ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯163 グランマ

 

 あそこまで鉄菜がこだわるのは想定外であった、とタキザワが述べる。

 

「本当に、人間らしくなったんだな。二号機の操主は」

 

「だから、モモを庇ってくれた、とでも?」

 

「そうじゃないと説明がつかないだろう。鉄菜・ノヴァリス、か。もっと情報を閲覧しておくんだった。バベルのない今、彼女の情報を持つのは担当官のみだ」

 

 趣味が悪い、と桃は睨む。

 

「女の子の個人情報ですよ」

 

「そうかい? でも、君はそうこだわる性質でもなさそうだ。……《ノエルカルテット》フルスペックモードの事、聞いていないはずがないからね」

 

 鉄菜には言わなかったが、《ノエルカルテット》のセカンドステージ案は真っ先に知らされていた。それが空間戦闘を加味したものである事も、最初に教えられていたのだ。どれほどまでに自分に負担を強いるのかも計算の上で了承したはずである。

 

 しかし、いざそれが眼前に迫ると怖くて仕方がない。《ノエルカルテット》の最終形態。それは今までの三号機の操縦技術とはかけ離れたものであるからだ。

 

「着いたよ。ここから先は、自分自身で」

 

 だからなのか、目の前の扉一つ開くのも、自分でしか出来ないのが酷く恐ろしい。恐怖で身が竦む。

 

「技術主任、という仕事も楽じゃなくってね。君に言ってしまえば、《モリビトシン》を任せたいところなんだが、あれはまだ極秘でね。だから、今回ばかりは担当官に一任するしかない」

 

「……モモの担当官の事、知っているんでしょう」

 

「AI、グランマの構成人格の一つだとは。それ以上は何も」

 

 そうだ。幾度となく自分を助けてくれた《ノエルカルテット》の擬似人格AI、グランマ。その基になった人間。そう知らされている。

 

 だが、何度会っても実感が湧かなかった。《ノエルカルテット》のグランマはいつだって優しいのに、自分の担当官は――。

 

「ここまで来たら、そろそろ本音でぶつかったほうがいいと、少しばかりは思うけれどね。それがたとえ、モリビトの執行者が一人減る、という結果になったとしても」

 

 そのような言葉を残して、タキザワは来た道を引き返していく。退路はない。桃はそっとエアロックの解除キーを打ち込んだ。

 

 開いた扉の向こう側にいたのはベッドに横たわる老婆であった。

 

 人工呼吸器に、生命維持装置を取り付けられた老婆は最早、機械と同化しているようにも映る。

 

 桃は歩み出て小さく言葉を発した。

 

「……桃・リップバーン。帰還しました」

 

 相手からの返事はない。桃は今回の戦闘における損害を報告する。

 

「《ノエルカルテット》は三機のサポートメカを失い、パイルダーのみとなりましたが、戦闘続行が不可能なわけではありません。かねてより提案されていたセカンドステージ案……フルスペックモードへの移行準備は滞りなく進んでいると……」

 

 コンソールに文字が表示される。そこにはただ一言。『作戦を続行せよ』とあった。

 

 作戦。ブルブラッドキャリアの要、報復作戦の実行。自分がフルスペックモードに乗り込むのに、一つも言葉を投げてはくれないのだろうか。

 

 今まで通り、このコンソールに表示された文字に従い、自分はただただ戦うための道具として、彼女に従い続ければいいと言うのだろうか。

 

 ――違う。

 

 桃は拳を握り締めていた。ここで恐れていてどうする。次の戦場で生きている保証はないのだ。

 

「……モモは、死にたくありません」

 

 その言葉にコンソールの文字列が変化する。『死にたくない、というのは形骸上のものに過ぎない。異論があるのならば申し出ろ。なければモリビトに乗れ』と。

 

 ああ、今まで通りだ。この拒絶するかのような文字列から逃げるように戦場に向かい、戦って磨耗していく。

 

 それが自分の生き方なのだといつしか思い込んでいた。自分自身に刻み込んでいた。

 

