ジンキ・エクステンドSins   作:オンドゥル大使

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♯161 空白の盤面

 野獣のような眼光の持ち主だな、というのがガエル・シーザーの初見であった。

 

 リックベイは顔合わせをするなり、まずは、と提言される。

 

「そちらの有する《スロウストウジャ》、でしたっけ。その機体の参照データを我々に開示いただきたい」

 

「何のため、ですかな」

 

 軌道エレベーターの長い廊下を歩みつつ、リックベイは分かり切った答えを問い質す。

 

「自分も、このような直截的な事は申し上げにくいのですが、ゾル国は焦っています。それもこれも、火消しのために」

 

「火消し? 仮想敵国同士ではあるが、今まで直接対決は避けてきた間柄だが」

 

「そうではありません。これを」

 

 手渡された端末に表示されたのは異様に発達した四肢を持つ人機であった。通常人機の六倍ほどはあるであろう全長にリックベイは息を呑む。

 

 緑色の機体色に、鉤爪のように鋭く尖ったフォルム。現行のどの人機とも異なる設計思想であった。

 

「これは……」

 

「我が方の諜報部門が仕入れた極秘人機です。名称を《キリビトエルダー》」

 

「キリビト……禁断の人機の名前だな」

 

「ご存知でしたか。いや、失礼な話かもしれない。C連合の銀狼に、今さらの知識を問うなど」

 

 肩を竦めたガエルにリックベイは言いやる。

 

「まさか、これを破壊しろ、とでも?」

 

 そのための協定なのだとすれば頷けるが、問題なのはこのような強力な人機がどのような手順を踏んでゾル国の物となったのか、である。

 

 それを明瞭にしなければこの戦、ただこき使われるだけになってしまうだろう。

 

「破壊は急務ではありません。むしろ、我々としては静観を貫くために、そちらとの情報の同期を願いたく、この機体を参照していただいたまでです」

 

 破壊は急務ではない、という言い草には二つ以上の意味が含まれる。

 

 一つ、可能性として浮かぶのはこの機体はゾル国の手のものであり、機体そのものには価値があるという事。出来れば生け捕り、もしくは機体参照データを取るため、最低限の戦闘行為で無力化したい。

 

 もう一つ浮かぶとすればこの機体を自分達C連合の兵士に見せる事によっての牽制。キリビトタイプを有する、という事実をちらつかせる事によってこちらの動きを制する事が出来る。

 

 加えて相手は《モリビトタナトス》の操主。先のシーザー議員の発言も鑑みればブルブラッドキャリアとの蜜月もあり得る。《キリビトエルダー》の所在をあえて明言しないのは、この人機が敵になるかもしれないと伝える意味もあるのだ。

 

 下手な手を打てば《キリビトエルダー》は乗り越え難い敵として屹立する。

 

 やられた、とすればこの情報を一方的に出させた事か。あるいは、こちらの部隊が《スロウストウジャ》のみである事をもう明かしている点か。

 

 いずれにせよ先手は打たれた。

 

 協定を結ぶ結ばない以前に、この男は鼻が利くようだ。何を優先順位として持ってくればこちらの先読みをうまくかわせるかと心得ている。

 

 政治家くずれ、もしくは生粋の勝負師。

 

 そう当たりをつけたリックベイはなるほど、と返す。

 

「我々《スロウストウジャ》部隊にこれを破壊はせずとも、静観せよ、と言いたいわけか」

 

「察しがよくて助かります」

 

 蝿型人機も恐らくは《キリビトエルダー》の手のもの。だからこそ、これ以上邪魔をするな、とゾル国はこちらに忠告を寄越したい。

 

 しかしながら、この男の語り口だけを信じていいものか、という疑念も残る。

 

「ガエル・シーザー特務大尉であったな。シーザー議員とは旧知の?」

 

「親戚ですよ。遠縁の、ね」

 

 どうにもはぐらかされている感が否めないが、それでもリックベイはここで追及すべき事柄を纏め上げる。

 

「では、シーザー議員に問い質しても痛くも痒くもない、という事だな。今回のゾル国との協定は」

 

 その言葉に、ガエルの表情が一瞬であったが硬直する。リックベイに確証はない。しかし、ただの遠縁の関係にしてはこの男、知り過ぎている。ともすれば、この男一人の因縁で全てが片づけられてしまいそうでもあった。

 

《モリビトタナトス》の操主として祀り上げられたのはその通りであろうが、果たして真にただの親戚同士の関係で国家を挙げての操主に抜擢されるであろうか。

 

「偶然に」親戚である人間が軍属で、「偶然に」モリビトタイプを操るに足る技術の持ち主であった――。

 

