ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯166 ただいまの場所

 いざ使用するとなればマニュアルも必要にはなる。それでも使用しないのが推奨されていた兵器に手を出した時点で下策だ。

 

 ニナイは三次元図に表示される機体を自らのラボで注視していた。《モリビトノエルカルテット》フルスペックモード。空間戦闘にのみ特化したその機体は二基の円筒状のコンテナを背負い、メイン武装として長大な砲門を有する大口径プレッシャーカノンが突き出ている。ハリネズミのように武装を施された《ノエルカルテット》は地上で猛威を振るっていた頃とはまた違う装いを得て、敵を蹴散らすべく整備されていた。

 

 整備状況にニナイは通信を繋ぐ。

 

「こちら局長室。《ノエルカルテット》は?」

 

『現状ではフルスペックモードの準備は滞りなく。問題なのは二号機のほうですよ』

 

「《シルヴァリンク》が、何か?」

 

『エクステンドチャージのせい、って言えばいいんですかね。ところどころに激しい損耗が。関節部位が外れかけていて、整備が少しでも遅れていたら毛細血管が破裂、行く末は貧血だったでしょう』

 

 そこまで機体を酷使するエクステンドチャージなる現象の解明も急がれていたが、ニナイには元老院への直接のアクセス権はない。

 

「出来るだけ、二機をベストコンディションに。《アサルトハシャ》はもう」

 

『品切れ、ってところですね。操主もいませんし。無人機として使用する事ならば視野に入れますが』

 

「《ノエルカルテット》の疑似餌、か。サイコロジックモードも可能なら、盾くらいにはなりそうね」

 

 桃の念動力で操主なしの《アサルトハシャ》を操り、敵を翻弄する。プランの一つとしては数えられていた。

 

『とかく、現状の装備は付けられるだけ付けておきます。オプションも含めて』

 

「頼んだわ」

 

 通信を切り、ニナイは目頭を揉む。この数時間で圧し掛かってきた局長任務という重圧。その責務に悲鳴を上げたいのは山々だったが、立場がそれを許してはくれない。

 

「彩芽……ここで退いたら負け、でしょう。分かっている。あなたを失ったのはこちらの落ち度でもあるもの」

 

 別の格納庫に移送されていく《インペルベイン》をニナイはウィンドウに浮かべさせた。

 

 コックピットの破損状況から修復は諦められてしまった。血塊炉は幸いにして使えるので、次世代機の基盤に充てられる予定だ。

 

 だが、次世代機の頼みの綱など、それは生き残ればの話。

 

 ここで死ねば、何もかも水泡に帰す。

 

 それだけは、とニナイは拳を握り締める。彩芽の犠牲があった。《アサルトハシャ》部隊に身を投じた少年兵達の死を踏み越えた。鉄菜や桃は地上で激戦を潜り抜けてきた。彼らの生き様を無下にするのは簡単だ。

 

 しかし、それだけは、と己の理性の一線が叫ぶ。

 

 ――そこまで人でなしであったのか、と。

 

「……駄目ね。どこかで非情になり切れない。こんなところも、あなたはお見通しだったのかしら」

 

 涙を浮かべている場合ではない。泣いていいのは、その境遇にある者だけだ。自分は今、涙していいような身分にない。

 

 構成員達を駒のように扱ってきた。そのツケを払わされている。

 

 何十年、いや、数秒に過ぎないとしても、そのツケはきっと最後の最後にやってくるはずなのだ。

 

 代償を払わずして、世界を変えるなどのたまえるものか。

 

 変革には必ず犠牲と消え去っていった灯火がある。それを実感出来ないのは愚か者の思考回路だ。

 

「まだ、泣いていい状況じゃないもの」

 

 立ち上がったニナイはラボの電源を落としていく。今は、食ってかかってきた彩芽も、その遣いであるAIルイもいない。

 

 彼女らは遠くへ行ってしまった。ルイは次世代のために格納され、《インペルベイン》も次に繋ぐために使われる。

 

 そう、全てはここでは終わらせないために。

 

 ここで潰えるのならば最初から足掻きなどするべきではなかった。こんなところで諦めるくらいならば、世界に刃など突きつけても仕方がなかった。

 

 終われない。終わるものか。

 

 最後の電源に指をかけかけて、ニナイはラボを見渡した。

 

 どこか殺風景な部屋は他人の訪れを想定していない。

 

