ニナイの説明には納得の行かない部分もあるものの、鉄菜は情報の摺り合わせが一番に必要だと判断していた。
敵人機の名称と戦力の解析。バベルを失ったブルブラッドキャリアに勝機はあるのか。
ニナイから出た結論は分からない、であった。
「バベルなしでのオペレーションは確かに、全く加味されていないわけではない。でも、それは最悪の想定に近いもの。……残ったモリビトは二機。《アサルトハシャ》も随分と減った。残存戦力は通常の作戦時の半分以下だと思っていいわ」
苦しい結論であっただろうが、それが実情だろう。鉄菜は元老院へと目線を配る。
「お前らは、どれくらい粘れる? 地上のシステムと二国のハッキング相手に立ち回れるか?」
『難しい問いかけをするな、モリビトの操主。最早我々は細分化されたシステムの残滓。つまりは残りカスだ。エクステンドチャージの許諾以外にはほとんど能力はないに等しい』
「そのエクステンドチャージだけれど、今、分析班にかけてもらっている。他の人機でも使えないかって」
ジロウの姿を取った元老院は首を振った。
『それは無理な話かもしれない。バベルを内包する必要がある。《アサルトハシャ》であったか、あの人機は地上産ではない。血塊炉の質が異なればエクステンドチャージは不可能だ』
つまり、その言葉の帰結するところ、現状最大稼動が可能なのは、二機のモリビトのみ。
「アヤ姉の、《インぺルべイン》は……?」
「無理ね。コックピットを損傷している。直す事は出来るけれど操主がいない」
《インぺルべイン》を乗りこなせる操主はそうそう見つかるはずもない。鉄菜は事ここに至って、何が可能なのかを割り出した。
「私の《シルヴァリンク》と、桃・リップバーンの《ノエルカルテット》。この二機での最大戦力化を求める」
「フルスペックモードの導入にしても、敵との彼我戦力差が開き過ぎているわ。この状態で立ち回るのは得策じゃない」
「でも……モモはどうにかしたい。《ノエルカルテットパイルダー》のサイコロジックモードのリミッターを解除してでも、敵を倒せれば……そうしたら少しくらいは未来が開けるんじゃないかって」
「未来、とは言っても、こちらの戦力ではどうとも……」
「言えばいいじゃないか」
割り込んできたのは鉄菜の知らない男であった。白衣を纏った男はどこか自嘲気味に口にする。
「タキザワ技術主任……。何の権限があって」
「サイコロジックモードでは不安が残るが、今まで温存してきたものがあるだろう?」
タキザワと名乗った男は不敵な笑みを浮かべる。ニナイがハッと目を見開いた。
「《ノエルカルテット》フルスペックモード……。でもそれは、それこそ桃の担当官の許可がないと」
「あの人なら許可を下すだろう。問題なのは、桃、彼女の心持ち次第だ」
名指しされて桃はうろたえる。
「モモ、の……」
「駄目だ、許可出来ない! あれは今までの制御系とはまるで別物だ! サイコロジックモードのほうがまだ現実的に思えるほどの」
「聞いてはいるはずだ。《ノエルカルテット》フルスペックモード。重力下試験が不可能といわれた幻の性能の人機。ガンツウエポンの装備状態を」
「話を聞きなさい! この場の最高指揮官は私よ! そんなもの、許可出来るわけが――」
「落ち着けよ、ニナイ局長。君の言いたい事は分かる。これ以上、モリビトの執行者を失う失態だけは避けたい、と。仲間思いなのはいい事だが、失ってから初めて気づく迂闊さは直したほうがいい」
痛いところを突かれたのかニナイは押し黙る。タキザワは桃へと探る目線を振ってきた。
「どうかな? ここで選択権があるのは君だ、三号機操主。《ノエルカルテット》フルスペックモード、説明は受けたはずだ」
桃は拳をぎゅっと握り締める。何か言おうとして、その言葉がついて出ないようであった。
歩み寄ろうとしたタキザワを鉄菜は前に出て制する。
「……詳しくは知らないがその形態、桃・リップバーンに負荷を強いるものというだけは理解出来る」
「何だい? まさか止めるとでも?」
「桃・リップバーンが言えないのならば私が言おう。お前らは私達の戦いに高みの見物を決め込むだけだ。結局のところ、今までとスタンスは変わらない。執行者は孤独な戦いを強いられ、私達は命を削る戦場で足掻くしかない」
「それがモリビトの執行者、ではないのかな」
「ああ、今までは、それに疑問は挟まなかった。だが、言わせてもらう。私達は都合のいい駒じゃない。お前達が思っているほど、私達は体よく動かされないと言っている」
ほう、とタキザワが感嘆の息を漏らす。桃は自分の言い出した言葉に何も言えないようであった。
「吹くようになったじゃないか。リードマンの造った人造血続の操主は、ここまで他人に口ごたえ出来るようになったのかい?」
「私の命がヒトを模して造られたものであれ、関係がない。私はモリビトの執行者、鉄菜・ノヴァリスだ。それが全てだと断言する。私達の命がたとえ消費されるものでしかないとしても、ただ闇雲に戦場に駆り出されるのは間違いだと考える。ゆえに、お前達の人形ではない。私達の命は私達のものだ。その決定権は桃・リップバーンに委ねられるものだと判断する」
タキザワが口笛を吹く。桃は、というと今しがたの自分の発言に面食らっているようであった。
「く、クロ? でも、もうモモ達に選択肢なんて……」
「ある。自分の命をどうするかは、自分で決めればいい。彩芽・サギサカがそう言っていた。だから従う」