 だが、ここで。傷つきたくない自分とは決別する必要があった。

 

「担当官。モモは、これ以上戦って何かあるのでしょうか。何が得られるのでしょうか」

 

 文字列はまたしても変位する。『それを知ってどうする? 執行者をやめる事など出来まい』。

 

 その通りだ。今さらモリビトの執行者を降りるというのはあり得ない選択である。しかし、タキザワはそれでもいいのだと教えてくれた。それよりも大事な事は今まで自分と担当官は本音でぶつかりあった事などなかった、という事実だけ。

 

 鉄菜の事を一方的に糾弾は出来ない。自分とて先延ばしにしてきた事柄があるのだ。桃は呼吸を落ち着け、担当官へと再三言いやった。

 

「モモは、まだ死にたくないんです」

 

『それを知って何になる。モリビトの執行者は死ぬまでが責務だ』と返ってきた言葉の残酷さに桃は今にも消え入りたくなってしまう。それでも、事実から逃れる事は出来ない。この世の真理から逃げて、何もなかった事には出来ないのだ。

 

「……モモは、自分で戦うかどうか決めます。グランマ……おばあちゃんの思い通りの人形じゃない」

 

 改めて突きつけた血縁に担当官は文字列を変動させる。

 

『殺す事しか出来ない殺戮能力者の分際で、血縁者を否定するのか』。その言葉は桃の中に重く沈殿していく。

 

 しかし、これ以上、自分は心にもない事を胸に戦う気にはなれなかった。

 

「おばあちゃん。グランマは消えました。ロデムも、ロプロスも、ポセイドンも。……おばあちゃんがモモを閉じ込めていた、あの場所で飼っていた子達は、みんな死んじゃったんです」

 

 今でも思い出す滅菌されたような白亜の部屋。その中での唯一の娯楽と言えば、水槽に飼われていた熱帯魚と、一羽の籠の中の鳥と、首輪をつけられた獣との出会い。

 

 彼らの人格データがそのまま、三機の機獣の基礎データとして刻まれていた。だからこそ、彼らは命を賭してでも自分を守ってくれた。

 

 ――だが、AIグランマだけは。

 

 それだけは自分の思い描いた幻想だ。自分がいつまでも大人になれないがゆえに、空想で築き上げた偽りの祖母の姿である。

 

 今は、本物の祖母と会っている。

 

 自分を、唯一の血縁者をブルブラッドキャリアの執行者に仕立て上げた祖母。恐らくは星を憎み、その憎悪の糧にするためだけに母も父も知らぬ哀れで醜い少女を育て上げた、恩讐の徒。

 

 その祖母と向き合う必要があった。祖母の憎悪を取り込んで、戦うのが己の姿なのだろうか。

 

 違うはずだ。そのような事は断じて。

 

 自分は自分のために戦う。ブルブラッドキャリアの執行者として、最後になるかもしれない戦いに赴くのに、血の清算は絶対であった。

 

 今までは命令に服従してきた。だが、最後の戦いくらい自分の意思で行かせて欲しい。そのようなわがままも通らないのならば、執行者が一人減るという最悪の想定でさえも構わないと思える。

 

 祖母からの返事はない。文字列の点滅するキーは新たな言葉を浮かべようともしない。それが答えか、と身を翻そうとして、明滅する文字列が新たな言葉を刻んだ。

 

『それがお前の、辿り着いた答えだというのか』。

 

 非情なる担当官の声音ではないような気がした。今だけは、自分と血の繋がった祖母の問いかけのような気がしたのだ。

 

「うん……モモは、もうこれ以上、誤魔化したくない」

 

『なら、自分に正直に生きなさい』。

 

 その一言だけで充分であった。桃は首肯し、言葉を反芻する。

 

 ――自分に正直に生きる。

 

 今まで達成されなかった悲願でもあった。自分はモリビトの操主、《ノエルカルテット》を操る執行者。

 

 だからこそ、ブルブラッドキャリアのために前進する事はあっても、自分のために歩みを進める事はないのだと。

 

