ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯169 撃滅の剣

「《シルヴァリンク》、シグナル消失……。応答、ありません」

 

 管制室にもたらされた情報に、全員が息を呑む。やはり自分達の足掻きは無駄であったのか。時代のうねりの前に掻き消されるだけの、ただの爪痕にもならない存在証明でしかなかったのか。

 

 ニナイには局長としての判断が求められていた。

 

 資源衛星はもう充分な領域まで撤退している。ここで回収を優先すべきは《ノエルカルテット》のみ。命令を下すのは自分だ。

 

《シルヴァリンク》を完全に切って、桃だけを回収するか。あるいは二人の生存を祈ってこの宙域に留まるか。

 

 多くを生かすためには少数を犠牲にする心持ちが必要になる。切り捨てた命を無駄ではないと証明するのには、これから先も継続する戦いが求められるのだ。

 

 今は逃げに徹するべき。

 

 管制室の構成員達全員の命を預かる手前、ニナイは非情な判断を迫られていた。

 

「……二号機の回収は諦める。三号機、桃のみを回収するために《アサルトハシャ》二機を遣わせて」

 

「でも、シグナルが届かないだけでもしかしたら……」

 

「聞こえなかったの? 二号機は強襲のために作戦行動している。ならば、それが失敗した可能性が濃厚な以上、深追いは出来ないのよ」

 

 そう、出来ないのだ。やるやらないではなく、出来ない。それだけの単純な答え。

 

 了解の復誦が返りかけて、「待って欲しい」と声がかかった。

 

 管制室に入ってきたリードマンはアルマジロAIに取り憑いている元老院と共に声を発する。

 

「鉄菜の生存を、どうかギリギリまで諦めないでもらいたい」

 

「担当官として、私情を挟みたいのは分かるわ。でも、これ以上どうやって……」

 

『我々も同意見だ。それに、簡単に撃墜されるようには見えなかった。彼女は死にに行ったわけではない』

 

 惑星の仇敵が偉そうな口を、と返しかけて管制室に伝令が届いた。

 

「急速熱源反応! これは……二号機のシグナル消失地点へと、何かが接近しています!」

 

「まさか、C連合の送り狼?」

 

「いえ、シグナル上はどの国家にも属していません……。我々と同じく、不明人機です」

 

 この状況に至って不明人機。ニナイは転がっていく戦局に眩暈を覚える。一体何が起こっているのだ。それを解明する前に、元老院が声にしていた。

 

『彼女はまだ生きている。《シルヴァリンク》、その機体の本当の意味を知っているのならば』

 

「ああ、僕も同意見だ。我々と鉄菜の――鋼鉄の絆は切れたわけではない」

 

〝鋼鉄の絆〟。《モリビトシルヴァリンク》の開発コード名――。

 

「……あやかりたいのは分かる。でも現実の戦場はいつだって……そんな夢想が通用するようには出来ていないのよ。彩芽だって、現実の前に命を散らした。我々にはいつだって、非情なる現実だけが突きつけられる。その刃に抗う事も出来ずに」

 

 拳を固く握り締める。どれほど強く、どれほど願ったところで人の望みなど容易く途切れてしまうだろう。

 

 それが強靭な精神力で支えられた願いと祈りであったとしても。

 

「だが、信じ抜く事は出来る。ここまで生き残ってきた鉄菜を、僕は信じたい。黒羽博士が彼女に託した、祈りの光を」

 

 誰だって明日を信じたい。そうに決まっている。だが、祈りは潰え、希望は音を立てて崩れていく。

 

『我々に、長く心はなかった。義体となり、惑星を支配して百五十年以上……。同胞達の死を目にしてようやく、自分を知り、死にたくないというただ単純な願いに目覚めた。……羞恥の限りだ。我々はかくも弱い身でありながら、これで世界を牛耳っていたつもりであったのだから』

 

「懺悔なら後でして。今は、聞くのも憚られる」

 

 冷たく言い放ち、ニナイは決断を下す。現状、多数を生かし、少数を切り捨てる非情さを。

 