 偶然の一致にしてはこれらの事柄は出来過ぎている。どこか作り物めいた虚飾さえも窺わせて。

 

「……読めないお人だ。いや、それこそが先読みのサカグチの所以ですかな」

 

 こちらが一瞬でもゾル国の政の側面に切り込める手があるのだと強調すれば、この男は身動き一つ出来なくなる。その予感があった。

 

 現場でこそ輝くタイプの人間性を従えている軍人と言うのは、えてして他の部分に大きな弱点を隠し持っている。

 

 その欠陥部分をどのように補えるかどうかも、軍人としての資質の一つ。

 

 リックベイに政治家の心得はない。しかし、騙し騙されの世界で渡り歩くだけの胆力は持ち合わせている。

 

 この場合は、現場における瞬時の判断力。そして、間違えさえも自分の中に置くという覚悟。

 

 ここでもし、自分にそのようなコネクションがないとしても突かれて痛い部分は少ないが、ガエルの場合は別だ。

 

 政治家か、あるいはそれ以上をバックに持っている男は一つでもまかり間違えればお終いのはずである。そのラインを攻めるのに、リックベイは躊躇をしない。

 

 事実、ガエルは攻勢に出ていた話題から逆転させざるを得なくなっているのが伝わってきた。

 

 こちらに《キリビトエルダー》を静観せよ、あるいはゾル国の作戦に下り、戦力を譲渡せよという要求はここに来て一発のブラフによって破綻を迎えようとしていたのだ。

 

 シーザー議員が何も知らぬ張子の虎であったのならば、このガエル・シーザーなる男の足元を支えているのは全く別の組織という事になる。逆にシーザー議員がその言葉通り、この男を全面バックアップしているのならば、《キリビトエルダー》という存在そのものが政界におけるウィークポイントになりかねない。

 

 己の放った獣で、己を雁字搦めにする。

 

 ゾル国はうまく立ち回ればC連合を傘下に加え、ブルブラッドキャリア排斥に向かえたのだろうが、自分という障害を考慮出来なかった時点でこの局面における無傷の勝利はあり得なくなった。

 

 ここで勝利を得ようとすれば、無理やりにでも自分達カウンターモリビト部隊を従える必要がある。その選択肢を取るのならば、シーザー議員かこのガエルという男、いずれかの破滅は免れまい。

 

 さぁ、どう出るか――。

 

 リックベイは相手の次の出方を見る。

 

 ガエルはフッと口角を緩めた。

 

「……食えない男だってのは本当みたいですなぁ。先読みのサカグチの異名、衰えていないと見える」

 

 認めるのか、とリックベイは次の言葉を読もうとしたが、ガエルは端末を掲げる。

 

「シーザー議員にお電話なさいますか? いつでも繋がりますよ」

 

 端末上に示されたシーザー議員の電話番号にリックベイは食いつきかけて、否、と判じた。

 

 そうだ。誰もシーザー議員本人をろくに知らない。

 

 議員は常に陰から政界を動かしてきた存在。その声が公になったのは後にも先にも前回の《モリビトタナトス》のお披露目一回きり。

 

 その議員とて、本人の可能性は薄い。

 

 考えたな、とリックベイは歯噛みする。ここで通信の先に出たのが本人を騙る何者かであっても、リックベイにはそれを虚偽だと断じる術がないのだ。

 

 こちらがシーザー議員と繋がりがある、と示唆したブラフが瞬時に紙切れ同然の浅慮と成り果てる。

 

 これ以上の腹の探り合いには旨みがない。

 

「……いや、やめておこう。議員はお忙しいであろうからな」

 

「そうですね。やんごとなきお方だ。我々のような人間が踏み入っていい領域じゃない」

 

 端末を下げたガエルにリックベイは了承する。

 

「《キリビトエルダー》に関しての静観、であったな。請け負おう。それと、これは国際社会に亀裂を走らせかねない事案だが、我々は関知しない、と」

 

「助かります。我々は所詮、軍属ですからね。軍人に政治の話なんてするもんじゃない」

 

 C連合とゾル国の密約は結ばれた。現場指揮官である自分の判断だ。ここで裁かれるであろう人間は自分一人。上官も、部下も誰も咎を負う必要はない。

 

 たとえ《キリビトエルダー》を放置していればブルーガーデン汚染領域のような地獄を作り出す遠因になったとしても、ここではお互い踏み込まないのがルールとなった。

 

「しかして、どうするという。ブルブラッドキャリアの脅威は過ぎ去っていない。《キリビトエルダー》に、まさか全てを任せるとでも?」

 

