャ弐式》を伴っての外周破壊任務。実行せよ」

 

 軍規において可能不可能の議論はない。やるか、やらずに故郷に帰るかの二択。特務部隊アンヘルにおいて逃げ腰は許されない。

 

 ここで求められているのはただただ実行するだけの言葉であった。

 

「……はい。やれます」

 

 ヘイルがケッと毒づく。

 

「でも、いいんですか、隊長。継ぎ目の破壊なんて、こんな……細い神経にやらせて。継ぎ目の破壊ってのはつまるところ……」

 

 分かっている。拳を固く握り締め、過去のトラウマのフラッシュバックを耐え忍んだ。

 

 親友を失う感覚。何もかもが壊れていく。青い大気、崩壊する日常――。

 

 一呼吸のうちに何度吐き気に襲われたか。それでもヘイルの挑発には耐えられた。

 

「我々はアンヘル。外敵を駆逐する守護天使だ。守るべき国民のためならば喜んで汚れ役を引き受けるという大義。まさか持っていないわけではあるまい」

 

 一度の敗走がアンヘル全体の衰退へと繋がる。ゆえに失敗は許されない。

 

「……やります。やらせてください」

 

 言うしかないと誘導されたとはいえ、これも選び取るという事だ。未来を。果てには自分の境遇を。

 

 教え込まれたではないか。

 

 自分が生きていくための術を。

 

「では実行までの数時間。ヒイラギ准尉には個別の部屋に移ってもらう。そこで継ぎ目の詳細任務を通達。ジュークボックスを飲んでおけ」

 

 挙手敬礼し、その場を去る際、ヘイルが口汚く罵った。

 

「Cの分際で! 臆病者の雌狐が!」

 

 隊長がすぐさま制したが、ヘイルの言葉に言い返す事も出来なかった。今はただ結果で示すしかない。

 

 ゼルスト陥落までのシナリオを紡ぐのに、他の隊員は邪魔なだけである。

 

 個別の独房めいた部屋に移され、すぐさま壁より錠剤のセットがせり出された。

 

 精神安定薬「ジュークボックス」。

 

 継ぎ目の破壊任務に当たる人間は皆、これを飲んでから出撃する。

 

 自分は今まで飲まずに済んでいたのに、こんな時まで臆病であった。

 

 ジュークボックスを口に放りかけて何度も胃液が逆流する。これを飲めばどうなるのか、自分はよく知っている。だからこそ、飲む気にはなれなかった。

 

 錠剤を踏み潰し、飲んだかのように偽装すればいい。

 

 どうせ自分に誰も期待してなどいないのだ。ならば失敗作の烙印を押されてでも、謗りを受けてでも、「人間」でいたかった。

 

 数十分後、直通通信がもたらされる。

 

『ヒイラギ准尉。ジュークボックスを飲んだか?』

 

「……はい」

 

 虚脱したような声になればいい。ジュークボックスの「常習者」から聞いた演技であったが、隊長はそのまま続けた。

 

『気分はどうだ?』

 

「……最高です」

 

 ジュークボックスを飲めば精神が全て上向きに補正され、その人間は好戦的になる。

 

 一昔前にブルーガーデンの強化兵士がやっていた「精神点滴」とやらを少しばかり安全にしただけの代物。

 

 だがどの国際条約でも縛れない、裏の代物であった。

 

 隊長はその様子に一つ頷く。

 

『そう、か。言葉は? 理解出来るな?』

 

「無論です」

 

 ジュークボックスの精神作用にその名前通り頭の中で音楽が流れているという錯覚がある。

 

 人によってはそれがオーケストラであったり、または流行の曲であったり、あるいは子守唄であったりするという。

 

 人間を脳内麻薬で欺くシステム。それがジュークボックスの作用であった。

 

『結構。では作戦概要を伝える。これは継ぎ目を破壊する君にのみ与えられた情報であり、情報の均一化は……』

 

 先遣隊を務める自分にしか教えられない潜入情報にただただ頷くしかない。

 

 だがその中の一つに不意に身を固くした。

 

『……よって、君の操る《スロウストウジャ弐式》はコミューン内部の大気循環装置を破壊。これをもってして、相手の出鼻を挫く』

 

 コミューンの大気循環装置の破壊。それは、かつて自分が――。

 

 返答が遅れたせいだろう。隊長が訝しげに問いかける。

 

『ヒイラギ准尉? 聞こえているな?』

 

「……ええ。もちろん」

 

 ジュークボックス服用時には少し程度ならば認識の誤差が許容される。それを装ったつもりだったが、どうだろうか。隊長はすぐに事務的な言葉に戻ったが、今の一瞬で看破されていればお終いである。

 

『では、ヒイラギ准尉。この後、二十時間の休息の後、人機にて出撃。ゼルストでの戦端を開く。どうだ? 今ならば人殺しが出来そうか?』

 

 吐き気を催しつつも、首肯するしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気に入らない、とダストシュートを蹴りつけたヘイルに数名が諌める。

 

「ヘイル。まだ隊長は何もあの半端者を認めたわけじゃないだろ」

 

「でもよ! あんなひよっこ女が前に立つだけで気に入らねぇんだよ! ああっ、クソッ! 敵兵なら後ろから撃って犯してやるのによ!」

 

「やめとけよ。隊長は絶対に覆さないだろ。決定したんだ。今回の継ぎ目破壊だけさ。二度目はないかもしれないだろ?」

 

 隊員の声にヘイルはハッと思いついた。

 

 途端、愉悦に声が弾ける。

 

「そうだな。二度目はないかもしれない。それ、いいな」

 

 端末を取り出した事で悟った人間もいたのだろう。

 

「おい……! それは……!」

 

「別にいいだろ? 元々ゼルストの諜報部門が聡かった。俺達アンヘルは出遅れた。そういう風にしておけばいい」

 

「……隊長は黙っては」

 

「どうかな? あの人も案外気楽だからな。アンヘルの失敗は確かに! C連邦全体の衰退かもしれないが、一末端兵士がちょっとトチるくらい、今までだってあったろ?」

 

「……バレたら」

 

 弱腰の隊員達にヘイルは唾を飛ばして叫んでいた。

 

「てめぇら、どこに目ぇ、つけてんだ! この赤は! 血の赤だって思い知らされてきたクチだろうが!」

 

 詰襟の制服の左胸を叩く。この制服の赤は鮮血の赤。自分達が染め上げる戦場の色に他ならない。

 

 隊員達はそれでも難色を示す。

 

「ヘイル……俺達は何も、今回にこだわる事はないって思っているんだ。あいつは放っておいても自滅する。今まで軍にいたらそれこそ嫌と言うほど見てきたろ? どうせ適性値もCだ。自分で辞めて行くさ。それまで待てばいいだけの事だろ?」

 

「待っていたら、あいつはつけ上がるだろうが! それこそ、俺達の事を下に見るぜ!」

 

 ヘイルは我慢の限界であった。端末に繋ぎ、コールする。

 

 隊員達は止めたという体は崩していないが、それでも自分の行動を本当に阻止するのならばとっくにしているだろう。

 

 全員、気に入らないはずなのだ。

 

 ならば自分が少しくらい、破滅に向けて背中を押したところで何も問題はあるまい。

 

「あんた、革命派の諜報員だな? 少し耳寄りな情報があってよ……」

 

 


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