 自分は誰も必要としていなかった。それが表面上とは言え、冷たくあしらうように彩芽を追い込んでしまった。

 

 全ては自分の罪だ。

 

 だからこそ、贖う。この身が焼け焦がれても、罪の最果てを。

 

「彩芽。寂しくなるわね」

 

 ラボの電源を落とす。最後の灯火が、今、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の存在意義を見失いそうになる。

 

 そうこぼしたのは整備士の一人であった。先導される形で無重力ブロックを進む桃はRスーツを着込み、取り付けられていく武装ユニットを見やる。

 

 円筒型のコンテナを二基装備し、大出力ブースターという機動力の要を得た《ノエルカルテット》は平時の機体バランスから大きく離れていた。

 

 それそのものが巨大な要塞のような人機である。

 

「こんな大型人機を見繕うとなれば、我々整備班も必死……。正直、よく分かりますよ。自分一人欠けたところで問題ないんだって事がね」

 

 皮肉を漏らす整備士に桃は執行者の冷徹を向けた。

 

「そんな事はない。一つでもボルトが外れればお終いでしょう? だったら、そんな野暮な事は言わないで」

 

「あっ、すいません……。つい、ぼやきを漏らしたくなるんです。だって、これが正真正銘、最後の戦いだって言うんですから」

 

 一号機が大破し、三号機のフルスペックモード案という不確かなものに頼らざる得ない状況から鑑みて、スタッフの負荷は推し量るべきだ。

 

「《ノエルカルテットパイルダー》は?」

 

「中央に。この機体の軸となる部分に組み込まれます。もしもの時に分離出来るよう、仮初めではありますが胴体を作っておきました。とは言っても、分離戦闘は視野に入れてはいませんけれどね」

 

《ノエルカルテットパイルダー》には《アサルトハシャ》のものと思われる胴体が接合されている。もしこの武器庫が破壊されても、最悪逃げ切る事は出来るというわけか。

 

「基本は、この弾薬庫をメインに戦う、ってわけね」

 

「今までのようにAIサポーターも、ましてやバベルも存在しない、完全な物理による圧倒手段です。下策と漏らすスタッフもいますが、これは宇宙でないと使えない、というのは納得ですよ。整備に格納庫の半分以上を使うなんて」

 

《ノエルカルテット》のフルスペックモードはあまりに巨大なため、その大質量を重力圏で使用する事は想定されていない。

 

 これは《ノエルカルテット》のみフルスペックモード実働を見送られた一因でもある。

 

「武器弾薬の補充は……」

 

「一度資源衛星を経由するしかありませんが、そうなれば敵は追ってくるでしょう。ありったけの武器を積んでおきました」

 

 暗に、自分達の安全のために帰ってくるなと言われているようであった。スタッフにはその気はないのだろうが、自分には重責が増したように感じる。

 

「一度でも敵を捕捉すれば絶対に一個大隊を粉砕出来るくらいはあるのよね?」

 

「《ノエルカルテット》の時と使用感覚は変わらないと思います。問題なのは、あまりに火器管制システムが多岐に渡るため、操主の集中力不足、体力の限界を加味していない点です」

 

「少しでも意識を切らせばそれが勝負の分かれ目、か……」

 

 平時の《ノエルカルテット》以上に、自分の判断力を求められるだろう。桃は嘆息をつきつつ、刺々しいフルスペックモードを見送った。

 

「見ていかないんですか?」

 

「信用はしている。モモには……戦う前に、ちょっとね」

 

 格納庫を抜け、桃は居住区へと続く区画へと足を進めていた。今は、戦いのための準備よりも、後悔しないための心構えをしておきたい。これが最後、と何度も諳んじるうちに、本当に何もかもが取り返しがつかなくなってしまいそうであった。

 

 人影のなくなった公園で人工太陽が夜の時間に入り、漆黒を作り出している。

 

 陰影の下りた遊具やベンチの中に桃は見知ったシルエットを見つけた。

 

「……クロ?」

 

 鉄菜がベンチに腰掛け、項垂れている。呼びかけてみて、その瞳が濡れている事に気づいた。

 

「クロ……何があったの?」

 

「いや……何でもない」

 

 端末を咄嗟に隠した鉄菜に桃は先ほど、管制室でのやり取りを思い返していた。鉄菜は自分の過去と向き合ったのかもしれない。

 