「言うねぇ。だが、この状態でどうすると? フルスペックモードを拒んでも君達に益があるとは思えないが」
「組織の命令には従順であろうと思っている。だが、個人のその場しのぎの道具にはなりたくないだけだ」
鉄菜の言い草にタキザワは肩を竦めた。
「矛盾だ。鉄菜・ノヴァリス。それは大きな矛盾点だよ。組織に従うのならば、組織の命令系統である我々に従うのが道理」
「私はオガワラ博士の、ブルブラッドキャリアの思想に同意しただけだ。お前達が生き永らえるために剣を振るうつもりはない」
鉄菜の強気な発言は管制室に収まる人々をざわつかせるのには充分であった。彼らからしてみれば自分達の命のさじ加減を決める執行者が口ごたえしている現状は看過出来ないのだろう。
「……《シルヴァリンク》の修復はこちらの裁量一つ。それが先延ばしにされてもいいのかい?」
「では逆に尋ねるが、モリビトの力なくして、ここでお前達が生存出来るとでも?」
一歩も譲らない両者にニナイが口を挟みかねていると、リードマンが歩み出た。
「もう、やめておくといい。タキザワ技術主任。性の悪さが滲み出ているぞ」
その言葉にタキザワは一歩引く。
「かな。負けたよ、鉄菜・ノヴァリス。聞いていたよりも随分と物事を客観的に見られるようになったじゃないか。それもこれも、教育の賜物かな」
「茶化さないでくれ。すまない、鉄菜。侮辱するような言い方になってしまったかもしれないが僕達には単純に今、モリビトの力添えが必要だ。それを分かっていて、彼は君を試した。無礼を許して欲しい」
タキザワは懐から取り出した端末を差し出す。鉄菜は訝しげにそれを睨んだ。
「これは?」
「《ノエルカルテット》フルスペックモードの仕様書だよ。安心するといい。桃君には負担はほとんどない。こちらの仕様書通りに、我々管制室が常にバックアップする」
《ノエルカルテット》フルスペックモードの仕様書をどうしてここで自分に差し出すのか、その理由を見出せないでいるとタキザワは快活に笑った。
「君の勝ちだ、鉄菜・ノヴァリス。いやはや、聞いていたよりもずっと豪胆だな。二号機の中で昏倒する操主なんて大した事がないと思っていたが」
鉄菜はわけの分からない賞賛に戸惑うばかりである。その後はリードマンが引き継いだ。
「鉄菜、僕と共に来て欲しい。君に教えていなかった、最後の鍵を教えよう」
どうやらここから先は担当官と会う手はずのようである。桃も別室へと案内されていた。
「……まだ話は」
「終わっていない、か? だがあれほど言えれば一丁前だ。鉄菜、僕は君がまだ完成されていないのだと思っていたが、この短期間でよく成長した。彼女の言っていた通りになったわけだ」
彼女。今までぼやかされ続け、自分の記憶の片隅を逃れてきた存在に今、向き合わなくてはならなかった。
「何者なんだ。私は、その人の影響を受けたはず。今、その人がいないという事は……死んだのか」
「彼女は人機を愛していた。同時に人機もまた、彼女を愛した。血続とはそういうものらしい。青い血に惹かれ、機械油と血塊炉の生み出すただの現象に過ぎない永久電池の人機という鋼鉄の塊に命を見出した。古き時代、血続は地上に繫栄したと言う。だが、元老院は、当時の人々はそれを快く思わなかった。それが原罪だ」
元老院は懺悔していた。まさか、ブルブラッドキャリアが追放された真の意味は――。
「血続……ブルブラッドキャリアの創始者達は血続であったというのか」
前を行くリードマンは振り返りもせずに応じる。
「そうであった、とされる文献資料とデータがあるだけだ。実際に血続と認定されたのはたった一人だけであった。それこそが、君の基になった彼女の物語」
ラボに辿り着く。培養液が入ったいくつものカプセルが並び立つ中、リードマンは原罪を語った。
「ここで彼女は君に託した。オガワラ博士の血を引くブルブラッドキャリアの創始者の一人、黒羽博士は」
黒羽。それが自分の遺伝子の深くに刻まれた名前であったのか、それは定かではない。
ただ、鉄菜はこの時初めてその名前を聞いたにもかかわらず、その瞳から零れ落ちる涙を止められなかった。
「何だ、これは……どうして、名を聞いただけで」
「懐かしいんだろう。君の消された記憶……いや、戦士には必要ないとして切り捨てられた情報の一つだ。それが今、懐かしさを覚えている。僕にはそれだけで嬉しい。彼女の事を、君は覚えている」
リードマンの語り口に鉄菜は詰問する。
「教えろ。黒羽という人間は、私に何をさせたかった? 私を……何に仕立て上げたかったんだ?」
疑問が口をついて出る中、リードマンは一つ呼吸を挟む。
「何を、か。それこそとりとめのないものだろう。君を、人造血続の運命から解き放ちたかった。この世界はまだ美しいのだと、教えたかったに違いない。これが、彼女の遺したメッセージだ」
引き出しから取り出されたのは小さなメモリーチップであった。
「君が知りたい時に閲覧するといい。僕は、君と彼女の再会まで邪魔立てする気はない」
「……意外だな。お前は私の担当官なのだろう?」
リードマンはその言葉に自嘲気味に返した。
「確かに担当官だが、君の人生まで左右するほどの権限はないよ。彼女の弁を借りるとすれば、君達の、であるかもしれないが」
全てはこの手の中にある。鉄菜は掌のメモリーチップに視線を落とした。