 それがようやく解き放たれた。籠の鳥であった自分に、思うままに生きていていいといいう許可がようやく下りたのだ。

 

「……分かった。でも、おばあちゃん。モモは、帰ってくるよ。絶対。だって、選んだのはモモだもん」

 

 ブルブラッドキャリアの執行者の道を、ただただ与えられたから進んでいたわけではない。その道に誇りを持っていた。

 

 だからこそ、最後の戦いを前に覚悟が必要であった。己の中で退かない覚悟、真の執行者としての戦いを達成するのに。

 

 踵を返した桃は担当官の部屋を後にしていた。もう、祖母と話す事はないだろう。この戦いの以後、ブルブラッドキャリアがどうなるのか、全く予測は出来ない。

 

 しかし、生きて帰る、という意思だけはあった。必ず生きて、彩芽の分まで組織のこれからを見守るのだと。

 

 出たところで、タキザワが待ち構えていた。気安く片手を上げた彼に桃は胡乱そうにする。

 

「……張っていたんですか」

 

「嫌な顔をしないで欲しいな。君の《ノエルカルテット》の最終確認を任せられたんだから」

 

「フルスペックモードでしょう。もうマニュアルには目を通しました」

 

「それだけで、覚悟の道を行けるとは思っているのかい?」

 

 お見通しというわけだ。桃は嘆息をついて追及する。

 

「モモは、組織のために戦います。でも、技術主任、あんたはどうなんですか。いつまでもフワフワとしたスタンスで戦い抜けるとでも?」

 

「そうだねぇ……僕も、それなりに覚悟を決めなければ、とは思っている。それがどのような形であれ、組織に対してのケジメだとも」

 

 意外な発言であった。タキザワの立場ならばのらりくらりと逃れるかもしれないとも思っていたからだ。

 

「……逃げないんですね」

 

「そこまで失望して欲しくはないな。僕だって、ブルブラッドキャリアの構成員だ」

 

 ブルブラッドキャリアの、か。それが逃げ口上になっていないだけマシだと思うべきか。

 

「でも、技術主任には関係のない話でしょう」

 

「そうでもないさ。執行者のメンテナンスは全員の役目だ。当然、僕も」

 

「そうですか? そうには見えませんけれど」

 

 タキザワは肩を竦める。

 

「手厳しいな。だが、君とブルブラッドキャリア幹部連との繋がりはそれなりに分かっているつもりだけれど」

 

 足を止めた桃はタキザワを睨む。彼はどこにも臆した様子はない。

 

「……あの人はただのモモの祖母です。幹部連とは関係がない」

 

「そうかい? だがブルブラッドキャリア大幹部達の繋がりを示す論拠にはなるだろう。無論、桃・リップバーン。君の出自にも」

 

「事ここに至って惑わすつもりならば、話はそこまでです」

 

「待てって。君はもう少し慎重になるべきだ。本題に移ろう。……鉄菜・ノヴァリスの持ち帰った元老院システムと、その成果、エクステンドチャージ」

 

 この男の口から鉄菜の名前が出る事に、桃は嫌な予感がしていた。

 

「それが何か?」

 

「《ノエルカルテット》における適合実験を行ったのだが、どうやらシステムは一機のみに適応するらしく、なおかつ現段階の規模では二機同時のエクステンドチャージは難しい。そうなった場合、地上での使用と同じく、どちらかのモリビトがシステムを一手に背負う事になる」

 

 地上のログを読んだのか。その感情と共に桃は軽蔑の眼差しを振り向けた。

 

「それで? モモ達の戦いを盗み見た成果はありましたか?」

 

「そう刺々しくなるなよ。ハッキリ言うと、《ノエルカルテット》にエクステンドチャージを積む事は見送られた。フルスペックモードのみにおける敵との多数対一の戦闘が予見される。それでも、君は」

 

 やるのか、と。問いただす瞳に桃は言い放つ。

 

「……ブルブラッドキャリアに失敗は許されません。どんな状況でも戦いましょう」

 

 


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