「クロ、あのさ……。今度の戦いが最後かも、知れないんだよね」

 

「承知している。最早資源衛星の宙域も割れている今、逃げも隠れも出来ないだろう」

 

 その声音には普段の鉄菜の心強さが宿っている。しかし、彼女とて脆い部分があるのだ。一手に託されたエクステンドチャージという切り札。それに鉄菜自身、別れがあったはずである。

 

「クロは、さ、やっぱり怖くないの?」

 

「ブルブラッドキャリアに、失敗は許されない。今度の任務もまた、同じだ。失敗の許されない中で戦うのみ」

 

「でも、モモは……怖いよ。何だか、何もかもが、いつの間にか取り返しのつかない場所に行ってしまったみたいで」

 

 彩芽の事も言外に付け加えていた。鉄菜は掌に視線を落とす。

 

「そのような事、今さらの認識だろう。私達は復讐者だ。報復のために惑星へと送り込まれた。モリビトという力と共に」

 

「でも、モリビトは希望でもあった。惑星の人々を変える……それにブルブラッドキャリアの人達にとっても」

 

 モリビトの名前が絶望の象徴というわけではない。むしろ、その逆だ。モリビトは人に希望を与えるために遣わされた名前のはずであった。

 

「だが、実際には国家を滅ぼし、人を滅ぼすための力だ。私達がどれだけ言い繕おうとしても、人機は力でしかない」

 

 それは、と桃は口ごもる。人機は力でしかない。それはその通りであろう。機動兵器であるという事実は消せない。

 

 しかし、それを簡単に認めてしまえば、鉄菜の存在意義でさえもその言葉に掻き消されてしまう。

 

「……モモはでも、クロを力のためだけだなんて思いたくないよ」

 

「最初に会った時には利害を第一に考えていた人間とは思えない発言だ」

 

「そりゃ、あの時はまだ、モモはモリビト同士の力関係をはからなければいけなかったから。でも、今はそうじゃない。でしょう?」

 

「希望的観測だ。モリビトの力以上のものを見出すのに、我々はあまりにも愚かしかった」

 

 地上への報復攻撃にしてもそうだ。場当たり的な戦いに終始していたのは単純に拙いから。

 

 ブルブラッドキャリアの指示する作戦が全て、正しいのだと思い込んでいた。

 

 今、それに異を唱えてくれる彩芽はいない。バベルも失われた。

 

 現状、手詰まりの域を脱する方法はないのだ。

 

 だからこそ希望にすがりたい。だからこそ、今は力だけに頼りたくはなかった。

 

 力に陶酔してしまう事は簡単だ。その余りある能力を発揮して敵を凌駕する事も。

 

 だが、それでは駄目なのだと思い知った。力を振るう意味を知らずに振り上げた刃は行き場をなくすのみ。

 

 その行く末に待つのはただの虚無だ。鋼鉄に包まれ、弾薬をただ闇雲に放つだけの虚無に生きるしかなくなる。

 

 その生き方は人のものではない。兵器そのものであった。

 

「モモは、《ノエルカルテット》に乗るのが怖くなったのかな……? どうして、こんなにも弱くなっちゃったんだろう」

 

 最初期ならば他人を切り捨て自分の生存を最優先にしていたであろう自分は、いつしか他者の生存に意味を見出していた。

 

 他人が生きている事が自分の生きている事以上に嬉しくなっていたのだ。

 

 そうなってしまえば戦士としては失格かもしれない。誰かのために自分の命を投げ打つなど、それはモリビトの執行者として相応しいメンタリティではないだろう。

 

 しかし鉄菜は責めなかった。眼差しを星々へと向けて静かに細める。

 

「私達は、何も戦うためだけに生きているわけではないのかもしれない。だが、桃・リップバーン。私にはまだ分からない。本当に、戦う以外で私の存在意義を見出せるのか。本当に、戦わない事などという選択肢はあるのか。……未だ、見えないままだ」

 

 鉄菜にとっては本当に分からないのだろう。自分が何故ここにいるのか。何のために戦うのか。

 

「でも、クロは今までブルブラッドキャリアの意志だけで動いてきたわけじゃないでしょう?」

 

 自分とは違うはずだ。鉄菜には心がある。しっかりとした、設計されただけではない、心が。

 