「それにはいささか賭けが過ぎます。なので、我々も動きますよ。カウンターモリビト部隊、でしたか。配備された数と現状の数が釣り合わない。これっておかしいのではないですかねぇ」

 

 先の戦闘でモリビトに三機撃墜された事実をこの男は知らないはず。ならば事前情報でリークがあったか。あるいは、《モリビトタナトス》に乗り続けているのがこの男であったのならば、地上におけるゾル国基地への強襲時に何機配備されていたのかを覚えていたか。

 

 しかし一度として《スロウストウジャ》が何機存在するかは明かされていないはず。これも牽制の一つか、とリックベイは、そうかとかわした。

 

「実際の配置数と他国へともたらされる情報に差異があるのはいつの時代も同じであろう。まさか我々が逐一、ゾル国に実際の人機の開発数を教えるとでも?」

 

「いやいや、それはまさか。だってこちらだって《モリビトタナトス》の配置は極秘だった。お互い様の領域ですよ。ただ、気になっただけです」

 

 気になっただけで配備数の齟齬を看破出来るものか。ある程度察しがつく情報が出回っているか、あるいはこの男の天性の勘が鋭いのか。

 

 いずれにせよ、長く喋っていると痛くもない横腹を突かれるような気がして、リックベイは曲がり角で話を打ち切る事に決めた。

 

「ここまでだな。我々は所詮、軍属。上の決定を覆す事は出来ない」

 

「そうですな。こちらの内々で決めた約定なんて、すぐに破られるのがオチです。だからこそ、後ろから撃たれないかだけをハッキリさせておきたかったのですが」

 

 それはこちらとて同じ事。戦場で撃たれないかだけを明言化したのはある意味大きかったかもしれない。

 

「有意義な話を聞けた。感謝する」

 

「いえ。自分は無頼の輩です。こんな男の戯れ言に銀狼をつき合わせて申し訳ないほどですよ」

 

 握手を交わし、ガエルはふと自分の背後に目を留める。振り返るとタカフミが立ち竦んでいた。

 

「話のお邪魔かな、と思いまして……」

 

 苦笑する赤毛の青年にガエルは顎をしゃくる。

 

「先の戦闘、頼もしい限りですね。彼のようなエースがいる」

 

「そうだな。それは確かに頼もしい」

 

 身を翻したガエルを見送り、リックベイは嘆息をついた。

 

「あの……おれ、空気読めないっすか? やっぱ」

 

「いや、いい具合の時に来てくれた。あれ以上、あの男と話すと要らん事まで口に出さなければいけなさそうになったところだ」

 

「じゃあ、タイミングとしてはよかったって事ですかね」

 

 頬を掻くタカフミにリックベイは尋ねる。

 

「《スロウストウジャ》は? 解析されていないだろうな」

 

「まさか。向こうさんのメカニックには触れさせもしませんよ。こっちだって最新鋭機の手だれです。やっちゃいけない事くらい分からせますよ」

 

「その調子でいい。《スロウストウジャ》の分析などされてしまえばこれから先の戦局に響いてくる」

 

 その言葉振りにタカフミは胡乱そうに聞き返す。

 

「その……ゾル国との戦争っていうか、冷戦ですか。まだ続くと少佐は睨んで?」

 

「当たり前だろう。ブルブラッドキャリア排斥のために一時的に手を組んだだけの国家だ。百五十年、いや、もっと深い確執がある国家同士がただ単に居座る場所が同じなだけで分かり合えるものか」

 

 どうあっても、ここでの協定以外では銃口を向けられてもおかしくはない。《キリビトエルダー》に関する情報交換だけで済んだのはある種、ガエルという男の先見の明があるからか。

 

 ただし、多くを語りたくはないタイプではあったが。

 

「にしたって、あいつ、やばいですよ」

 

「何がだ。君の意見はいつも要領を得ないな」

 

「眼ですよ、眼。気づきませんでした? 野犬みたいな眼、してますよ、あの男。おれ、こんな事言うの情けないですけれどブルってしまって話しかけたくありませんし」

 

 首を引っ込めるタカフミにリックベイは、案外直上型の馬鹿でもないらしい、と評価する。

 

 あの男の眼光の中に潜む野心を窺い知るとは。なかなかに出来た操主だ。

 

「同感だな。出来れば戦場以外では会いたくないタイプだ」

 

「でも、戦場で会えば確実に敵味方でしか括れない人間ですよね、あいつ。どちらでもない、っていう選択肢がないというか」

 

「他人の評価を下している場合でもないかもしれんぞ、アイザワ少尉。我々はゾル国の、仮想敵国の真っ只中にいるのだからな」

 

