ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯165 to Mother

 静寂に包まれているのはいつか彩芽と話した公園であった。

 

 夜に没した資源衛星の中で、鉄菜は彩芽と共に座ったベンチに腰かける。どうすればいいのか。それは分かり切っている。

 

 戦い、生き残る。

 

 それしか自分達の存在を証明する手段はない。

 

 しかし、それだけでいいのか。戦って、勝ち残って、その先に何が残っている。

 

 彩芽は死んだ。ブルブラッドキャリアのたくさんの少年兵達も。鉄菜は己の手の中にあるメモリーチップへと視線を落とす。

 

 記憶への扉は今、手の中にあった。

 

 今までぼやかされていた自分の出生。チップを端末に入れて再生すればたちどころに分かるだろう。

 

 だが、それでいいのか、と手が彷徨う。

 

「……私は、知るのが怖いのか」

 

 知っても戻れない。何も知らなかった頃には、もう。

 

 それでも、前に進むのならば。諦めを踏み越えるのならば。

 

 鉄菜はチップを端末に挿入し、静かに再生ボタンを押した。

 

 投射画面に現れたのは自分の似姿であった。だが、その眼差しが慈愛に満ちているのを目にして鉄菜は確信する。

 

 これが、ツザキ博士。自分の基になった血続の女性。

 

 想像していたよりも若い事に鉄菜は目を瞠っていた。

 

「お前が……」

 

『はじめまして。クロナ』

 

 返答が来た事に鉄菜は困惑する。まさか、と息を呑んだところで画面の中の女性は微笑んだ。

 

『これをあなたが見ている頃には、私はもういないでしょう。クロナ、と名付ける事にしました。何番目の個体が成功するのか、それも私には見届ける術はないのだから』

 

 カメラが移動し、培養液に浮かんだ肉腫を映し出す。まだ、この時点では自分は生まれてすらいないのだ。その事実に鉄菜は絶句した。

 

「お前は、まだ生まれてすらいなかった私に、そう名付けたのか……」

 

『クロナ。この名前にした理由ってよく聞かれるけれど、特にないの。ただ、あなたに名前は必要だと思った。ブルブラッドキャリアの、私達の明日を担うのに名前のない血続では意味がないもの。他の人達は、あなたを不当に、戦闘兵器として造り出せと言っているけれど私はそれが正しくないと思っている』

 

 画面が暗転し、映像が切り替わる。どうやら断片的な記録映像らしい。

 

 培養液に浮かんでいる無数の肉腫はほとんど死に絶えていた。残ったのは十個前後のカプセルのみ。

 

『クロナ。あなたが生まれてくる確率は相当低くなったみたい。私達の研究分野を、組織は必要としていない、と言われたわ。でも、私は賭けてみたいと思う。あなたがこの世に祝福されて生まれてくる事を。そして、その先にあるのはきっと、いい未来だという事を』

 

 ツザキ博士は自分に何を見ていたのだろう。ブルブラッドキャリアの繁栄か、あるいはそれ以上に自分という存在の祝福か。

 

 いずれにせよ、その志とは違う形で自分は結実してしまった。

 

 モリビトを操る人造血続。世界と戦う一人の操主として。

 

「博士……私は」

 

 記録映像が切り替わり、ツザキ博士は喜びに満ちた表情で一人の赤子を抱いていた。

 

『ようやく……! 産まれてくれた。この子がクロナ。私達の希望。……でも、まだあなたには組織の持つ宿命も、惑星から追放された事実も、何もかも遠い出来事であって欲しい。あなたにはあなたの未来があるの。だから、掻き消されないで。あなたは、私の……』

 

 映像が暗転し、ノイズが走った。これで終わりか、と思った鉄菜は次の映像でツザキ博士がベッドに横たわっているのを目にしていた。

 

 痩せ細っており、力のない瞳を画面に向けている。

 

『……ゴメンね、クロナ。あなたの成長を、見守れそうにない。血続は、長く生きられるように出来ていないの。あなたは特別に調整を受けたから、通常よりも強く、惑星の汚染に耐えられるでしょう。でも、私はもう無理みたい。これが最後の記録になると思うわ。強く生きてね、クロナ』

 

 微笑んだツザキ博士の映像が途切れ、数秒後に流れたのはツザキ博士の墓前での映像であった。

 

『……彼女は君を愛した。人機を愛し、人機に愛された最後の血続、黒羽・ツザキ博士。我々は恐らく、君の遺した最愛の存在に、残酷な運命を強いるだろう。それでも、その運命の過酷さにもし負けないような強さを手にしたのならば、きっとその少女は強く生きてくれるに違いない。勝手な理想の押し付けかもしれないが、そう信じている。クロナ、という我々の希望に、僕らはすがるしか出来ないんだ。そんな弱い存在でしかない。惑星を追放され、禁忌に手を染め、その先に待つ罰を受け入れる。きっと、僕達の意味はそこに集約される。出来得るのならば、星の命運を見届けていたかったが、それは叶わないだろう。クロナ、よく見ておくといい』

 

 カメラが移動し、その先にいたのは手を繋いだ幼い少女であった。髪が短く、あどけないが間違いない。その少女は――。

 

「私……なのか。これが、私……」

 

『君を愛した人とさよならしなければならない。同時に、この記録はもう二度と閲覧される事はないかもしれない。君は記憶をリセットされ、二号機の操主に相応しくなるべく三年の訓練を受ける。もう、僕の保護下からは離れるんだから』

 

 三年。その言葉に鉄菜は眩暈を覚える。

 

「そう、だ。私は、三年間しか、戦闘訓練を受けていない……」

 

 だが、だとすればたった三年間で成長した事になる。その事実とツザキ博士の言葉が合致した。

 

 ――血続は長命ではない。

 

「私は、まだ生まれ落ちてそんなに時間が経っていない?」

 

 自身の手に視線を落とす。いつか、ツザキ博士と繋いだ手。リードマンと繋いだ手。数多の同朋を殺した手。

 

 そして――《シルヴァリンク》を動かすための手。

 

 全てを思い出せたわけではない。しかし、それでも己がこの世界に祝福されるべくして生まれた事。自分を生み出すために、全てを削ってくれた人がいた事を再確認出来た。

 

「私は、殺すためだけに生み出されたわけじゃない」

 

 だが、その言葉すら言い訳ではないと誰が言い切れるだろう。今までの罪が消えるわけではない。

 

 ならば、これからのために戦うまでだ。

 

 ツザキ博士が自らの生を全うして造ってくれたこの命。誰かのためではなく、自分のために使う。それこそが、彼女の望んだ事であるだろう。

 

 ジロウと永遠の別れを経験した。もうあのような目には遭いたくない。何も出来ず、この手を滑り落ちていく命などあってはならないのだ。

 

 立ち上がった鉄菜はその双眸を資源衛星の外へと向けた。もう迷うまい。決めた志を強く握り締める。

 

「私がたとえ造られた存在であっても、望まれない命であっても、今、ここで鼓動を刻んでいるのは、私自身の意思だ。私が望んでここに立っている。ならば、私のする事はただ一つだ」

 

 どれほどまでに業の深い人の罪が横たわっていたとしても。自分の行うべきは罪を罰する事ではない。その罪と共に生きていくしかないのだ。衛星から窺える今宵の星は、その罪の証を刻み込んだかのように、真っ赤に染まっていた。

 

 


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