「ブルブラッドキャリア本隊はこのまま後退。《アサルトハシャ》による《ノエルカルテット》の血塊炉と操主を確保後、全力で戦場を離脱する。その後の救援は中止。我々は休眠期に入らざるを得ない」

 

 誰も異論を挟めるはずもない。担当官であるリードマンや技術主任であるタキザワとて分かっている。

 

 ここで下される決断に間違いはないと。

 

「……でも信じたいじゃないか」

 

 抗弁のように発せられたリードマンの言葉を無視して、ニナイは手を払った。

 

「資源衛星全域の推進剤に火を入れて。人機の足なら追撃も予想される。《アサルトハシャ》二機は《ノエルカルテット》のみを回収後、すぐにB地点で合流」

 

 この判断にどこにも迷いはない。そのはずであった。

 

 しかし、ニナイは手が震え出すのを止められなかった。どこかで致命的な間違いを犯しているのではないか。何かを決定的に間違っているのではないか。

 

 そのような思考が脳裏を掠め、きつく目を瞑る。

 

 ――落ち着け、と言い聞かせても止まらない。

 

 また失うのか、と囁き声のような誰かの言葉が耳に入った。

 

 自分はまた、大切なものをこの手から零れ落とそうとしているのか。救えるはずの命を。

 

 しかし、現状で希望を振り翳して全滅したのでは意味がない。一ミリの希望にすがって死を迎えるより、少しでも可能性の高い絶望へと足を進めたほうがいいではないか。

 

 そのはずなのだ。

 

 頭では分かっていても、何かが納得していなかった。それが何なのか、ここで突き詰めるべきではないような気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「消え去ったか」

 

 微粒子さえも消し飛ばすハイリバウンドプレッシャーの後ではさすがの《キリビトエルダー》も貧血状態に近い。末端四肢に血が行き渡っていないせいか、この時《キリビトエルダー》は丸腰同然であった。

 

 だが、眼前の羽虫は薙ぎ払った。再び静寂を取り戻した宇宙の闇に視線を投じ、レミィはくっくっと押し殺した笑いが漏れてくるのを止められなかった。

 

「これが……これがキリビトの力! 人類を次のステージに導く、本物の人機の能力! 恐れを成す間もない。モリビトなど、前時代の遺物に過ぎないのだ。これからはこの《キリビトエルダー》が新たなる礎として、無知蒙昧なる人々に突きつける。本物の支配を! 元老院による仮初めではない。無論の事、ブルブラッドキャリアによる恐怖政治でもない。ゾル国、C連合の垣根を越えて、キリビトとわたしこそが、王になる!」

 

 その確信を得た拳は無敵であった。無敵の力を振るう権利が、ただの一個人に与えられている。全能感に酔いしれた生身の身体の快感はひとしおであった。

 

 これまでにない感覚だ。義体に収まり、全員が全員の脳内を覗き込んでいたあの窮屈な箱庭とは違う。真の支配者はただ一人でいい。

 

 陰のフィクサーは消滅し、分かりやすい力による統治がもたらされる。

 

 押し殺した笑いはいつしか高笑いへと変わっていた。

 

 王の支配を前に児戯に等しい蝿は消し去るべし。ブルブラッドキャリアの、その希望の残滓すら消し飛ばしてみせよう。

 

《キリビトエルダー》はこの戦域から離れようとしている不自然な資源衛星を関知していた。

 

 通常の人機ならば見過ごすであろう策敵範囲だが、キリビトならば別。

 

「よろしい。ブルブラッドキャリア、その足掻きの一滴すら、踏み潰してやろう!」

 

《キリビトエルダー》を前進させようとした、その時であった。

 

 雷撃のような一閃が《キリビトエルダー》の鉤爪状の四肢を掻っ切る。途端にレッドゾーンに沈んだ右の鉤爪の消失にレミィはうろたえた。

 

「何だ? まだ、敵の戦力が……」

 