「馬鹿なのはどっちなんだか、って話ですか」

 

「《スロウストウジャ》に近づけさせない、なるほど、賢明だ。だがそれをいつまでも許してもらえるほどに甘いとは思っていない」

 

「そりゃ、間借りしているも同然ですからね。さっさとここから出ましょう、少佐。ゾル国くさいったらありゃしない」

 

 しかし、一度でも停戦し、ここでメンテナンスを受けた事実があれば、後々うまく立ち回れる事を分かっているからこそ、ガエルのあの態度なのだろう。

 

 納得がいかないとすれば、それはガエルとゾル国の厚顔無恥よりも自分達の無力さである。

 

 モリビト相手に優位を運べると判断した己の判断の迂闊さを呪うしかない。

 

「……トウジャは、スペック上、モリビトより上のはずであった」

 

「仕方ありませんよ。隠し玉がでかすぎた」

 

「あの黄金の。地上の分析班には?」

 

「きっちり解析をしてもらっています。あ、それと朗報が」

 

 差し出されたメモリーカードを端末に差し込むと地上で巨体のモリビトを構築していた三機の人機を完全に捕縛した、という報告が上がっていた。

 

「あの機獣の機体か。よく三機とも……しかもデータ上、ほとんど無傷での回収か」

 

「地上の《ナナツー参式》班は思っていたよりも有能だった、って事ですね。あの高出力人機をまさか生け捕りにするなんて思いもしないですよ」

 

 リックベイは顎に手を添え、考えを巡らせる。今まで他の機体を圧倒してきた大型人機のモリビトがどうしてここに来て能力の低さを露呈したのか。それに、青いモリビトの秘策も含め、何かが変わり始めている事を予見した。

 

 自分達の足元を瓦解させかねない何かが、静かに蠢動しているような感覚だ。

 

「少佐? 何か気になりますか?」

 

 この部下も目ざとくなったものだ。自分の変化にすぐに順応する。

 

「いや、まさかな、と思う事が一つ増えただけの話だ。モリビトを相手取るのに一つでも不安は排除したほうがいいだろう」

 

「しかし、次はモリビトの本拠地を叩くんでしょう? ゾル国が足手纏いになるんじゃないですかね」

 

「なるのならば、ここいらで手打ちにするのも悪くはないが、少なくとも《モリビトタナトス》を敵に回すよりかは建設的だろう」

 

「後ろから撃たれないように、ですか。《バーゴイル》はともかく、《モリビトタナトス》があの二機のモリビトと完全に無関係だって、よくよく考えれば証明されていないんですよね」

 

「確かにな。だが、ガエル・シーザーという男がそこまで加味した裏切りを用意していればさすがに誰かは気づくはず。現状はモリビト二機と、《モリビトタナトス》は無関係だとする見方を現場ではするべきだろう」

 

 たとえ政の領域では両者共に同じ穴のムジナだとしても、現場判断というものがある。リックベイは二機のモリビトと《モリビトタナトス》が同じ勢力だとはどうしても思えなかった。

 

「……となってくるとシーザー議員の発言の矛盾ですが、こりゃ一杯食わされたと思うべきなんですかね」

 

《スロウストウジャ》で基地へと強襲した事も含め、体のいい牽制の材料だったと思えば納得出来ない事もない。

 

《モリビトタナトス》もモリビトの名を冠しているだけで、これまでの三機とは設計思想が異なるとすれば、ブルブラッドキャリアの動きを制するための一種の起爆剤だったとも考えられる。

 

「ブルブラッドキャリアのモリビトを制するためのやり口……にしては大仰であった気もするが。いずれにせよ、我々の関知せぬ部分だ。政治家と軍人ではスケールが違う。信憑性も、な」

 

「現場では《モリビトタナトス》が味方でも、政治とか駆け引きじゃ、そうでもないって話ですか。難しいですね。おれにはちんぷんかんぷんだ」

 

 眉間に皴を寄せるタカフミにリックベイは言い含める。

 

「軍人に駆け引きを理解する頭は必要ない。我々は駒だ。それを忘れなければいいだけの事。駒は、打ち手を裏切って勝手に動く事はしないものだ。独断専行が最も嫌われる」

 

「お伺いを立てようにも、ここはもう惑星の圏外ですよ?」

 

「宇宙にまで政治を持ち込むのはナンセンス極まりない。それこそ、現場判断だ。駒なりの、な」

 

「……分かんないもんですねぇ。打ち手の存在しないゲームがあるっていうんですか?」

 

 タカフミの質問にリックベイはフッと口元を緩める。

 

「大方にして、ゲームとはそのようなものだ」

 

 


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