 その在り処を鉄菜は掴みかねているようであったが、元老院を守った事と言い、命令に反した事と言い、鉄菜の中で何かが芽生え始めているのは確かなはずだ。

 

 彼女は手を開いたり閉じたりして、その感覚を反芻する。

 

「私は、生きているのだろうか。桃・リップバーン。私には、その感覚がまだ掴めない。生みの親が誰なのか分かっていても、あるいは何のために造り出されたのかが漠然と分かっていても、やはりどこかで掴みかねているんだ。己の存在意義を」

 

「多分、そんなに難しい事じゃないよ。クロはだって、クロだもん」

 

 戦いへと赴くのにこの感情は邪魔かもしれない。それでも、自分の信じる鉄菜ならばこう言うはずだ。「そのようなものは関係がない」と。

 

 鉄菜は困惑の目線を振り向けてから、どこかうろたえ気味に口にする。

 

「エクステンドチャージも……本当に私の《シルヴァリンク》だけでいいのだろうか。《ノエルカルテット》にも積んだほうが」

 

「戦力の分散よりも一点突破を狙う。この戦局を考えればその通りだろうと思う。なに? クロらしくないよ? 弱音なんて」

 

「私らしくない、か。私は、どのような形が自分らしかったのか、もう分からなくなってしまった……」

 

 道を見失ったに等しいのだろう。桃は鉄菜の手を、そっと握り締めた。思っていたよりもずっと温かい。人の温もりのある手だ。

 

「……何を」

 

「クロは、間違いなく人間だよ」

 

「……だが私は人造血続だ」

 

「それでも! クロは、モモのかけがえのない、仲間だもん。それとも、クロはもう、モモの事、嫌になった?」

 

 鉄菜は目線を伏せる。どのように答えればいいのか分からないのだろう。桃は胸元へと手を持ってくる。

 

「モモは、クロの事が好き。だって、もうモモ達は他人同士じゃない」

 

「私の事が、好き……」

 

 その言葉の存在感を問いかけるように鉄菜は反芻する。桃はこの時だけでも気丈にと振る舞う。

 

「クロも、モモの事、フルネームじゃなくって桃って呼んで。そんなに遠い間柄じゃないでしょう?」

 

「桃……。不思議だな。他人をこれまで、名前だけで呼んだ事はなかった」

 

「初めての感じはどう?」

 

「ああ……悪くはない」

 

 桃は微笑んで鉄菜を抱き寄せる。突然の事に鉄菜は面食らった様子であった。

 

「桃……何を」

 

「クロ。また絶対に、帰ってこようね!」

 

「それは……確約出来ない」

 

「でも、世界を変えるんでしょう?」

 

「それは……」

 

 口ごもった鉄菜に桃は言いやる。

 

「だったら! 帰ってこないと。そしてみんなに言うの。ただいまって」

 

「ただいま……? どういう意味なんだ、それは」

 

 思わぬ言葉に桃は目を見開いた。

 

「ただいまの意味、分からないの?」

 

「語彙としてはインプットされている。使い方も分かるはずなのだが、どこか己には相応しくないと、齟齬を感じる」

 

「何も、てらいを感じる必要もないって! だってここが家みたいなものでしょう?」

 

「ブルブラッドキャリアが、家……家族?」

 

「そう! 家族! そう思わないと。きっとアヤ姉もそう思いながら戦ったはずだから」

 

 鉄菜は空を仰いだ。この場所が家なのだと、感覚的に思う事は難しいのかもしれない。彼女は組織の被害者だ。だからこそ、簡単に受け入れる事など出来ないのだろう。

 

 それでも、家族の一人くらいには無事を祈らせて欲しい。

 

「クロ……モモは守りたい家族のために戦う。その中にはクロも入っているから」

 

「私も……。だが私は」

 

「分かってる。でも、クロは出来れば守りたい誰かを、どこかで想っていて。そうするときっと、この戦いにも意味があるはずだから」

 

 守りたい誰か。それがたとえブルブラッドキャリアの中にいなくとも構わない。

 

 己の信じるべき道さえ違えなければいいのだ。

 

 桃はこの時、ようやく迷いを振り切れた。この戦いはきっと、自分の守るべきものを見つけるための戦いなのだ。

 

 ならば、納得出来る。

 

 力を振るうのに躊躇もない。

 

「モモは、戦うよ」

 

 発した決意に、鉄菜は何も返さなかった。

 

 


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