 その眼が捉えたのは棚引く黄金の燐光。眼窩を赤く滾らせたモリビトが金色の輝きを放ちつつ、大剣で《キリビトエルダー》の四肢を切り裂かんと迫る。

 

 その速度に稲光の発振が遅れた。

 

 付け根より切断された《キリビトエルダー》の鉤爪が中空を彷徨う。

 

「まさか……! まだ悪足掻きを……!」

 

『……ではない』

 

「何だと?」

 

 通信網を震わせたのは相手操主の強い声音であった。

 

『私達は、羽虫などではない!』

 

 突き上げられた刃が輝きを乱反射し、《キリビトエルダー》の中心部にあるエネルギー収束機関を引き裂いた。

 

 ハイリバウンドプレッシャーを放った部位が赤く点滅し、逆流してきたエネルギー波が末端四肢を焼き尽くしていく。

 

「エネルギーが逆転して……。四肢へのブルブラッド供給をストップさせなければ……」

 

 しかし、《キリビトエルダー》はその巨体ゆえに一度実行したプロセスの中断には時間がかかる。

 

 モリビトはその間にも、《キリビトエルダー》へと刃を突きつけてくる。リバウンドの刃が入り、亀裂を生じさせる前に、一閃が爆発を誘引させた。

 

 全身に走ったダメージを一度分離しなければ、とレミィは身体に接続されているデバイスに命令を送ろうとするが、その命令権が全て途中で何者かにハッキングされていく。

 

「命令が、中断されて……」

 

『ここで、打ち倒す!』

 

 モリビトの大剣が血塊炉付近を叩き斬る。あまりの威力に血潮が沸騰し、メインブロックが危険域へと落とし込まれた。

 

「き、貴様らなど……! 時代の風に掻き消されるだけの塵芥であろうが!」

 

『確かに時代の波には逆らえないかもしれない。だが、私達は! ブルブラッドキャリアは全ての理不尽に報復するために、ここにいる。ここに在るんだ!』

 

 刃が血脈を引き裂き、《キリビトエルダー》が瞬く間に戦闘不能の領域まで能力値が減殺されていく。

 

 眼前のモリビトだけではない。何者かがこの《キリビトエルダー》へとリアルタイムでの妨害行為を行っているに違いなかった。

 

「何者だ! この神聖なるキリビトに触れるなど……!」

 

『その驕りが、結局身を滅ぼすのだよ。元老院の離反者、レミィ』

 

 その声の主を自分は知っている。だが、まさか、という思いが勝った。

 

「何故だ……。何故、このような真似を! 渡良瀬!」

 

『新世界を導くのは、旧世代の頭しか持っていない老人の人形ではない、という事だ。人形遊びには随分と時間を費やしたようだが、もう潮時だよ』

 

「馬鹿な……! 《キリビトエルダー》以上に世界を引っ張っていく力など」

 

『だから、目に見えている範囲が狭いって言っているんだ。所詮、外見を取り繕っても、中身は変えられなかった、というだけの、シンプルな答えだ』

 

 通信へと怒りを滲ませかけて、黄金の残像を引いたモリビトの姿が大写しになる。レミィは最後の足掻きに、と出力を最大に設定したリバウンドプレッシャーを照射させる。

 

「ふざけるな……! わたしが消える? ならば貴様ら諸共だ! モリビトォ!」

 

『《モリビトシルヴァリンク》! 対象、《キリビトエルダー》をSSランク相当の脅威と判断し――撃滅する!』

 

 刃が《キリビトエルダー》の頭蓋に入るのと捨て身のリバウンドプレッシャーがモリビトの装甲を焼いたのは同時であった。

 

 仰け反ったモリビトより黄金の光が拡散していく。レミィは頭上に迫った金色の剣筋に哄笑を上げていた。

 

「モリビト! どうやらわたしはここで負けるらしい。だが勝利者は貴様らではないようだ! それだけが、堪らなく狂おしい!」

 

 レミィの嘲笑をリバウンドの熱波が吹き飛ばし、沸騰したブルブラッドの蒸気が絶対零度の宇宙へと溶け出していた。

 

 


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